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2012年4月29日 (日)

セネカ曰く「賢きものはたやすく怒らず」

映画「青い山脈」で、ガンちゃんが親友に「何か難しいことを言えばいいんだよ」と言われて会議に出る。その時にガンちゃんは、このセリフを言うのだ。
セネカは「怒り」というのもの研究をした人だった。
スタンフォードが彼の研究を今に伝えているということは、この研究の重要性を認めているからだろう。
以下のような研究のようだ。

快楽というのは「現在の」「いいこと」が続くことを意味する。
痛みというのは「現在の」「悪いこと」が続くことを意味する。
欲望というのは「将来」「いいこと」が起こることを目指す。
恐怖というのは「将来」「悪いこと」が起こることを怖れる。

この四つの「感情」の中で非合理的に道を切り開こうと志向するのが「怒り」である。
セネカは「なぜ人は怒るのか」という問題からこのように分析したようだ。
ストイシズムというのは「感情のない世界」を想定した。
ストイシズムの世界には怒りはない。
しかし、感情の世界とストイシズムの対比から「怒り」を分析したのがセネカだったのだ。

怒りで突破できなければ「恐怖」と「落胆」が待っている。
人間はどのみち「死」と向き合う。
全人類の宿命だ。
快楽、痛み、欲望、恐怖、すべてが死から逃れられない。
怒りでも突破できないのが「死」であり、そこに「落胆」がある。
不老不死があれば人間は怒りですべてを突破しようとするが、「死」があるから人間には「落胆」がある。
このような分析から、セネカは「心の平穏」へのアプローチをしたのだ。

怒りというのは、周囲に非合理をまき散らすが、本人にとっては「適切」で「制御された」感情だ。その場を強引に突破しようとしているのだ。

怒りの発信源は「快楽」「欲望」「恐怖」であるが、セネカは「能力で劣った人がこのような感情を引き起こして何かを突破しようとする」と考えたのだ。
そのため、能力で勝った人間はそういう人たちに「慈悲」をもって接することが、互いの心の平穏のためには好ましいと考えたようだ。
ここでスタンフォードは初めて「慈悲」という言葉を出している。
優れたものの美徳が慈悲であれば、いろんな人が、怒ることなく、楽しみに満ちていて希望のある人生を歩めるであろうとし、優れたものに慈悲を求めたのだ。
俺の経験では、能力で優れた人間が、格下の人間にあえて「先生」と呼んだり「いいところを褒めたり」すると相手は怒りがおさまるようだ。
こういう大して高尚なことではないことが「慈悲」であろうと今のところ考えている。

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