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2014年11月 5日 (水)

スピノザと汎神論

現在、私はスピノザの研究をしている。
霊的に高い位置にいる人をことごとく処刑してきたキリスト教を批判しながらも、万物に神を見出だす思想だ。
私がスピノザを理解するだけでも日経平均は上昇するのだ。
日経平均連動型のETF を買うと儲かるよ。
私の天皇即位に賭ける行為だけどね。
万物に神が宿るのならば、物を所有するとはどういうことだろうか?
所有する側もされる側も神の属性を持つ。
これはトータルに神の属性であり、段階ができたにすぎない。
そして、これらのすべての発信源は「情熱」だとされた。
Cocco - 焼け野が原

世界には無限の段階があり、段階の間には情熱がある。
日本の神道がスピノザから学んだであろうことは想像に難くない。
スピノザは、無限であり永遠であるものを神と呼び、自然と呼ぶ、とした。
土はお百姓さんに、海は漁師に、それぞれの自然を我々は道具として使うが、それぞれの世界にはその「支配者」がいる。
たとえば、町を歩いていて頭の上から石が落ちてきて人が死んだとする。
スピノザは、偶然とは呼ばなかった。
なぜその時、そのように風が吹いていたのか?
なぜその時、人が歩いていたのか。
そのようなことは、我々にとって「無知の聖域」にあるものだとした。
それぞれの世界にはそれぞれの支配者がいるが、仕組みが異なる以上、神=自然への異なる祈り方をする。
スピノザの議論は彼の敵から「汎神論」と呼ばれた。
汎神論は、超越論としての神を否定し、現実の世界と神との繋がりを見出だすものだ。
「野球の神様」「サッカーの神様」というものは汎神論だ。
それぞれの世界に神のメカニズムに詳しい人がいるのだ。
野球の神様は厳しい? 金子千尋に勝利への壁 5月8日
スピノザが、汎神論に立脚しているかどうかは議論があるが「野球の神様」「サッカーの神様」と言ったら無神論者ですら認めるのではないかとされる。
この場合、宗教心理学に訴えるのが汎神論で、そうではないのが無神論だとされる。
人間の世界は「広がり」と「思考」からなるとスピノザは考えた。
広がりは物理的なもので、人間の思考と複雑に関わっているが、「広がり」も「思考」も、神が与えた自然のものだと考えたのだ。
思考すら神が与えたものとし、物質的な広がりともとは同じだとした。
思考の秩序はものの秩序と同じだと考えたのだ。
知識とは、アイデアであり、理性であり、直感である。
理性を我々はランダムな経験から形作っていく。
理性を形作る経験は神=自然という永遠かつ無限の属性と接している。
カントは理性が混乱のなかに「法」をもたらすとしたが、スピノザが念頭にあったかは定かではない。
人間の「考え」は神に由来し、いろんなものが無限に繋がっている。
愛、怒り、憎しみ、嫉妬、誇り、ジェラシーなども自然法で説明がつく。
神の属性である物を所有するのは情熱がともなうが、情熱と行動が我々に喜びをもたらす。
神は「広がり」を持ったものだが、それらへの知識を我々の心が求めることは最高の善であり、最高の美徳である。
スピノザは、モーゼ五書がどのように書かれたにせよ、自然法と変わらないのではないかとした。
後にカントをはじめとする哲学者によって精緻化される部分だ。
スピノザは、しかし聖書を読むことを否定しなかった。
「汝の隣人を愛せ」という言葉からどれほど高度な学問が発達するかを後の哲学者たちが証明している。
国家を自然法のまま放置しておけば、国家は孤独で貧しく汚く残虐で貧しいものになる。
ここに、主権というものができ、正義と愛に満ちた市民法というのができる。
自然法から学ぶものは多いが、法学部ではもっぱら市民法を学習する。
そのなかで、スピノザは「自由」というものをサイエンスや芸術を発展させるために必要なものだとした。

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