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2014年11月 6日 (木)

精神病の東大生へ

レヴィナスは、哲学ではなく倫理学をやっただけだと言われた。
デリダからも「何ら混乱のなかに法則を作り出す作業をしていない」と指摘を受けた。
自分にとって健康的なことをするのが倫理だが、実際にレヴィナスは、「有限な俺たちには逃げることしかできねえな」と言っている。
しかし、混乱に法則を与える「美徳」を探求したのなら哲学者のリストに名を連ねてもいいだろう。
我々は「死」というものを他人の死によってしか知ることができない。
これを、可能性の不可能性と呼んだ。
世界は光であるが、不眠症のような闇も光によって乗り越えようとした。
光とは「命への愛」であった。
時間というものは、超越論的(大きすぎるもの、小さすぎるもの)な意識にたいして、
超越論(私とどのような関係があるのかわからない議論)の妨害が入るものだとしたが、
歴史というのも、現状維持を求める大きな意識にたいして、社会的なコンセンサスという超越論が変革を迫るものだとした。
現状維持を求める私の意思は大きすぎる、しかし私は有限だ。
歴史の波はそれに対して無限の善を基盤にしている。
レヴィナスはヒトラーの時代を経験していたのだ。
他者というのは超越論だ。無限のものである。
逆に、「自分と同じ」人というのは「無」である。
家族は、母であったり、愛し合ったり、肌でふれあったり、虐待したりするが、「自分と同じ」ものだ。
この中から、超越論としての無限の存在の側に立場を変えるという営みにはレヴィナスの学問は非常に有意義だ。
家族はそれを自分と同じ側にとどめておくために複雑な学問を生じさせる。
平気で偉くなろうとする息子を虐待することをレヴィナスは知っていたのだ。
この「虐待」を止めるには政治(主権)か、第三者が必要だとレヴィナスは考えた。

芸能人が下手に医者にかかると危ないよ。
周囲に毒を盛られただけなのにとんでもない病名をつけられて早死にする。
精神病の東大生へ。あなたは病気ではない。食い物の安全と人間関係、誰が食事を作っているか。薬の入手ルートはないか。などを点検し直すように。
天皇が俺に毒を盛ってるんだよ。
どこまで東大コンプレックスをもってんだよ。

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