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2015年1月13日 (火)

優性学

兵士の階級の強化という発想はプラトンも考えたが、この思想が表面化したのは19世紀だ。
ドイツ民族の強化を実行に移したのがナチスであり、権威主義的な優性学とリベラルな優性学に分かれた。
1970年頃に、ノーベル賞受賞者やオリンピック選手などの精子提供を求めるムーヴメントが起きたが、多くの人はこれを断っている。
この論文は「万世一系」に対する対抗理論として使える世界標準の議論だ。
ナチスは生殖によって「治らない病気」をなくそうと考えた。
病気とは身体障害、精神障害、ホモセクシュアル、共産主義(文字が読めず、権力をただ悪く言うだけの心の弱い男)、ローマ人ジプシー(詩を詠む心の弱い男)、ユダヤ(心の弱い女)のことだった。
このナチスに理論を提供したのが、アメリカのプロテスタントの少子化であった。
アメリカプロテスタントは、イタリアカトリック移民や、アイルランドカトリック移民によって人口が圧迫されていたため、
優性学に活路を見いだしていたのだ。
戦後、ナチスが行った優性学の実験に恐れをなした先進国は「優性学ソサエティ」などの名称を「社会生物学」などに変更しなければならなくなった。
しかし、1970年代まで「心の弱い」女性などは差別されたのだ。
心の弱さは人種、階級、性別と密接に結び付いた「諸悪の根元」であると考えられていたのだ。
ヒトゲノムの解析が終わり、色々な遺伝と病気の関係が明らかになった。
そこで、優性学はリベラルな方向を模索し始めた。
まず、国家によって行われるものではないこと。
家族のあり方を決めたい人々の自由意思に委ねること。
男子優先ではなく、色々な意味で価値中立的であること。
人種や知性重視といった「絶望的間違い」を犯さないこと、などが求められた。
今までは出産というものはレッセフェールの世界だったが、優性学によって「遺伝のスーパーマーケット」という発想が生まれた。
基本的には子供を育てることの延長線上に「病気のない子供を育てたい」という考えが生じるのは自然のことだ。
生まれたあともいろんな病気とは闘わなければならない。
だが、遺伝における発展とはなんであろうか。
生きるという壮大な実験は知的に優れていた方がいいのではないかなどが問題になる。
病気のない子供には機会の平等が保障される。
しかし、異常に知的な人間よりも「ほどほど」の方が世の中は生きていきやすいものだ。
世の中には「生きていくのがあまりにも惨めな病気」がある。
それ以外なら、遺伝的選択により人生の自由度を狭めるよりも、もっと将来の自由を謳歌した方がいいとも言われる。
一方で、「親は子供に夢を託す権利がある」とも言われる。
しかし、一芸に秀でるとは、他のいろんなものを失っていることも知らなければならない。
また、遺伝によって子供の素質をコントロールしても、それを社会が歓迎するかどうかはわからないのだ。
特に、ホモセクシュアルを歓迎する社会はないといっていい。
遺伝子操作には社会の圧力というものが全く考えられていなかった。
そのため、優性学は「社会で自由であること」あたりに落ち着くことになる。
なにかに優れているということに力点を置くよりも、社会の圧力をいかに弱めるかが問われたのだ。
このような議論に障害者の権利を主張する論者が批判を加えるのも仕方がなかった。
和泉元秀 和泉元彌 井上松次郎

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