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2012年2月 9日 (木)

墨子~思想戦国時代を生き残った経済学者

墨子というのは「戦いを嫌った人物」とされがちだが、彼は経済研究家であった。製造業や流通の研究をした人と言っていいだろう。経済に悪影響を与えるから「安定」を望んだのが正確な理解だ。基本思想は「贅沢の戒め」「迷信深い人は悪いことはしない」「お葬式を大事にしよう」「価値を高めるとは何か」
などを研究した。しかし、これらの基盤には経済があるのだ。
彼の用語に関しては、国を治める全体的なイメージを「天」とし、個々の人々が求めるものを「利」とし、さまざまな業界を「類」と呼び、各分野に存在する技術やルールを「型」と呼んだ。「天」「利」「類」「型」という用語で国を治めようという思想が思想戦国時代を生き残ったのだ。墨子は、社会に秩序がもたらされ、人々がモラルにしたがい、社会に価値をもたらすことをめざし、そのことを端的に「直」と表現している。
墨子が目指したのは「直」であった。
墨子は「君主の代替わり」に関しても「盛大な葬儀と長い喪」がなければ、亡くなった君主は伝説にならず、新体制もスタートしない、としているのだ。一方で、姥捨てという中国の因習にも、祖父が死んだら祖母を捨てるということは「幽霊の妻とは一緒に住めない」と論じる人に理解を示しているのだ。彼は孔子のように高尚な「理」は求めていなかった。
それぞれのカルチャーにはそれぞれの「類」があるとし、それが共存する必要性を認識していた。それぞれの業界には「型」があり、それにしたがわないとそれらがうまく回らない。信頼でき、物事が簡単に遂行でき、その世界の人をチェックするものが「型」であるとしたのだ。その各々の世界を治めるのが「治」であり、国家全体を治める「天」という概念とは別のものとしたのだ。
墨子は「指導者、先生、親」には決まった「型」は存在しないだろうと考えた。しかし、「指導者、先生」には「仁」というモラルが必要であるとし、しかし、「親」には「仁」は求められていないと考えたのだ。
彼は、国を治める「天」には決まった「型」はないとも論じている。「天」は膨張する帝国であり、何の代償も要求せずに、消滅しないことを目的に耐え続ける。そのために決まった「型」はないとしたのだ。墨子の「天」は人々の平等を志向したが、しかし、人々がもっている資源は限られている。たとえば、人間は自分の朝食を用意するが、家族のも用意できるものの、隣人の分まで用意するのが精一杯であろう。
このことが、「天が平等を志向している」という墨子の思想に現代にいたるまで「統治作用の限界」という言論の挑戦を受けることになったのだ。
墨子の「型」という概念は、言語や知識、倫理や合理性と言ったものを様々な分野にもたらそうとする概念であり、英語ではフォームと訳されているように、バッティングフォームのような「業界の掟」みたいなものだろう。この「型」という概念はのちに「法家」によって継承されることになった。
墨子が求めたのは「直」であったが、研究として重視したのは「型」だったのだ。業界ルールの丹念な学習みたいなものだろう。
「型」というものは、判断を下すための案内役であり道具でもある。指導者にとってはそれは「法」であろう。しかし、親や教師、指導者の「美徳」について一定の方向性を示す「型」もあるとされる。美徳に「型」があるとするならばそれは「世界に利益をもたらすもの」として、「義」という用語との類義語になるのではないかと指摘されている。
「型」というのは、業界(類)の方式のことだが、「天」の倫理を最高価値としながらも、独自の世界を形成するものだ。記述と実践によって成り立つもので、それを追求するものを「道」と呼ぶ。業界を支配するオキテも「型」だし、その世界に存在する技術も「型」だ。
その世界の技術を追求することを「道」といい、人生を成功に導くのも道を追求することによって成し遂げられる。
また、その世界で何が起きたのか(事)、そして、非難されるべきことは何か(否)などが、有識者集団によって評価される仕組みも「型」の世界には存在するのだ。
「型」の世界の規格も「天」が定めるものだ。寸法の単位や、円であるかそうでないかも「天」が決める。
「型」は他の業界の違い(変)が存在するし、その業界に忠実な義務を尽くす「義」が存在する。
「型」の世界には、独自の議論や知識が存在するし、オキテもある。
しかし、経済コミュニティーの世界である以上、なぜ彼らの世界が必要なのかは世間に常に説明しなければならないのだ。
業界のノウハウは「名」と表現されるようだ。そのノウハウを知る(知)ことこそが「道」を追求することである。
また、その世界で何が起きたかというのも「名」であり、その世界に名を残すと表現される。


【まだまだ限りなく続く】


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