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2011年9月

2011年9月27日 (火)

フェミニズムの見地から見る障害児

このテーマは継続的に行いたいので途中経過を随時加筆していくことにしたい。
参考にしたのは以下の英文である。「フェミニズムの見地からの障害児」スタンフォード哲学百科事典

伝統的な哲学は、障害というものを克服すべきものであるという問題意識は持っていたが、障害者を「社会と契約できない者」と扱った。しかし、20世紀後半にアメリカで研究が進み、多くの学位が取得された。障害と直面した母親が実体験としてこのテーマを論じたりもしたのだ。フェミニストの地平を非常に豊かにしたのが障害児だった。倫理や正義、形而上学に至るまでそれは及んだ。以下ではそのあらすじを述べたい。障害の研究は「過去の芸術作品や文学作品がどのように描いていたか」という研究からまず手が付けられた。これらの研究が、「いまだ理論化されていない」「無視された障害」の存在を浮き上がらせている。障害に関しては、ロールズも障害者の正義を論じたが、その議論の明確な失敗が指摘された。哲学的アプローチへの疑問すら寄せられたが、女性の経験を探求するフェミニズムが障害というものへのアプローチに非常に有効であることが分かったのだ。しかし、フェミニズムと障害の探求はときに「障害など女性にとって有害でしかない」という見地から、フェミニズムに嫌われるテーマでもあったのだ。いずれにせよ、障害児の存在はその子供を育てる母親がまず最初に直面する問題であることから、このテーマは避けては通れないものとなった。
伝統的な哲学は、「女性の経験・人生」というものに無関心であった。自らが論ずる哲学には当然、女性も含まれるだろうと考えてはいたが、女性特有の生に関して十分な分析を行ったわけではなかったのだ。しかし、たとえば、障害児を抱えた母親の研究というのは、まさにフェミニズムにとっても非常に重要な位置を占める研究となった。問題が如実に表れる現実こそが哲学を深めることが明らかになったのだ。障害児とフェミニズムの研究が哲学のすそ野を一気に開拓した。女性らしいふるまいやあり方をはじめとして、心と体の関係といったスポーツの世界にまで波及する研究も進んだし、個人と社会の関係や、人生にとって大事なものなどが障害者と向き合うことによって明らかになったのだ。このことが、欧米で障害者という存在への認識を変え、日本が「周回遅れ」となっている現状を示すことになった。また、女性は男性に比べて肉体的に劣るのかという見地から、1980年に「女性らしいボールの投げ方」という論文がアイリス・ヤングによって発表され、「女性らしさ」の探求が進んだ。日本ではまさに松田聖子が独自にその方面を探求していた時期である。

男性の方が女性よりも肉体的・精神的に強いであろうという雰囲気の中で、障害者の世話はもっぱら女性の役割とされているという現状が、すべてのこれらの問題群の出発点だったのだ。障害者の存在が女性を不利にするという現実は、世の中の問題をより顕著に表現するものに他ならなかった。
また、障害者が、生物学的に不利な状況にあるのは紛れもない事実であるものの、それがどこまで「社会の実践」に由来するのかも探求されたのだ。

フェミニズムの見地からは、従来の哲学がどれだけ女性の生を説明ができるのかという限界に直面し、肉体的に劣ったものと考えられたとするのなら、男性の障害者はどうなのかというアプローチがなされたのは事実のようだ。そういう意味でフェミニズムはかなり厳しい手段を障害者に対してとったことになる。また、一方で、女性は、物事の学習の仕方や考え方が男性とは異なるのではないかという研究もなされた。状況説明や、文脈のつくり方、真実のニュアンスがどのように男性と異なるのかが探求された。

ある哲学者は、生まれながらに盲目の人が「赤」という概念を認識できるかを議論した。おそらく目が見える人とは異なる仕組みで「言語によって」理解しているのだろうと解するほかはないが、あらゆる国で、盲目の人が「口伝」などで、文章に類まれなる記憶力を示していることが語り継がれている。言葉のコミュニケーションでは能力は卓越しているのだ。ベルギーの警察当局は、盲目の人を雇っているとされる。盲目の人に録音した音声を聞かせると、どのような場所で録音したかを識別でき、また、言語も、アルバニア訛りかモロッコの訛りかなどを判別できるとされ、これは目が見えるベルギー人にはない能力だと言われている。盲目の人は健常者とは異なるものの認識の仕方をしているのだ。
障害者を認識論的には「劣ったもの」と感じるのは当然である。しかし、ダウン症の患者が記憶力や知覚力で優れた能力を見せることもあるし、ウィリアムズ症候群の患者は、通常の人間よりも、社会的・感情的スキルで優れた能力を見せることがある。音楽家の才能が優れていたりするのだ。しかし、通常の理性のある人間から見たら「鈍さ」だけを認識してしまうのだ。哲学者は、彼らが謳歌している知的な体系を理解できない障害者を「劣っている」として、その実態を分析しようとはしなかったのだ。知的な体系こそが優れていて、障害をもっている人がどのように世界を認識し、どのようにより良い人生を生きることができるかを探求することを怠ってきたのだ。
障害者は「障害者というグループ」に分類され、知的な基盤を持たない集団として、彼らは共通の経験を持つとされた。これにフェミニストが目を付けたのだ。女性も社会的に「知性」から排除された共通の経験を持つ「グループ」に入れられており、社会が与えている構造は同じであると考え、その方面からフェミニズムの探求を進めようとしたのだ。
20世紀の初めごろまでは、生物学的な制約がその人の能力を決めると考えられており、そのために、サバイバル能力では女性は男性に劣るとされていた。
生物学的なアプローチにうんざりした哲学者は、社会がどのように女性を扱うべきかという観点からのアプローチを始めたのだ。今の女性雑誌が「いろんな女性のライフスタイル」を提示するようになるのはこの研究がベースになっている。20世紀に入ってからの話なのだ。生物学的な違いに社会がどのような位置づけを与えるのか、どのようなライフスタイルを提示するのかという面で、障害者の存在は明らかに、女性の生き方の研究に貢献している。生物学的に劣ると考えられた男性障害者の存在がそのカギを握ったのだ。
プロ野球の始球式で女性アイドルが起用されることがある。女性特有の「ボールの投げ方」があるとされ、それがプロフェッショナルの修羅場での「癒し」になると考えられているようだ。これが「女性らしさ」の研究の原点なのだ。女性が肉体的に「できない」ことがあるというのが出発点であり、これは障害者にも言えることだ。この「できない」ことの研究が「女性らしさ」の研究であり、障害者の研究からもたらされた視点だと言っていい。

この「できない」という特徴を持つのは個人に着目するのではなく「グループ」に着目するのだ。障害者も「できない」という特徴を持つグループだが、女性がもつ特徴とどのように異なるのだろうか。障害者の「できない」という特徴は魅力でも何でもない。その探求から入るのがまさに、フェミニズムと障害者の研究の核心である。
人間というのは、若い時期に「できない」ことが「できる」ようになる。また、年老いたらその逆に物事が「できない」ようになる。それを含めたら世界で6億人もの人が「できない」という特徴をもっていることになる。この事実を、「できない」ことが女性のアイデンティティーだとするフェミニストの論客は説明しなければならない。
ある人は、「そのグループ」には期待されている水準があり、それに能力が追い付かないと嫌悪されるのではないかと考えた。つまり、女性には期待されていないことも、男性には期待される。その期待に応えないという点で、男性の障害者と「女性の魅力」は異なるのだろうと考えたのだ。

女性のアイデンティティーが「できない」ことにあるという議論には批判が浴びせられた。たとえば、女性が「母親であること」は決してこのようなアイデンティティーには立脚していないとする。しかし、芸術作品で「若い女性」が描かれることが多かったのはどう評価すればいいのだろうか。これも、女性の「アイデンティティー」を論ずる上では決して目を背けることのできないテーマだった。
この「芸術作品で描かれる若い女性」に関しては、その娘に「限界がある」ことを踏まえたうえで、一定の社会的分類なり役割が与えられているのだろうという説明がある。
しかし、女性のアイデンティティーを論ずる上では、障害を持った子供が生まれた時のことを考える人もいる。脳に障害を持った子供が生まれたことを知った親は、その子供がどのような能力を持ち合わせていないのかに不安になり、将来を描くことができなくなる。先進国ではありえない議論だが、発展途上国では「女児が生まれる」ということはこれに類似しているとすらシビアに議論されているのだ。
発展途上国では随分ひどい発想がとられているが、「発展途上国は先進国の鏡」ともいわれ、先進国では埋もれている問題を露骨に表現しているのではないかとされた。


2011年9月26日 (月)

帝愛グループの考察

帝愛グループ:会社の目的:警備業法部門・介護部門・その他のインターネット活動

このグループは、皇族や創価学会など、警備に値しない人たちに過剰に警備を施して精神的満足感を得させることで報酬を得る仕事だと言っていい。そこに大口顧客がいるのだ。これは主に黒服と呼ばれる人たちが担当する。しかし、黒服にも軟弱なものが多く、ウェイトトレーニング講習などのようなものはやっていないという。他の職員は介護部門に回す。ヘルパーの資格を取らせるのだ。こちらの方は地道なお金の掘り起こし作業になる。不況時にはこの産業が主流になり、景気のいい時には警備業務が主流になる企業だ。これらの人材を抱えることで、ネット工作を行う人材を大量に確保している。特に、次世代の天皇をめぐる争いで、上層部は敗北を知っていながらも、下部組織には優勢であることを伝えて活動させ、また、資金源にもかなりおしているという虚偽の報告を行っていたとされる。
創価学会本部周辺になぜ黒服がいるの?あそこは公道ではないの?
雅子さんなんかになぜ何十人も警備がつくの?そんな価値のある人なの?
というすべての疑問に答えるのがこの帝愛グループという、行き止まりの仕事にいかに夢を与えるかを考えた会社なのだ。貧乏人でも有名人に会えるというのが彼らのもっとも強みとするものなのだ。

消費者金融業界では確かに、アイフル・アコムのような優良企業から「下に落としていく」仕組みがあるのだが、判例は闇金を目の敵にしていて、「闇金から借りた金は踏み倒してもいい」としている。そのことから、「人的つながり」を重視した金貸しをやっている可能性はあるね。知り合いだから返さなければならない、あんなに泣いて頼んだから貸してあげたのに、というのが闇金の生命線になっている。

俺は「行き止まりの仕事」の代表に「警備・イベント設営」を挙げている。これは、契約そのものが「当日来れないのなら別の人をよこせ」という、労働法上も想定していないような運用がなされている。このような仕事に、「在日」などが流れるのは当然なのだ。こういう行き止まりの仕事をやっている人間に「夢」を与える技術を探求しているのが帝愛グループだ。従業員そのものには「キャリアが蓄積されない」という構造をもっている。そのことから、わざと「派閥争い」などの「社内イベント」もやっているのだ。
帝愛グループはおそらく警察官の公私混合企業であり、再就職先としてうまみをもつことは当然やっているだろう。

どんな独裁国家も、国民に「食料・衣服・薬」を与える限り倒れないとされる。
食料」・・・お金・生活保障
衣服」・・・女性の関心事・お色気
」・・・健康・酒・エンターテイメント
これを、帝愛グループは実践している。
しかし、日本国は独裁国家ではないのだ。国家統治に参入するためには学問が必要だ。税金の仕組みまで踏み込めれば法律家としてはかなりレベルが高い。東日本大震災でどのような税金での対応がなされたかを理解すれば、「税の柔軟性」をどのように行うかが分かるのだ。
帝愛グループは、組織として「普遍性からの挑戦」を受ける宿命だ。それは「自分は働いている」と強烈に自分に言い聞かせることを特徴とする。これが「普遍性」の最後のよりどころなのだ。職業としては「何の実績にもならない」仕事を自分たちはやっているのだ。

「偏向集団」を知らない社会は「経験を知らない社会」だとされる。そういう意味で「帝愛グループ」の存在は日本国に経験をもたらしている。日本の労働市場はいやおうなしに中国・インドの労働市場の影響を受ける。そういう背景の中で「未熟練労働者の扱い」を研究している組織だ。

2011年9月23日 (金)

北朝鮮の最新情報

キム・ジョンウンは、乗り越えなければならないものは多いが「二人の兄と数えきれない親戚」「キム王朝を守るエリート」に支えられる政権になる。しかも「抗日戦争に勝った」というキムイルソンの「資産」も「思想」も使えるのだ。韓国はすでに北よりもGDPは20倍ある。日本も豊かな国だ。中国経済も強大だ。キムイルソンは、ジョンウンに「軍がクーデターを起こさない仕組み」も残すことになる。北朝鮮には「コア」「中間」「反体制」の三つの階層があるが、政治犯はことごとく排除できる。「コア」の階層の誰もが体制崩壊を望んでいない。
そのため、キムジョンウンの地位は案外安定しているのだ。行動を急ぐのは韓国の方だ。「南北統一プログラム」のために税金を課したりしている。韓国はすでに「南北統一プログラム」のために資金を集め始めている。それを踏まえて、北朝鮮は「エネルギー支援を必要としている」ということだ。つまり、「お金に困っている」ということなのだ。韓国は「20倍のGDP」で、キムジョンウン体制の吸収に動き出している。キムジョンウン体制が案外安定するのではないかとアメリカは韓国をせかしているのだ。アメリカはすでに「キムジョンウンの過大評価」を情報として流して韓国を動かしに来ている。北朝鮮が必要としているのはお金なのだ。アメリカは「軍事オプションをとると中国・韓国・日本に難民が大量に出る」という情報も流して周辺国をけん制している。おそらく、韓国による吸収を安定的に行いたいのだろう。日本人も「北朝鮮の連中の謀略」には嫌気がさしている。首脳である俺もそうだ。南北統一プログラムを見守るだけだ。外務省がどう考えているかは分からないが、アメリカがこのプログラムをせかしているのは事実だ。





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フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェストその9

「パレスチナ問題解決の公式なお葬式」
パレスチナの代表が国連へ加盟するという問題があるが、これにはアメリカが拒否権を用いる方向で動いている。いずれにせよ、オバマが提案した1967年の停戦ラインという提案は、イスラエルが占領した地域の70%以上をパレスチナが回復するという案であり、イスラエルは到底容認できないし、パレスチナも「これで解決したら再びイスラエルの侵略が起きる。オバマは問題を解決するつもりはない」と判断している。パレスチナの代表の国連加盟も、PLOが代表をすることから、「ヨルダン川西岸とガザ地区だけ」の代表となり、パレスチナの難民や移民を代表していない。つまり、パレスチナの三分の一の代表にしか過ぎないのだ。この経緯から、パレスチナ問題の解決は、長年の努力もとうとう「お葬式」を迎えたと言われている。事態は混迷を深め、結果的には「イスラエルとパレスチナ、つまり、エルサレムとラマラは永遠に争い続ける」ということになる運命のようだ。
フォーリンアフェアーズ「二つの国家の最終的なお葬式」
注)この記事は「パレスチナ問題」が恒久的に政治やジャーナリズムのメシのタネになることを意味することから、現場の記者がある種のむなしさを表現したものと思われる。パレスチナ関連の情報の翻訳を続けなければならない私も結構むなしいものがある。でも続けなければならない。

「イエメンの革命は乗っ取られた」
イエメンでの反政府運動は、チュニジアやエジプトに触発された形で起こったが、現在は、「3人のエリート」の争いになっているとされる。アルアーマー将軍と、ハミド・アルアーマー(将軍とは親族ではないそうだ)、そして、サレハ大統領の息子のアーメドの三人だ。アメリカ・イギリス・サウジアラビアという主要な「パワーブローカー」がこの国に関わっているが、サレハ大統領は爆弾による負傷でサウジアラビアで治療を受けていた。このサレハを、サウジアラビアはイエメンに戻すという選択を行っている。サレハを権力の座から引きずりおろそうという争いは収拾がつかなくなり、サレハは「パワーブローカー」諸国に権力の座にとどまることの承認を得ようとしたが、海外の資産を凍結されてしまった。民衆に銃を向けている以上仕方のないことだった。一方、ハミド・アルアーマーは、軍の一部を連れて民衆の側についた。民衆のエネルギーを活用して、大統領の座を狙っているのだ。ハミドの心にはインドネシアのスハルトの事例があるとされ「統制された混乱」によって権力を譲り受けようとしているとされる。サレハの息子も「共和制」を志向する勢力を指導している。10万人の民衆が主要都市に出ている現状から、イエメンは「破たん国家」になるのではないかともいわれている。この地域ではすでにソマリアがそうなっている。民衆の動向をにらみながら3人のエリートが対立している。それにパワーブローカーも現在のところ有効な手段を見いだせないというのがイエメンの現状なのだ。
フォーリンアフェアーズ「イエメンの革命は乗っ取られた」

「プーチンが戻ってくる」
2012年にロシアの大統領にプーチンが復帰することになった。今まで大統領だったメドベージェフは首相になる予定だ。今までのタンデム体制の立場を交換することになる。また、本来、力のある人が元の場所に戻るという意味合いがある。しかし、前回のプーチンの在任中とは状況が異なるのだ。「中国の膨張」「原油価格の下落」「海外にパートナーを必要としている」という3つの要素から、かつてのプーチンのような単独での強力なパワーを持つことはできないとされている。ロシアは「原油価格は最低でも1バレル125ドルは必要」というのが経済の現状だが、今は80ドル程度だ。一方のアメリカも、核軍縮にはロシアは乗ってくるだろうとみており、オバマはこれを軸にアフガニスタンでのロシアの協力を得たり、イランの核問題に向き合おうとしている。ロシアの人々は「将来の予測ができること」「国家の安定」「繁栄」を望んでいるというのが今までの発想だったが、今ではロシア国民の所得は10年前の倍になっており、これらの課題は「もはや当たり前」という状況なのだ。かつてのプーチンのイメージのままで次の大統領の任期を務めることはもはやできない。リーマンショックにおいても、G20の中で一番ダメージを受けたのはロシアだとされる。このことからロシアの財務大臣は積極財政に打って出て、財政収支を悪化させた。プーチンはその財務大臣を解任してしまったのだが、決して政策は誤りではない。また、極東、中央アジア、カスピ海、シベリアなど、かつて「ロシアが優越的支配を保持する地域」がすでに中国のものになりつつあるのだ。
いずれにせよ、来年からはふたたびプーチンがロシアの大統領であり、新しい環境でその職務を果たすことになるのだ。
フォーリンアフェアーズ「プーチンが戻ってくる」

「リー・クァン・ユーの遺産の破壊」
シンガポールの伝説的指導者、リー・クァン・ユーが、ここ数年の選挙で急激に力を失って、内閣の「名誉顧問」となってしまった。リー・クァン・ユーは「安定と繁栄と民主主義」をシンガポールにもたらしたが、もはや今の国民はその伝説を知らない。リー・クァン・ユーは「民主主義のバトンタッチは必ずしも安定と繁栄のバトンはつながない」「民主主義は好奇心を満たすが、より良い統治と、腐敗の防止、経済発展とは別の問題」と発言している。現在、リー・クァン・ユーの息子と、トニー・タン氏が大統領の座を争っているが、若い世代の指導者が抱える問題は多い。移民による町や公共機関での人の混雑、市場の冷え込みなどの問題を抱えていて、伝説的指導者が築き上げたものを正確に理解して、それを決して当たり前だと思わずに、シンガポールの「安定と繁栄」を維持できるのかは分からないとされている。
フォーリンアフェアーズ「リー・クァン・ユーの遺産の破壊」

「ペンタゴンとサイバースペース」
アメリカが軍の指揮系統にすでにコンピューターネットワークシステムを使用していることは知られているが、このようなサイバースペースを軍の指揮系統に使用している国は世界で30か国だとされる。それ以外の国は旧式の伝達システムを使用していることになる。このことから、「サイバー空間でのパールハーバー」が起きることが指摘され、オバマ大統領はペンタゴンに5億ドルの予算を割り当てて対策を練ることにした。ペンタゴンが民間の知識を借りるということは軍の機密情報を民間に分析させることを意味し、すでにその情報量はテラバイトの単位になって民間に知られている。このことから、アメリカ軍に対して悪意のある集団と「知識」が結び付かないようにするのも大事だし、いろんなセキュリティーシステムの構築が必要になるのだ。すでに、エストニアやグルジアでは「軍のサイバー攻撃」の被害が報告されており、決して想像上の問題にはとどまっていない。アメリカ軍の指揮系統を狂わせるということは、攻撃力を弱めることでもあり、「バイト」や「ビット」が「銃弾」や「爆弾」になることを意味する。戦争状態になったら、あらゆる「サイバー戦争」を想定しなければならないのである。
フォーリンアフェアーズ「ペンタゴンのサイバー戦略」

「パキスタン軍統合情報局(ISI)」
ムレン将軍がISIを指揮するようになってから、アフガニスタンの各勢力の和解に務めていたラバニ氏が暗殺され、また、パキスタンのアメリカ大使館が襲撃されるなどした。ハッカニネットワークというテロ組織が関与しているとも言われ、パキスタンは、アフガニスタンにおいて反パキスタンの立場の北部同盟だけでなく、アメリカとも敵対する意思表示を示したことになる。そのため、アメリカはもし、ISIがアメリカの大使館襲撃とハッカニとのつながりに関与しているのなら、何らかのレトリックでの対応が求められるようになる。公然と裏切った連中と付き合い続けるのには「説明」が必要なのだ。アフガニスタン政策にはアメリカは「パキスタンに依存しすぎである」とされ、もし、イランのチャーバハール港が整備されるのであれば、そのルートからアメリカはアフガニスタンに入れると言われる。今後の課題であろう。今現在は、パキスタンの各セクトに振り回されっぱなしなのが現状なのだ。北部同盟は反パキスタンの立場なので、インドのデリーも北部同盟寄りに動くことになる。今はパキスタンのムレン将軍がキーパーソンとなっているようだ。
フォーリンアフェアーズ「ムレンが掌握したISI」

「カタールのリビア介入の背景にあるもの」
カタールという小さな国が、エリートを擁することで、リビア問題の仲介役を務めた。なぜこのようなことが可能だったのだろうか。カタールはミラージュジェット機などを保有し、アメリカ空軍基地も協力的だ。しかし、基本的に「同時進行で多くの問題を背負うことはしない」とされており、リビアに関しても、反乱軍に味方した企業が石油を売り続け、アルジャジーラもインサイダー情報を報じ続け、リビアの制圧を成功させた。カタールは「シリアには介入する力はない」とも言われる。リビアのような広大な国土をもたないシリアは、リビアとは条件や複雑さが違うとされ、カタールのエリートも手を出さないのだ。
基本的に、イラク、ヒズボラ、ハマスなどの主要人物と交流を深め、西側とうまく行かない傾向のあるこれらの人物の仲介役を務めるのがカタールの主な仕事だとも言われる。そもそも、リビア問題のような大きな仕事をまとめる役割は求められていないのだ。
フォーリンアフェアーズ「カタールのリビア介入の背後にあるもの」

「アルジャジーラのカンファー氏の辞任」
アルジャジーラは、24時間のニュース放送を衛星を通じて行っている。1996年に創業し、それ以来、アラブ社会の情報をセンセーショナルに報じることで視聴者を獲得してきた。しかし、アラブの春は、たとえば、2009年に初めてアラビア語になったとされるフェイスブックなどを一気に普及させ、また、アルジャジーラももはや報道姿勢は中立ではない、という点が指摘されたりした。アラブ社会はもはや、情報が高くつき、非常に複雑化している。そんな中で、業績はいいとされているアルジャジーラの社長が辞任しているのだ。
フォーリンアフェアーズ「アルジャジーラのカンファー氏の辞任」

「パレスチナの国連加盟への困難な道」
パレスチナのアッバスが、アメリカの拒否権を抑えてでもパレスチナの国連加盟を目指している。しかし、オブザーバーになるにせよ、メンバーではない加盟国と説明されるにせよ、「仕組みを正確に理解していないのではないか」と指摘されるに至っている。いろんな交渉相手がいる中で「国連」というのは最後の言葉であり、それ以外に、何らかの有意義な選択肢だとは思えないのがこの国連加盟の問題だ。アッバスは、ラマラとブリュッセルの間で、パレスチナの英雄として「いつもの仕事」をしただけだとも言われ、問題の解決につながるとはだれも考えていないようだ。
フォーリンアフェアーズ「パレスチナの国連加盟への困難な道」





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2011年9月22日 (木)

「忠誠心」の研究

忠誠心は美徳である。人々は組織の中で「我慢する」というのが忠誠心の基本だ。忠誠心によって「友情」は統合されるし、他のあらゆる組織もメンバーの協力に忠誠心を要求する。家族もそうだし、会社もこれを義務にすらするし、国家はどのように忠誠心を維持するかに頭を悩ませる。では、忠誠心が美徳であるとするならば、それに限界はないのだろうか。ただ「美徳である」とするならば否応なしに否定できない概念となってしまう。さて、ここからが哲学である。忠誠心の根本からその限界まで探求するのがこの論稿のテーマなのだ。
この議論の背景
忠誠心に関しては、哲学者が興味を持つようになったのは1980年代からなのだ。それまでは、作家や、ビジネスマーケティング学者、心理学者、精神医学者、社会学者、宗教学者、そしてもちろん政治学者などが扱うテーマだったのだ。「右向け右」などというのは政治や宗教以外の何物でもないし、実用的にはビジネスマーケティングにも使用されるし、心理学・精神医学・社会学の方面から研究されるのは当然だった。ここに「哲学」が入り込むと、議論は非常に深いものとなるのだ。
ルーツ
言葉の起源はフランス語だと言える。しかしそれもラテン語までさかのぼるし、行動原理としての忠誠心は旧約聖書で人々が誓い合ったことにも見ることができる。しかし、行動原理としては「忠誠心」よりも「誠実さ」の方が先行したのではないかとされる。忠誠心という行動原理が明確になったのは中世以降に「主君に仕える」という行動がみられるようになってからであり、また、絶対王政の中では強烈にこの現象がみられるようになる。裏切りに対置される形で、特定の王に仕えるうえでの必要な概念ですらあったのだ。

忠誠心の本質を論ずる上では、これは実践的な概念であり、必ずしもそれ自身が「価値」があるというものではない。規範的に「価値」が認められるものなのだ。より良いもののために人間が作り出した概念と言ってもいい。忠誠心というのは、ときには人間がそれを自己目的とすることがある。「社会性への本能」とまで言われる。しかし、忠誠心というのは「感情」というよりは「行動に現れる」と分析する方が正しいようだ。忠誠を誓う人がどのような人であれ、自分にとって利益にならない行動をとるという局面で忠誠心が如実に表れるからである。忠誠心はそういう意味では「コストベネフィット」で論ずると割に合わないが、決して「非理性的」な感情とまでは言い切れない。理性的にそれを選ぶ人もいれば、盲目的に受け入れる人もいる。忠誠の対象が致命的な失敗をしたら、「主君を乗り換える」ことも行われているし、より大きな目的のために忠誠の対象を移す人もいる。感情ではない「忠誠心」に専門職が挙げられる。弁護士のクライアントへの忠誠心は感情というよりも熟慮の上で行動として表現されるものだ。このように、忠誠心が「実践的な態度」なのか「感情」なのかは極めて激しい論争になる。しかし、属する組織の存亡が関わった時には、人々は選択の余地はなく組織に忠誠を誓うし、感情でもあり行動としても現れる。この「サバイバルメカニズム」と呼ばれる局面は、忠誠心の研究をより深めるのに寄与したのだ。

英語で「忠誠心」を複数形にすると、なぜか「愛着」という意味になるようだ。哲学者はその言語学に注目している。自然発生的で居心地のいい空間に人々は「愛着」をもつ。家族、友人、組織、専門職、国家、宗教などだ。忠誠心は、その組織の存続を目的として、規範的に「価値がある」とされるものだが、愛着は、「私の」家族、「私の」友人、「私の」組織、という具合に「私たち」で区別され、「あなたのものではない」「もちろんあなたのものも私のものでない」というものになる。さて、複数形の「忠誠心」である「愛着」がこのようなものであるが、忠誠心も「我々」という区別をしている。それに属するものの恥や誇りは「我々のもの」であり、「我々」がその対象のために危険をおかし、苦痛に耐えるという現象がみられるのだ。

さらに、愛着というのは「社会的に評価される」グループに感じるものであるかもしれないけれど、忠誠心は人が作った概念であり、理論的には「我々が本能的に重要だと感じる」ものであれば、社会的な評価など関係なくなる。ギャングだろうが犯罪者集団だろうが、フットボールチームだろうが、コーヒーチェーンだろうが仕事にとどまらず人々は忠誠心を持つことがあるのだ。

では、忠誠を尽くす対象の「価値」と忠誠心の「価値」はどのような関係にあるだろうか。忠誠を尽くした結果、「何か良いもの」を生み出さなければならないという人もいるし、どのような行動をしたのかで良し悪しを決めようという人もいる。また、忠誠心そのものが美徳であり、それにもとづくふるまいは不朽であるとする人もいる。ナチスに忠誠を尽くした人は美徳を行っている。しかし、多くの害悪をもたらしている。では、ユダヤ人から賄賂を受け取って逃がした人は、美徳を裏切っているという意味で非常に正当化するのが困難である。「シンドラーのリスト」というのは、美徳を裏切っているという意味でナチスへの忠誠心はなかった。このような哲学的問いかけを行ったのだ。

忠誠心は排他的であるかという問題がある。たとえば、AさんとBさんに、共通の友人であるCさんがいるとしよう。Bさんは、Cさんの車が故障した時には彼のために車を出してやり、Cさんの結婚式のためには長時間のフライトにも耐えて駆け付けるとする。AさんとBさんは、Cさんへの「忠誠心」という意味では競争しなければならなくなる。そういう「排他性」が認められるのは事実であろう。しかし、親が子供へ忠誠を尽くす場合は、他の子供に冷淡にしなければならないというわけではない。そういう場面では「排他性」はないことになる。トルストイも「忠誠心に排他性はない」ということを文学作品で論じていたそうだ。

どんなイデオロギーをもった人も「わが子への愛」は広く社会に認知される感情であろう。偏向思想をもった人が時折見せる「家族愛」などに我々は救いを見出すことがある。「私の」子供というような「私」の存在こそがより人間らしく、特定の組織への忠誠心から特権を見出す人にとっての救いでもある。人によっては「偏向思想」で家族まで包んでしまおうという人もいるだろうし、その点が指摘されているのは事実である。しかし、そのような場合は「忠誠心」と「普遍性」は激しい衝突を起こすのだ。忠誠心は「普遍性からの挑戦」を受けることになる。しかし、社会には「偏向思想が必要である」という発想もある。そうでなければ社会は「経験を知らない」共同体となってしまうのだ。偏向思想をもった集団が、普遍的共同体にとっての「善」を志向したらどうなるだろうか。この場合は、忠誠心と普遍性の衝突は解消されることになる。どんな考えをもっていても普遍的共同体の善を志向すれば問題はないと考える哲学者もいる。このような発想は「結果主義」とも言われる。

マーク・トウェインは「権威にしたがわないこと」を魅力的なものとして描いた作家だが、たとえば、「誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に自由になれた気がした15の夜」などという発想が、どれほど哲学的にもろいものなのかはすでに研究されつくされているのだ。このような発想は「思考停止」と「良い判断ができない」というリスクがあるのだ。美徳にしたがうというものが「良い判断につながる」ということが明らかになっていることから、権威に反抗することが好ましくないのは明らかなのだ。しかし、「価値のないものには従わない」という意識を芽生えさせたという意味で尾崎豊の歌にも一定の意義は認められている。反抗することによって「より良い美徳にしたがう」道を探求することは若い時期に経験しておくことはいいことかもしれない。若い時期に「忍耐力のなさ」から権威に反抗するよりも、東京大学の価値を率直に認識したほうがより良い人生になるのだ。そういう意味で、権威への反抗は「正しい判断」ではないと言える。美徳というのは複雑な「言葉の器」だ。誠実さや熟慮、勇気のようなものも含む言葉である。しかし「忠誠心」というのは、あくまでも「実践」をともなう美徳であり、「意思の美徳」でもある。我々の任務を遂行するうえで必然的にともなうものだ。任務を遂行するうえでの妨害を排除するうえでどうしても必要な美徳なのだ。かつては自分にとっては価値があったものなのに、今はその正当性を失ってしまった、というような場面でも「かつて価値があったもの」に忠実であるために必要なものなのだ。「忠誠心」というのは、より良い人生を送るために必要な「実践的」な美徳であるが、これは「道徳」を根拠にしているのだろうかという議論がある。美徳の中でも、「親切さ」は道徳を含む美徳だし、「創造性」は知的な美徳であるし、「勇気」は人物としてのあり方が問われる美徳だ。また「信頼」は社会が求める美徳である。いろいろな美徳がそれぞれの機能を果たし、場合によっては「敵を殲滅させる」ために有効に機能することがある。しかし、「忠誠心」が、道徳を含むものなのかは明らかではなく、場合によっては道徳に反することもあるかもしれない。しかし、「より良い人生」をともなうものであることは明らかなのだ。

基本的に「忠誠心」は、自分の家族や国、宗教など、自分の周囲にあるものに抱くことで「自分の居場所を確立する」「確固たるものにする」という効果がある。それが「忠誠心の正当化」の議論の出発点なのだ。

【つづく】
「忠誠心」スタンフォード哲学百科事典


2011年9月21日 (水)

災害にあった放置自動車はどう処理するのか

東日本大震災で「がれきの山」が築かれたが、処理するためにはどこかに持って行かなければならない。その担当は市町村なのだ。通常の廃棄物処理と同じ部署が担当する。しかし、自動車がもし潰れていて、そこいらに放置されていたらどう対応するのだろうか。ここに公式見解がある。外形上から判断して効用をなさない状態にあると認められる自動車は撤去し仮置き場に移動の上、所有者等に連絡するよう努め、所有者等が引き渡しを求める場合には引渡し、それ以外の場合には、自動車は自動車リサイクル法にのっとって処理する。外形上から判断して効用をなさない状態にあるとは認められない自動車についても、仮置き場への移動、所有者等への連絡が行われる。自動車については、処理迅速化のため所有者等の意思を確認したうえで引き取り業者に引き渡すことを代行しうること、所有者等と連絡が取れない場合及び車両ナンバー・車体番号により所有者等を覚知できない場合には引き取り業者に引き渡すことができるとされいる。
「東北地方太平洋沖地震により被災した自動車の処理について」

俺の減量はWHOが主導した

世界保健機関(WHO)は現在、NCD(感染しない病気)に注目している。たとえば、ガンや心臓病、糖尿病などだ。人類がこれが原因で60%が死亡していることから、国連総会でもテーマになった。なぜ国連が介入するかというと、発展途上国などでもこれらの病気での死亡率が上昇しているからだ。背景には、肥満や喫煙、無理なダイエット、運動不足などがあるとされ、すべて環境に依存している。死亡原因として挙げるのはたやすいが、インドではたとえば、一家の主がガンになると、所得の30%を医療費に用いることになり、そのような主を抱えた家の半分は貧困に陥っているのだ。こうした現象が起きる以上、国連が介入しなければならないのだ。食品業界やアルコール業界には「塩分や糖分を抑える」「脂肪を抑える」食品の開発を要求するのはたやすい。しかし、タバコ産業に対しては、税金を課すなどの対応はあるものの、業界の利益そのものに介入することになるために、有効な介入の方法はほとんどないとされる。発展途上国が健全な発展をするためにも国連が介入しなければならない。もちろん、国連は「教育と健康」の分野で積極的に介入するわけだが、このNCDへの介入の優先順位は教育に比べれば高くはない。しかし、コストも、一人当たり年間1ドルしかかからない政策なのだ。そのような理由から、この「感染しない病気」の予防にWHOが取り組んでいるのだ。
フォーリンアフェアーズ「WHO:NCDが今は世界の死亡原因の上位を占める」





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2011年9月18日 (日)

写真が「著作物」とされる要件

「写真によって何を表現しようとするかの意思決定、被写体人物にポーズをとらせるための指示、被写体風景の中からどういう構図を切り取るかという判断、あるいはシャッターチャンスをいかにうまくとらえるの勘、絞り等の工夫」が写真に著作権があるとされるための条件だ(東京高判平成13年6月1日判時1765号96頁)。
つまり、写真家はこれらの要素に卓越した能力を有することを意味する。
デジタル技術の発達に伴い、従来写真の著作物の創作性を基礎づけた要素のうち、露出、焦点などの撮影技法の点については、機械への依存が高まり、個性発揮の余地が少なくなっていることも事実であるが、写真家は「これらの技術も把握している」という指摘は可能であろう。
この「写真の著作権」に関しては、廃墟を好んで撮影する写真家の撮った写真を見て、感銘を受け、その写真のデッドコピーではなく、同じ廃墟を同じアングルから自分で撮影した行為が「物の配置などをオリジナルの撮影家が決めたわけではない」として、著作権を侵害しないとした判例があるのだ。
ジュリスト2011年7月15日号「廃墟写真事件控訴審」小泉直樹

2011年9月17日 (土)

国際連合への加盟の要件

国際連合が誕生して間もなく、世界は冷戦構造の渦中に巻き込まれた。新しく加盟を申し出た国は、国連加盟には「安保理の勧告と総会での承認」を手続きとして求められたため、ことごとくソ連が拒否権を用いたのだ。1947年のイタリア、ブルガリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニアの共同申請の際にそれは顕著だった。国連憲章4条では、加盟のためには平和を愛好すること、国、憲章に掲げる義務の受諾、憲章上の義務を履行する能力、憲章上の義務を履行する意思、が網羅的に挙げられている。国際司法裁判所は、この国連加盟の問題は、政治的な問題であるとして判断を避けようという主張もあったが、法律的に解釈できる問題ととらえた。しかし、安全保障理事官の勧告が求められていることは事実であり、ソ連の拒否権を「権利の濫用」とする主張もあったが、基本的には拒否権を認めざるを得ないという立場に立った。1952年には国連総会で「他国と友好関係を維持していること」も要件に加えられ、加盟の要件はますます網羅的になった。そのため、政治的思惑から加盟を排除しようというソ連の考えは通りにくくなった。
国際法判例百選第92事件「法律的紛争と政治的紛争」

2011年9月16日 (金)

国際条約の「ブーメラン効果」~ノルウェー対フランス

1885年から1909年にかけて、ノルウェーの政府と二つの銀行は、フランスその他の外国市場で数回にわたり公債を募集した。フランスはこれらの公債を「金約款を含んでいる」と主張したが、ノルウェーはこれを争っている。第一次大戦の勃発により、ノルウェー銀行券の兌換は停止され、その後、兌換と停止が繰り返されたが、1931年以降は回復することはなかった。フランスは1955年になって国際司法裁判所に訴えたが、ノルウェーは1946年に、フランスは1949年に裁判所規定の選択条項を受諾していたのだ。ところが、フランスの側が、この規定に対して、「本質上国内管轄に属する事項について留保する」としていたことにノルウェーは目を付けた。裁判所規定の選択条項に基づく場合、強制管轄権は両当事国の受諾宣言が一致する範囲で存在し、相互主義の見地からは、自国が留保を付していなくても、相手国の留保を援用できるとされたのだ。このことから、ノルウェーは、この紛争はノルウェーの国内裁判所で解決すべきであるとして、フランス側の「留保」を援用したのだ。このフランス側の自動的留保は「ブーメラン効果をもつもろ刃の剣」と言われているのだ。
国際法判例百選第93事件「強制的管轄受諾宣言と留保」


2011年9月 9日 (金)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェストその8

「バーレーンの民主化とアメリカ」
アメリカはアラブの春に対しては「歴史的に正しい側につく」としているが、バーレーンに対しては非常に難しい立場にある。バーレーンは国王もカリファ一族で構成されており、非公選の首相も1971年から40年にわたって世界最長の任期を誇る首相をこの一族から出している。バーレーンの重要性は、アメリカと緊密な関係にあり、地政学的に湾岸の要衝にあることから、アメリカの第五艦隊がバーレーンに駐留し、湾岸の輸送ルートを守っていることにある。この輸送ルートの安全は西側諸国のすべてに恩恵をもたらしている。しかし、王政が抑圧的であり、腐敗していることから、民衆が体制の変革を求めた。この体制の変革はサウジアラビアをも直撃しかねない。サウジアラビアは、エジプトの民主化をアメリカが支持したことさえも「裏切り」とみなしていたのだ。カリファ一族には西側諸国で教育を受けた41歳の皇太子がいるが、この皇太子が、反政府グループとの妥協を模索しているのだ。首相を公選にしたり、議会を作ったりする妥協案を提示している。そうなると、アメリカは反政府勢力との連携の可能性も分析しなければならなくなる。このことから、この皇太子の対応がどこまで本気かは「投獄中の政治犯釈放」が試金石になるとされ、アメリカは第五艦隊の移転も視野に入れて、バーレーンの行方を見守っているのだ。バーレーンの民衆も、抑圧的体制が続くのなら第五艦隊すら必要ないと考えるまでに至っている。湾岸の石油の輸送と深くかかわった問題だ。
フォーリンアフェアーズ「バーレーンの民主化とアメリカ」

「市民社会とテロとの戦い~頭のいい対応」
イスラムがテロを起こす可能性は10年前に比べて著しく減少したのは事実だ。パキスタンで活動している主要な連中よりも、今となってはハリウッドで映画を作っている連中の数の方がはるかに多い。それでも、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンでの自動車爆破未遂事件や地下鉄爆破未遂事件が大きく報道されている。平和な市民社会ほどセンセーションにこのようなものに反応し、テロリストを喜ばせている。安全すぎる社会は危ういものなのだ。危険を一定のレベルに維持する社会が一番いい。交通事故が起きたり、いろんな事故が必然的に起きるのが普通の社会だ。そういう「一定のレベルに危険を維持する」のがテロとの戦いに必要なのだ。
フォーリンアフェアーズ「市民社会と、テロ対策、情報戦」

「ボコ・ハラームへの対策は武器を使わないこと」
ナイジェリアの北部のイスラムを拠点にするテロリストグループ、ボコ・ハラームは8月26日に国連ビルに自動車を突入させて爆破させ23名を殺害した。この組織への対策に、アメリカや英国・イスラエルが動いたが、ボコ・ハラームを分析してみると、北部の貧困や腐敗を標的にしたムーヴメントであり、ブログも一週間以上更新されていない。イスラム国家の樹立を求める原理主義だが、その対策は、武器によって行うよりも、政治的・外交的手段によって行ったほうが有効であるとアメリカは考えている。そのために、西洋の科学を否定する連中にアメリカは、彼らのイスラムの伝統に根ざしつつも適切な教育を与える学校を各地につくるなどの対応を取り始めた。ナイジェリア北部にはすでに7千5百万人のイスラムがいて、これはアフリカのイスラム集団としては最大規模だ。これらの連中を力でコントロールすることはナイジェリア政府にもワシントンにも不可能だ。そのために、政治的・外交的な手法で彼らの運動の本質を分析し、危険な方向に向かわないように誘導するという対応をとっているのだ。
フォーリンアフェアーズ「ボコ・ハラームと戦うのに武器は必要ない」

「朝鮮半島の今」
朝鮮半島は今、どうなっているだろうか。韓国は経済発展が著しく、情報化、グローバリゼーション、民主化の波に乗った。そしてG-8の国以外で初めてG-20のホスト国を務めるまでに至っている。一方、北朝鮮は、核拡散の脅威であり、2010年11月には、朝鮮戦争終結以来初めて、韓国領内に軍が侵入し、軍人や民間人を殺害している。両国の動向は非常に対照的で、そのため、周辺国は、より大胆で柔軟な対応がとれるようになったと言える。この朝鮮半島の二つのライバル国家は、アジアの安全保障の主要テーマであり、周辺国もいろんな思惑をもって注視しているのだ。
フォーリンアフェアーズ「新しい朝鮮半島の地図」

「パレスチナの国連での一票と新国家の樹立」
パレスチナが今年の9月に国連で「メンバーではない国家」として国連の承認を得るという作戦に出た。これに対しては「あの地域を占領している国ではない国連を交渉相手にしてきた」と、その有効性を疑問視する声もある。オバマは1967年の休戦ラインを国境線とする主張に傾いているとされ、パレスチナの意向も同じだ。しかし、ガザ地区はパレスチナのハマスが占拠しているし、ヨルダン川西岸はパレスチナは40%しか掌握していない。ヨルダン川西岸は60%をイスラエルが制圧しているのだ。なによりも、東エルサレムの動向がシオニズムの問題から重要な争点となる。すべての地域を制圧していないのに独立を宣言すると、いつイスラエルの侵略が起きるか分からない。この地域は、中東の問題でもあり、世界の問題でもある。この地域をめぐって中東が動き、世界が動く。そういう地域で不安定な決着はつけられないのが現状なのだ。
フォーリンアフェアーズ「国連の票とパレスチナの新国家」

「ヨーロッパにとってのパレスチナ問題」
イスラエルとパレスチナの紛争に関しては、2009年にオバマがカイロでのスピーチで解決に向けて動くと宣言したが、オバマは1967年の停戦ラインを国境とするとしたことで、イスラエルはこれに激怒し、パレスチナは「オバマのせいで交渉は止まった」と判断している。今、アラブの連中は、事態を動かせるのはヨーロッパだけだと考えている。フランスやスペインの外相の動きに注目しているのだ。中東問題はヨーロッパの安全保障ともかかわっていることから、今はこの紛争の解決のキーはアメリカにはなくヨーロッパにしかないというのが、オバマの「1967年の停戦ライン」という発言のもたらした関係国の反応だったのだ。
フォーリンアフェアーズ「ヨーロッパにとってのパレスチナ問題」





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2011年9月 7日 (水)

精神病院を刑務所代わりに利用された時の対抗手段

この国の技術調査をいろいろとやったのだが、携帯電話、ビデオカメラ、任天堂3DSなどの技術をどう用いても、「診察室で極秘で録音して、その場で閉鎖病棟にぶち込まれた場合に、どのような技術を使っても、YouTubeやブログへの情報アップは不可能」ということが分かった。精神病院のパソコンさえネット環境をなくせば患者は何もできない。一度家に帰ってパソコン処理をするか、退院した後までデータをとっておいて「報復」するかしないと、とにかく「ネット環境のあるパソコン」以外に、精神病院の内情を外部に伝える手段はない。携帯のICレコーダーもネットでの公表はできない仕組みだ。3DSもYouTubeはできない仕組みだ。どんなにブログが人気があっても、YouTubeで名前が知られていても、診察→閉鎖病棟行き、だけは告発できない。データをとっておいて退院するまで待つ以外にない。その間に、病院側は徹底的に証拠隠滅ができる。それが、日本のあらゆる先端技術の最低限守っているラインなのだ。唯一できるのが「電話」だ。厚生労働省試験免許室の赤熊さん、医事課長の村田さんなどの名前を憶えて電話する以外に対抗手段はない。これが、今日一日のシミュレーションの結論だ。日本の技術は優れている。しかし、「何を撮影してはいけないのか」「どこに公表してはいけないのか」という観点から技術に制限がかけられている。それは、「診察」→「強制入院」のプロセスなのだ。
なお、調査したところ、YouTubeの自分のアカウントの「設定」を押すと「モバイル設定」という項目がある。ここに、メールアドレスが書いてあるのだ。これが何を意味するかは重大だ。携帯電話で「15秒」の動画を撮影して、このアドレス宛てのメールに添付すれば、YouTubeに15秒間だけ動画をあげることが可能なのだ。つまり、精神病院にぶち込まれても、外部に味方がいれば、自分の携帯電話のカメラが「院内の状況を目撃する目」となるのだ。これは、現在は15秒限定だ。精神病院側は、少なくとも「個室においては携帯は禁止しない」と俺に言ったことがあり、大部屋ならば「窃盗などがあったら責任が取れない」という立場だ。精神病院は刑務所ではないが、「窃盗」「破損」などの違法行為を絡ませなければ、健常者をもはや内部に抱え込むことはできない時代なのだ。家庭の事情を精神病院で解決されそうになったら知っておいた方がいい。
補足)結局、精神病院には「携帯」「小型撮影機」「政官要覧」という軽装備で行ってもいいのだ。また、技術面では"iPod touch"が動画のアップロードができるそうだし、"iPad"の機能はもはや周知だろう。しかし、私は残念ながらこれらの機械を検証するだけの予算がなく、これらの道具があればもしかしたら「盤石」なのかもしれません。
なお、私はスマホは持っていないのですが、auショップで確認したところ、スマホの動画撮影はmicroSDの容量がある限りエンドレスに撮影可能だそうです。それならばスマホを持っている人を閉鎖病棟には抱え込むことはまず無理であるということになります。

2011年9月 5日 (月)

芸術の「独創性」について

カントは「ファインアートは天才がつくるものだ」としたが、「オリジナリティ(独創性)」に関しては、シブレイは「今の時代においては価値の一つの判断要素となっているに過ぎない」としているようだ。
絵画の評論に関しては、その感受性やたくみな表現力でその深度を深めたのはモンロー・ビアズリー(Monroe Beardsley)だとされる。評論の手法に関してはシブレイの本の第八章に書かれている。ビアズリーは、評論をするうえで3つの観点の重要性を指摘した。「作品の統一性」「複雑性」「その業界の価値が凝縮されていること」この3つを常に頭に入れていたとされる。
シブレイはこれに対して「ドラマティックさの凝縮」も存在するのではないかとした。たとえ単純なモチーフを描いたとしても、その業界での「誠実さ」「良心」「幅広い見識」を示すことは「ドラマティックさの凝縮」であり、なにも歴史的瞬間などを描くことのみを意味するのではないとしたのだ。
「それでもモナリザは独創的だ」
シブレイの「モナリザ論」を簡単に書きたいと思う。作品というのは、やはり誰が書いたか、いつの時代か、どういう背景があったか、を論じなければならないという視点が重要だ。モナリザはいろんな意味で時代に新しいものをもたらしている。色の配置や奥行、形、ラインだけでなく、背景にはダヴィンチの修練や技術が詰まっているのだ。たとえば、彼は、ブラシやパレットナイフというものをこの作品で絵画の世界に持ち込んでいる。そういう歴史的意義を研究するからこそ、模写とはエックス線を使ってまで区別しなければならないとするのだ。
芸術的評価というのは非常に面白いのです。ベニスの商人で有名な「シャイロックのセリフ」というのがありますね。「肉を何ポンド」がどうこうという。あれはなぜ歴史に残るセリフになったのでしょうか。答えは「あれほど憎しみの込められたセリフはいまだかつて表現されたことはない」と当時の人々に受け止められたからです。
私の学生時代の民法の先生、米倉明もその本質はご理解されていませんでした。一部の知識人だけが理解していたのです。
ピカソのキュービズムにせよ、印象派にせよ、いろんな画風はありましたが、「12トーンシステム」に支配されていたとされています。つまり、12トーンの絵の具しかなかったということなのです。それを混ぜ合わせることはできますが、分類としては「12トーンシステム」と呼ばれていたのです。
現代の画像処理技術はどうなんでしょうね。ご存知の方がいらしたら教えてもらいたいですね。
クラシック音楽というのも、作曲家は昔の人ばかりですね。なぜ現代にベートーベンに匹敵する作曲家は現れないのでしょうか。基本的な構図は「ハイドン・ベートーベン・ストラビンスキー・バルトーク」という「ハイドンカルテットと83人の後継者」が室内音楽の楽曲を作っています。当時の国家レベルの資金を投入してこれらの作曲家が音楽を作り上げたのです。そのため、「室内音楽において、同じ環境ならば、もはやこれ以上の作品は生まれない」と呼ばれる世界がクラシック音楽なのです。おカネの問題になってしまいます。

フランク・シブレイ「美へのアプローチ」


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2011年9月 2日 (金)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェストその7

「リビアと人道的介入の将来」
リビアにおいては、カダフィが統治権を失い、まさにオバマ政権の外交的大勝利に終わった。背景には、ロシアや中国があまりリビアと利害関係をもっていなかったことや、他のアラブ諸国も自国に体制不安を抱えていたことなどから、アメリカやNATO、国連が非常に活動しやすかったことがあり、また、スーダンと異なり、リビアは地政学的にも攻撃しやすく、人口が640万人と少なかったことなども挙げられる。しかし、このリビアへのアメリカの介入は「人道的介入」と位置付けられるが、当然、リビア国内での残虐行為を念頭に置いているわけである。どのような理由でアメリカはリビアに介入したのかの説明は意外と難しい。ソマリアでは飢饉で320万人が亡くなるとされているのに、なぜアメリカは動かないのだろうか。これは、政治的複雑性が異なっていたりして、結局「コストに見合わない」などの理由で説明するしかない。今回のオバマの大勝利とは裏腹に、将来もこの「人道的介入」が何度も繰り返されることは想定されていない。それほど、国際法上の正当化が難しい軍事行動なのだ。
フォーリンアフェアーズ「リビアと人道的介入の将来」

「アルカイダ~アッティヤの死」
ビンラディンが死んで、後継者はザワヒリだとされているが、アメリカはアッティヤの殺害に成功したことを重視している。アッティヤは、9・11テロ後の十周年に再び何かの成果を残そうという手紙をビンラディンに出していたことをアメリカがつかんでおり、その動向を注視していた。アッティヤは戦術家としていろんなことを学習していた。アルジェリアでは村を焼き払ったが、そのような行為は、恐怖を引き起こすけれども、同時に強烈な憎しみにさらされることを知った。また、イランが必ずしもイスラムのみに立脚するものではなく、機会主義的で、プラグマティズムにもとづいて行動していることも学習していた。この戦術家の殺害に成功したことは、アルカイダにとってどんな意味を持つだろうか。ザワヒリに「次はお前の番だ」というメッセージを送ることになり、また、アルカイダの戦術の弱体化ももはや免れないのだ。
フォーリンアフェアーズ「アルカイダ~アッティヤの死」

「リビアに民主的な選挙が根付くまで」
カダフィが政権を追われても、いまだに武装した連中が対峙しているのがリビアの現状だ。国連は、選挙までに18か月間は必要と見ている。第二次大戦後に、選挙を急いだ国ほどそのあとに内戦が起きていることに学んでいるのだ。対抗勢力のどちらかが武力ですでに敗北していれば内戦の可能性は半分になるが、しかし、選挙監視団が結論を急ぎすぎると60%の可能性で失敗すると言われている。また、地方分権と自治が進んでいれば、内戦の可能性は五分の一にまで減る。要は、リビアに市民社会を根付かせることが大事であり、カダフィが残した官僚機構と、石油による富を活用しながら、腐敗をなくすことが必要だ。国連は、憲法をつくるのに6~9か月は必要としており、さらに選挙に関するルールを決めるのにさらに6か月は見ている。最終的には選挙をやらなければならないが、その前提やタイミングを間違えると、再び内戦が起きてしまうということはすでに国連がデータとして学習しているのだ。
フォーリンアフェアーズ「リビアに民主的な選挙が根付くまで」

「ボコ・ハラーム~ナイジェリアのテロ集団」
ボコ・ハラームとは、ナイジェリアのイスラムセクトで、警察や政治家、他のセクトを2009年以降、暴力的に攻撃し始めた集団だ。ナイジェリアは北部にイスラムが住み、南部にキリスト教徒が住む。経済格差は大きく、北部の貧困は南部に比べて極度に悪い。政治的には、イスラムのエリートがナイジェリアデルタの石油利権を背景に地域振興を図ることで基盤を固めている。大統領はイスラムとキリスト教徒で交互にローテーションしているが、現在はキリスト教徒のジョナサンが大統領をやっている。ボコ・ハラームは、モハマド・ユースフが2002年に結成している。14世紀の思想家イブン・タミーヤの急進的な思想に影響を受け、進化論の否定や、銀行というシステムを認めないなどの特徴があるとされる。警察や政治の腐敗を徹底攻撃し、北部の学生や専門職の人、さらにはナイジェリアのエリートにも食い込んでいると言われている。警察を敵視し、バイクでヘルメットをかぶらないなどの反抗手段をとることが知られているが、司法に敵視され、800人が殺されて、ユースフの義理の父まで殺されたことから、組織は攻撃性を強めてしまった。腐敗や貧困が背景にあるだけにボコ・ハラームは混乱したナイジェリアでも「テロの温床」としてアルカイダともつながりを深めている。ナイジェリアはアフリカでもっとも人口の多い国で、1億5千万人が住み、350の民族がいて、250の言語が使用されている。南部のキリスト教徒と北部のイスラムの衝突だけでも1999年以降1万4千人が死亡している。しかし、ボコ・ハラームは、キリスト教徒よりもイスラム教徒を多く殺しているのだ。「国家の水準の向上」というスローガンは一致しているが、主張は必ずしも統一されておらず、政策も具体性を欠き、宗教色が強い。急進的なイスラムということだ。2011年に国連事務所を爆破し、国際社会はこの組織の危険性を認識した。ナイジェリアの混乱がボコ・ハラームを生み出し、国際社会が認識するに至ったのだ。
フォーリンアフェアーズ「ボコ・ハラーム」

「アフガニスタン侵略、今と昔」
アフガニスタンを侵略した国はことごとく失敗するという伝説がある。その原因を「アフガニスタンにおける戦争」という本で明らかにしたのがピーター・トムセン氏だった。この国は非常にローカルな地域の独特な風習をもち、中央集権国家を嫌う国だ。国家として統合されておらず、無秩序な状態だ。トムセンは1989~92年の反ソビエトジハードにワシントンから派遣された経験を持つ。すべての国から押し付けられたイデオロギーにこの国は抵抗するとされ、大胆な政治的変革や、この国の文化や風習を理解しない侵略は失敗するとトムセンは言う。極度に分権化され、暴力よりもコンセンサスが重視され、部族や身内だけを大事にするこの国では、国家と呼べる仕組みができたのは20世紀になってからなのだ。カブールはしかし、全土を掌握しているとは言えない。そんな国に、ラムズフェルドは「欲しくはない国」であるアフガニスタンを侵略している。アフガニスタンの3000年の歴史を振り返ってみよう。ギリシャ・ローマ・匈奴・モンゴル・ムガール・ペルシャ・トルコなどが侵略したが、最初は強大な力で制圧しても、来た時よりも多くのものを失って帰っていくというパターンをすべての国が繰り返している。唯一、1939年の英国が、インドとソビエトの緩衝地帯として傀儡政権を立てるという作戦をとったことがある。この時ですら、16000人で訪れた英国軍は、1942年の内戦で「生還者一名」という結果に終わっている。英国はアフガニスタンで同じことを三度繰り返した。1979年のソビエトのアフガニスタン侵攻においても、最初は歓喜の声が上がったが、マルクスレーニン主義がこの国で反発を受けた。アフガニスタンには「プロレタリアート」と呼べる人がいないとされていた。ソ連は絨毯爆撃を繰り返したりした。モスクワは統治の失敗を悟り、傀儡政権を立てたが、ことごとく裏切りが続いた。クリントン政権は、アフガニスタンに関心がなく、「何か起きたら対応する」という政策をとった。アメリカのアフガニスタン政策の失敗は「パキスタンに頼りすぎる」ことにもあるとされる。世界で五番目に核兵器技術が豊富なパキスタンはCIAも利用しやすいが、テロの温床ともなってしまうのだ。パキスタンのカイバル峠とスピンボルダックしかアフガニスタンに入る道はないとも言われ、パキスタンがこれをうまく活用している。このようなアフガニスタンを周辺国がうまく統治する可能性があるとすれば、アフガニスタン内部に「正直で有効な」統治機構が必要とされ、「常識」という当たり前のことがまかりとおらなければならないとされる。そういうレベルから国家をまとめていかなければならないのが現状なのだ。
フォーリンアフェアーズ「アフガニスタン侵略、今と昔」

「アフガニスタン~その地をならす戦争」
第二次世界大戦においては、60%のアメリカ人が週に一度、映画館に足を運び、戦争映画を堪能し、これが戦意発揚の効果を上げた。ベトナム戦争のときはテレビが普及し、各局が「血が流れたのなら報道する」という姿勢をとったため、6万人の死者を出したベトナム戦争は「不人気の戦争」となった。今のペンタゴンは、「ジャーナリストは兵士と行動を共にさせる」という方針をとり、兵士は「プロデューサーでもある」と自負して、戦闘シーンを撮影させているのだ。このようにして撮影された戦闘シーンがインターネットに流れ、デンマークの兵士が、タリバン兵を殺害し「冷静さが勝敗を分けた」と親指を立てて語ったシーンに平和に暮らしている本国の世論は激高した。今のアフガニスタンでの戦闘では「英雄になる将軍」はいないとされ、上官も下士官も同じ危険に身をさらしている。「攻撃されたら反撃するだけ」というポリシーのもとに、基本的に、この地域を豊かにすることが味方を増やす、と考えているのだ。その意思をその地域の住民に複雑な言語で翻訳して伝えているのだが、地域の住民は「タリバンについて語ったらのどを切られる」と考えているのだ。アメリカ兵は「アフガニスタンを豊かにするという方針を伝えるのは構わないが、現地住民と行動を共にしてはいけない」ということも学習している。武器や軍事技術ではアメリカは明らかに他を圧倒する技術をもっている。そのため、アフガニスタンにはもはや「テロリストの聖域」はないとされ、パキスタンでタリバンやアルカイダはアフガニスタンの戦争をコントロールしている。ベトナム戦争では8万人のベトコンがいたので、アメリカは一般市民まで殺したが、今は「攻撃されたら反撃する」という政策を明確にするだけの力をアメリカは持っている。しかし、アフガニスタンの地域住民を味方につけるだけの知識がないのだ。お金だけでは解決しない。その地を知り尽くしているタリバンには資金力だけでは勝てない。ゲーツ国防長官は「アフガニスタンほど困難な戦術を求められる地はなく、今後のアメリカのアジア・アフリカ・中東での米軍の展開を考えるうえでは、この教訓を知らない人間には戦術を立てることは不可能」とまで言わせている。
フォーリンアフェアーズ「その地をならす戦争」

「グローバリゼーションと失業」
グローバリゼーションは、市場が一つになることだが、輸送や通信のコストが安くなったことや、人間が作り出す「壁」が低くなったことなどが背景にある。輸入製品の価格が安くなることは輸出国と輸入国の双方に利益になる。しかし、経済発展はその国の構造まで変えてしまう。世界の人口の40%を占める中国とインドが世界の労働市場の構造を決めてしまうとも言われる。これらの国は、今後は何らかの付加価値を付けた製品を売ろうとしている。30年前までは先進国の特権だったものだ。インドと中国の労働市場や雇用形態の考察抜きには、日本の雇用を語ることはできないのだ。
フォーリンアフェアーズ「グローバリゼーションと失業」





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