最近のトラックバック

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« アメリカ発信の中国情報 | トップページ | 日本の美 »

2012年3月19日 (月)

いじめ

いじめの研究が発達したのはイギリスだった。職場で、現状に不満を持つ人がいじめを行い、上司が「うちにはいじめは存在しない」という立場をとっていることが明らかになっていた。いじめには何のメリットもない。いじめられた側が強くなることもない。このメリットもない行為が「現状への不満」から生まれていたのだ。
このことが、経済の生産性に悪影響を与えていることに気がついたのがマーガレット・サッチャーであり、労働組合なども含めて、研究と対策に取り組んだ。
国家レベルの研究をしたのがサッチャーだったのだ。あくまでも景気回復のためであったが、それであるからこそかなり深い研究がなされたようだ。
サッチャー政権下での、職場のいじめには理由があった。従業員の多くが解雇され、残った人たちに多くの仕事が重荷になっていた。しかし、賃金は上がらず、企業のトップだけがいい報酬を得ていたのだ。このことが、いろんな意味でいじめの温床になったとされる。
人々の「卑しさ」「欲深さ」が基盤になったことは忘れてはならない。
いじめによって得られる満足は「やる気に満ちた人を潰すことの満足感」だとされる。つまり、経営者としてはそれを見過ごしたら経営者失格と言っていい。
経営者の目的は「仕事の割り振り」「目的達成」「人材のコントロール」「義務達成の満足感を与える」「生産性の向上」「コストの最小化」「売り上げの最大化」などである。
そういう目的を持った組織的一体性の中に「やる気に満ちた人を潰す」といういじめがあるのがどれほど有害であろうか。
これをサッチャーが国家レベルで指摘したのだ。
戦場や路地裏では、いじめは肉体的に痛めつけることを意味する。
しかし、職場などでは「精神的に痛めつける」という目に見えない方法で行われるのだ。
いじめの態様は
「権力の乱用」
「他者の領域への侵犯」
「信用を裏切る」
「秘密を漏らす」
「忠誠を裏切る」
「人格に悪のレッテルを貼る」
「生活の糧を奪う」
「仕事を奪う」
「個人を破壊する」
これらはほとんどが「法律には違反していない」という言い訳のもとに行われるのだ。
いじめを行う人は「エチケットを守る」「ルールに従う」などの基本的なことを「法律には違反していない」という理由から侵害するのだ。
子供たちの間でも周知のようにいじめは行われているが「友達から聞いた」「テレビで見た」などという具合に自分がやったりされたりしたことをごまかしているとされる。さらに、子供たちは「フェアプレーの精神」「正義感」などの感覚が未成熟であることからいじめが起きるとされる。
また、フィクションと現実の区別もついておらず、問い詰めても「遊びだった」とごまかすとされる。子供たちはうそをついているわけではなく、本当に現実とフィクションの区別がついていないとも言われ、グループのリーダーがどれだけ成熟しているかで変わってくるとされる。
このようなことが、「いじめられた側は決して強くはならない」「経済に悪影響を与える」という観点から、今後加筆して生きたい。

いじめの方法は詳細に研究されている。
「策をつかって戸惑わせる」「物事を秘密にする」「脅かす」「適正な評価を行わない」「わざと誤った認識をする」「行動をとらせるのを阻止する」「裏切り」「無視」「臆病者としてふるまう」「いじめを肯定する」「精神病を利用する」などである。
これらは「成熟した大人としてはタブー」とされる。つまりこれをやったら失格なのだ。
職場などでは「お金」「時間」「競争」と「3人の人間」がいればいじめが発生するとされる。子供の場合は「お金」ではなく「成績」であろうか。
このことを考えると、公務員の人員削減を政策として打ち出す政治家は、役所がいじめの温床になるであろうことは当然予想しなければならない。政治家がどこまで成熟しているかが問われるのだ。

「いじめの結果」
いじめられた人は「ストレスを感じる」ということだ。成熟する機会を失ったり、自信を失ったり、人によっては怒りを抱える人もいる。自信を失った人の中には「強烈な決意」を固めてしまう人もいるとされる。
これが「いじめのもたらすもの」なのだ。
結局、未成熟な集団でこのようなことが行われると「空手の黒帯でしか解決できなくなる」とも言われる。
職場などでは「俺の言うとおりにやれ」というリーダーのもとではたして「共通のゴールが目指せるのか」とも言われる。さらに、いじめにあった人は「戦うか怯えるか」シンドロームにかかるとされる。「いじめをきっかけに退職」という話も「怯えた」ことを意味するし、社長さんになったのなら「戦った」ことを意味する。いずれにせよ、このようなシンドロームを経験するのだ。
いじめられた人はその時自分が持っている「能力」と「自信」と「成熟度」によってリアクションをするとされている。
人によっては「人生の意味」をかんがえたり「スピリチュアルのある境地」に到達するとも言われているのだ。
子供たちは教師に正解を教えてもらおうとするが、教師は「正解」「間違い」を指摘するだけでは「自分の求める反応」を子供に要求していることになる。大事なのは「あなたも仲間である」「あなたも受け入れられている」ということを示すことである。「正解」「不正解」で誰が優れているのかを競わせてはならないのだ。
いじめる側も、どういう動機でいじめているのかを周囲は考えなければならない。場合によっては構造的なものから由来することがあるのだ。また、いじめられる側も「周囲に助けを求める」ことを「逃げた」とは考えないほうがいいのだ。いじめが展開されているフィールドからその基盤を拡大することは実は好ましいことなのだ。
目下のものに厳しく当たるのといじめをどのように区別するかは、その効果に注目するのではなく、目上の者が「意図してやっている」のか「精神的満足のためにやっているのか」で区別するのが主流だとされている。
心理学の研究では「動物は罰よりも褒美でモチベーションを与えたほうがいいパフォーマンスを見せる」とも言われる。人生に意味を見出すし前向きになる。さらに多少の義務も果たそうとするものだ。

なぜ、「いじめ」を論評しなければならないかというと、人間の成熟度と自信にかかわる問題だからである。
「あなたは、他人よりも自分に忠実でなければならない」
「あなたは、他人よりも自分を信用しなければならない」
「あなたは、他人よりも自分を尊敬しなければならない」
「あなたは、他人よりも自分を愛さなければならない」
いじめというテーマを論ずるにあたってこの四つの格言が生まれたとされる。
重要な点は、この四つの格言が「答えではない」ということだ。人間は自分の間違いより他人の間違いに目が行きやすい。この四つの格言にもその落とし穴がある。それを踏まえて、この四つの格言を「いじめ」という問題にうまく使っていかなければならないということだ。

「いじめ」を議論する最終的な目的は「経済効率をよくするため」だ。企業経営を円滑にする。サッチャーもそれを目的に国家レベルの研究をしたのだ。いじめはストレスになる。つまり、神経システムや免疫システムに影響を与えるものだ。これは出発点として知っておいてもらいたい。
いじめに対処する方法を、従業員が知識として持っていなければ、専門家に相談しなければならなくなる。それを怠れば、脳に影響する。最初は判断ミスだけで済むだろうけど、仕事が楽しくなくなる。仕事が楽しめなければ家庭生活も楽しめなくなる。ストレスがますます進めば、脳への影響はダメージとして残り、回復するのに数か月では済まなくなる。一年かかるとしよう。会社の新規採用もイメージダウンで難しくなり、いじめを受けた従業員を支える家族の負担も大きくなり家庭崩壊につながりかねない。いじめが経済に影響するというのはこういうメカニズムが働くからだ。

「いじめをする側の言い訳」
~弱くて順応性のないやつがいじめられる~
では、いじめる側は弱くて順応性がないといえないだろうか。そういう観点から議論しなければならない。
~感受性が強すぎる~
感受性の強さは「意思」「信頼」「正直」「生産性」などに必要な美徳ではないだろうか。
~自分のことしか考えない奴だった~
この発想こそがいじめる側の社会人としての感受性の鈍さを示しているのではないか。
~反応がオーバーだ~
強烈なダメージを受けた人間にこれを言ってはならない。
~反応が非合理的で感情的だ~
これもいじめる側の感情である。
~いい休養になるだろう~
そもそもいじめから休養に追い込まれることが予測できたはずである。
~彼に社会を教えてやった~
汚くて鈍い人間がむしろ社会から排除されるべきではないか。

きりがないのでやめておくが、サッチャー政権はあらゆる言語を使って「いじめる側」を批判しているのだ。


« アメリカ発信の中国情報 | トップページ | 日本の美 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いじめ:

« アメリカ発信の中国情報 | トップページ | 日本の美 »