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2012年11月 8日 (木)

神武のY遺伝子理論は江戸時代には想定されていなかった

入院中に書いたレポート。
「日枝神社の歴史」
福井記念病院から、国際乗馬クラブの脇の下り坂を降りていくと一般道に出る。そこから木の生い茂ったスロープのような坂道を登っていくと住宅地があって、唐突に日枝神社がある。
かつてはこの病院の散歩コースとして知られた神社である。
この神社は実に興味深い。まず、鳥居を見てみると、クロスバーの部分に三角形の形をしたものがついている。これは他の神社にはないもので、日枝神社の特権的地位を示している。
ぜひ散歩したときに確かめてみてほしい。(もちろん赤坂の日枝神社でもいいです)
なぜ、日枝神社が特権的地位を有するのかは、まず、”ヒエ”という名前に
注目してみよう。これは「比叡山」の古い呼び名から来ている。
比叡山は延暦寺のある天台宗の山であるが、この比叡山は地理的に京都と密接な関係にあり、平安京に都が移されてから明治維新まで朝廷と天台宗の関係は密接なものとなった。
871年の延喜式で朝廷の大嘗祭から僧を排除しても、日枝神社という形で朝廷と天台宗の関係は続いた。 
比叡山は”山王祭”というものを行い、5メートルもあるおみこしを京都の軍事的要衝にもちこみ、放置しては山の男の力を見せ付けていた。京都の側もこれを防ぐために屈強な男たちが神輿にぶちかましを行っていたのだ。まさに相撲の起源が比叡山の男たちと京都の激突にあったのだ。
江戸幕府の末期に、幕府が外交や内政で失敗して国が混乱したときに、これを立て直した”サムライリーダー”が明治天皇であり、このときに、
「アマテラス-神武天皇-天皇家」という明確なラインが引かれた。
このような構図は本居宣長も相沢セイシサイも想定していなかったことだった。
この”明治帝国カルト”を広めるのに動員されたのが日枝神社であり、官幣大社日枝神社と呼ばれた。
クロスバーの三角形もこのときにつけられたのであり、他の神社に優越するものとして他の神社は”摂社”と呼ばれた。
亡くなられた三笠宮寛仁殿下の考えた「神武のY遺伝子理論」も答えは案外本居宣長も相沢セイシサイもそのような構図を想定していなかった、というように、古典をよく勉強することからアプローチすべき問題だったのかもしれない。

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