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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2011年8月

2011年8月23日 (火)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェストその6

「インドの腐敗問題」
インドのニューデリーで15日間にわたる市民集会が開かれている。猛暑の中で雨が降ったり、高い湿度の中で行われているのだ。背景には、政府の腐敗への批判がある。現在、インド議会は腐敗防止法案を審議しているが、一般の公務員を対象としたもので、これでは不十分であるという人々が集会に参加している。リーダーのハザレ氏は、先日まで政治犯として拘束されていたが、市民運動の高まりに圧される形で保釈を命じられた。しかし、ハザレはこの時、インド政府に市民集会への参加を認めさせている。ポリシーはガンジーの「非暴力不服従」だとされる。インドは民主主義国家であり、野党も存在する。野党とハザレ氏がどのように協力するかは不明だとされる。インドの近年の経済発展で、ビジネスにおける許認可権をめぐる汚職は確実に減っていたのだ。しかし、争点となったのが、インドの携帯電話会社が政府の特権を利用して同業他社を排除する価格設定をしたことや、1999年の印パ戦争の未亡人向けの高級住宅地を警察官に提供したりとか、あとは現場の警察官の間で横行している賄賂などがやり玉に挙げられた。もっと腐敗している国はあるだろうが、インド市民は、英国からの独立をした時に匹敵する第二の革命と呼んで運動しているのだ。問題は、腐敗防止法案の行方であり、これに政府が妥協するのかが争点となっている。また、この集会が必ずしも政権交代には結びつかない構図もあるとされる。現在の野党も政権をとっていた時期があり、必ずしも腐敗防止を積極的に掲げられる立場ではないのだ。
フォーリンアフェアーズ「インドの腐敗問題」

「デイヴィット・キャメロンとロンドンの暴動」
イギリスの暴動は5人の死者と、数百万ドルの損害をイギリスにもたらした。背景には、成立して一年半になるキャメロン政権の政策があるのは明らかだ。キャメロン政権は、自治を求める民衆に「大きな社会」という政策を打ち出して選挙に勝ったが、過半数には至らず、自由民主党との戦後初めての連立政権を組んだ。この「大きな社会」とは、隣人同士が助け合うことで、政府の予算の大幅削減を試みるものだった。キャメロンは警察官を1万6千人削減している。キャメロン政権はすぐには崩壊しないだろうが、数か月後にはかなり厳しい局面を迎えるとされている。自由民主党とは政策が異なる部分があり、個人主義に立脚する自由民主党も、昨年の地方選挙の成果が芳しくなかったことから、今すぐ下野することは考えにくい。暴動が起きた時に、警察は「個別の犯罪として検挙するのではなく、騒乱罪として扱う」と声明を出したことから、一気にロンドンは無法地帯と化した。キャメロンがロンドンに投入した警察官がまさに1万6千人だったのは皮肉だ。自由民主党は、暴動に参加してスーパーから飲料水を盗んだ学生を懲役刑に処したことなどを、「公正な司法ではない」と批判している。また、キャメロンは、貧困や福祉政策などが暴動の理由ではなく、各自のモラルの問題だ、と発言し、現状認識への批判の声が上がった。キャメロンは、地球温暖化の調査に北極を訪れるなど熱心な部分もあるのだが、内政問題に関しては、財源の制約もあり、予算削減という政策がこのような結果をもたらすことは、今後の日本にとっても貴重なデータとなるのは間違いない。隣人同士の助け合いというスローガンだけでは人間は動かないのだ。
フォーリンアフェアーズ「デイビッド・キャメロンとロンドンの暴動」

「9・11テロ回顧」
9・11テロがアメリカの外交政策のすべてを変えたと言われているが、10年経過して振り返ってみると、アメリカの覇権主義・単一性の志向・民主主義・自由市場の追求という文脈においては、単なる歴史の一ページに過ぎなかったのではないかとも言われるようになっている。では、9・11以前のアメリカの外交政策はいったいどのようなものだっただろうか。アメリカは「中国とロシア」を念頭に行動していた。そのうえで、中東政策をどのようにこの二つの国と絡めるのか、つまり、ミサイル防衛システムの構築が中東と密接に関わっていたのだ。さらには、イラン・イラク・リビア・北朝鮮などの「ならず者国家」との付き合い方も判断要素となっていた。バグダッドの「飛行禁止区域」で、米軍機が撃ち落されたらどう対応するのかなどを熱心に研究していたのだ。
国家安全保障委員会のリチャード・クラークはテロの危険性に警鐘を鳴らした人物だったし、CIA長官のジョージ・テネットも「事態は危険水域を超えた」と発言していたが、パウエル国務長官も、ラムズフェルド国防長官も、ライス補佐官も、さらにはブッシュ大統領もこのようなテロの危険性は認識していなかったのが真実だった。「オサマ・ビンラディンには誰も興味がなかった」のが真相だ。そういう意味では、たとえオバマもブッシュの外交方針の文脈に位置づけられるとしても、9・11テロの意味は動かしようがないと言える。
フォーリンアフェアーズ「9・11テロ回顧」

「避けることのできないスーパーパワー」
中国は超大国としてアメリカにとって代わるのだろうか? GDPや貿易収支、国家としての力量から考えれば答えはイエスだ。アメリカが考えている以上に、中国は巨大で、発展は速い。債権者は債務者に対しては独裁者のようにふるまう。債務を負った国家は今まではIMFを頼っていた。しかし、90年代のアジア通貨危機に対して、カンター通商代表は「脂ののったお肉」と呼んだ。なぜなら、アジア市場が一気にアメリカに開かれたからだ。1956年のスエズ危機では、イギリスがスエズ運河を制圧したが、アメリカが資金を大量にイギリスに流して撤退させた。このとき、イギリスは「我が国の覇権はこれで終わった。アメリカは200年後にこの屈辱を味わうだろう」と言った。アメリカは、自分たちはまだ発展すると考えており、中国をとりわけ傑出しているとは考えていない。また、中国は多くの問題を抱えすぎているとしている。いずれは、国際社会で役割を共有しなければならないだろうが、運転席まで奪われるとは誰も考えていないのが現状なのだ。
フォーリンアフェアーズ「避けることのできないスーパーパワー」

「カダフィ後のリビアの国家建設」
カダフィの没落が目の前に来ている。アメリカや同盟国は、リビアの国家建設にどのくらいの力が求められるだろうか。ボスニアやコソボ・イラク・アフガニスタンと比較してみよう。その際に、どのくらいの大きさをもった国なのか、どのくらいの富をもっているのか、どのような人種構成か、地政学的な分析、政治的な成熟などを視野に入れるのだ。国家建設というのは非常にエネルギーを集中させる作業だ。リビアはコソボやボスニアに比べれば2~3倍の大きな国であるが、イラクやアフガニスタンの三分の一程度だ。だいたい90年代のバルカン地方に注入したエネルギー程度であり、9・11テロ後の処理よりは時間や費用がかかる困難さだと言える。リビアは比較的豊かな国なのでこれらの国よりは経済の回復は速いだろう。また、言語もベルベル語を話すマイノリティーが1割ほどいて、西部や南部で自治を確立している。カダフィはこの国を「分割と支配」という手法で統治していたのだ。ボスニアやコソボ、アフガニスタンとの大きな違いは、国境で接する敵対的な国が存在しないということだ。これは大変有利に作用する。また、リビアはアラブ国家である以上、アラブの秩序にしたがった国家建設が求められる。西側諸国の軍事介入も空からの攻撃にとどまっており、ゲリラ戦などを展開しなくて済む。しかし、イタリアの戦前の支配から、立憲主義を経て、カダフィの独裁体制に入っており、政治的に成熟していないという点が問題だろう。東西に分かれてしまった軍事力・警察力を一つにする努力も必要だ。これらの事情を考えてみても、やはり民主主義を根付かせるには思ったよりは難しいことは覚悟する必要はある。
フォーリンアフェアーズ「カダフィ後のリビアの国家建設」

「アルカイダの窮地」
アラブの春は、独裁者が支配する国々に「イスラム国家」を樹立するチャンスを与えた。これはまさにアルカイダの悲願だったはずだ。かんがえてみれば、ソ連崩壊の時もこのチャンスはあった。しかし、アメリカがサダム・フセイン包囲網をアラブ諸国に敷いて、この地域に影響力を確立してしまったためその願いはかなわなかった。今回の、アラブの春ではイスラム国家の樹立がなされる可能性がある。しかし、事態はアルカイダの思惑とは異なる方向に向かった。政治参加をしたいイスラムのグループは、「爆弾より票を用いる」手法で国家を統治したいと考えているのだ。そうでなければアメリカの理解は得られない。たとえ、イスラム国家樹立という念願がかなったとしても、アメリカの影響力排除までは進まないのがこの地域の国家統治なのだ。
フォーリンアフェアーズ「アルカイダの窮地」

「イランはどうやってアサドの地位を守るか」
シリアのアサドが民衆の暴動に遭遇している。しかし、アサドの地位は、チュニジアやエジプト、リビアの指導者とは状況が異なるのだ。イランが、シリアを「アメリカとイスラエルからイランを守る最前線基地」と位置付けているからだ。そのために、イランは「イスラムを標榜し、民衆の支持があり、反米的運動ならあらゆる勢力を支持する」としながらも、シリアの民衆を「アメリカが、イラン・シリア・ヒズボラのラインを破壊しようとしている」として一切資金は流していない。それどころか、E-Mailや携帯電話などを監視するシステムをアサドに提供している。この「社会監視システム」の技術はイランが世界最高峰だとされ、中国よりも技術は上回っている。また、イランは、シリアの民衆に好意的な発言をしたヒズボラへの資金を止めたりもした。あらゆる手段を使って「アメリカとイスラエルからイランを守る最前線」を守ろうとしているのだ。もし、アサドが権力の地位を失い、シリアに新政権ができたら、イランはためらうことなく新政権とも良好な関係を築こうとするとされる。それほど重要な地域なのだ。
フォーリンアフェアーズ「イランはどうやってアサドの地位を守るのか」





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2011年8月19日 (金)

諸外国の時間


2011年8月17日 (水)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェストその5

「アメリカの軍資金の調達方法」
オバマが現在、執務時間の多くを米国債の問題に割いているとされるが、これはアメリカが戦争の資金をどこから出しているかの歴史と深くかかわっている。アフガニスタンとイラクでの戦争ではすでに1670億ドルを費やしており、これは退役軍人の年金を除いた金額だ。最終的には3兆ドルにものぼるとされている。これらの資金をアメリカが国債により調達していたことが大きな問題だ。歴史を通してみると、アメリカの戦争の歴史は税金の歴史だったのだ。1812年の米英戦争で、関税の値上げと固定資産税を導入し、南北戦争では所得税を導入した。また、この時に北軍は3%の消費税を課している。1898年の米西戦争では、土地家屋税と電話税を課している。第一次大戦では、かつてない規模の戦争になったため、320億ドルを費やしている。このときに、所得税の大幅拡張と、相続税、法人税を課している。第二次世界大戦ではまさに総力戦となった。2000億ドルを費やしている。軍事予算はGDPの37%を占め、歳出の90%を占めた。必死だったのはアメリカも同じだった。朝鮮戦争の時に、ホワイトハウス報道官のサム・レイバーンが「戦地に赴いている我が息子たちが、戦場から帰ってきたときに戦費を払うのが国債という仕組みだ」とこの制度を批判し、アメリカの総意となっている。9・11テロが起きるまでは、アメリカは戦費調達は税金で行ってきたのであり、国債による調達を始めたのはアフガン・イラクでの戦争からである。
オバマが現在、どんな問題に頭を悩ませているのかを端的に示している。
フォーリンアフェアーズ「戦費の調達」

「アメリカの歳出削減の世界への影響」
オバマは8月2日に議会との話し合いで財政赤字のコントロールに関する署名を行っている。10年間で1兆ドルの歳出削減を行い、その中での軍事予算は3500億ドルを占める。これがアメリカの外交政策に影響を与え、アメリカの世界への影響力の限界を設定するのは明らかだ。歳月は何を変えたのだろうか。数年前から「アメリカはすでに自分たちの領域の限界を越えているのではないか」という指摘はあった。今後10年間でアメリカの諸外国へ与える影響力は低下するのは間違いない。アメリカには社会保障制度や医療制度への資金も必要なのだ。アメリカが、冷戦時代や9・11テロ後の軍事予算の支出を「感情」に依存していたのは間違いない。実際の危険以上のおカネを使っている。さらに、どの政治ファクターも国防総省に好意的ではなく、優先順位を上位には位置づけていない。ティーパーティーというのがあったが、あれは「小さな政府の実現と軍事予算の削減」を主張したものだ。それでもアメリカは冷戦後に、ハイチ・コソボ・ボスニア・アフガニスタン・イラクなどに戦線を広げていた。アメリカのドルはいまだに世界の基軸通貨であり、世界で最も豊かでオープンな市場をもっている。また、アメリカ海軍は「太平洋」「大西洋」という二つの大きな航路の安全を守っているのだ。ペルシャ湾の石油の輸送も守っている。アメリカが世界の安全に果たす役割は果てしなく大きく、それが現在「財源」という問題にさらされているのだ。
フォーリンアフェアーズ「アメリカの歳出削減」

「ロンドンの暴動」
1981年にサッチャー政権は、新自由主義の政策が貧困層に不満をもたらすのを感じ、警察力の強化へと資金を流し、人員を増やしている。これがロンドンのブリクストンやリバプールのみに暴動がとどまった背景にあった。今のキャメロン政権は「大きな社会」という政策を掲げ、警察・軍事まで予算を削減してしまったため、暴動が止められなかったという構図がある。アメリカはイギリス各地に飛び火した暴動を「ブリクストンの子供たち」とキャメロンの政策の失敗を皮肉っている。1981年にはダイアナ妃のロイヤルウエディングがあり、翌年にはフォークランド紛争があった。今は、ウィリアム王子のウェディングがあり、アフガニスタン戦争がある。いろんな意味で「ブリクストンの子供たち」は当時と比較される存在なのだ。
フォーリンアフェアーズ「ブリクストンの息子」

「経済格差とどう向き合うか」
グローバル化を迎えた今日では「経済格差」という問題が最重要テーマとして国際社会で共有されている。これはなぜだろうか。昔だって経済格差はあった。しかし、古くは「隣町の事情すら知らない」という情報の問題から、この問題はクローズアップされなかったし、産業革命以降は、資本主義のメンタリティーとして「成金が散財してくれる」という発想が根付いていて経済格差はあまり標的にはならなかった。今では、優れたテニスプレーヤーがスーパープレイを見せることで人々に富への納得を得たり、また、上の人たちはどんな暮らしをしているのだろうと情報を公にすることでむしろ庶民の夢をかきたてている。アメリカも、チュニジアやエジプトと同じぐらい格差はあるのだ。研究から明らかになっているのは、「汚職や腐敗」「失業」が人々の格差への怒りに火をつけるとされている。国際社会がチュニジアやエジプトから学んだのは「いかに平等にするか」「いかに失業率を下げるか」「いかに腐敗や汚職をなくすか」の三つなのだ。これを忘れた国は民衆が暴徒と化すことを忘れてはならない。
フォーリンアフェアーズ「経済格差と不満」

「デリーからの手紙」
インドの中心部の町並みは汚い。ビルのわきにはゴミが積みあがっている。さて、ここで、子供が空き瓶を三本集めたらバスに乗れるお金に換えられるという仕組みがあるとしよう。これがまさにインドのリサイクル産業の根本の発想だ。しかし、インドのゴミのリサイクル産業はあくまでも非公認のものなのだ。政府が本格的に推進しているものではない。世界ではリサイクル産業は4110億ドル産業だが、インドにはまさにこの分野で発展の可能性があるのだ。消費者向けの製品や、建築資材、紙などをより安価に提供でき、読み終えた新聞紙すら海外に輸出できる。インドや中国で特にゴミのリサイクル産業の発展の可能性がある。しかし、ゴミのリサイクル産業の現場は基本的に「汚い仕事」なのだ。働いている人の健康を害することもあるし、職場は悪臭や汚れがひどい。人権問題にも発展しかねない。こうした、発展の可能性のあるビジネスにともなうあらゆる問題を解決するには、こうしたビジネスを公的機関が積極的に支えなければならないと思われる。そうすれば、高い機械の導入も可能になるし、働いている人の職場環境も向上する。インドのグジャラート地方の港には船の解体作業所があるが、インド政府はこれを認めていない。もしここが公的に発展すれば日本ですらそこを利用するだろうとされている。現に日本政府もその方向で働きかけているのだ。この業界の安定化と環境問題をクリアーするためには、時間とお金と忍耐強さが必要なのだ。
フォーリンアフェアーズ「デリーからの手紙」

「オバマのダマスカスにおける選択肢」
シリアのアサドが民衆の暴動を暴力によって制圧している。このことが、トルコ・イラン・アメリカの関係を非常に複雑にした。オバマはこの地域のキーファクターをトルコのエルドガンだと考え、トルコと緊密に連携した。トルコは、アラブの春での民主化を支持して影響力を強めていたのだ。トルコは、しかし、「アサドは友人である」とし、体制を維持したままの改革を支持していた。ヒラリー国務長官は「アサドはすでに正統性を失っている」と発言したり「体制を維持したままの改革をすべきだ」などと態度を変えるしかなかった。トルコの中東政策は「問題のない中東」というものだった。それでありながら、シリア・イランとの緊密な関係を維持し、また、アメリカの仲介役を果たして影響力を強めようとしていた。しかし、トルコが、果たしてシリアの民衆と仲良くやれるのだろうかという問題があり、むしろ、シリアのアサドが退いたら「問題のない中東」ではなくなってしまう。また、アメリカが「シリアにおける暴動での死者」を最も批判しており、アメリカの意向にしたがうとイランがトルコに怒りを感じてしまうのだ。トルコはイランとの緊密な関係は生命線だ。アンカラ・テヘラン・ワシントンのトライアングルは非常に複雑化した。両立できないものが存在してしまったのだ。情報機関もかなり複雑に介入したが、結局、オバマはトルコを過大評価しすぎたことになった。この地域の強烈な力はトルコにはなかった。アメリカだけが何らかの対応を取れる国だったのだ。
フォーリンアフェアーズ「オバマのダマスカスへのオプション」

「リビアの反乱軍は持ちこたえられるか」
リビアのカダフィがトリポリにいまだ存在し、忠誠を誓う者たちはいるが、確実に資金力を失って行っている。しかし、反乱軍もベンガジで6か月間対峙している。オバマは何らかの軍事行動をとる条件に、財政的な理由から「数日間だ。数週間ではダメだ」と言っている。反乱軍はあまりにも長い時間をかけすぎたのだ。彼らの不利な点は法制度が整っていないことだ。今、リビアに必要なのは、将来の展望を示せる政権であることと、指導者としての人物像を示せる人だ。そもそも、カダフィ政権の強権的手法から反乱が起きているのだからもとの体制に戻ることはおそらくないだろう。しかし、トリポリの統治下にある地域の人たちは、新政権の法制度が不透明なため、自分たちの財産が保障されないという不安をもっている。反乱軍の指導者ですでに暗殺されたものがおり、先日葬儀が行われた。新政権でも指導的立場に立つのは部族間での思惑から命がかかることになる。シナリオとしては、カダフィやその側近を国外に逃がして、新政権で統一することだろうが、これは、革命での勝利であるものの、旧体制派との共存という事実上の敗北を意味する。中立派や周辺国の動向という予測不能な事態を待ちながら、双方ともに力を落として行っているのが今のリビア情勢なのだ。
フォーリンアフェアーズ「反乱軍は持ちこたえられるか」

「EUの政治的統合のジレンマ」
ドイツのメルケルと、フランスのサルコジがユーロゾーンサミットで、イタリアとスペインの国債問題について話し合った。そこでは、ヨーロッパ中央銀行が公債を発行できるようにしたらどうかということが話し合われた。EUは現在、二つの選択肢が求められている。「政治的統合をさらに強化するか」という選択肢と、「12年かけて構築した統合通貨を解消するか」という選択肢だ。イタリアとスペインの財政問題は、今までの対応とは規模が異なる。大事なのは、一番経済力が強いとされるドイツがヨーロッパ中央銀行を辛抱強く支え続けることと、マーケットの投資家のマインドが債券市場から離れないように気を付けることだとされる。ドイツがカギを握っているのだ。イタリアは緊縮財政を政策として打ち出したが、この国はそもそも構造改革が求められていて、競争力を強化しなければならない。雇用の柔軟性がないことなどが指摘されている。スペインも国内の金融不安を解消しなければならず、今までの対策で十分とは言えない。いずれにせよ、イタリアとスペインがEUやIMFに助けを求めてきたら、外部から明確な改革案を提示することにならざるを得ない。
フォーリンアフェアーズ「EUの政治的統合のジレンマ」

「米中関係の活発化」
アメリカのバイデン副大統領が、8月17日に中国を訪問し、次世代の中国の指導者である習近平と会談した。習近平は2012年に中国共産党のトップに立つことが予定されており、2013年3月には国家主席になる。バイデンの目的は、アメリカ経済が非常に安定していることを直接会って伝えることだったとされる。中国は1・2兆ドルのアメリカ国債を保有しており、これを市場に放出されると、それを吸収するだけの資金力を持ったファクターがいないことから、バイデンは「緊縮財政」と「景気回復」を強調した。一方、習近平は、アメリカの「大量消費型」の経済を戒め、「貯蓄に回したほうがいい」と発言した。これは、アメリカが貯蓄をするようになれば、他の国が輸入と消費という行動をとることから、中国経済にメリットがあるという分析のようだ。中国がなぜアメリカ国債を保有するのかという問題があるが、主要目的は「台湾に武器を売らせない」ことだとされる。また「極東地域においてアメリカの国益に反する行動へとアメリカを誘導することが可能である」と考えているとも言われる。あとは、貿易の自由化やサイバー攻撃撃退への協力などの話題で会談を終えている。なお、中国経済は現在まさに不動産バブルであり、金融機関の貸出残高が対GDP比で120%であることなどが指摘されている。この会談で、オバマ政権は「中国の覇権主義を痛感し、台湾に武器が必要であることを思い知った」とも言われている。
フォーリンアフェアーズ「米中関係の活発化」





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2011年8月12日 (金)

カバラ数秘術の奥義

たとえば、このカバラ事典の検索欄に「666」と入れてみてほしい。
「神」「彼の秘密の場所」「二日」「紙」「叫び」「伝統」「太陽の悪魔」などの単語がこの数字に該当する。非常に奥の深い研究だが、日本語の翻訳書は「占い」程度でしょう。
「13」を入れてみればいい。「伝説」「愛」「統一」「憎しみ」「空虚」「上昇」「不安」「漁師」「瞑想」「彼の記憶」「この場所」「栄光」などが出てくる。
自分にとって意味のある数字、をこの事典に入れるだけで何らかの方向性が示せる。これが数秘術であり、あらゆる日本国内の占い書よりもこの事典が「トップシークレット」なのだ。
たとえば、私の誕生日の3月26日にちなんで「326」を入れてみればわかる。
「ジーザス」「ビジョン」「エチオピア」が出てくる。
"Search Term"に、その時に意味のある数字を入れるということです。あとは英和辞典を調べてください。
さあ、基本は以上です。みなさんも「カバラ使い」になって解釈を発展させてください。
この研究は、アグリッパが中世ヨーロッパで行ったものなのですが、ユダヤ教カバラは「この技術があるから自分たちは他の民族に優れている」と考え、一方、キリスト教カバラは「優れている」という発想はありませんでした。しかし、異国の地で弱く震えていても、自分たちの生きる力として、この技術を用いていたのです。まさに方向性を示してくれるものでした。
どのような数字を入力するか、出てきた文言をどのように解釈するかが皆さんの力量であって、使い方は非常に自由なものなのです。各自で使い方を考えてみるのも面白いのではないでしょうか。
「カバラ事典」


2011年8月11日 (木)

パースの記号論~スタンフォード哲学百科事典

記号論とは、意味や表現、参照などの説明をする学問である。パースは「私は他の学問分野はほとんど知らないが記号論にだけは傾注した」と語っている。パースは1860年から1910年まで本を出版したが、彼の議論が現在の記号論の基盤を作っている。もちろん、それ以前にも記号論は長い伝統をもつものなのだが、パースの研究を抜きには語れない学問である。
記号論の基本構造を説明することからこの論稿を始めたい。パースは記号論に関しては様々な定義を試みているが、代表的なものは、「記号とは、対象と呼ばれる他のものによって定義され、その定義が、解釈という形で人々に影響を与えるものである。対象→定義→記号→人々に影響を与える(解釈)というものだ」と定義した。これがこの論稿の議論の基盤となる。つまり、記号論は「記号」「対象」「解釈」の三つから構成される。記号とは場合によっては「文字」であり「人の声」であったり、「煙」が火という対象の記号となるのだ。ここでは「解釈」が「対象」と「記号」の関係を決めるのであり、「記号」がどのように解釈されるかが問題であることから、記号論の核心は記号ではなく解釈なのである。英語では記号は「サイン」と呼ばれるが、当然、スポーツでも大事なのはサインの解釈であろう。最近のプロ野球では「サイン」を用いておらず、「特殊な伝達方法」を用いていて守秘義務が選手にかけられているとされる。余談であるが。
パースによれば、記号というのは何かを特定するものであるが、「記号」とその「表現物」と「表現」、そしてそれらの「基盤」から構成されるものと考えた。そして、記号には「記号の器」があるとされ、その記号の器は粗削りのまま対象物を表現するのとどまり、すべての表現物の詳細を表現するわけではないとした。「対象」というのが記号を定めるという仕組みだが、対象のすべての特徴が記号化できるわけではない。ある側面を特定して記号化しているのだ。その「ある側面」は解釈に委ねられている。対象の持つ思想が記号の持つパラメーターにうまく表現されなければならない。対象の持つ特徴が記号化するうえで重要な意味を持つのだ。ボクシング中継で実況が、「左!」というのと「左アッパー」というのでは対象の切り分け方が異なる。より適切に、何を記号化したらいいのかを考えなければならないのだ。記号と対象の関係は、対象のより洗練された理解によって、解釈が発展し、記号がより精緻化される関係にある。それによって我々の理解もより向上するのだ。対象の特徴を深く理解し、その特徴を記号の器にうまく乗せることが大事なのだ。パースはこれらの研究を主に3つの時期に分けて研究を深めている。
以下、その3つの時期について記述していきたい。
「パースの初期の研究」
パースは、記号が解釈によって対象物を表現するという構造は、解釈というものの果たす機能から、自然と「記号がより洗練されて高度になる」と考えたのだ。この高度化は無限のプロセスをたどるのではないかと考えた。これが彼の初期の問題意識であり、当然、批判も浴びた。しかし、彼の記号論の研究のキャリアはここから始まったのだ。
【つづく】
「パースの記号論」スタンフォード哲学百科事典


2011年8月 8日 (月)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェスト4

「アメリカのアフガニスタン撤退作戦」
アメリカが6月にアフガニスタンからのアメリカ軍撤退を開始すると発表した。これは主にアメリカの利益を考えて決定されたものだとされるが、どのような影響をアフガニスタンにもたらすのかは検証が必要だ。
まず、アフガニスタンに「自分たちの国を良くしよう」という意識が芽生えるだろうとされている。今までは、政治的なあらゆる不満にアメリカがスケープゴートにされてきたのだ。これからは、彼ら自身の責任で統治作用を行わなければならない。また、現在のカルザイ政権も、うまくタリバンの力を活用しなければならない。タリバンはアメリカに2002年に政権を追われているが、アメリカ軍の介入がタリバンをむしろ強化してしまったのだ。トラックの輸送一つをとっても、アメリカは数十億ドルを投入しているが、タリバンへの賄賂に使われたり、トラックの安全を保障する目的で金銭がタリバンに流れたりしている。また、タリバンは宗教を前面に出すことがあまり評判がよくないことを学習し、アフガニスタンという国家の名誉を前面に出す作戦をとって支持を集めた。また、貧しい若者は、政治的な理由よりもお金目的でタリバンに参加しているとされる。アメリカがアフガニスタンにいる限り、タリバンはどんどん強くなっていったのだ。アフガニスタンの撤退で、アメリカはどのような利益を得るだろうか。主要なメリットは「カブールに基地を確保する」ということだ。その見返りに、アメリカはカブール銀行に資金を流したり、いろいろな手段をとるとされる。NATOがISAFとしてアフガニスタンに展開しているが、リスボンサミットでこの問題は解決済みだ。
しかし、このような思惑はあるものの、長期的に見たら、カルザイ現政権の弱体化は免れないとされる。タリバンはアメリカの撤退を「勝利」と位置付け、徹底的に宣伝するのは明らかであり、また、今後のアフガニスタンでの政治にタリバンの影響力は強烈な力をもつことになる。アフガニスタンの不安定さはアメリカの撤退によっても変わらないとも言われ、国際政治の駆け引きの困難さを感じさせる。
フォーリンアフェアーズ「撤退作戦」

「ジェネリック医薬品と国際社会」
製薬会社は、薬の開発に8~10年ぐらいかけて、それでも特許は20年しか保有できない。その間に、同じ薬を他の製薬会社が開発することは禁止することができる。しかし、ブラジルなどがそのようなルールは貧しい人々を救うことができないとして無視していたのだ。ところが、1994年のWTOで知的財産権の取り決めがなされ、多くの国が「TRIPs」に加盟したため、このWTOルールは「知的財産のゲームを変えた」とも言われている。強制力をもったライセンスがなければ20年間はどの製薬会社も特許に守られた薬を作ることはできないのだ。現在、HIVやガンなどに集中的に投資がなされているし、マラリアや結核などにも莫大な投資がなされている。製薬業界は世界規模では8千億ドルの市場であり、データをとってみると、特許が切れて類似の薬を開発した医薬品(ジェネリック)の値段は40%~60%ほど安くなるとされ、市場シェアはすでに80%を占めているが、利益は25%ほどなのだ。つまり、あくまでも儲かるのはライセンスをもった製薬会社が作る医薬品だ。2012年には世界で最も富を生み出す20種類の薬のうち12種類のものが特許が切れるとされている。ジェネリック医薬品が国際社会でもつ重要性は高まるのは間違いない。しかし、製薬業界そのものの豊かさは確保されず、デング熱などのマイナーな分野へあえて投資しようという資金の問題にもつながるのである。
フォーリンアフェアーズ「ジェネリック医薬品に関する議論」

「テルアヴィヴのテント集会」
イスラエルのテルアヴィヴでは、現在、30万人規模の政府を批判するテント集会が開かれている。これはここ数十年で最大規模であり、今までは安全保障問題がこの国の課題だったが、今回は社会問題が争点となっているのだ。子供を育てるための医療費が高かったり、住宅の価格が「課税前の給料の132か月分」であるなど世界でもワースト記録をもっている。そのような社会問題から、フェイスブックを通じて人々が集まり始め、現在では30万人が「我々の中には医者もウェイトレスもいる」といって、三食の食事がとれるテントなども確保している。こうした運動を政権側は「腐敗した左翼活動」「安っぽいチェゲバラ」などと言って静観しているが、世論の87%がこの運動を支持しているのだ。1990年代からイスラエルは、ネタニヤフやバラク、リーバマンといった指導者が政権を担ってきたが、パレスチナ問題は現在停滞しており、一方では、経済格差が生まれている。イスラエル経済そのものは非常に強いとされている。経済成長率4・6%を誇り、失業率は6%にすぎない。しかし、中産階級に不満が高まったのだ。鉄道や教育、医療にあまりにも政府は無関心すぎた。イスラエルで作られているオリーブオイルが、イスラエルよりもイギリスで安く買えるなど、経済発展の推進力となってきた自由貿易にも疑問を呈する声がある。イスラエル政権側としては、このようなテント小屋の声を「うまく投票箱に向ける」以外に事態の打開は考えられないとされているのだ。
フォーリンアフェアーズ「テルアヴィヴのテント暴動」

「トルコの軍人のジレンマ」
トルコでは、軍が政治のコントロールを受けるという「普通の民主主義」が採用され、基本的には軍事政権なのだ。軍人はケマル・アタテュルクを尊敬し「人々の意思に反しても人々のために」をスローガンにする。しかし、イスラムやクルド人を巧みに抑え込んできたのだ。イスラムでAKPというイスラム政党が支持を伸ばしたことが、トルコの民主主義と軍事政権をジレンマに追い込んだ。非常に人気のある首相であるエルドガンが、イスラムであるアブドラ・ギュルを大統領に指名したのだ。このことから、エルゲネコンがクーデターを企てた。現在は、十人に一人の軍人が牢屋に入れられ、半分の司令官も同様に牢屋に入れられるという異常な事態になっている。エルドガン首相がどんなに人気があっても、彼は、クルド問題に答えを出さなければならないし、人権や言論の自由がある国であることを証明しないといけないのだ。これが、ここ半世紀で最も人気のある首相に課された課題となっている。
フォーリンアフェアーズ「トルコの軍人のジレンマ」

「市場の混乱とアメリカ外交」
スタンダード&プアーズがアメリカ国債の格下げを発表した。S&Pは「何も新しいことは言っていない」とされるが、格下げというメッセージを市場に出したのだ。このことから、現在、オバマ大統領は執務時間の大部分をこのアメリカ国債の問題に割いているとされている。この問題は、EUの財政問題とも深くかかわっており、また、大量にアメリカ国債を保有している中国すら「なぜアメリカ国債を保有するのか」ということが問われることになりかねない。アメリカは依然として世界の超大国であるが、この格下げを「その終わりの徴候」と見る人もいる。この問題はしかし、2008年から2009年のクレジットの危機という特殊な事情から始まっているのだ。景気の循環ではない経済問題が背景にある。そういう運の悪さがオバマにはあった。アメリカ議会は、デフォルト回避にすら当初は「ノー」といっており、オバマをてこずらせた。しかし、現在は、アメリカ議会はオバマと対立しながらも、チェックアンドバランスをうまく機能させているとされる。アラブの春の民主化は、アメリカにとっても好ましいことではあるが、決してアメリカがコントロールしたわけではない。エジプトの体制の行方にもアメリカが介入できるかは不透明だ。アメリカ国債の格下げが外交力に影響を与えるのは間違いないのだ。結局、内政面で見たら、アメリカ国債の格下げは、ホワイトハウス支持派にとっては「ティーパーティーの格下げ」であり、共和党支持派にとっては「オバマの格下げ」に他ならないのだ。
フォーリンアフェアーズ「市場の混乱とアメリカの外交」

「コートジボワールでの民主主義の防衛」
2010年に大統領選挙でワタラ氏がバボ氏に勝ったが、バボは大統領府を明け渡さなかった。そのために、国連軍とフランスが大統領府を爆撃している。この地はかつてのフランスの植民地であり、コートジボワールの人々は「フランスの長い影」が再び及ぶのではないかと考えている。しかし、選挙の結果を適正に政治に反映させることを目的としており、すでにワタラ氏は、内戦でもアビジャンの9割を制圧しているとされ、主な企業もワタラ氏に味方しているとされる。選挙で勝っても政権が動かないことに業を煮やした元宗主国の行動であった。
フォーリンアフェアーズ「コートジボワールでの民主主義の防衛」





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2011年8月 5日 (金)

心理学主義~スタンフォード哲学百科事典

日本の教育は、言語学に「英語」を選択しているが、そもそも「文法」というもの自体が「心理学」の知識を借りている。"will"は予定や推測、意思を表し、"can"は可能を表し、"must"は絶対の確信や義務を表す。これは心理学の知識を借りないと分析できない。言語学と心理学はどう関わっているのだろうか。これが巨大な哲学ビジネスになっている。
ジョン・スチュアート・ミルは、言語も心理も「経験」から形成されるとしている。彼は言語学を「真理を探究するうえでの人類の共通了解を扱う科学」であるとしている。世界には「物」があり「内容」があり、「行動」がある。これらを言葉で説明することは可能だが、人間の心理を言葉で説明するのは「思考の過程」を一定程度説明できるに過ぎないとしたのだ。
粗削りな議論だが、ミルの議論は、その後の「哲学産業」を非常に豊かなものにしたのだ。心理学の核心は「その人がどういう判断をするのか」ということにあるが、その背景には「どういう概念をもっている人なのか」「どういう予測を立てられる人なのか」という分析も必要なのだ。ここに言語学も絡んでくる。政治家は政局を読む上で個別のファクターのこの部分をどこまで読み切れるかを「政局カン」と呼んでいる。
今では「言語学こそが心理学である」と主張する論者はおらず、言語学は一定限度で心理学に準ずるものであるというのが通説なのだ。
「フレッジの心理学主義への反論」
フレッジは、ミルの主張に数学の証明があらゆる言語による証明に勝るという議論が含まれていたことを徹底攻撃した。数学で一定の数字を証明したからと言って、言語学的に、あるいは世界を物質的に証明することになるのだろうか、としたのだ。数字が現実社会とどう関係するのかとも主張した。現代で言えば、パソコン(計算機)がどれだけ計算機能が優れていても、それだけでは何も証明しない。ユーザーの能力で何かを証明しなければならないだろう。そのような観点から、フレッジは「数学と言語学」の関係を疑わしいものとして批判したのだ。さらに、フレッジの批判は法律に向けられた。正しいと考えられるものが法律だとすれば、我々は法律のように考えなければならないのだろうか。小さなアパートと賃貸契約を結んだからと言って、自分がそのような契約を結んだということに、我々の心理は何ら制約されない。法律上説明されることから我々の心理を拘束することはできないという趣旨のことをフレッジは言っている。
「フッサールの心理学主義への批判」
フッサールは、言語学を、現実的規範的実践であるとし、その理論的基礎は少なくとも心理学ではないとし、その言語学の理論的基礎はどこにあるのかを論じた。
以下では、なぜ、言語学の理論的基礎は心理学ではないのかを記述したい。
フッサールは、言語学は「現実的規範的実践」であるとし、それは、あらゆる科学が科学に関する理論を探求したのと同じだとする。問題群にどのように科学者はアプローチするのか。どのような条件で方法論はうまく機能するのか。それぞれの科学に内在する概念の構造とはどんなものか。それらがどのように関連するのか。そして、科学者はどうやって「間違い」を避けるのか。このような「科学の方法論」の探求から「言語学と心理学」の関係も探求したのだ。
フッサールは、言語学は非常に確かであり明確さをもっているのに対して、心理学はあいまいさをもっていることに着目する。そのため、言語学の法則は、心理学の法則にはのっとっておらず、あくまでも、人々の「経験」が言語学の基盤にあるのだろうとした。また、言語学の法則を探求するうえで、研究者が心理学の法則を参照している事実はないとし、言語学の基盤は心理学ではないという論証を行っている。また、数学では真理は永遠のものであるのに対して、心理学での真理は永遠ではないという点にも着目している。この議論をするうえで、フッサールはスペンサーの議論を参照している。
スペンサーは「明るい雰囲気というのは暗い雰囲気を前提にしているし、暗い雰囲気も明るい雰囲気を前提にしている」としている。言語学的には「明るい」「暗い」は対義語とされているが、これを言語学が心理学を基盤にしているというのはトートロジーでもある。しかし、フッサールはスペンサーを批判してはいないようだ。スペンサーの「矛盾でない原則」というこの「明るい」「暗い」の議論はそれなりに評価していたようだ。
フッサールは「三段論法」にも着目している。言語学上の三段論法は非常に明快だ。しかし、心理学的にはどうであろうか。人間が心で描く三段論法は、ときに明確であり、ときに曖昧であることが分かる。いろんな観点から「言語学と心理学」の研究は可能なのだ。
フッサールは結局、心理学とは、個々の人の相対論であり、人類学であるとすべきとした。「真実とは相対的である」という主張も相対的であり、ばかげた部分があるが、その人にとって真実であるものが他の人にとって真実でない、あるいは他の人には別の真実がある、という意味で、誰も世界を正しく定義できないという事実を心理学は念頭に置くべきであるとし、それが心理学の宿命であるとした。フッサールの哲学者としての地位は、心理学というものを追求したことで確固たるものとなった。
フッサールは、結局、言語学というのは一定の法則をもつことで、人々の心理に影響を与えるにとどまるとした。また、各自が確信したものは他の人にとっては真実ではないかもしれないけれども、各自の確信は真実にすら勝ると結論付けている。
以下、フッサールの議論に対する批判を論じたいと思う。
「フッサールへの批判」
フッサールは、言語学には「~すべきである」という命令法があると論じていた。しかし、新カント派の論者が、結局「~すべきである」というのは価値を根拠にしているのではないかと論じたのだ。
馬をうまく乗りこなすには、しっかりとまたがりうまく馬を制御すべきである。
・しっかりと馬にまたがり制御すれば馬をうまく乗りこなせるだろう。
戦士は勇敢であるべきである。
・勇敢であることは戦士の美徳である。
のように、「~すべきである」というのは、結局「価値」を根拠にしており、それに反論するのも自由であることが分かる。これはサイエンスとしての言語学に、非常にいい視点を持ち込んだのだ。
フッサールは「~すべきである」という言語学上の発想に「他者の反論を許さない論理」を見出していたのだが、それが新カント派の批判を浴びたと考えていい。言語学上の法則には、やはり心理学的な背景があり、その基盤には、我々の実験や人生を通した、あるいは日々の経験や、意識の現象などがあるのではないかとされた。つまり、数学のように明確な法則を言語学は持っていないことになる。
新カント派の論者は、言語学は何らかの抽象性を基盤にしているとしたのだ。我々の心が経験したことも人それぞれバラエティをもった抽象性をもっており、その人がどのような判断をしたのかという判断の基盤はなんだったのかを議論していくべきだとした。そうすれば、おのずと言語学の基盤は心理学でありそれが抽象性をもっているから人それぞれ多様であることが分かるとした。
フッサールは「三段論法の明確さ」に注目し、新カント派に反論した。三段論法が人々の心理を基盤にしているのならば、人々は判断を間違えるはずがない、とし、つまり、三段論法は心理学を基盤にしてはいないとする。言語学と心理学の関係に関する議論はフッサールを中心に展開されたのだ。

【つづく】
「心理学主義」スタンフォード哲学百科事典

2011年8月 1日 (月)

ジャック・デリダ~フランス哲学のモンスター

ワケわからないけど殺し文句として使われる著名な哲学者だと思うだろう。実際に、戦後のフランスでは哲学の猛者が8人ぐらいいて、そのモンスターたちの洗礼を受けているのがデリダなのだ。彼は、人々が同じ出来事に同じリアクションをするのは「機械とどう違うのだろう」と考えたり、以前経験したことの蓄積から今後が予測できるのはなぜだろうなどと探求した。また、秘密を共有するというのは仲間の証であり、宇多田ヒカルの"Can you keep a secret."もデリダの聞きかじりから作品ができている。俺は、民主制は広がりをもつことを志向していて、情報の共有から始まり、決定するのに時間がかかるが、君主制は、秘密裏に事が運び、判断が非常に速いというデリダの指摘を受けて、俺の行動方針を決定したくらいだ。君主ファクターがおのずと定まるのだ。デリダにとって「最悪」とは、他人が自分の示した方向を見ている、自分の考え以上のことを言わない、満足いく答えしか返ってこないことである、とする。つまり、「大勢」であることを抹殺する「単一性」を「暴力」と呼んだのだ。デリダの言う「最悪」とは「純粋な現実」であり、神であり、地球であり、とにかく「一つ」であることだった。デリダは2004年に亡くなっているが、2001年の9・11テロは目撃していた。彼は「グローバリゼーション」というものが「単一性」を志向していて、これ自体が暴力であるとし、テロリズムはこの文脈で起こったものだと説明したのだ。デリダは「グローバリゼーションには人々は、まるで機械のように、遺伝子が自動的に拒絶するだろう」と言ったのだ。彼は「自分自身」に大勢の他人をも含めてしまうことを「単なる自分だけの自殺にとどまらない集団自殺」と呼んだのだ。現在の国際情勢を最近まで注視していた哲学者だった。デリダは、「忠誠心や知識」「宗教」といったものを、この「最悪」である単一性からどのように解決したらいいのかを探求した。人はもっと他人と距離を置いて対話をすべきであり、神とすら距離を適切に置くべきであるとしたのだ。そのうえで、彼は他者とのかかわりは「手厚いもてなし」(ホスピタリティー)によって行うべきではないかとした。
デリダは、プラトンを徹底攻撃することから「脱構築」の議論を始めている。プラトンは「見えないものや記述されたもの」を「見えるものや感じるもの」よりもすぐれたものとして「対になっている」としたのだが、同様に「本質と外見」「霊魂と肉体」「生き生きとした記憶とうすれゆく記憶」「声と文字」「究極の善と悪」などと「1対1」で対置している。一つのものに対して「一つのもの」しか対置できなかったプラトンを攻撃したのだ。デリダは、法に正義を求めるうえでも、あくまでも「今」の正義か正義でないかしか判断できないとした。その判断も批判にさらされて新たな正義を探求しなければならないとしたのだ。人間は判断できないことを判断しなければならない。そもそも「地平」というものが夜明けを待つものであり、まだ夜明けの来ない暗い中で限られた知識で判断をせかされている。それが人間の「判断」であるとするのだ。法律の世界にデリダはそれを見出している。それはあらゆる分野に広がりをもつ考えだったのだ。

デリダについて日本のわけのわからん議論をスルーしたい人はスタンフォード哲学を読みましょう。
「ジャック・デリダ」スタンフォード哲学百科事典



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