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2012年12月25日 (火)

「観音さま」は聖徳太子の化身

浄土真宗セクトは、明治時代に宗教界独占を狙って「神道は宗教ではない」といったんだけど、その思想的基盤は「聖徳太子カルト」なんですよ。
聖徳太子崇拝が親鸞の思想的基盤なんです。
浄土真宗セクトは本地垂迹という立場だ。これは聖徳太子を神と位置付けるために唱えられている。
皇室の流れと仏教の流れから生じたものだ。
聖徳太子の研究を深めたのが親鸞であり、天皇の次男の研究と信仰からカリスマとなったのだ。
専修念仏という思想は阿弥陀仏陀の名前を唱えるものだが、この簡素に集約された思想が末法思想を背景に一気に広まり、比叡山の嫉妬を買った。
比叡山はもともと念仏を唱えるという思想を始めたところだが、この「専修念仏」の弾圧を後鳥羽天皇とともに行ったのだ。
親鸞はこの専修念仏の弾圧を回避するために聖徳太子に注目したとも言われる。
朝廷とのつながりを必要としていたのだ。
親鸞を語るうえで「末法」は欠かせない。
末法とは仏陀の入滅から時間が経ちすぎると人々が悟れなくなるのではないかという思想だ。
この思想が、比叡山の僧が秘技を用いて資金を得ていることなどの現状から広まり、親鸞が阿弥陀仏陀に頭を下げる理由になる。
親鸞は、48回頭を下げるときに18回目だけに集中して深く頭を下げることなどを提唱している。
聖徳太子は「観音」の化身とされた。
法然の念仏カルトも弾圧されたが、親鸞は「天皇家の次男」としての聖徳太子をカルトにすることで念仏カルトの弾圧を防いだのかもしれないね。
浄土真宗は「太子信仰」を基盤にしているのだ。
親鸞の夢
親鸞は個人的に原体験をもっていた。
六角堂に百日間滞在した時に聖徳太子の夢を見たのだ。恵信尼の夢も見たとされる。
そのあとに法然の念仏カルトに帰依している。
六角堂で見た夢がのちに聖徳太子カルトとして浄土真宗の核心を形成していくのだ。
太子信仰の歴史
平安時代は、後期に入って権力構造が変わった。
地方に荘園ができて武士がそこを資金源に台頭してきたのだ。
寺は皇室を資金源にするようになった。
仁和寺などは、皇室を支持し、アンチ藤原を標榜した代表格だ。
藤原道長は、自分を聖徳太子の化身としている。
この頃から太子信仰はあったようだ。
頼朝が鎌倉幕府を作った時には、頼朝も「聖徳太子の生まれ変わり」と言っている。
武士にとって聖徳太子は権力の正統性に関わる存在であり、それは天皇の次男としての立場にとどまらず、彼の作った十七条憲法が権力腐敗を戒める強烈な意味をもったからだ。
鎌倉の大仏は「菩薩観音」「聖徳太子」「聖武天皇」の意思で作られたと位置づけられた。
荘園ができて、武士が出てきて、「聖徳太子」という正統性を必要とした連中がいたんだよ。
聖徳太子がなぜ「仏教の父」と呼ばれるようになったかというと「カルマの法則」と「本正話(ほんじょうわ)」について語ったからだ。本正話とは「ブッダが生まれ変わる前の話」という意味だ。この話を聖徳太子は行っている。
本正話について書いておきたい。
ヒマラヤボーイが悪魔の掌の上に落ちて、マハーサットバ王子が飢えた虎の上に落ちて、両者が似たような姿勢をしていて仏陀として生まれたという話なのだ。
聖徳太子は、うまやどの王子という名前は知られているが、宮殿の南ウィングで推古天皇の職務のすべてを代行したために「上宮太子」とも言われている。
実は「虎」というのは「本能のままに生きた人」を意味するし、
「悪魔」=閻魔大王というのは「権力を利用して部下を顧みずに天上界に戦争を仕掛けては敗北する人」を意味します。
ゴータマはお父さまとお母さまをそのように見ていたのでしょうか。
専修念仏というのは「念仏を唱えるだけで悟りが開ける」という思想だ。
仏陀が入滅してから時間が経ちすぎるともはや悟りが開けないのではないかという末法思想を背景に阿弥陀が愛したピュアランドで念仏を唱えればその土地に生まれ変われるという思想が広まったのだ。
空海は「大日如来の語った言葉を唱えれば悟りを開ける」と言ってお経を唱えさせたが、念仏というのは「自分が今いる土地に生まれ変われる」から唱えるという違いがあるのだ。
五木寛之の「親鸞」も読んだんだけどね。
「浄土」(ピュアランド)の解釈がちょっと違う。
現在生きている土地のことを「浄土」と言って、その土地で念仏を唱えればそこに生まれ変われるという思想が親鸞の思想だ。
そういうあたりから議論しないといけないだろうね。
「浄土往生」とは「今いる場所に生まれ変わる」という意味なのだ。
人が死んだら「南無阿弥陀仏」といって「俺はこの土地にとどまるよ」というのだ。
法然上人の死との向き合い方について書きたい。
我々は死ぬときには悪魔に魂を売り渡してでも生きたいと思うだろう。しかし、そのあとに平穏が訪れ、阿弥陀仏陀が深く頭を下げて、ファーストランクの扱いで船に乗せるだろう。
そうやって浄土に導かれると法然は説明した。
この「浄土」というのが「我々が今まで生きていた土地」と親鸞は言っているのだ。
法然上人は、子供の頃に母に言った。
「私は生まれ変わって栄光に包まれる宿命だ。父の言いつけもあって比叡山にのぼらなければならない。
朝起きて夕方に生活は高揚する。これがすばらしいことだ。
親に感謝することはいいことだけど、自分の名前を永遠にすることはもっといい親孝行だ」
法然の母は、夫の忘れ形見である法然の言葉を「合理性を失っている」として、床のわきで泣いた。
修行のために作られた寝苦しい寝床だった。
母は息子が比叡山に行くことを認めたのだ。
法然は言った。
「あなたは自分の将来すらわからないでしょう? 他の人の将来なんてなおさらわからないよ。
座ってみなさい。そんなことすらわからないのが人間なんだよ」
法然の語る言葉に理があったからこそ、日蓮の立正安国論で旅人は先生に「法然の悪口を言っていると殺されんぞ」と言っているのだ。
法然の言葉を書いていきたい。
法然がなぜ比叡山にのぼれたかというと、僧「寛学」の紹介状があったからだ。
紹介状には、天台宗の元弘あてに「文殊の聡明さと偉大さの肖像をここに送る」と書かれていた。
自力と他力
念仏を一度か二度唱えて念仏だけで救いを得ようとするなら「自力」だ。
何千回も唱えたり、たった一度でも心を込めて唱え、阿弥陀の救済を得るなら「他力」だ。
この区別を法然は行っている。
法然は、魚を食べると浄土に行けないのではないかという議論にも答えを与えている。
彼は「猿は魚を食べない」ということに注目し、猿は猿として生まれ変わるとした。
そこで、やはり念仏という神聖な名前を唱えると浄土に行けると論じたのだ。
念仏を唱えるということは「阿弥陀を信頼する」ということだ。
他の仏陀や菩薩があなたに慈愛に満ちた頭を下げてもそれは一方的だし、あなたが頭を下げるのも一方的だ。
つまり、阿弥陀を信頼してさえいれば他の宗派とは関係をもたないとしたのだ。
法然は、経典のページをめくるたびに「阿弥陀」のことしか頭に入らなくなった。
寝ても覚めても阿弥陀のことが頭にあった。
仏陀が入滅してどんなの時間が経過しようともひたすら阿弥陀にすがろうという発想につながり、他の宗教のあらゆる実践を捨てて念仏を唱えたのだ。
「南無阿弥陀仏」というのは「ああ!阿弥陀仏陀。私を救ってください」という意味だ。
法然は、みんなが唱えている念仏を唱えれば、自分だけが特別だという感情がなくなり、傲慢さが消えて、罪が消えるとしたのだ。
そうすれば、自分が今いる場所に生まれ変われるよと言ったのだ。
我々は他人からの賞賛や名声を望みがちだ。しかし、都会を離れた小さな場所に案外住んでいるものだ。
お寺を見てみよう。
寺のまわりには見栄も何もない惨めな花がたくさん咲いているはずだ。
他者からどのように見られようとも、そのように咲いている花を見ればおのずと往生の秘密が分かると法然は言った。


Nennbutu


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