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2012年5月30日 (水)

「くれそうでくれぬものなり」の解決法~スタンフォード哲学

「コミュニティーの力の最大化とフリーライド」~くれそうでくれぬものなりの解決法。
コミュニティーがあるとすれば、特定の人物が優れたパフォーマンスを公的空間で行う。周囲はその力の最大化に協力するのが正解だ。
そのキーパーソンの足を引っ張る奴はコミュニティーにとって有害でしかない。
そのうえで、ベストのパフォーマンスを行う人間を輩出する。
それがうまく行けばコミュニティーは、キーパーソンが行ったパフォーマンスから得たものを自分たちがもっているものとうまく「交換」することでそのコミュニティーは安全が守られる。
その「交換」を行う手段は「民主的であること」に求めるしかないようだ。
民主的であることというのは「エリートの意思決定の質を周囲が高める」という意味であるが、私の経験では、実家に帰った時に母に「風呂にゆっくり浸かってくださ~い」と言われた時などはまさに「民主的」な要素がうまくいったと感じた。
その交換がうまく行くことを保障するのがうまくできたルールであり、それがなければならない。
他のコミュニティーに貢献しないメンバーだって自分の利益を求めて行動するが、うまくそれをルールに織り込んでいかなければ交換はうまく行かない。
反則をやって交換を求めたならば道徳の問題と直面する。
道徳やルールにしたがって一部のメンバーが獲得したものと交換するのがそのコミュニティーの
安定と繁栄をもたらす。
必要なのは道徳とルール、そして民主的であることだ。
それなくして、分け前にあずかろうするのならば、その交換はうまく行かないし、
まさに「くれそうでくれぬものなり」で終わるのがコミュニティーというものだ。
うまく、道徳やルール、民主的であることを理解すれば、コミュニティーは繁栄するが、高度な学問を踏まえなければならないし、いかにコミュニティーの力を最大化するかを考えるリーダーが必要になる。
それがなければ自分の利益しか求めない他のファクターには失敗だけが残る。
道徳とルール、民主的であることを踏まえないと、突出した人間の分け前にはあずかれないのだ。
不満が残れば、いろんな意味でコミュニティーの失敗が待っている。

検証:民主的というと「キーパーソンの質を高めるのに協力する」というのが本質であるが、例えば生活保護の問題を引き起こした河本準一さんの事例を考えよう。彼のお姉さんは、弟さんを「準君」と呼んでテレビで髪をバッサリ切り、「準のためにやっているんです」と本音を漏らしている。
その時のことを「お金がほしかったですからね」と証言しているが、高田みづえに似ているとされてこの曲まで歌わされている。
「そんなヒロシに騙されて」高田みづえ
http://www.youtube.com/watch?v=e_fzhoTve_U

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