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2012年5月31日 (木)

スタンフォードからみる精神病

精神病というものは「法律によって狂気をどのようにコントロールするか」「罰を加えられるのか」という二つの点からアプローチされる。議論の出発点はこの二つだ。
思考や経験、感情などの混乱によって仕事ができないか、他者とのコミュニケーションができない状態の人を言う。
このラインで精神病を切ることは非常に有意義であり、相手の悪口で「キチガイ」と安易に言うことはできないのではないかということになる。正確な理解が必要だ。
統合失調症や躁うつ病、うつ病などの病気が挙げられるが、時には自傷行為は自殺など、自分に危害を加えることもある。
これらの病気の研究は西洋医学によって研究が洗練されたものであり、それ以外の地域では別の説明がなされていた。
西洋医学でも、超自然的力によって引き起こされると考えられたようであるが、他の地域では何かに憑りつかれてトランス状態になったのではないかと考えられたようだ。
西洋医学が翻訳されてから病名が定着するようになったのが正確な理解だ。
昔は、薬の効果も明確ではなかったために、精神医学なんて錬金術だという指摘もあった。
精神病という外部からは分からないトランス状態の人を「治療する」といったら、医者はまさに錬金術のように金儲けをしているだけだという指摘がなされたのだ。この指摘は極めて重要だ。
治せないのに薬を投与したり高額な施設に閉じ込めたりするのならばまさに精神医療は錬金術と同じだとされたのだ。
心は、肉体とは異なるものであるとして「病気ではない」とする見解はしかし共通認識にはならなかった。
なぜなら、精神病患者は、ホモセクシュアルや幼児愛、反社会的人格障害のように「文化の一員になれずに道徳的判断もできない」という意味では、健常な状態ではないという意味では見解は一致していたからだ。
また、ディスチミアのように「低いレベルでのうつ病」という中間状態が精神病患者と健常者の間に存在することも指摘された。
精神病に関しては多様な理解がなされたが、近代西洋医学においては科学的なアプローチがなされた。何かのトラウマの探求や、遺伝的弱さ、その病気に至る経路の探求などを脳の研究の発達を背景に深めていった。
これらの研究は治療を目的になされたものであるが、生物学的な低いレベルの研究と同時進行で行われた。
近代西洋医学のこれらの試みは、生物学的研究よりも高度なものと位置付けられている。
精神病を研究するうえで、まず一つの方法は「肉体的病気を比べてみる」という方法がある。
統合失調症や躁うつ病、うつ病、反社会性人格障害などを、ガンや骨折、インフルエンザ、ケガなどと比べてみると、「プロフェッショナルの競争力を落とす」という点で共通している。これは極めて重要な指摘だ。
ピアニストが統合失調症になったらもはや天才ではない。「プロフェッショナルとしての競争力を落とす」という現実を知らないといけない。
精神病の患者にプロフェッショナルの天才はいないという事実は理解しないといけないのだ。
肉体と精神の関係を探求することは精神病の研究に非常に有意義だ。
体のダメージは心に影響を与えるし、精神的な過度のストレスは体に影響を与える。
医学上は、肉体的外科的疾患のともなわないうつ病はないとも言われる。
しかし、不眠症や疲労はフィジカルなものかメンタルなものかは実は明らかではない。
痛みどめや風邪薬などの薬物の服用から不眠症になることもあるし、疲労は、インフルエンザのように体の病気につながることもあるし、うつ病のようなメンタルな病気につながることもある。
心臓麻痺や脳の損傷は記憶を飛ばすけれども、メンタルな病気とは言わない。ここで、心と体の関係を「神経」から説明しようという試みがなされた。
目が見えなくなることは視神経が損傷から起きることがあるが、これを誰もメンタルな病気とは呼ばないだろう。
しかし、脳は神経からできており、このことから考えると、メンタルかフィジカルは「脳か脳でないか」で区別するしかないだろうとも言われた。
私の議論は「心はハートにある」という立場ではなく「脳にある」という議論になっているのだ。

精神病のピアニスト。デイヴィット・ヘルフゴット。
http://www.youtube.com/watch?v=iUxzpNaBXAU

精神病を分析・分類するうえでは二つのアプローチが考えられている。
健常者と比べて何が違うのか。
患者が本当にやりたいことがどのようにできなくなるのか。
この二つのアプローチが詳細になされるのが精神病の分析・分類の方法だ。
精神病の分類はいろんな観点からなされている。
原因の探求が薬への依存を少なくするのか。
症状の探求。
神学を排除してトランス状態を説明する。
サイエンスからどこまで探求できるのか。
この四つの観点からいろんな病名が分類されてきた。素人には「トランス状態」としか分からないのだ。
フィジカルな病気だって「健常者と比べてみる」ことから病気であるかそうでないかが明らかになる。
その上で「仕事ができない」「他者とのコミュニケーションができない」というあたりで限界線を切って行ったらいいのではないかと考えている。
また、やりたいことがないのならば健常者も病人も同じではないかという指摘も重要だ。

この研究で明らかになったのは、「プロフェッショナルとしてのパフォーマンスを落としていないのなら精神病でも何でもねえな」ということを正確に理解しない人は言論界の弱者だということだ。
病気に関しては端的に「その人の力」で判断しようという発想もあるし、価値中立的に探求して行こうという発想もあるのだ。
いろんなアプローチが可能なのが精神病なのだ。

このジャブに対応できる奴は精神病院にはいない。精神病院は「男の仕事場さ」(北の漁場)
「スーパーハーンズ~右の世界観」
http://www.youtube.com/watch?v=D6JZZ3UGzmI

病人とは本来「力のない人間」であり、ヘロヘロの状態の人のことなのだ。
それ以外の連中はみんな仮病で病院の嫌われ者です。
次に入院するときはヘロヘロのふりをして俺のジャブの標的になれということです。それ以外は全員仮病です。

三浦市の福井記念病院には俺の「スイートサイエンス」(ボクシング)に立ちはだかってくる仮病がいっぱいいます。そいつらは「もはや俺の玉体を傷つけてはならない」ことを理解しているサンドバッグです。

これ以上俺を通院させることは「病人観察」のデータ収集を俺に続けさせるだけです。

精神病を「力の強弱」で判断するという見解には異論もある。強さという価値とは中立的に病気というものを見て行こうという見解だ。
そこでは「寿命」と「生殖能力」、「人間の本質」などをにらみながら、病名を発見していこうという発想がある。
精神病院をなぜかうろついているチンピラ連中の「寿命」「生殖能力」「人間の本質」などを見ていくといい動物観察にはなるだろう。

病気というものをどのように考えるかはいろいろな価値と関わる。
「寿命」「生殖機能」「人間の本質」をにらみながら病名を分類してみてもいろいろな問題がある。
子供のマスターベーションへの依存は「生殖機能」という意味では極めて健全であるが価値を持ち込むと好ましくないものと考えられるだろう。
逆に、ホモセクシュアルというものは「生殖」にはつながらないけど、「弱者狩り」という発想はハンティングが行われていた時代には「価値」があったのだ。時代の価値に依存してしまうのが病名であることになる。
このことから、やはり、病気は「力の強弱」で判断して行こうという方向性にも向かうわけである。

力を落としてなおこのパフォーマンス
http://www.youtube.com/watch?v=e1K-wUXCH_c

【つづく】

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