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2014年10月 9日 (木)

近代初期インドの分析哲学

何事も「仮説」「理由」「具体例」で成り立っているとしつつ、
「神は存在する」とするのはうまくないとされる。
「ダイアド(一番小さな粒)を作った人は存在する」
「なぜなら非常に有効だからだ」
「具体例は壷が出来た」
とする。

未来と過去は、「現在」を境界線にして決まる相対的なものだ。
現在というのは空想ではなく、五感の作用で感じるものだ。
時間というのは、AよりBの方が早かった、と表現されるが、
空間は、~より東にある、~よりも近い、と表現される。
空間の無限性というのがあり、我々は空間のどこにいくのも自由だし、火や水などに触れるのも自由だ。
ユビキタス(どこにでもある)なもので、永続性を持ったものが空間だ。
「信じること」や「幸福」というのは神の知らない感情だとされる。
ここに人間の自我というものがある。
我々は、思い出し、疑いを持ち、推測する。
こういう認識論を分析哲学は持つ。
記憶は必ずしも真実をもたらすとは言えないが、必要なものだ。
疑いを持つことは誤った思い込みを排除するのに有効だ。
推測するの
は、哲学的思索の基本とも言える。
分析哲学では世界を六つに分ける。
物・質・動き・普遍・違い・固有・無。
無には定義がない。
固有からアプローチすると、そのものに固有であり他のものにはそうでないものを「物」
そのものに固有であり他のすべてのものにも固有であるものを「普遍」
そのものに固有であり他の一部のものに固有であるものを「質」「動き」
と区別する。

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