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2012年2月27日 (月)

戦争におけるリアリズムと河村たかし

戦時国際法と、戦争におけるリアリズムは異なる概念だ。リアリズムは、戦争をあくまでも安全保障の問題ととらえ、他国に優越性を示すことだけを求める。
端的に「愛と戦争においてはすべてが合法的でありフェアなゲームだ」と言われる。自分(自国)の利益だけを追求するのがリアリズムの世界だ。
ここで、二つの問題を出してみよう。
「攻撃されたときに反撃するのが戦争である」
「非戦闘員を殺してはならない」
この二つの問題の違いが分かるだろうか。
前者の場合は、戦時国際法においてはもちろん守らなければならないが、リアリズムにおいてもできるだけ暴力的手段は回避しようというリアリズムの見地から正当化されることがある。ところが、後者の場合は、戦時国際法では守らなければならないが、「何でもあり」の戦争の場ではリアリズムの見地からはこれを求めてはいない。
中国は、このことをすでに理解しており、南京大虐殺の数を多めにアドバルーンのようにあげて、日本を煽っている。中国は「リアリズムの見地からは殺されても当たり前」ということを知っているのだ。
その上で、愛国心に駆られて「南京大虐殺はなかった」と論じる人に「居合」を抜くのだ。この居合を抜かれた論客は「戦場におけるリアリズムを理解していない」と中国の「王朝的立場」から「お説教」を喰らう羽目になり、政治的弱者と見なされる。
何度も言うが、中国という国そのものが「南京で人が虐殺されるのは当たり前」と考えていることなのだ。
これが「戦争におけるリアリズム」の議論なのだ。


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