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2012年5月17日 (木)

情報テクノロジーと倫理の問題

ネットビジネスをやりたい奴はこれを読め。好ましいネット空間は「実践を通じて倫理の問題を考えていくしかない」とされ、その倫理の問題をうまく仕組みに組み込んだものが「居心地のいい空間」を作るのに成功し莫大な富を得る。
これを読めば大金持ちになれるのだ。
「倫理と情報テクノロジーへの現象学的アプローチ」
http://plato.stanford.edu/entries/ethics-it-phenomenology/

ツイッターやフェイスブックのようなアメリカスタンダードにのってこれない連中が、
2ちゃんねるで活動している実態がこの論文から明らかになるのだ。
この翻訳を次のテーマに選んだ。

マイクロプロセッサーが社会に利益をもたらしたのは明らかである。車やエレベーター、電子レンジなど多くの製品に用いられている。その技術が、情報空間まで構築したのだ。
この情報空間が、人々の健康に関する情報や、安全、国家統治などに非常に有効に使えるのは疑いの余地はない。情報空間が、社会のカタチや倫理の問題とどう関わるかは、我々は「何が起きたのか」という観点から学習していくほかはない。非常にコストの低い有効な情報空間で、倫理の問題だけが残ったのだ。
これがこの論文の序文であり、ツイッターやフェイスブックはすでにこの論文を踏まえて人々が快適な情報ネットワークを構築していることをこれから述べることになる。
さらには、「2ちゃんねるは倫理の問題にどう向き合っているのか」もおのずと明らかになるであろうし、アンダーグラウンドの空間とされるのか、悪口や不満のはけ口とされるのか、名前を出せない卑怯者だけが集まる空間であるとされるのかも明らかになるであろう。

この論文は非常に重要な意味を持っている。思考盗聴ゲームという「倫理のまったくない空間」で人間がどのような行動をとるのかというデータを俺がすでに持っているからだ。
それを基盤に、いいネット空間の構築の哲学を俺は掘り下げて書いていこうと思っている。

「情報テクノロジーは社会の構造まで変えたアーティファクトなのか、それともただのツールなのか」
ワープロは、一度書いたものを消して書き直すことができる。このことだけでもある問題を解決しているという意味で社会の構造を変えた。これは明らかにアーティファクトだと言っていい。
また、携帯電話も、日常生活において我々のどのような問題を解決したのかはすでに経験済みであろう。そういう意味では携帯電話もアーティファクトである。
それでは、情報テクノロジー(ネット空間)はただのツールなのか、それとも社会の構造まで変えたアーティファクトなのかが問題になる。
ツールに過ぎないとすれば、使う人もいれば必要ないという人もいる。また、そこからメリットを得ようとする人もいれば、何のメリットも見出さない人もいる。
はたして、情報テクノロジーは社会の構造まで変えてしまったアーティファクトなのかが議論されなければならない。

そもそも、情報テクノロジーは、社会的・政治的・経済的メリットを追求して作られた空間である。
まず技術が先行して、そのあとに人々がそれをどのように活用するかを待っているという構造だ。どのような結果や使われ方がするかはだれも予期できないし、社会の実践を通じてそれを見つけていくしかない。
つまり、それを利用する「役者」が何をするかがそのテクノロジーを分析するうえで必要になるのだ。

このようなテクノロジーが、社会に新たな倫理の問題を突きつけるのは当然である。
プライバシーや人権の問題が生じるし、それに対して政府や法律などがどのように対応すべきかも問われなければならなくなる。
テクノロジーが登場したのなら、プライバシーや人権に対してどのような態度を取るかは政府や法律の問題だ。
人間に倫理を働きかけても仕方がない部分がある。

情報テクノロジーの技術の秘密はまさにブラックボックスの中であることが多い。
その仕組みのアルゴリズムまでは通常は人は詳しくは理解していない。
ただ、「価値と利益」だけを追求して使用するのだ。
その「価値と利益」の追求の過程でどのような倫理の問題が生じるのかは実践を通じて理解していくしかないのだ。
アルゴリズムを開発する人も通常は倫理の問題はあまり考えていない。
重要な視点は「拳銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのである」という指摘である。
拳銃が開発されても、倫理の問題を生じさせるのはそれを用いる人なのだ。

人間は、使えるリソースならば何でも使おうとするが、この何でもありの世界では人間の本性と向き合わなければならなくなる。人間の本性と美徳の問題が人々に投げかけられるのだ。
「美徳に満ちた教育」「美徳に満ちた友情」「美徳に満ちた組織」「美徳に満ちた政治」
いろんな美徳を人々に問いかけるのだ。それとどう向き合うかが問題になる。
かつて例のない技術が登場したのならば何でもありの世界が出現するが、それに最初にブレーキをかけるのはその人がもっている「美徳」しかないのである。

【つづく】


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