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2012年4月 1日 (日)

「差別」の哲学

差別するということは「ある価値観」に多数派が「悪」のレッテルを貼るためにやる。
「貧乏」だけではないと思う。いろんな「同和」が持っている価値観に「悪」のレッテルを貼る
という効果がある。おそらく、かなり汚い話にまでなるんだろうね。
同和の連中ほど「家畜に愛情を注いだら殺せなくなる」という哲学を知っていると思うね。
市の屠畜場を「同和対策事業」と認定した判例がある。
動物を虐待する人は「人間性を尊敬していない」と言われる。
豚肉や牛肉を食べる人間は、とにかく、「家畜を尊敬しないで育てることが必要」とされている。
そうでなければ食えないのだ。決まりに従って家畜として育てなければ食えない。
子供を育てるなどの目的を持っている動物は食ってはいけない。
目的もなく生きているとされる家畜しか人間は殺して食えない。
食卓になぜ肉が出てくるかというのも哲学なのだ。
同和の問題。「自分の生活を人に話す」「子供に政治活動をさせる」「貧困」「共働き」「成績が悪い」「非行の温床」
などがありそうだ。これらに「悪」のレッテルを貼る効果が多数派にはあるんだ。
ゴミクズみたいな人生の人も「傑出した人間」として人生を終えたがっている。
貧困の中にいる人が葛藤をおこす理由はここにあると俺は見ているんだ。
貧乏人の酒乱や浮気の発信源は「傑出した人間として人生を終えたい」という感情だと思う。
差別というものに定義はないけど「その効果」は認識されている。「子供の発達阻害要因である」とされている。
「差別」がなぜいけないのかは実は非常に説明が難しい。
「先天的なもの」だからという理由は成り立つ。しかし「本人によるコントロールができないもの」だからという説明は、マイケルのように薬で肌の色が変えられる時代には説明が難しい。
不正確なステレオタイプで差別しているという指摘もある。
女子高と男子校を区別するのは「正確な性別の違いの理解に基づいている」とされているが、
「婦道一途」という説明では今は通らないと思う。正確な性の理解に基づいていない。
差別がなぜいけないのかは「理性で考えろ」という人もいるが、理性で過ちを犯さない人はいないことを知らなければならない。
また、「役職を不確定要素にゆだねている」という説明もある。しかし、フェアであることよりも
「いい企業運営」のほうがいいとなれば不確定要素も否定できない。
差別がなぜいけないのかの説明が難しいのは結局「抽象的なものから」差別が生じていることにある。
この抽象性こそがむしろ「差別はいけない」ことの根拠になるとも言われる。
それほど難しいテーマだから世界の人々に問題を投げかけている。インテリジェントな問いかけだ。
「差別は子供の成長阻害要因になる」というのが議論の出発点だが「なぜいけないの?」と言われたら
スタンフォードの英知を集めても「明確な正解はない」とされている。いろんな「正解」に反論が可能なのだ。
効果としては「子供のためにならない」ということだ。

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