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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2012年2月

2012年2月29日 (水)

次世代皇室と「三都物語」

東京都というものがどのような経緯で作られたかを考えてください。
地上戦を想定した都市(防守都市)であり、無差別爆撃が容認されていました。
そのために、1943年にアメリカの空襲を想定して東京都ができています。
今、大阪で大阪都構想というのがありますね。
ところが、今の大阪では地上戦は想定されていません。
「都」に格上げするのなら、地上戦を想定した防守都市にしなければならない。
その時に、やはり、いまだに「軍事的要衝」としての機能を保持している大阪城の扱いが
問題になる。
任期制の橋下氏を入城させるわけにはいかないので、やはり、皇族に入ってもらわなければならない。
それならば、東京とは分散された「血のスペア」として、今の東宮家に入ってもらったらどうか、
という点を検討してもらおうと考えているのですよ。
法律上の問題を基本から練り直していかなければなりません。
皇太子は実像はともあれ、私を心身ともに鍛え上げてくれた良きライバルだったのです。
その業績を私はたたえたいのです。
雅子さんに大阪城を与えれば、「つまらない運動はやめて今から努力する」という
意思表示がなされると思うのです。
それを今後見ていきたいですね。
秋篠宮家は「中京都構想」があれば考えますよ。
私は彼らのためにも働かなければ予算が降りないのです。
明日、雅子さんがお見舞いに行くようであれば「大阪城」の問題は解決することになります。
皇居と大阪城・名古屋城を維持できる力をもった皇族は私しかいないのですよ。
それで、女性宮家も作っていけばいいじゃないですか。
婿を取ってもらって「国を治めるためには何が必要なのか」を勉強してもらうのです。
皇太子殿下は「大阪城」に完全に舞い上がっている。でも、大事なのは彼の子孫の繁栄だ。
今は皇太子を見ている場合ではないです。
東宮家の起点になれるのは雅子さんだけです。
雅子が天皇のお見舞いに行けばすべてが終わります。
冷静に東宮家の実態と子孫の繁栄を見てください。
紀子さんも「名古屋入城」は悲願と位置付けているようです。
これらの公共事業の資金の出所をすべて私の頭脳と肉体に集約するのです。
国が予算を通すかどうかもすべて私に集約する。私の修行でもあるのですよ。

プリンス~マキャヴェリより

マキャヴェリは、君主に徳がなければ自分の子孫に権力を譲り渡す資格はないとした。
民衆は非常に卑怯な存在であり、醜い連中だとマキャヴェリは考えていたが、
彼らがしたがうのは「怖い」ものに対してであり、愛情にはしたがわない。
マキャヴェリは「武器の炸裂音」よりも「法律の力」に人々をしたがえる力があると考えた。
そういう国を治める基本から彼は「プリンス」に関して論じている。
統治作用がうまく行っていて、人々に安全が保障されていれば、君主には徳があり、
「プリンス」は世の中のいろいろなものを学習して、「時代の体現者」となれるのだ。
しかし、君主に徳がなく、世の中が殺伐としていれば、「プリンス」への権力の承継は
行われず、その威光も地に堕ちる。
時代の体現者は「国王」ではなく「プリンス」だとマキャヴェリは見ていたのだ。

時代を体現する「プリンス」が多様化するのはいいことだと思う。
権力を批判するプリンスがいてもいいし、権力に従順なプリンスがいてもいい。
女性宮家はしょせんは「男のため」の仕組みなんです。

マキャベリは、政治社会で生き抜いていくためには「仕組みの理解」が前提として必要であるとしたが、その次に必要なものが「徳」であるとした。しかし、マキャベリが求めた「徳」は、通常の概念とは異なっていた。
「善か悪かは後からわかる徳」であるとしたのだ。非常に彼の「徳」の概念は現実的であり柔軟性に富んでいた。
「国を治める」「何かを成し遂げる」のに必要なものが「徳」であるとされたのだ。
さらに、マキャベリは「政治において幸運は敵である」としたのだ。
幸運は神のいたずらであり、政治を混乱させるし、政治家を育てない。
幸運は政治の敵であるという厳しさを政治家に要求した人物であった。


2012年2月27日 (月)

戦争におけるリアリズムと河村たかし

戦時国際法と、戦争におけるリアリズムは異なる概念だ。リアリズムは、戦争をあくまでも安全保障の問題ととらえ、他国に優越性を示すことだけを求める。
端的に「愛と戦争においてはすべてが合法的でありフェアなゲームだ」と言われる。自分(自国)の利益だけを追求するのがリアリズムの世界だ。
ここで、二つの問題を出してみよう。
「攻撃されたときに反撃するのが戦争である」
「非戦闘員を殺してはならない」
この二つの問題の違いが分かるだろうか。
前者の場合は、戦時国際法においてはもちろん守らなければならないが、リアリズムにおいてもできるだけ暴力的手段は回避しようというリアリズムの見地から正当化されることがある。ところが、後者の場合は、戦時国際法では守らなければならないが、「何でもあり」の戦争の場ではリアリズムの見地からはこれを求めてはいない。
中国は、このことをすでに理解しており、南京大虐殺の数を多めにアドバルーンのようにあげて、日本を煽っている。中国は「リアリズムの見地からは殺されても当たり前」ということを知っているのだ。
その上で、愛国心に駆られて「南京大虐殺はなかった」と論じる人に「居合」を抜くのだ。この居合を抜かれた論客は「戦場におけるリアリズムを理解していない」と中国の「王朝的立場」から「お説教」を喰らう羽目になり、政治的弱者と見なされる。
何度も言うが、中国という国そのものが「南京で人が虐殺されるのは当たり前」と考えていることなのだ。
これが「戦争におけるリアリズム」の議論なのだ。


2012年2月24日 (金)

中国人民日報情報~その1

中国も俺の支援を開始したようだ。
「日本の財政赤字は、日本人の愛国主義を利用して国債の債務を圧縮するだろう」と言っている。日本国債の利息は0.94%と安定しているが、ギリシャ国債は7%を超えている。国家の安定感が異なるうえに、最後には「日本の民族主義」が解決する可能性がある、と中国は指摘しているのだ。
「中国はこれを恐れている」という意味かもしれない。

中国から朝鮮半島情勢の見解が入った。
「9.19共同声明こそが半島を安定させるはずである」
「我々は半島からの難民を恐れてはいない。経済難民なら不法入国ではなく、法にのっとり対処する」
という二点だ。
中国は「プロパガンダ形式」で俺に情報を送ってくるつもりのようだ。

中国のクレジットカード事情が興味深い。
クレジットカードを紛失したら、120時間以内にクレジットカード会社に連絡すれば、不正使用の損害の5千元から4万元あたりまでは保険が効く場合があるとされるが、この仕組みで問題になったのが「パスワードの安全性」だったのだ。おそらく「暗証番号」ではなく、「漢字」なのではないか。このへんの情報は明らかではないが、どうも「漢字が盗まれやすい」ことを政府とクレジットカード業界が議論しているようだ。
注)辞書を調べてみたところ「密码」というのは「暗証番号」と「パスワード」の両方の意味があるようだ。おそらく「番号」だと思うけどね。

2012年2月23日 (木)

戦争

戦争というのは「政治コミュニティー」同士の争いである。国、あるいは国になろうとするグループ同士の争いも戦争だし、特定の国家に圧力をかける連中も「テロとの戦い」のようにすでに「戦争」のカテゴリーに属するようになっている。国というのを考えるにあたっては、「ネイション」という概念と「ステイツ」という概念を理解するのが重要だ。
ネイションというのは「人々」「我々」というように、共通の民族、言語、文化、歴史的体験、理想や価値、住宅環境からファッションまでを共有している。一方で、ステイツというのは「統治機構」である。
イタリアの国家はイタリアの人々を、ドイツの国家はドイツの人々を統治するというようにネイションステイツというのはヨーロッパで広まったが、アメリカやカナダやオーストラリア、さらには中央アフリカを見ればわかるように、多様な「ネイション」を統治する「ステイツ」(マルチナショナルステイツ)もあるのだ。
戦争とは「誰が権力を握るのか?富を握るのか?資源を握るのか?」だけでなく、どのイデオロギーが優れているのか。誰が国家のメンバーなのか。どの法律が施行されるのか、国境はどうなるのか、税金はどうなるのか、学校で何を教えるのか、までが決定されるのだ。
つまり、これらをめぐって争われ、それを解決しなければ「平和が訪れた」とは言えないのだ。
戦争というのは、政治コミュニティー同士の武力衝突の「怖れ」だけでは足りないのだ。「意図的で広範な」武力衝突を戦争といい、警官同士の争いや国境警備員の争いは戦争とは言わない。また、明白な意思表示と顕著な行動がともなう軍事行動が起きれば「戦争が始まった」と言えるのだ。
クラウゼヴィッツは「戦争は政治の延長である」と言ったが、これは非常に抽象的であるとされ、現在では、「国家統治に関する譲歩することのできない対立が政治コミュニティー同士で生じた場合に起きる、熟慮の末の広範囲に及ぶ暴力である」とされているようだ。戦争は、政治の延長ではなく、「政策を生み出すもの」であり、国家統治の基盤となるものなのだ。国を治めるうえでどうしても同意できない物事が背景になければならない。

戦争とは、暴力的で残虐なものである。しかし、人類の歴史を発展させてきたものだ。人が他者に勝りたいという人間の本質に由来するものだ。しかし、戦争で繰り広げられる暴力が、思慮深い人に道徳的な問いかけを行うことがあるだろう。
戦争は常に間違っているのであろうか?
どのような戦争が正当化できるのであろうか?
人類は常に戦争を経験し続けるのか?それとも「いつかなくなる」ものなのだろうか?
悲惨な戦争が人類を変えることはできるのか?社会の実践を変えることができるのか?
戦争にともなう残虐な行為を止めることは可能か?
さらには、戦争をどのように終わらせ、どのように国を立て直すのか?
我々の国が戦争に向かった時に私たちはどのような行動をとる義務を負うのだろうか?
このような問いかけをスタンフォード哲学がまとめているのだ。
以下にまとめておきたい。

戦争を語るうえでの「理論のビッグスリー
戦争に関しては、三つの方向からのアプローチがある。「戦時国際法理論」「リアリズム」「反戦運動」である。
これらと「戦争と倫理」の問題をまず考えてみたい。
戦時国際法理論においては、たとえば、第二次世界大戦においては連合国側は枢軸国側を「侵略国家」と位置付けていて、連合国側は倫理の問題を回避している。
では、リアリズムの見地からはどうであろうか。リアリズムにおいては、戦争とは安全保障の問題であり、他者に影響力を与えることであり、経済発展を目指したものである。
反戦運動の場合は、倫理が前面に出る。戦時国際法理論においては「容認できない戦争」が存在することを意味するが、反戦運動においては戦争は常に容認できないことになる。反戦運動は「もっといい解決法があるはずである」と主張するものである。
これが「戦争と倫理」を語るうえでの三つの立場である。
以下、戦時国際法理論と、リアリズムと、反戦運動の三つを探求してこの論稿を終えたい。

「反戦運動」
戦争においては「反戦運動」という立場が戦争概念の三本柱の一部を構成する。
道徳的純粋さを自分に求める立場ともいえるが、戦っている人がいる局面に「フリーライドしている」
という辛辣な批判が浴びせられる。
自分の手を汚さない連中と呼ばれるのだ。
しかし、歴史を振り返ってみれば、戦時中に反戦を唱える人は、投獄されたり拷問されたりしている
という反論がなされた。必ずしも「暴力」から逃げてはいないとされたのだ。
さらに、国際社会において攻撃的な国が存在する以上、それらの国からどのように自国の人を守るのかを
明確には示していないとも批判された。
彼らは「戦争をなくすべき」とするが「すべき」と「できる」を完全に混同していると言われた。
しかし、反戦運動の立場からは「外交技術」や「経済制裁」で攻撃的な国は排除可能と言われた。
戦争をするうえではお金が必要であるし、国際社会で孤立はしたくないとどの国も考える。
つまり、戦争を好む人よりも「より高度な学問をやっている」と強烈に主張されたのだ。
反戦運動の主張に対しては、歴史の現実を突きつける手法でさらに批判がなされた。
残虐な侵略国家には外交駆け引きも経済制裁も無力であり、自国への侵略にはなんら
有効ではないし、大量殺戮や、自国民の拉致などが公然と起きるとしたのだ。
つまり「反戦運動」とは、「形を変えただけの降伏である」と批判したのだ。
反戦運動を主張するものは、彼らが「世界の現実を知らない」と批判されることに対して、
1940年代のインドのガンディーや、1960年代のキング牧師を挙げるのが通常だ。
たしかに彼らの目的は達成したかもしれない。
しかし、現実を分析してみると「非暴力」は彼らをまとめ上げるためのスローガンとして
機能していたのであり、彼らの「主張の柱」に過ぎなかったのではないかとも言われる。
つまり、彼らだって暴力は使っていたのだ。
ヒトラーのような「侵略する暴君」は、実際に非暴力を唱えるレジスタンス運動を、
「弱さの表現であり敗北主義である」とあざ笑っていたのだ。

基本的に、反戦運動は二つの流れが出来上がった。
「戦争によって得られる利益はコストに見合わない」とする立場と、
「人を殺すことはそもそも間違いではないか」とするものだ。
後者の議論は、キリスト教社会において非常に豊富な議論の蓄積があり、なかなか無視できないものがある。

戦時国際法理論は戦争のルールを純粋に追及するものであるから、「人を殺すことは間違いである」
という問いかけに「正解がない」という現在の状況においては、戦時国際法ルールがこの議論を
乗り越えてしまうとされる。
あるいは、自国民の多くの命を救うために他国の人の命を奪うことは「コストに勝る利益がある」と
されてしまい、これも戦時国際法ルールが乗り越えてしまう。
しかし、戦時国際法理論を作るうえで「戦争にはコストに勝る利益があるかどうか」という視点は
極めて重要な議論の土台を提供する。
端的に「目には目をというルールは二人の盲目な人を生み出すだけだ」とされ、この「コストに見合わない」
戦争が存在するという観点からルール作りもなされることになる。

「人を殺すことは間違いである」という観点からも戦時国際法ルールが作られる。
戦争においてなんら攻撃的でない民間人を殺害することは、明確にその不当性を指摘できる
とするのだ。軍需産業に貢献しているわけでもなければ、全く戦闘に参加していない民間人
の殺害は、戦争という場において歴史的に起きてきたものであるが、そういう行為が
「戦争を腐敗させる」という点が指摘できる。
このような議論から「ルール作り」がなされると言っていい。
戦場における民間人の殺害は、民間人だって敵国の兵士には敵意を持っていることから、
どうしても生じてしまう課題として、トマス・アクィナスが議論した「二重効果論」を
しっかりと理解して、殺害しても仕方がなかったという説明を自分なりに確立しておく
必要があるだろう。
このような問題は、戦場における「兵士の意識の高さ」だけが解決する問題だ。
戦争を腐敗したものにしないという効果があるが、兵士の意識や義務感だけが民間人の
命を救うとされている。


「戦争」スタンフォード哲学百科事典。
http://plato.stanford.edu/entries/war/

「戦争は政治の延長」ではない。むしろ「国づくりの基本」である。とされている。
高松城というのがあるが、日本三大水城と言われ、海を背に平野が広がる。
その城下町のメインストリートが丸亀商店街だ。
いまだに日本の城跡は日本の軍事拠点だと俺は考えている。
「東京ジェラシー」エレファントカシマシ。
http://www.youtube.com/watch?v=JC08DkZSDeg

【つづく】


2012年2月18日 (土)

アメリカの軍事研究から見る「神道」

アメリカが軍事目的で研究した”SHINTO”という洋書を取り寄せたのですが、「太陽信仰」「地蔵信仰」「コミュニティーで神社を支える」という三つが柱だとされ、今では10万の神社のうち2万人しか神職はおらず、5つの神社を一人で担当するのが平均だそうだ。
国家の資金で支えることはもはやできないので、「初詣」の賽銭が重視される。あとは「町内会」「崇敬会」「奉賛会」もコミュニティーの神社を支えている。明治政府の庇護によって神社は資金力を確保したけど、敗戦と高度成長により、8万の神社を統括する神社本庁は「皇室崇拝」を資金源にするようになっている。
日本人に「宗教」と「真摯な気持ち」は区別されており、年中行事があることから、この神社本庁が皇室崇拝を資金源としていることを理解しないといけないのだ。神社本庁を見るということは「2万人の神職とその家族の生活」をみるということだ。それ以外にも「町内会」「奉賛会」「崇敬会」にまで広がりをもつものだ。
敗戦による打撃を受けた日本の神社の生き残りを決めたのは三名の論客だ。葦津珍彦、柳田國男、折口信夫。この三名が神道の生き残りを決定づける論陣を張った。
1915年に明治神宮ができた時に、多くの日本人は神道が「発明された」と受け止めているのだ。神武天皇という話もこれを理解しないといけない。
廃仏毀釈というのがあったが、明治維新において、日本人は「純粋な国家」としての新たなスタートを望んでおり、この時に、すべての寺が糞尿にまみれて破壊されている。この時に、神道と仏教の明確な区別が生じている。
新国家の幕開けが神道の背景にあるのだ。日本は明治維新において新国家としてのスタートをするにあたって「過去の批判」を行わなければならなかった。それがまさに「仏教ブランド」だったのだ。これが廃仏毀釈だった。
仏教は江戸幕府においても18世紀には儒教に知的に圧倒されるようになっていたし、古い因習もともなうようになっていた。さらに、19世紀に入るともはや仏教は儒教に対しては防戦一方の立場に立たされてた。
明治維新は、儒教のもつ「徳」と、愛国主義が混ざり合ってできたものだった。どちらの要素も仏教がすでに失っていたものだった。
神道の背景には明治維新があるいうことは、西洋列強の膨張も当然念頭にあった、つまり、キリスト教の拡大に対する日本帝国主義の防衛である。そこで、明治政府は神社を作り、国民を「帝国の一員」と位置付け、神社を彼らの教化の場に利用したのだ。
神道は、儒教にインスパイアされた祖先崇拝を主体に「共同体の記憶」をみんなで共有することを特徴とする。その核となる施設が伊勢神宮である。なぜなら、16歳で即位した明治天皇の祖先を祀っていると位置づけられ、明治天皇が伊勢神宮を崇拝していたからだ。
1871年には、明治政府は帝国あるいは国立の神社を各県に配置し、地域ごとの神社を配置し、さらに末端にまで神社を置くことにしたのだ。これらの神社は「国家の創始」を物語として共有し、国民に家族単位での祖先崇拝の場を提供した。各家族はそれぞれの役割と団結を求められ、国家の統治作用に組み込まれていった。
このような「神道」はたちまち対抗言論にさらされた。神社と天皇と日本についてしか語っていないことが明らかになり、神道思想家の間でもコンセンサスを得るのが難しかったのだ。
はたして神道は「帝国カルト」にしてもいいのだろうか?
神のそれぞれの関係はどう説明するのか?
日本人の生と死、善と悪、褒美と罰などの説明がなされているのだろうか?
などが極めてあいまいだったのだ。
このままでは帝国内部で巨大キャンペーンが打てる状況ではなかったのだ。そのような状況で「教部省」が設立され、教部省は各地に「教導職」と呼ばれる集団を送り込んだ。
教義は「神を敬愛し国を愛すること」「天の理と人の道にしたがうこと」「天皇を尊敬し政府にしたがうこと」
これだけだった。それ以外は儒教を持ち込んでいるのだ。
目的は、天皇を国の父として、あるいは国家のリーダーとして権威を集中することにあった。

1870年代に明治新国家が安定してくると、「神道の偉大な教えとは何か」が議論になった。
この議論に火をつけたのが「浄土真宗セクト」であった。浄土真宗セクトが、そもそも「神道は宗教のカテゴリーには入らない」と主張したのであり、これはそもそも「宗教としての適格性に欠ける」という批判からなされたものだった。仏教の側から「神社という場所は宗教施設ではなく、真摯な気持ちの表現の場である」と主張された。つまり、「国を作った偉大な男への尊敬」を表現する場であるとし、宗教施設ではないとしたのだ。
仏教の側からの「神道は宗教ではない」という主張は非常に戦略的なものだった。宗教界を「仏教界が独占する」という野心の表現でもあったし、帝国内部でのキャンペーンを行っていた国家の側からも「信教の自由と調和が取れる考えである」とされてしまった。
このことから帝国カルトのキャンペーンとしての展開は1884年には一応の収束を見せたとされる。
このような中で帝国は日清戦争と日露戦争を迎えた。
この二つの戦争が「神社」という場所を宗教界のメインステージに押し上げたのだ。
この時に「軍事」と神道が結び付いたのであり、愛国心の高揚とともに「靖国神社」「護国神社」が作られ、あるいは予算が割かれたのだ。
キリスト教の脅威はもはや一段落していたが、一方で、「社会主義・共産主義」運動が今度は帝国に襲い掛かった。神社は軍事と結びついたが、さらに、子供たちに社会のルールを教える場としても活用されるようになった。
やがて、日本国政府は、神社を各村に一つ配置してコミュニティーをまとめるという整理を行い、公式な儀式も確立し、さらに、資金面でも法整備を進め、ファイナンシングの部分でも神社の国家からの独立性を保つことにした。明治天皇が1912年に崩御した時に、彼の霊魂を祀った明治神宮を作り、1915年に竣工している。
これで一応の路線が確立し、1945年まで非宗教国家カルトとして神道の存続は確定した。
背景には1931年に突入した戦争があり、これが神道をバックアップしている。

このような過程を経て、神道は、明治天皇や国のために命を犠牲にした人、あるいは明治以前の徳をもった人物などを祀るようになった。それ以前に存在した神社のあり方も、教義はすべて東京が書き換えたのだ。
神前結婚式を初めて行ったのは義人親王(大正天皇)であり、七五三という子どもを神社に連れて行く慣習も大正時代に出来上がった。関西エリアでは七五三はなかなか普及せずに、「13歳になった子供をお寺に連れて行く」という旧来の慣習がしばらく続いた。江戸時代には、神社は「七福神」に幸運を祈る場所だったのだ。
旧来は、陰陽師が幸運な方向を決めて「恵方詣で」と呼ばれる場所にある神社やお寺に行く慣習があった。
これらの慣習を「神社が行う」という発想も東京が20世紀に書いたものだった。
おみくじというのも大正時代につくられたものだ。江戸時代の天台宗の「観音くじ」を参考にしたとされている。
結局、神社は「宗教ではない」という浄土真宗セクトの主張を国家が「信教の自由と調和がとれる」として利用したことから、以上の「行事」も、非宗教的なものとして行われることになった。「おまもり」の販売すら実は「宗教的意義はない」とされて販売されたのだ。
その他の行事で得られる利益も、広大な土地の所有を禁じられた神社の経済的基盤を整備したものだったのだ。

日本は第二次世界大戦において敗戦を迎えるわけだが、アメリカ主導の占領政策が1945年の12月に「神道指令」を出した。日本人に「軍国主義の否定と超国家主義の否定、戦争の攻撃性をしっかりと学習させる」というものであった。そして、「もし神道・神社が存続したいのであれば宗教を名乗るべきである」としたのだ。
そこで、1946年に宗教法人法ができて、同じ年に神社本庁(NAS)が作られている。
神社本庁は、結局、「明治の国家カルト」路線を踏襲することを選択している。伊勢神宮を本拠地とし、「神宮大麻」への信仰を各家庭に広めることにした。これはイデオロギー的理由もあるが、経済的理由もあったとされる。
さらに、神社本庁は、宗教法人ではあったものの、明治時代の「宗教ではない」という見解を活用している。あくまでも「公的な慣習」であるとし、あらゆる人々を排除しないオープンなものとした。これは、「宗教としてのアイデンティティーの弱さ」からくるものであるとも言われている。
なぜ神道は生き残ったのか
大日本帝国の崩壊とともに神道が崩壊しなかった背景には「民俗学」があったのだ。
春には五穀豊穣を祈り、秋には収穫を感謝する。
夏には魚が獲れることを祈る。狩りがうまく行くことを祈る。魂を純粋にするコミュニティーの祭りをする。
新年には仕事や学業がうまく行くことを祈る。
そういった日本人の「民俗学」があったから神道は生き残った。

神道に関して、柳田國男は以下のように語っている。

日露戦争において、帝国臣民はこれほど戦争の結果が分からない戦いをしたことはなかった。地方の村でも若者が戦地に送られ、その地域では、おのずと「氏神」に人々は必死で戦勝祈願をした。若者の妻などはこの時に神社において「お百度参り」を行っては夫の無事を祈った。これはもはや信仰というよりも、より切実な感情に根差した行いであった。

柳田國男はフォーク(丞民)という、庶民の慣習の中から信仰を見出そうとしたのだ。のちに述べるが、折口信夫も柳田に共感を覚えていた。柳田はフィールドワークの方面からアプローチし、折口は文献の方面からアプローチした。しかし、フォークを基盤にしたのは同じだったのだ。
「国体」という戦前の概念は「天皇と国民は一つである」という考えであり、柳田も折口もこの考えを否定したわけではなかったが、神道の基盤は庶民の慣習に見出していた。
明治時代に起源をもつ「国体」崇拝はロマンティシズムとして現在に引き継がれているのだ。明治の神道の国家カルト戦略と並行して、特定の人物が「教派神道」というものを立ち上げた。
これは、伊勢神宮や出雲大社などを基盤にする「講」をベースに、たとえば伊勢神宮の教えをベースに「神宮教」というものができた。
これらの動きもあくまでも帝国カルトと調和が取れる範囲内で政府が容認していたものであった。

以上の「神道」の特徴をまとめてみると、三つの特徴が見つかる。
非宗教的な国家の美徳を天皇に求める発想。
国家統治とは異なる観点から、コミュニティの繁栄や、個人の幸運や健康を祈るという発想。
国家から「神道セクト」として容認された宗教団体。

戦後の神道を論じた学者に井上順孝がいるが、神道が純粋さを求めたのは近代であり、
中世の仏教や儒教が混合して出来上がったものだと明確に論じた。
国体概念に依拠するにせよ、柳田のようなフォークロアに依拠するにせよ、神社を利用する人が
どのような意識で利用しているかに関しては、神道は明確な立場をとっておらず、
神社を利用する人も明確な立場にはもとづいていない。
神道というのは明らかに「近代の定義だ」とされたのだ。
国体概念・民俗学・神道セクトの三つがうまく合流しているのだ。
さらに、黒田俊雄は「神道は仏教が形を変えた」と主張した。これも「純粋な神道は近代の産物」
とする立場であり、日本古来から続くものであるとされたのは近代の産物としたのだ。
黒田は一方で、6世紀の仏教伝来以前にも神・神話というのがあることを論じた。
8世紀編纂の古事記と日本書紀にそれが記述されているのだ。
実際に、現在残っている神社はこれらの書物に記されている地にあることが多く、
しかし、建物の歴史は書物の記述より新しい。
だが、仏教伝来以前の信仰を基盤に神社が配置されていることは無視できないとする。
とはいえ、近代に神道が「再編された」という前提にそれらの事実があるとしたのだ。
神道は、神話や仏教や陰陽道といったものから何らかの発展を遂げたわけではなく、
これらと共存しており、古代思想を包摂するものであるという説明は近代になされたのであり、
神話のようなものも「近代社会に適合するように」ディストーションを経ているとされる。
神道の最大の問題は、「神、神話、儀式」などが、近代以前に既に存在したということだ。
このことが、近代の再編を経てしまったために、歴史研究を極めて困難にしている。
再編を経た神道が「昔からあるもの」とされてしまう陥穽が存在するということなのだ。
明治の帝国カルト以前にも「神社・神話・儀式」は存在したのであり、それがどのように再編されたかは
それらの研究を抜きには語れない。
そのため、これから「第二章」として、明治以前の「神道の基盤」の研究に入りたい。
【第一章-完-】


♪あの19世紀以来~この国の男は~化ケモノ青年♪
「化ケモノ青年」エレファントカシマシ
http://www.youtube.com/watch?v=haWWYMsWUlk
♪幼い日の 無邪気な願い事 叶うはずもないのに♪
「おみくじ」高橋由美子
http://www.youtube.com/watch?v=zkAw5CIT1Eo


2012年2月16日 (木)

空海

日本の仏教界の「知の巨人」が空海であり、真言宗の開祖であるが、彼の名声は日本にとどまらず、東アジアに知られた。彼の思想は非常に体系的で完成度が高かったが、業績は宗教や哲学にとどまらず、社会福祉や教育、文学、詩、絵画、彫刻、踊り、音楽、さらには工学にまで及んだ。日本の国内の変動期に登場した思想家である。
以下では、空海の「哲学」に絞って研究していきたい。
空海は奈良時代に生まれ育ったが、当時の日本は中央集権的に皇室によって支配されていた。しかし、彼は教育制度に幻滅して山にこもり、24歳で三教指帰を書いている。儒教と道教と仏教をまとめて、仏教に帰依することを明確にしたのだ。彼は、お経を百万回唱えれば奇蹟的な記憶力と理解力が得られるとした。京都大学のある「百万遍」という地名もここから来ているのだろうか。空海は、奈良仏教のような教義の探求よりも、より、修行を経たうえでの直接の経験を重視した。美徳の実践を心掛け、彼は四国に向かったのだ。24歳から31歳まで、彼は四国にあらゆる聖地を作り上げている。美徳と実践をどう結び付けるかを考え、それは7世紀のテキストである大日経に倣っていたとされる。
31歳の時に空海は政府を通じて中国にわたっている。唐の巨大都市である長安の都に30か月滞在している。インド仏教とヒンドゥー教とサンスクリット語を二人の僧から教わった。その僧の一人である恵果の影響は計り知れないとされる。また、彼はサンスクリット語や中国の詩、踊りを覚えたのが大きいとされている。
33歳で彼は日本に戻ってきた。彼は多くの書籍を手に九州に滞在し、請来目録を表している。彼はしばらくは京都には入れなかった。政治的混乱が都で生じていたからだ。平城天皇が去り、嵯峨天皇の治世になってようやく彼は都に入り、あらゆる寺の住職を任された。彼はこの時初めて国家の庇護のもとに活動を許されたことになる。密教が日本で主流になり始めたのはまさにこの時だと言ってよい。
彼は多くの著作を残している「超越的な仏の道をどうやって身に着けるのか」「密教と顕教の違い」「音と記号と現実の意味」「韻を踏むことの意味」「曼荼羅の秘跡と10の心の状態」「秘密の宝への大切なカギ」など、書いたものは非常に魅力に満ちていた。
空海は61歳で亡くなり、醍醐天皇に「弘法大師」という名を贈られた。「ダルマを広めた偉大な師」という意味であった。
これが空海の生涯であるが、以下、彼の研究の全貌について書いていきたいと思う。

「真言」というのは文字通り「真実の言葉」と言う意味であるが、サンスクリット語で「マントラ」という。マントラヤーナというのは「マントラの乗り物」という意味であり、ヴァジルヤーナというのは「ダイヤモンド」という意味もあるし、「光速の乗り物」という意味でもある。マントラというのは「秘密の教え」であり、言葉にすることが困難なものであるとされている。7世紀の中ごろにインドで生じた教えであり、現在、西洋ではタントラ教として知られている。
美徳を重視し、マントラと曼荼羅を用いて心を最高の状態に持って行くことを核心とする。この密教に「大日経」「金剛超教」という二つの経典がコアとなる経典として存在する。唐の時代にインドから中国語に翻訳されて皇帝の支持を得たものである。
空海は長安の都でこの二つの経典に接して、日本語に翻訳するのみでなく、さらに発展させたことから彼の名が歴史に残ることになったのだ。

空海は、マントラヤーナの解釈に「美徳」を付け加えて解釈した。彼は日本では思想を網羅した最初の哲学者であるとも言われ、神学の解釈だけでなく、美徳の実践もともなわなければならないとし、瞑想と美徳の実践により、肉体によって経験するのが仏の道だとしたのだ。彼の思想と経験は二元的なものではなく、一体的に肉体で感じるものであるとされた。
空海は、奈良仏教に既に存在した「陀羅尼」の意味を明らかにし、文献学と実践の橋渡しをしたという功績が大きい。彼の成功は文献と美徳と仏像を一体のものとしたことにもあるのだ。そして、奈良仏教から独立した形で「真言宗」というものを作ったのだ。

空海の著書では「弁顕密二経論」「秘密曼荼羅十住心論」「声字実相義」「秘蔵宝綸」「即身成仏義」「運字義」などがあげられる。最初の三つは真言密教の探求と、顕教とどのように真言密教が異なるのかを明確にした著書として注目される。残りの三つは、真言の世界観と概念を明らかにしており、「三部書」と呼ばれている。
空海の思想を明らかにするうえではこれらの文献の研究をするのだ。

「三部書」は、真言密教の他の仏教との違いと優越性を明らかにしたものであり、空海の思想の基盤となるものである。当時の有識者は「形而上学」と呼んだが、宇宙の真理のミステリアスな側面を示したからだと思われる。「肉体、話、そして心」の構造を示したのだ。
「即身成仏義」とは、おのれの肉体のありのままが啓蒙されることを即身成仏としており、「声字実相義」「運字義」とは、言語学を形而上学的に語ったものである。これらは、「世界の現象と言語の音声とその意味の関係」をあきらかにしており、まさに「お経」の意味を探求しているのだ。
まさに「発心説法」の核心的な哲学であった。
「発心説法」とは、ブッダが宇宙の現象を通じてダルマを説くことを意味する。三部書は、肉体でダルマを体感する方法を示したのだ。空海の思想においては「肉体」というものが重要な役割を演じていた。マントラや曼荼羅を体で体感するのが密教に他ならなかったのだ。
真言の教えでは、十住心論や秘蔵法綸などで明らかにされたことは、十の段階を経て人間の肉体は極地に至るとしていることだ。つまり「啓蒙された肉体」に到達するということであった。

密教と顕教の違いを、空海は「弁顕密二経論」で論じている。そもそも「顕密」という用語はすでに日本にあったのだが、この意味を明確にし真言密教の概念を明確にしたのは空海だ。密教というのは「秘密の教え」という意味であり、顕教というのは「現れた教え」「公式の教え」という意味であるが、インド仏教ではむしろこの区別はされていなかった。顕教と密教においては「真実の実態」(ダルマカーヤ)の概念が異なる。顕教においては「ダルマカーヤ」はむしろ超越論的であり抽象的であり「人に伝えるのが難しいもの」とされていたのだ。しかし、空海の密教においては世界の現象を音や動きや形で表現することで、ダルマを人に伝えることができると考えたのだ。
顕教の方がむしろ「人間が三度生まれ変わらなければ悟りを開くことはできない」と考え、真実は抽象的と考えたのだ。しかし、密教においては、肉体によってブッダが体感したものを経験することができると考えた。

「さびしんぼう」別れの歌

【つづく】


2012年2月15日 (水)

和辻哲郎

彼は、西田幾多郎や田辺元といった京都学派には属さないが、海外に日本の哲学を発信した第一人者として同時代に存在した。京都学派は認識論や形而上学、論理学を主戦場としたが、和辻は倫理学を主に語った。本来、和辻は姫路の高校にいたが「バイロンのような詩を書きたい」と言って東京の一高に移っている。そこには新渡戸稲造などの優れた教師がおり、武士道なども読んだ。
やがて彼は夏目漱石の影響を受ける。夏目漱石の「西洋の個人主義と日本人の葛藤」をテーマにするようになったのだ。西洋個人主義が思想的には日本人にとって「救いがなく、絶望しかもたらさないのではないか」という考えに影響を受けた。これはいまだに日本人の間に「ぼっち」という流行語を残しているほどのテーマだということを知らなければならない。
和辻はニーチェの研究で学位をとるが、やがてショーペンハウエルの研究を始める。「悲観主義と救済」というショーペンハウエルのテーマを追求したのだ。西洋社会ではすでに「ぼっち」のテーマは克服されていることを知った。やがて京都帝国大学や東京帝国大学の教授になっている。日本の気候や風土の研究、古寺の研究、古事記や日本書紀の研究など、あらゆる見識を深めていった。やがて、道元の研究にも没頭している。
これらの基盤を踏まえて多くの著作を残しているのだ。
和辻の書いた「風土」という書籍が、日本の「地理や地質、気候や天気のパターン、気温や湿度、土壌や海、生活習慣や産業、衣服や食べ物」までを世界に発信したのだから、日本と戦争をしようと考えていた国に重大な資料を与えたことは想像に難くない。西洋や東洋の深い研究のもとにこのような研究を行い、日本人がどのように生まれ、どのように生き、どのように愛し、どのように死んでいくのかを明らかにしたのだ。
和辻は、日本という国がそもそも島国であり、海に油が浮くようにして、やがてそれらが何らかの形をもつようになって島ができたとイメージされており、その本質は「無」であり「空」であるとしていた。「無」であり「空」であるというのは国の成り立ちに求められるものであり、その点では京都学派と見解が一致していたのだ。
また、「アイドル」というものは「古いものの復活」という意味合いがあり、人間の命の不滅を表現するものに他ならないとしたのだ。アイドルというものは日本人にとって「ここ」「現在」を表現すると同時に、我々の過去に意味を与えるものであるとしていたのだ。

和辻哲郎は「寒さ」の研究を深めている。もともと人間が「寒さ」をどのように認識するかから議論は進んだが、実はこれが我々の「洋服」を作っているし「建物」なども作っている。さらには気候が食べ物を我々にもたらしているのだ。「洋服」「建物」は暑さの研究でも発展するかもしれないが、「寒さ」の研究に和辻は注目したのだ。


【つづく】


2012年2月13日 (月)

天皇の心臓が止まります

心臓についてハリソンの医学書を読んでみたのですが「細胞ごとに収縮している」という点が重要だ。つまり、心臓全体が「ドキドキ」と大きくなったり小さくなったりしているのではなく、「大きなストローク」と「小さなストローク」で「常に血液を送り出している」というのが真実だ。非常に魅力的な臓器であることが分かる。
動いているものをとらえることは非常に難しく、天皇の治療も当然「心臓は止めなければならない」と考えるのが普通だろう。
止まっているものは治療するのも簡単だし、縫うのも簡単だ。今回の天皇の手術は「今上陛下の心臓が一時的に止まる」ということを機密扱いにしているのだ。


2012年2月11日 (土)

セックスマーケットとフェミニズムの哲学

風俗産業は、ポルノや売春だけでなく、接客や踊り、ストリップショー、テレホンセックス、サイバーセックスなどが議論の対象になるが、これを哲学として論じるのならば、お金を払うことにより、女性の性的自由が奪われるのではないか、あるいは、「セックス」というものに「罪悪のともなうものとそうでないもの」というダブルスタンダードを生み出すのではないかなどがテーマになる。以下で論じていきたい。
そもそも、ポルノというものが広く頒布するようになったのは19世紀のヨーロッパであった。印刷技術の発展によって産業資本がこれを推進するようになったのだ。ポルノは時に政治的あるいは科学的な発想の推進力になってきたのだ。そもそもインターネットすらポルノが推進したとすらいえる。これらを批判したのが宗教だった。性的なモラルや子供への有害性、社会秩序への悪影響や品位に欠けるなどの理由から批判がなされた。アメリカにおいても「性的興奮にのみ訴えかけるもの」「通常人が嫌うであろうもの」「真摯な文学性、芸術性、政治性、学術的価値のないもの」が否定されるようになった。ポルノは、宗教の方面だけではなく、フェミニズムの見地からも批判にさらされた。背景にはレイプやDVの存在があったとされる。凌辱や拷問、性的搾取を描写することは、暴力を肯定し、女性の地位を低下させるとしたのだ。女性を人間として扱わずに、道徳的尊敬も与えられないとした。女性をものとして扱い、男のファンタジーの対象にしてしまうだけだと批判したのだ。
ポルノは、女性を暴力的に扱ったり従属させたりする場面を描写するが、それはお金をともなってなされるものであるが、現実社会の女性も「そのように扱うことが可能である」という意識を人々にもたらすとされ、男性のまわりにいる女性にも悪影響を及ぼす。実は、ポルノとは「男性優位の社会」の維持という機能を果たしていると批判されたのだ。これは、人類の半数を従属的地位に置くことを意味する。ポルノ作品にはもちろん「女性の参加者」もいるわけであるが、彼女たちが演じるものと、現実社会の女性を同列に扱うことはできない。アメリカの合衆国憲法修正第一条で言論の自由は認められているが、女性を従属させる言論までは容認していないのではないかとされた。また、未熟な男性はポルノを見て「セックスは女性にとって有害なものなのではないか」と考えてしまうこともあるとされる。ポルノは哲学を語るのには十分すぎるテーマとなったのだ。

ポルノグラフィーを語るうえでは、レイプに関する議論が興味深い。ポルノでは、女性がレイプによって快感を得ている描写がなされる。あくまでも金銭を得たうえで演じているものであるが、しかし、それが「神話」と結びついてしまうのだ。このことが男社会の規範意識に与える影響が指摘されている。性的暴力を肯定してしまうのだ。
あるいは、男性はセックスにおいては「ポルノほど生産的ではない」とされ、ポルノの真似をしているとされる。この「真似」と「のめりこみ」が、男性にとっての「病気」としてではなく、男女の「不平等」をもたらす形で社会に反映されていることが指摘されているのだ。
表現の自由の名のもとに、女性はこのようなポルノの存在には沈黙するしかない。あるいは、「修正」という形で規制を受けることもあるが、ハードコアでない限り困難であることが多く、一部の女性が批判的言論をする以外に対抗手段はないのだ。
このようなポルノに影響された男性と性交渉を持つ女性は、「ノー」も肯定的な意味を持つという形で対応するのではない。「その男が嫌いになる」という形で応じてしまうのだ。
端的に「女性の従属性」と「価値の低さ」を表現する描写がレイプであるが、そのような描写を信じている男を女性は「バカだね」と考えることがあり、ポルノが必ずしも「性の肯定」につながっていないのではないかとされるのだ。

一方で、主人と奴隷の関係は「歴史を発展させてきた」という見解もある。あらゆる革命がそうであったし、家庭の主婦も実は亭主をコントロールすることを学習してきたりしたのだ。このような指摘はヘーゲルによってなされた。
また、ポルノによる主人と奴隷の関係の思い込みは、「その男性の政治的嗅覚を鈍らせる」とも言われる。女性だってセックスを望んでいることから、お互いに主体であるという認識がなければ、正確なセックスの理解にはならず、このことは現実社会でもその男性が政治的弱者になるとの指摘があるのだ。
カントは「プレイボーイ」という存在を嫌った。彼は「人間はその存在自体が目的である」としており、何かの欲望の対象に過ぎないと考えることは彼の哲学に反するものだった。精神的あるいは肉体的な挿入というものを彼の人間の独立・自治というものと調和させて考えていたのだ。
カントの考えには批判もあったようだ。セックスとはパートナーの肉体をコントロールするものであるから、女性だって男性の肉体をコントロールしているだろうという指摘がなされたのだ。この観点は非常に重要だ。「お互いに相手を自分の欲望のために利用している」のがセックスに他ならないとしたのだ。
結局、哲学の世界では「ポルノも現実の女性も同一カテゴリーである」とされ、ポルノがセックスの描写を提示することによって、男女はセックスを学習し、「そういうものである」として性的満足を得ているのではないかというあたりで議論は落ち着いているようだ。


【随時加筆します】


2012年2月 9日 (木)

墨子~思想戦国時代を生き残った経済学者

墨子というのは「戦いを嫌った人物」とされがちだが、彼は経済研究家であった。製造業や流通の研究をした人と言っていいだろう。経済に悪影響を与えるから「安定」を望んだのが正確な理解だ。基本思想は「贅沢の戒め」「迷信深い人は悪いことはしない」「お葬式を大事にしよう」「価値を高めるとは何か」
などを研究した。しかし、これらの基盤には経済があるのだ。
彼の用語に関しては、国を治める全体的なイメージを「天」とし、個々の人々が求めるものを「利」とし、さまざまな業界を「類」と呼び、各分野に存在する技術やルールを「型」と呼んだ。「天」「利」「類」「型」という用語で国を治めようという思想が思想戦国時代を生き残ったのだ。墨子は、社会に秩序がもたらされ、人々がモラルにしたがい、社会に価値をもたらすことをめざし、そのことを端的に「直」と表現している。
墨子が目指したのは「直」であった。
墨子は「君主の代替わり」に関しても「盛大な葬儀と長い喪」がなければ、亡くなった君主は伝説にならず、新体制もスタートしない、としているのだ。一方で、姥捨てという中国の因習にも、祖父が死んだら祖母を捨てるということは「幽霊の妻とは一緒に住めない」と論じる人に理解を示しているのだ。彼は孔子のように高尚な「理」は求めていなかった。
それぞれのカルチャーにはそれぞれの「類」があるとし、それが共存する必要性を認識していた。それぞれの業界には「型」があり、それにしたがわないとそれらがうまく回らない。信頼でき、物事が簡単に遂行でき、その世界の人をチェックするものが「型」であるとしたのだ。その各々の世界を治めるのが「治」であり、国家全体を治める「天」という概念とは別のものとしたのだ。
墨子は「指導者、先生、親」には決まった「型」は存在しないだろうと考えた。しかし、「指導者、先生」には「仁」というモラルが必要であるとし、しかし、「親」には「仁」は求められていないと考えたのだ。
彼は、国を治める「天」には決まった「型」はないとも論じている。「天」は膨張する帝国であり、何の代償も要求せずに、消滅しないことを目的に耐え続ける。そのために決まった「型」はないとしたのだ。墨子の「天」は人々の平等を志向したが、しかし、人々がもっている資源は限られている。たとえば、人間は自分の朝食を用意するが、家族のも用意できるものの、隣人の分まで用意するのが精一杯であろう。
このことが、「天が平等を志向している」という墨子の思想に現代にいたるまで「統治作用の限界」という言論の挑戦を受けることになったのだ。
墨子の「型」という概念は、言語や知識、倫理や合理性と言ったものを様々な分野にもたらそうとする概念であり、英語ではフォームと訳されているように、バッティングフォームのような「業界の掟」みたいなものだろう。この「型」という概念はのちに「法家」によって継承されることになった。
墨子が求めたのは「直」であったが、研究として重視したのは「型」だったのだ。業界ルールの丹念な学習みたいなものだろう。
「型」というものは、判断を下すための案内役であり道具でもある。指導者にとってはそれは「法」であろう。しかし、親や教師、指導者の「美徳」について一定の方向性を示す「型」もあるとされる。美徳に「型」があるとするならばそれは「世界に利益をもたらすもの」として、「義」という用語との類義語になるのではないかと指摘されている。
「型」というのは、業界(類)の方式のことだが、「天」の倫理を最高価値としながらも、独自の世界を形成するものだ。記述と実践によって成り立つもので、それを追求するものを「道」と呼ぶ。業界を支配するオキテも「型」だし、その世界に存在する技術も「型」だ。
その世界の技術を追求することを「道」といい、人生を成功に導くのも道を追求することによって成し遂げられる。
また、その世界で何が起きたのか(事)、そして、非難されるべきことは何か(否)などが、有識者集団によって評価される仕組みも「型」の世界には存在するのだ。
「型」の世界の規格も「天」が定めるものだ。寸法の単位や、円であるかそうでないかも「天」が決める。
「型」は他の業界の違い(変)が存在するし、その業界に忠実な義務を尽くす「義」が存在する。
「型」の世界には、独自の議論や知識が存在するし、オキテもある。
しかし、経済コミュニティーの世界である以上、なぜ彼らの世界が必要なのかは世間に常に説明しなければならないのだ。
業界のノウハウは「名」と表現されるようだ。そのノウハウを知る(知)ことこそが「道」を追求することである。
また、その世界で何が起きたかというのも「名」であり、その世界に名を残すと表現される。


【まだまだ限りなく続く】


2012年2月 8日 (水)

ハリソンの医学書~アメリカの最新医学情報

医学というのは人間を苦痛から解放し、健康を回復させることを目的としていることから、「痛み」というものは最も医者が明確に知ることができる情報であり、それから救い出そうと考えるものである。基本は「どこが」「どのように」「何が原因で」痛いのかを探求することだが、痛いということは「人体のどこかが破壊されている」ということを意味する。
俺のように「遠隔操作で痛みを与えられている」のならば人体の破壊や損傷は全くない。そのために、攻撃としては全く無意味なものとなり、医学の対象ですらないだろう。しかし、なかなか辛いものがあるね。俺の研究のテーマにしかならない。

俺の政敵が痛風であるという情報をすでに出している。これを医学書の情報にかけるといろんなことが分かる。化学物質の結晶が原因となって引き起こされる病気だが、ある数値が6万uLを超えたかどうかで判断すればいいのだ。症状としては、「関節が痛む」ということだ。つま先から足首から膝まで痛む。
医学を知ると政治が面白くなるだろ。

俺の顔色をみて「赤ら顔だから黄連解毒湯を処方します」と言った医者がいたが、「顔色が赤い」ことからどんな情報が見抜けるのかという探求心が全くない人だよ。医学書にはいろんなことが書いてある。
顔の赤い患者を見たら、腎臓を調べたり、角膜の異常を疑うことすらあるそうだ。しかし、基本は「感染症を疑う」ということだ。疲れていたり病気ではないいろんなことも判断するとされる。当時の医者は俺の尿検査を行っており、腎臓を調べてはいたのだろうね。

「性欲の研究」
まずは「リビドー」というものが性欲の発信源である。映像、音声、感触、想像などからリビドーは生じる。ペニスに血液が流れ込み勃起する。これが射精を経て元に戻れば健康であると言える。これを出発点に「性欲」は医学の研究の対象になるのだ。挿入はスムーズな壁を必要とするのだ。
医学書から凄い情報が入りましたよ。
男の性欲は「リビドー」が発信源ですが、
女の性欲は「子供を産みたい」という感情が発信源だそうだ。
重大機密ですよ。これは。
たとえば、男が女のおっぱいを揉んでどういう意味があるだろうか。男は手の感触にリビドーが反応するし、女は「子供を産みたい」という感情に反応する。それが性欲のメカニズムなのだ。

「眠りの研究だけでも医学は深い」
眠りというのは、基本的には「セロトニンの調整」を脳で行う営みだとされる。これをうまくやるのが睡眠だ。レム睡眠とノンレム睡眠というのが知られているが、REMというのは「ラピッド・アイ・ムーヴメント」(速い目の動き)という単語であり、眠りに落ちる人間の目の動きに注目した研究だ。
睡眠からも医学を深めていくのが大事だ。

「体温の研究」
平熱というのを誰しもが持っているが、熱が上がる、下がるというのがどういうものだろうか。基本的には、血液が手足から一気に引いて内臓に集まれば熱は下がる。妊娠しているかどうかの「基礎体温」も、血液が内臓に集まったかどうかを判断しているようだ。

「血圧」
血圧を測る目的は「血管で何が起きているか」を調べるのだ。血圧が高いと血液の流動性が低くなっていることを意味する。通常の血圧は、人種や性別、年齢などによって異なるとされる。これが基本だ。

ハリソンの医学書というのは日本のあらゆる俗説を打ち砕きますよ。
「うつ病」というのは「何らかの病気にともなって引き起こされるものである」とされ、何の異常もない人が「私は鬱です」なんてことはないんです。
あと、薬物によっても引き起こされます。ベータアドレナリンブロッカーやカルシウムブロッカーによって引き起こされる。
そういう情報を日本の俗説は全部誤魔化しているんですよ。

ハリソンの医学書さえ読めれば、あとは「薬物でどのタンパク質を攻撃するか」を考えればいいんですよ。内科医というのはそういう仕事なんです。

「妄想型統合失調症」でいわれる「妄想」とは「特殊な幻覚システムに支配されている」ことを言うそうだ。このへんから詰めていけば周囲のデタラメぶりも明らかになるだろうね。

「痩せた」ことから何が分かるか
①摂食障害
②薬物使用の可能性
③サイトカイン(免疫反応や細胞応答を制御する物質)の存在
④拒食症
⑤うつ病
⑥社会的な貧困など
⑦小腸による栄養吸収不良
⑧ハイパーメタボ
⑨運動過多

私が昨年「5か月間で30キロの減量」を行ったところ、「ガンではないか」と期待した医者がいたが、あまりにも素人なので笑いが止まらねえな。

アルコール依存症についてまとめているのですが、義務や困難をともなうことができなくなるとされ、職業であったり運転であったりができなくなる。
アルコール摂取時は、人間の機能の七分の三が失われるとされている。
10~15%の男性が、5%の女性がそのような症状を見せる。
忍耐力がなくなり、アルコール依存を引き起こすのはもはや精神科の領域にもなる。
アルコール依存症は「寿命を10年単位で縮める」という指摘は重要だろう。

タバコは「ニコチンを肺で摂取することが有害である」とされ、心臓や肺の病気の原因になるとされるが、64歳を過ぎて2%程度が「こりゃタバコが原因だな」と指摘できる程度であり、アルコールのように「10年単位で寿命が縮む」などという指摘はない。
タバコというのは「周囲の迷惑を考えろ」という点が問題なのだ。臭いが嫌われているのが真相だろう。

日本でいう「アスペ」というのも、ハリソンの医学書では「社会が判断する病気となっていて、皮膚病のトラウマなどが原因になる。血液の検査で明らかにすることができる」と書いていましたね。
いろいろライフワークみたいな感じでハリソンはやろうと思っています。

「自然気胸」
俺は17歳の時に自然気胸という病気になっている。肺から空気が漏れて肋膜の空間に空気がたまる状態を言う。俺の場合はCTで撮影して「23%肺が縮んでいる」と告げられた。胸に管を通して直したのだが、胸郭開胸術や開胸術では治癒率は100%だったそうだ。管で吸引しただけでは「再発の可能性がある」と医者に言われ、外科医の祖父にも手術を勧められた。
当時の医者は「原因は分からない」と言っていたが、ハリソンの医学書では「全員がスモーカーである」としている。しかし、俺は17歳だった。
俺の右胸の自然気胸の治療婚

花粉症というのは花粉の「免疫グロブリンE媒介刺激」によって「目」が反応する病気とされている。
とにかく目を見ればわかる。
医学書では、真面目に取り上げていないのだ。「深刻さがない」とされているようだ。
製薬会社の活躍のフィールドとなっている。
「免疫グロブリンE」が花粉症のすべてなんだよ。


2012年2月 6日 (月)

人間は記憶を失うだけでこのような影響を受ける

アメリカの分厚い医学書が届いた。
医学の基本は「痛み」「熱」「緊張」「目・耳・鼻・のど」「呼吸」「胃腸」「尿・便」「性欲」「肌」「血液」を見るのが基本だ。
患者のこれらの情報をどのように分析するのかが医学であり、これをひたすら追求するのが医学書なのだ。まあ、医学といっても内科学なのだが。俺の親父が内科医であることから、いろんなサンプルに関する情報を聞きたいところだが、なかなか話してはくれないだろうね。

ハリソンの医学書によると、注意力が鈍る、判断力が鈍る、知覚、学習力、計算、問題解決力が鈍る。気分が沈む、振る舞いがおかしくなる、という効果があるとされる。人の記憶を消すだけでこれほどの効果があるとされているのだ。この情報は「国家機密以前の話である」とされ、俺もさんざん辛酸をなめてきた攻撃なのだ。
医学書によって明らかにしたのは俺の才能というしかない。
また、記憶を失うと、消極的になったり、幻覚を見たり、不眠になったり、自分がどこにいるのかもわからなくなるとされる。
まさに「記憶を消す」という攻撃は致命的な攻撃力を持っているのだ。

この情報が何を意味するだろうか。あらゆるテレビドラマのいわゆる「記憶喪失」というドラマ設定の「現場とのかい離」を明らかに示しているのだ。記憶喪失の現場はまさに修羅場と化すことが分かる。
医学の世界は人間の記憶を足し算引き算のように消す世界ではない。
ドラマでは「この記憶を消したほうが面白い」というドラマクラスの理屈でシナリオが作られているのだ。

医学書というのは巻末の索引が便利だね。
「めまい」というのを調べたら「吐き気の直前の感覚である」とされていて、なかなかこの視点は素人には得られない情報だそうだ。



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