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2011年11月15日 (火)

ホモセクシュアル~スタンフォード哲学百科事典

この用語は19世紀にドイツの心理学者、カロリー・マリア・ベンカート(Karoly Maria Benkert)が確立したものだが、用語は新しいものの、議論としてはプラトンの「シンポジウム」でも語られていたし、現代においては「ヘンタイ理論」として語られている。西側諸国では、自然法の観点から禁忌のように扱われ、宗教や政治、裁判においても自然法が重要な役割を果たした。しかし、ゲイ解放運動が起き、この運動に対抗するように哲学の世界では「ヘンタイ」という概念を生み出した。それ以降、異性愛においてもバイセクシュアルにおいても、「生物学」の観点から可能である組み合わせがいろいろ考えられて行ったのだ。
古代ギリシャにおいては、「ホモセクシュアル」という用語はなかったものの、プラトンやアリストファネスが「同性間のエロス」として議論したし、いろんな芸術作品が残されている。いろんな論者がいて、中には同性間のエロスを賞賛する人もいた。人間は「異性の美しさ」にエロスを感じるのが通常であるが、アレキサンダー大王は少年愛が知られていた。だが、こういう事例は例外的なものと考えられたようだ。今のように「ヘンタイ」として扱うのではなく、すぐれたもの、卓越した美をもつものへのエロスは細かい心理学的なディテールを抜きに生じるのだろうと考えられていたようだ。
古代の哲学が問題にしたのは、いかなる性関係であっても「支配と従属」の構造があるという観点を指摘したことだ。男女の性交渉を見てみればわかるが、挿入する側とされる側が生じることから、ここに「支配と従属の関係」を見出すのだ。そのため、同性間のエロスの事例でも、挿入される側は「女性・奴隷・少年」などになってしまうのではないかと考えられた。もし、ギリシャの自由な男性同士でこの「支配と従属の関係」を作り出したらどうなるだろうか。これが研究の重大関心事だったのだ。ギリシャの神とされたゼウス神ならば何でもできるのだろうか。小説「アキレスとヘラクレス」の関係はどうなのだろうか。ギリシャの社会の「対等で自由な男性」の構造とかかわるからこそ、プラトンは同性愛を論じたのであり、「プラトニックラブと言うけれどプラトン自身がホモだった」などというデタラメな議論ではなかったのだ。
古代ローマを経て、ローマ帝国の時代になると社会的経済的混乱が生じた。この記述はおそらく「体を売る男」を意味しているのだろう。それ以降、キリスト教が普及するようになると、同性間のエロスに対しては否定的な見解が明確に示されるようになる。これ以降、キリスト教の議論が導入されることになるのだ。
ジョン・ボズウェルは「キリスト教。社会の忍耐強さとホモセクシュアリティ」という著書において、同性愛はモラルの問題ではなく、「体を売る男」のような存在を生み出す「不自然で」「秩序を乱す」ものである、と論じた。「支配と従属」の関係は、あらゆる形態においても「弱者をリクルートするプロセス」が存在するのであり、それが秩序を乱すとしたのだ。モラルの問題ではないという指摘をボズウェルは行った。
4世紀から5世紀にかけてのキリスト教社会は、性交渉が「子孫を残す」という観点こそが重要であると考えていたようだ。
性交渉が子孫を残すという観点に注目したことから、「結婚している男女のみでの性交渉」という発想をキリスト教社会は発見したのであり、このことが当然、同性愛者にも影響を与えた。同性間での性交渉を行ったものは処刑するという条文がローマ法に書かれ、悔悟したものに刑を免除するとされたのだ。
ローマ帝国が傾きかけて、ゲルマンなどの異民族に侵略されたときに、この「キリスト教社会の認識」は大きく変容を遂げた。たとえば、スペインでは同性愛への規制がなくなったりした。一部のキリスト教徒の論客が同性愛を批判し続けたが、11世紀から12世紀にかけて、同性愛をテーマにした文学作品が多く出版されたのだ。
12世紀後半から14世紀にかけては、ユダヤ人迫害やムスリム迫害、その他の異教徒も迫害されたことから、この空間で「弱者のリクルートメント」が行われたのであろうか。いずれにせよ、ローマ教皇がホモセクシュアルに対して強い態度を取るようになったのだ。教皇は「自然」こそがモラルの基本であるとし、婚姻外の性交渉のみならず、婚姻内でも子孫を残す以外の目的での性交渉、さらには自慰行為にまで禁止をかけてきたのだ。これが広く信仰者に受け入れられたというのだから、異教徒迫害で何が行われたのかが強烈な背景にあるであろうことは理解しなければならないだろう。中には火刑に処せられるものもおり、悔悟したら罪を許すという運用も続いたようだ。中世のキリスト教神学でもホモセクシュアルへの批判は引き継がれた。しかし、女性の権利などというものは視野には入っていなかったのだ。
その後、数世紀にわたってヨーロッパでは、一部の地域ではホモセクシュアルは放任されたが、オランダでは1730年代にユダヤ教徒の迫害を背景にしたホモセクシュアル批判キャンペーンが展開された。自白のために拷問まで用いられたそうだ。100人近い男が処刑され、埋葬すら許可されなかった。中産階級では厳格な姿勢が貫かれたが、一方では、特権階級の間でホモセクシュアルは容認されていたとされている。そして、特権階級に保護された「サブカル」としてホモセクシュアルは伝えられていたようだ。ナポレオンの時代になって、ナポレオン法典がホモセクシュアルへの処罰を緩和した。ナポレオンがヨーロッパを征服したことからこれがヨーロッパに広く伝わることになる。このナポレオン法典の扱いが「ナポレオンもホモだった」という噂になるのだから歴史というのは恐ろしいものだ。
18世紀から19世紀にかけては、同性愛は医学や精神分析の対象になり、「逸脱」と位置づけられるようになる。背景には、人口増加や、良い兵士を必要としたこと、家庭が性の役割を必要としたことなどが挙げられる。また、子供の就学率の向上は明らかに、異なる世代間の性交渉の機会をなくす効果があった。人口増加は当然「男女のカップル」を想定しないとありえないことであるし、学校という存在が、今でいう「援交」というものを困難にする機能を果たしているという研究には注目すべきものがある。


【まだまだ続く】

「ホモセクシュアル」スタンフォード哲学百科事典



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