最近のトラックバック

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 右翼の思想は試験に受かりやすいから作った | トップページ | 性格~人間の魅力とスタンフォード哲学 »

2012年12月29日 (土)

「禅」の研究

禅の修行僧は、座禅を組み、自分の足を「Here and Now」(ここと今)の上に設定する。ここはどれだけ遠く広いのか、今はどれだけ長いのかを感じる。そして、現実に対する誤解や偏見を視野を広くして感じるのだ。「今」は­記憶や予見という広さを持つし、「ここ」は自分の感覚でわかる。ここと今を肯定できるのならいいが、否定するのはあまりにも人間的すぎる。水やまきを肩で担いで修行する。
「座禅を組んで何を見るのか」
ゼロ時間・ゼロ空間で「底のない地平」に身を置き、何の映像も見ない。そういう境地に自分の鋭敏で、かつ鋭敏でない感覚へ高めていく。そういう状態の瞑想状態になるようだ­。

「禅」とは人間の完全性を目指したものだ。叡智を求めた仏教は、日常生活のストレスや葛藤を経験したのちに、座禅を組む。
目に見えるものではなく目に見えないものの中から何かを見出そうとするものであり、心と体が「二つではない」さらには「ひとつですらない」という境地に至り、「第三の見方­」を探求する修行であると言える。
「Here and Now」(ここと今)をためらいのない叡智とともに瞑想によって感じることを「悟り」と呼んだようだ。
日常生活や自然を経験した週末に「心と体の平穏」によってそれを受け止めてみてはいかがだろうか。不安やストレスを感じた時に禅を組めば人間はまっすぐかつ平穏に物事に取­り組めるようになる。
倫理的受け止め方、差別の無い知恵、仏陀が感じた悟りなどを座って瞑想することで味わう。
これは「自分を豊かにすること」(修業)であるとされる。
呼吸の回数を数える「数息観」。公案を与える方法。あるいは只管打坐(Just sitting)。
公案というのは「知恵だけでは解決できない問題」を与えて文化的歴史的長さを感じ、エゴの自意識を忘れる方法だ。白隠が17種類の公案を考え、副題を含めると3千種類にな­る。
公案は①到達すること(理知)や真実の実体(発心)、②言葉の発音と瞑想、③通るのが難し問い(難答)、④日常生活の経験への洞察。⑤悟りを通じて仏陀の境地にいたる。
「特別な伝達」「言葉に頼らない」「心に直接到達する」「ブッダに到達する」という四つのモットーがある。
曹洞宗の只管打坐は「エゴによる関心」「欲望」「関心」などを忘れて悟りの渦中に入る方法をとる。「次第に悟っていく」あるいは「静かなる幻想」とも言われる。
臨済宗も曹洞宗も目指すところは同じだ。
哲学が「理性の王国」を作る営みだとすれば、禅は間違いなく「反哲学」であるといえる。
哲学がエゴを使って真理を探究するのに対して、禅は超越論的主観と命、己の存在を使う。

「心と体」の「二つではない」ということを知る。
「二つではない」ということをひたすら探求する。
「思考もイメージもない世界」
「何もない世界」
その中で「何かを見る」ということ。
ここと今。
「ゼロの時間とゼロの空間」
「時間と空間の統合」
「その中で何かが現れる」

詳細は「スタンフォード哲学百科事典~日本の禅の哲学」
http://plato.stanford.edu/entries/japanese-zen/

動画

« 右翼の思想は試験に受かりやすいから作った | トップページ | 性格~人間の魅力とスタンフォード哲学 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「禅」の研究:

« 右翼の思想は試験に受かりやすいから作った | トップページ | 性格~人間の魅力とスタンフォード哲学 »