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2012年2月16日 (木)

空海

日本の仏教界の「知の巨人」が空海であり、真言宗の開祖であるが、彼の名声は日本にとどまらず、東アジアに知られた。彼の思想は非常に体系的で完成度が高かったが、業績は宗教や哲学にとどまらず、社会福祉や教育、文学、詩、絵画、彫刻、踊り、音楽、さらには工学にまで及んだ。日本の国内の変動期に登場した思想家である。
以下では、空海の「哲学」に絞って研究していきたい。
空海は奈良時代に生まれ育ったが、当時の日本は中央集権的に皇室によって支配されていた。しかし、彼は教育制度に幻滅して山にこもり、24歳で三教指帰を書いている。儒教と道教と仏教をまとめて、仏教に帰依することを明確にしたのだ。彼は、お経を百万回唱えれば奇蹟的な記憶力と理解力が得られるとした。京都大学のある「百万遍」という地名もここから来ているのだろうか。空海は、奈良仏教のような教義の探求よりも、より、修行を経たうえでの直接の経験を重視した。美徳の実践を心掛け、彼は四国に向かったのだ。24歳から31歳まで、彼は四国にあらゆる聖地を作り上げている。美徳と実践をどう結び付けるかを考え、それは7世紀のテキストである大日経に倣っていたとされる。
31歳の時に空海は政府を通じて中国にわたっている。唐の巨大都市である長安の都に30か月滞在している。インド仏教とヒンドゥー教とサンスクリット語を二人の僧から教わった。その僧の一人である恵果の影響は計り知れないとされる。また、彼はサンスクリット語や中国の詩、踊りを覚えたのが大きいとされている。
33歳で彼は日本に戻ってきた。彼は多くの書籍を手に九州に滞在し、請来目録を表している。彼はしばらくは京都には入れなかった。政治的混乱が都で生じていたからだ。平城天皇が去り、嵯峨天皇の治世になってようやく彼は都に入り、あらゆる寺の住職を任された。彼はこの時初めて国家の庇護のもとに活動を許されたことになる。密教が日本で主流になり始めたのはまさにこの時だと言ってよい。
彼は多くの著作を残している「超越的な仏の道をどうやって身に着けるのか」「密教と顕教の違い」「音と記号と現実の意味」「韻を踏むことの意味」「曼荼羅の秘跡と10の心の状態」「秘密の宝への大切なカギ」など、書いたものは非常に魅力に満ちていた。
空海は61歳で亡くなり、醍醐天皇に「弘法大師」という名を贈られた。「ダルマを広めた偉大な師」という意味であった。
これが空海の生涯であるが、以下、彼の研究の全貌について書いていきたいと思う。

「真言」というのは文字通り「真実の言葉」と言う意味であるが、サンスクリット語で「マントラ」という。マントラヤーナというのは「マントラの乗り物」という意味であり、ヴァジルヤーナというのは「ダイヤモンド」という意味もあるし、「光速の乗り物」という意味でもある。マントラというのは「秘密の教え」であり、言葉にすることが困難なものであるとされている。7世紀の中ごろにインドで生じた教えであり、現在、西洋ではタントラ教として知られている。
美徳を重視し、マントラと曼荼羅を用いて心を最高の状態に持って行くことを核心とする。この密教に「大日経」「金剛超教」という二つの経典がコアとなる経典として存在する。唐の時代にインドから中国語に翻訳されて皇帝の支持を得たものである。
空海は長安の都でこの二つの経典に接して、日本語に翻訳するのみでなく、さらに発展させたことから彼の名が歴史に残ることになったのだ。

空海は、マントラヤーナの解釈に「美徳」を付け加えて解釈した。彼は日本では思想を網羅した最初の哲学者であるとも言われ、神学の解釈だけでなく、美徳の実践もともなわなければならないとし、瞑想と美徳の実践により、肉体によって経験するのが仏の道だとしたのだ。彼の思想と経験は二元的なものではなく、一体的に肉体で感じるものであるとされた。
空海は、奈良仏教に既に存在した「陀羅尼」の意味を明らかにし、文献学と実践の橋渡しをしたという功績が大きい。彼の成功は文献と美徳と仏像を一体のものとしたことにもあるのだ。そして、奈良仏教から独立した形で「真言宗」というものを作ったのだ。

空海の著書では「弁顕密二経論」「秘密曼荼羅十住心論」「声字実相義」「秘蔵宝綸」「即身成仏義」「運字義」などがあげられる。最初の三つは真言密教の探求と、顕教とどのように真言密教が異なるのかを明確にした著書として注目される。残りの三つは、真言の世界観と概念を明らかにしており、「三部書」と呼ばれている。
空海の思想を明らかにするうえではこれらの文献の研究をするのだ。

「三部書」は、真言密教の他の仏教との違いと優越性を明らかにしたものであり、空海の思想の基盤となるものである。当時の有識者は「形而上学」と呼んだが、宇宙の真理のミステリアスな側面を示したからだと思われる。「肉体、話、そして心」の構造を示したのだ。
「即身成仏義」とは、おのれの肉体のありのままが啓蒙されることを即身成仏としており、「声字実相義」「運字義」とは、言語学を形而上学的に語ったものである。これらは、「世界の現象と言語の音声とその意味の関係」をあきらかにしており、まさに「お経」の意味を探求しているのだ。
まさに「発心説法」の核心的な哲学であった。
「発心説法」とは、ブッダが宇宙の現象を通じてダルマを説くことを意味する。三部書は、肉体でダルマを体感する方法を示したのだ。空海の思想においては「肉体」というものが重要な役割を演じていた。マントラや曼荼羅を体で体感するのが密教に他ならなかったのだ。
真言の教えでは、十住心論や秘蔵法綸などで明らかにされたことは、十の段階を経て人間の肉体は極地に至るとしていることだ。つまり「啓蒙された肉体」に到達するということであった。

密教と顕教の違いを、空海は「弁顕密二経論」で論じている。そもそも「顕密」という用語はすでに日本にあったのだが、この意味を明確にし真言密教の概念を明確にしたのは空海だ。密教というのは「秘密の教え」という意味であり、顕教というのは「現れた教え」「公式の教え」という意味であるが、インド仏教ではむしろこの区別はされていなかった。顕教と密教においては「真実の実態」(ダルマカーヤ)の概念が異なる。顕教においては「ダルマカーヤ」はむしろ超越論的であり抽象的であり「人に伝えるのが難しいもの」とされていたのだ。しかし、空海の密教においては世界の現象を音や動きや形で表現することで、ダルマを人に伝えることができると考えたのだ。
顕教の方がむしろ「人間が三度生まれ変わらなければ悟りを開くことはできない」と考え、真実は抽象的と考えたのだ。しかし、密教においては、肉体によってブッダが体感したものを経験することができると考えた。

「さびしんぼう」別れの歌

【つづく】


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