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2012年4月17日 (火)

スタンフォード大学に忠実なAKB48論

モーニング娘。までは興味あったから「恋愛レボリューション21」の解釈を発展させることができたけど、AKBはついていけない。そもそも関わると火だるまになる世界だ。下から見上げる目線でないとアイドルは研究できないことが分かった。
AKBを見ていて思うのは「身内では女言葉は使わない」ということだ。つまり「父親を去勢させるための言葉を使う必要のない世界」ということだ。秋元氏は非常に哲学にはなるんだ。
「できないこと」が女らしさのアイデンティティーだとされるのに対して、AKBのPVは女同士のコミュニティーでは「女らしさを表現していない」「できない」ということだ。いきなりAKBってなんだよと思ってPVを見ると「キツイな」と思う。でも、いろんな技術の一つの側面なんだろう。
児童文学は「ストーリーしか追いかける能力のない子供にいかに哲学的問いかけを混ぜ込むか」が生命線だ。
さらに「女性のライフスタイルの提示」は20世紀にはじまったことだ。「ストーリーを追いかける」「ライフスタイルの提示」などがAKBのPVにはあるのだろう。俺には関係のない世界だ。
子供は高校生あたりで「社会に認められたい」という段階を迎える。
そういうときに俺はクラシック音楽を聴いている。「認められたければこの水準だ」という事実をぶつけられているのだ。
肉体的に劣った男性障害者の前では女性は「女らしさを表現できない」とされる。
発展途上国は「先進国を映す鏡」とも言われ、女児が生まれることは「脳に障害を持った子供が生まれたのと同じリアクションを親がとる」とされる。
そういう意味でAKBのPVは実に興味深い研究ができた。
「学校」というものは「世代を超えたセックスの防止」という機能を果たす場所であり、そういう壁の向こうの風景を描くのが面白いという側面はあるだろうね。
いろいろな哲学にはなるんだよ。


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