最近のトラックバック

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 笑いの研究 | トップページ | プロレスの理論~スタンフォードのリアリズム »

2012年11月30日 (金)

野田内閣総理大臣対半蔵門

あとで「序章」の動画はアップしたいが、まず、状況説明から入りたい。
深夜に俺は久里浜からタクシーで皇居の半蔵門に向かった。そこで麹町生活安全課の警察官に門前払いを喰らわされている。
この時に、俺は警察官にある「挑発」を行って帰ってきた。
新橋で寝泊まりして、俺はカプセルホテルで風呂を浴び、夜明けを待った。
カプセルの中で、俺は鏡を見ていた。
俺の顔がある皇族の子供にそっくりなことに驚いた人が大勢いた。
そこで、自信を深めた俺は特殊な通信手段で野田内閣総理大臣に「今すぐ来い」と命じ、始発で再び半蔵門に向かった。
野田内閣総理大臣の参戦
野田内閣総理大臣が、半蔵門に登場した。
俺は「俺の妨害はするな。主観はおれに任せろ」と言ったが、野田先生は制止を聞かずに警察官に突撃した。
俺が警察官に「俺の顔を見ろ。見覚えあるか」というと警察官は俺の命がけのアタックにひるんだ。
そこで野田先生にスイッチ。
以下のやり取りが行われた。
野田「中を見せろ。散歩したいだけだ」
警察官A[中は無理です。さっき来た小野君でしょ。帰りなさい」
警察官Aは深夜とは打って変わって長い特殊警棒をもって待っていた。
野田先生は俺の主観にとって代わり、警察官に食ってかかる。
俺の知識をフルに動員して語る野田先生。
「あなたの階級は巡査部長か。逮捕令状は請求できないだろう」
ひたすら退去を命ずる警察官にらちが明かずに、野田首相は首相官邸に電話を入れる。
警察官も青ざめて詰所の電話をとる。
さて、バトルの始まりだ。
野田首相は「トイレを貸してくれ。それぐらいいいだろ」というが、警察官に制止される。
半蔵門の近くの公衆トイレで用を足しているうちに、メッセージが俺に届く。「国家の命運を担うお前が殺されるわけがない」
これに勇気づけられるがごとく、野田首相は再び半蔵門へ。
警察官は応援を頼んでいた。
ここからが哲学だ、野田氏はこの後生死をさまよう修羅場を経験することになるのだが、実はこれは「暴力の哲学」にまで話は波及するのだ。
警察官がいつしか三名に増えていた。
野田先生にはある考えが頭によぎった。
天皇を敵に回したら、法律を侵害しない一般市民すら「政治ファクター」として殺害されるのではないかという不安だ。
俺は野田氏とともにどうしても皇居の中に入りたかったのだ。
やがて、野田氏の声は上ずっていく。
「俺は哲学をやっている。ノーベル文学賞を知っているか」
警察官は野田氏の威嚇にいろんな技術を使った。
「距離をとって取り囲んで公開処刑を予感させる」
「懐に手を入れて銃を取り出すことをほのめかす」
「ポケットから鍵を取り出す」「奥へ行こうと言って人目のつかない所での処刑を予感させる」などだ。
野田氏は次第に冷静さを失って行くのだ。
「笑っていいともの話をしよう」「DeNAは今年何位だった?」「東京ではできない仕事も横浜では可能だ」
など、俺が知っている知識を総動員してまくしたてる。
しかし、俺は皇居の中に入りたいという願いが強く、俺の主張に野田氏も後に引けずにひたすらまくしたてる。
警察官がBに交替。「あなたは心神耗弱なのではないか」
野田氏「心の力が弱いのが精神病だ。俺は心のタフネスをもっている。病気ではない」
「俺も天涯孤独の身ではない両親に電話してくれ」
ひたすら知っていることをまくしたてる。
もはや、殺害をほのめかす警察官3名と、野田氏の間には妥協点はなかった。
のちに俺と野田氏は「天皇の命令のもとにノンキャリ警察官が死体処理を行うことがあるのはよくないよね」と回想した。
野田氏は、ひたすら知識をまくしたてればまくしたてるほど「心神耗弱」と呼ばれて、パニックだ。
話すのをやめれば殺害されるし、話せば話すほどドツボにはまっていく。
これが警察官と心神耗弱者の非常に困難な問題だ。
俺はとうとう半蔵門の撤退を決断し、家路についた。
野田氏と名乗る人格が、深刻に物思いにふけっているのが分かった。
半蔵門の警官に殺害をほのめかされた俺の経験の恐怖を考え続けていたようだ。
ここで考えてみてほしい。野田氏が死の恐怖におびえる必要があったのかは家に帰って哲学をやってみなければ答えは出なかった。
警察官の「威嚇」には目的があり、それはまさに「俺の退去」だけだったのだ。退去さえすれば脅しはなかったのだ。
俺は退去を拒み続けたために、野田氏がまくしたてて死の恐怖と戦う図式が成立していたのだ。
野田氏はひたすら死の恐怖と向き合っていた。
さて、考えてみてほしい。
警察官の威嚇の目的は「俺の退去」であり、そのためにあらゆる技術を使っていたのだ。
殺害すらほのめかした。
結果的には「真面目な人間をみんなで笑う」という笑いの哲学のツボに野田氏は連勝し続けた。
命がけでまくしたてる必死さが野田氏を笑いに導いた。
論点は「笑いの哲学」「暴力には目的がある」という二つだった。
俺さえ退去していれば警察官の威嚇はなかったということにすら気がつかなかった。
家に帰って分析するまで分からなかったのだ。
家に帰って来て、俺はアウトレイジを見た。「盲目とサディスティック」な暴力だけがそこにはあった。
命がけで真面目さを発揮した野田氏の笑いと、暴力には目的があるという二つの分析を終えるのに時間がかかった。
とにかく「天皇を敵に回したら殺される」という空虚な発想と野田氏は戦っていたことに気がついたのだ。
この一連の騒動から、野田氏は笑いをとり、俺は暴力の目的を理解するという学習効果があった。
証拠に「深夜三時の半蔵門の挑発」という動画をあとでアップしたい。
野田佳彦対半蔵門~命をかけた哲学の序章

野田内閣総理大臣と俺のテーマソング

映画の哲学というのがスタンフォードにある。
基本的に「どのようなフィールドで」「どのような理由で」作られた作品なのかを見るが、基本的には人々に支持された作品に哲学者は注目する。
人々に支持された作品を分析したいというのが哲学者の本能なのだ。
映画というのは映像技術ではあるが、舞台を撮影するわけでもなければ日常を撮影するわけでもない。
ナレーションを入れて聴衆の共通認識を作ったり、クローズアップを使って何に注目すべきかを作ったり、編集技術を使って、客観的に明らかにしたいものを表現するのだ。
我々はフィクションから感情を刺激される。
しかし、実際はそのような経験をしたくないけれども、そのようなシチュエーションの感情を味わいたいのだ。
だから映画を見るとされる。
時には我々の行動に勇気を与えて強烈な動機を与えることもある。
映画のキャラクターは美しく、勇敢で、情報に満ちている。
また、女性を美しく描けるのも映画の特徴だ。
映画が終わるとクレジットに大勢の名前が列挙されるだろう。
役者や映像監督、構成作家、いろんな技術者の名前が出てくる。
しかし、どんな表現をするかを全体的に理解しているのは監督だ。
サウンドトラックを作れる映画は強いし、ナレーション、クローズアップ、編集などを駆使して、あとはいい役者をそろえてお金をかけて映画は作られる。
ハンディカムでいろんなものをとっておくといろんな基本の学習が可能だ。

« 笑いの研究 | トップページ | プロレスの理論~スタンフォードのリアリズム »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 野田内閣総理大臣対半蔵門:

« 笑いの研究 | トップページ | プロレスの理論~スタンフォードのリアリズム »