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2012年12月12日 (水)

アウトレイジと国家統治

綺麗な手だけが人生じゃねえ、現実を見ろ
世界から撤退する気か?
俺だって完全な人間じゃない。隣人は愛せるけど、社会を愛するには法律でも作れ
悪との妥協を拒絶してみんなが生きているわけじゃねえ

「社会と人間を変えたいから恐怖で支配するんだ」
「古い体制を変えた新体制を守りたいから恐怖は必要なんだ」
「美徳を失ったやつには他人の処刑がもっとも有効だ。それが死のプロパガンダ」
「無差別殺人はルールではない、例外だ。古い慣習への強烈な罵倒に過ぎない」

「正当化できないケガ」というのは反戦運動の発信源でね、アウトレイジはこれをうまく描いているね。
平和というのは時には「力に屈して」もたらされるものだ。
アウトレイジは力に屈しない人間を描いたともいえる。
恐怖からお互いに手出しができないという局面は人生に必ずあるんだ。
そういう状態がやがてお互いを疲れさせて感覚が鈍って平和に向かうんだ。
しかし、敵対心は残るとされる。
これが課題だな。
混乱した連中に「満足」を与えて平和をもたらす方法もある。
アウトレイジはまさに平和の学問でもあるんだ。
「連帯」「お互いの尊敬」「必要性の満足」がある身内同士では暴力はないだろう。
これらを失った時に暴力が起きていることも指摘していい。
アウトレイジに平和を求めるのにも「絶対か身内内部か」「最大か最低限か」「全体か一部分か」という観点が重要だ。
そうやってみんなを治めていくのに非常にいい学問になる。
「絶対的か身内内部か」という平和の問題も、絶対的な平和のためには強烈なモラルが必要で、みんながしたがうには時には神が必要になる。
ところが人間は「食べる」生き物だ。その「食べる」ことから「やるかやられるか」という基本が存在するのだ。
人間が「食べる」生き物であるから、カネの動かし方やルールを見抜けば平和をもたらすことができるという発想は当然持っていいだろうな。
タカ派は好戦的だけど、ハト派はカネにうるさい。タカ派だってハト派のお世話にならないと戦えない仕組みだ。
「最大か最低限か」という平和の問題も、しっかりと身内内部の教育を徹底させて行うという発想もあるし、
ヨハネパウロ二世は「罪のあるものもないものも一貫した人生を歩んでいる。まるで縫い目のない私の衣服のようだ」と言って善人と悪人の区別をしなかった。
寛大さ次第で平和は大きくも小さくもなるのだ。
指導者が「間違った戦争」を始めると、部下も間違った戦いをしなければならなくなる。
背景には強烈な道徳が求められるのだ。
間違った戦いには裏切り者も生まれるし、戦いへの忍耐力もなくなるのだ。
あるいは、「だいたいの平和でいいんじゃないか?」という発想があり、そこから正当防衛を認める発想につながる。
それは暴力を最後の手段とする考えになり、非常に信頼感の置ける指導者が生まれる。
こういう発想は確かに必要だろう。
戦いをおさめるには感受性だけではなく教育や文化にまで立ち入るべきだというあたりで議論は終わるようだ。また、勇敢な兵士が英雄的な死を遂げるというモデルが確立していることから、戦いをおさめるには女性をもっと混ぜるべきだろうとも言われている。
相手に「追い込みをかけて解放する」「追い込みをかけて解放する」という政治手法がある。
最後に相手の肩を叩いて優しい言葉をかけるのは野田内閣総理大臣の得意技だ。
さらには「日本国の利益のためです」とリビドーを狙う方法もある。
アウトレイジは追い込みの研究だね。解放は各自で考えよう。
ぶっ殺すぐらい追いつめたら最後は「共同体主義教育を受けた仲間じゃないか」というのが有効だが、最後の手段だと言ってもいい。
行動的非暴力」は、カネや技術や人材育成、生産力などに力を注ぐことで平和をもたらそうという発想だ。そのような行動的非暴力は大勢の人間を動員できるし、最後には人権への尊敬や和解をもたらすことができるのだ。ガンディーやキングが得意とした手法だった。
宗教上の理由からの兵役拒否
もともと、日本人だって、暴力に満ちた空間で「悟りたい」と言って反戦運動を提唱するものが多い。
モハメド・アリの反戦運動は、しかし、もっと過酷なものだった。
反戦運動は、政治コミュニティーにおいては全く愚かな行動であったからだ。
彼は、兵役拒否によって自分にふりかかる苦痛への忍耐力を求められた。
しかし、反戦運動によってもたらされる報酬の大きさも知っていたのだ。
キリストのようにふるまいたいというのが反戦運動の基盤であるが、反戦運動には、怒り、憎しみ、プライド、競争心など、いろんな感情を克服する学問に満ちていた。
これは人生を通じたプロジェクトであり、人生を豊かにするものだったのだ。
ギリシャ哲学でも、反戦運動は「美徳と規律」の学習にいいとされていた。
正義・勇気・穏健さ・知恵を学習するのにいい効果があるとされたのだ。
20世紀には勇敢さと規律を学習する旅は、もはや戦争にも等しい厳しさをともなうものとなっていた。
【つづく】

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