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2012年6月 2日 (土)

スタンフォードからみる「妄想」の哲学

この言葉を正確に理解する人間が政治的強者だ。大きく分けて二つある。
ハイソサエティの人に愛されているのではないかという妄想。
自分はすでに死んでいるのではないかという妄想。
この二つに絞るのが妄想の研究なのだ。
ハイソサエティの人に愛されているのではないかという妄想は、街で見かけた車のナンバープレートや、紫の色からすら人は感じるとされるのだ。
架空請求で「松潤からメールが来た」というのはこのポイントを標的にビジネスをしている。
さらに、自分はすでに死んでいるのではないかという妄想もある。風邪をひいたりしてひどい目に遭った後に、自分はすでに死んでいるという妄想に憑りつかれる人がいて、彼とキスをしても愛されているとは思いながらもリアリティがなく、自分がすでに死んでいるのではないかという妄想から抜け出せないそうだ。
この二つの妄想は「それを否定する証拠を突きつけるのが非常に困難」であるとされ、
この二つの妄想を基盤に研究は進んだのだ。
妄想というのは、非合理的なものであるが、いろんな研究が可能である。
ハイソサエティの人に愛されているために、他の街の住民で自分に敵対する者は街を出ていかなければならなくなるだろうなどという妄想まで生じるそうだ。
いろんな興味深い研究がなされている。
以下で書いていきたい。

妄想の研究は、「心」の哲学と、神経の研究である「精神医学」の哲学の二つの方向からアプローチされた。
どのように妄想は生じるのか。
一風変わった経験から生じているのか。
理性的に何かが欠落しているという苦痛からその妄想を信じているのか。
非病理学的に信じているものからそのディテールの新鮮さが形作られているのか。
妄想はなかなか精神病のような「人間の力の強弱」とどのようにつなげていいのかは明確ではない。
タモリ氏も「趣味は妄想」と冗談めかして言っている。

妄想は「意図的であるか」「理性的であるか」「自分が知っていることとどう関わるか」ということとも関わるし、知覚や認識、自分の意図的なふるまいとどう関わるのかという問題ともかかわってくる。
「経験」と「信じること」のどちらが先なのかという問題なのだ。

妄想はまず、人々と接することによって、「それが現実と両立しないのではないか」ということにさらされる。これは誰もが経験することであり、そうやって自分の境界線を作っていくのだ。
決して人間の力の強弱にかかわる病気ではなく、誰もが学習する作業だという説明がここでなされている。

妄想を精神医学の見地から分析しようとする手法もある。
精神分裂病などで妄想という言葉が使われるが、これらの妄想と健常者の妄想は、価値中立的に考えると、区別は明確ではない。
このことから、病人の妄想というものを病理学的に追及してみる発想がある。
「現在そこにないものを非合理的な発想で信じている」
「彼らの経験や環境を不確かな発想で理解している」
「病理学的には混乱しており落ち着かない物事の解釈をしている」
「発想そのものが社会人としては弱者の発想であり、ネガティブな存在である」
「脳の機能が歪曲されており、何かが欠落している」
このあたりで、妄想というものを病気なのではないかと精神医学の方面からは説明するしかないようだ。

この、妄想とは病気なのではないかという問題には批判がなされている。
たとえば、宇宙人に誘拐されたというような類の話は多くの人に共有されていて、非合理的ではあるものの、「そこにないもの」とは言い切れないという視点がある。
さらには、彼らの経験や環境から理解したことを案外正確に述べることがあり、「不確かな発想」とは言い切れないものがある。「混乱して落ち着かない」という点も同様である。
また、妄想を信じることをやめたら自己評価が一気に低下して自殺してしまう人もいて、必ずしも妄想をネガティブな発想とは言い切れない部分がある。
また、脳の機能の歪曲なども、物事の理解の核心部分に生じているとは必ずしも言い切れず、どのように「病気である」とするかは非常に困難な部分がある。
つまり、精神医学の世界から、妄想を病気であるとは必ずしも位置づけられないのだ。

妄想は「道徳」と関わる。有名人に愛されていると考える人は、自分が社会でそのように扱われないことからモラルに反した行いや犯罪を起こしかねないし、自分は二人いると考える人も「自治」をその人に委ねられるのかという問題が生じる。
そういうあたりは冷静にそのような妄想をする人と道徳の問題として考えていかなければならないだろう。

【つづく】

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