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2011年7月 1日 (金)

アラブ・イスラムの神秘主義思想【第一部】

アラブ・イスラムの神秘主義はコーランに書かれている詩に感化されて広まったものが多い。
「神は外にあり内にあり」(コーラン2:269)
「知恵を与えられた者は、実に豊富な富を与えられた者なり」(コーラン2:269)
などは代表例だが、イスラムグノーシスに最も影響力を与えた詩がある。

神は天と地の光、神の光はランプが置かれたくぼみ、ランプはガラス、ガラスは祝福された木によって星のように輝く、木は西から来たものでも東から来たものでもない我が地からとれたオリーブのオイルによって一晩中輝く、たとえ火がそれに触れなくても、光は光、神が神の意思で火をつける。そして神は同時に人である。この世のすべてを知っている。

この詩が12世紀のスワラージや、16世紀のサドラに与えた影響は大きく、彼らがこの詩の解釈を展開したことがイスラム神秘主義に端的に表現されている。イスラム神秘主義の特徴は、コーランの神秘的な詩を理性的に解釈することを特徴としている。イスラム神秘主義はスーフィズムのように純粋に難解さを追求する側面と、傑出した理論家によって神秘主義がイスラム哲学を形成した側面がある。つまり、イスラム神秘主義は「現実的」なものと「哲学的」なものに発展しているのだ。難解な知恵は、実践的な知恵にもなっているし、純化されて哲学にも昇華された。コーランの詩は粗削りの表現にとどまらなかったのだ。
イスラム世界の初期には決定論者や終末論者、原典に忠実な理論家などがおり、彼らはイスラム哲学の伝統にしたがいながらも、異なる出自をもっていた。イスラム学校はバラエティに富んでいたのだ。イスラム世界の最初の哲学者はアル・キンディであるとされているが、10世紀のアル・ファラビが構築したイスラム論理学の基盤の上に成り立っており、アル・ファラビはヘレニズムおよび新プラトン学派の影響を受けていた。アル・ファラビが事実上、イスラム神秘主義が哲学へと発展する道を切り開いている。
新プラトン学派がイスラム哲学に与えた影響は大きく、二つの機能を果たしたと言われる。知的な機能と実践的な機能だ。両者ともに哲学的な生を生きるために重要な役割を果たした。哲学的には、新プラトン学派はイスラムの難問の多くに答えているのだ。肉体性をもたない神からどのように肉体が生まれたのか。一つのものからなぜ多様性が生まれたのか。高等な存在から下等な存在までの階層はなぜ生まれたのか。これらの難問に答えているのだ。アル・ファラビの業績と言ってもいいだろう。アル・ファラビによるイスラム神秘主義は、実践的な側面と哲学的な側面で見解を明らかにしている。「知恵に関する手紙」という本で、4つの知恵を彼の後継者であるアヴィセンナ(981-1037)に残した。アヴィセンナは新プラトン学派をフルに活用したのだ。アル・ファラビはプラトンとアリストテレスの融合を巧みに行い、一方で、プラトンを非常に神秘的な人物として描いている。ブラトンの政治哲学から「王」を「イマーム」に置き換え、イマームの語る真実は直感的なものであるとした。イマームは直感的に理論的な美徳と実戦的な美徳を知っているとする。また、アル・ファラビは作曲も行っており、スーフィの様式でトルコやインド・パキスタンで歌われるようになり、スーフィズムに彼が音楽という形で影響を与えているが、「知恵の宝石」という著書でスーフィについて語られているもののアル・ファラビとスーフィズムの関わりは明確ではないとされる。
イスラム神秘主義思想は、逍遥学派のマスターであるアヴィセンナの業績によって一気に明確化した。スーフィやグノーシスの核心に関わる理論は彼が確立したのだ。彼の思想が多様なイスラム社会の共通の出発点であると言ってもいい。アヴィセンナは「なぜ単一性から多様性が生まれたのだろうか」というテーマと真剣に向き合った。この問いの答えとしてアヴィセンナはスーフィズムの枠組みを最大限に活用している。魂が神へと近づく「旅」を神秘主義思想は持っており、それが多様なイスラム社会の起源として共通性をもつとしたのだ。多くの著書があるが、多様なイスラム社会も「神秘性」の領域で統一が可能であるという彼の研究は特筆すべきものであった。
ペルシャの理性的な哲学を、神秘主義で包摂してしまおうというアヴィセンナの考えはガザーリのように「哲学を放逐し、スーフィズムで統一しよう」という動きにもつながったし、イスマーイールのように、哲学として体系化しようという方向にも向かった。
ガザーリは法律家であり、理論に非常に忠実な人物であったが、やがて哲学の研究を始め、言説的な理性の領域を確固たる基盤としていた彼はすぐに哲学批判を展開するようになった。「支離滅裂な哲学者」という著書で哲学者の理性を批判したのだ。哲学者を「理性のまぼろしに惑わされている」と批判し、彼は長い年月の禁欲生活に入り、俗世を離れた結果、スーフィズムに答えを見出したのだ。ガザーリの法律の世界からのスーフィへの旅路は、イスラム世界で「真実とはどのように求めるものか」という伝説となり、彼はのちの人生をスーフィズムの伝道者として送ることになる。
スーフィの信仰者の中には法を守らないものがいたことから、ガザーリのスーフィズムへの傾倒は、スーフィズムの世界に秩序をもたらし、また、ガザーリはイスラム法の世界の番人としての存在感も高めた。スーフィというのは「イルミネーションと音楽」を重視する「魂が神のもとに旅をする経験」を求める信仰のようだ。そのため、「ランプの光」という言葉に価値を見出している。これがまさにイスラム神秘主義思想の核心であった。
これに対して、アラブ・イスラム神秘主義思想の哲学的体系化を志向したのが「イスマーイール」である。以下の述べようと思う。
イスマーイール哲学は、難解な神秘主義の教義やギリシャアレクサンドリアの神秘学から発生したものである。その哲学はすべて「禁欲主義」から来ている。禁欲主義を「肉体と魂を一つの檻に閉じ込める、つまり、肉体と魂を同居させる」行為と位置付けているようだ。それを基盤に、複雑な幾何学を神秘的シンボルとし、さまざまな予言や、イマームの役割の探求などを哲学の探求の基礎に置いた。イスマーイールは、科学者のハヤーンがピタゴラスの幾何学を学習し、「宝石の手紙」という著書を書いたことがイスラム神秘主義に幾何学模様が多く用いられるようになった起源のようだ。
シジスターニーも「隠された物」「泉の湧き出る書」という著書で、人間の魂と神聖なる魂が異なるタイプの魂として人間に存在し、それが唯一の神のもとに飛んでいくというグノーシスの哲学をまとめた。彼もシンボルとして幾何学模様を採用し、予言というものの探求を行ったことから、イスラムの難解なものや簡単なものを自在に概念化した哲学者としてイスマーイール哲学に大いに貢献した。科学者のラジも宇宙学の観点から、「予言の科学」という著書で神秘学に関する見解を多く述べ、人間の魂がどれだけ高いレベルになれるのかを探求したことからイスマーイール派に名を連ねた。
イスマーイール哲学について語るのであれば、キルマーニーについて触れなければならないだろう。彼は「知恵をもつ者の回答」という著書で、真実を探求するものは二つの規範を受け入れなければならないとし、それは「美徳にしたがった生活を送ることと、哲学への持論をもたなければならない」としたのだ。哲学への持論をもつに至るまでには、初心者は「7つの壁に囲まれた56の回廊をクリアーしなければならない」とキルマーニーは考えたようだ。また、その道は大きく4つのステージに分けることが可能であり、「肉体をもった聖なる生き物たちの世界」「肉体の領域」「信仰の領域」「神によって統一された現実世界への回帰」に分けられるとする。
注)市井での生活から学ぶのが第一段階とされているが、己自身の肉体を向上させるのが一段階上とされていることは、イスラム系アスリートに影響を与えているものと思われる。
おそらく、イスマーイール哲学の伝統の中で、最も注目すべき人物はクスロウであると思われる。彼は詩人であり哲学者でもあった。彼の詩はダイヴァーンと呼ばれ、神秘的で教訓的な詩を数多く残している。また「二つの知恵の和」「知識と解放」などの著書で、容赦なく、魂の浄化や、魂が霊的な旅をするということを追求したのだ。「二つの知恵の和」とは、彼がイスマーイール哲学とスーフィズムの融合を試みたものでもある。クスロウは魂の科学こそが真の知識を得るための学問であるとし、物事を受け止める人とはどのような者かを以下の詩で表現した。

知らなければならないことと 知識人の関係は
不注意という眠りから覚めている ということだけが必要なのである

クスロウも、修行の初心者は、魂の道を歩むのに禁欲主義がなければならないとした。彼も西洋のオーガスティンやアッシジと同様に、人生の前半を快楽主義的に過ごしている。そののちに禁欲主義の世界に信仰を見出したのだ。そのため、彼の著書はいろんな意味で豊かさを増していると言っていい。
それ以外にも、イスマーイール哲学の世界では、著者・編集者が不明な百科事典が残されている。「純粋さの友」「本の母」などが知られている。
イスラム世界は、スーフィズムとイスマーイール哲学の方面での研究が確立して以降、神秘主義哲学は停滞の時期を迎える。背景には、セルジューク朝の統治体制が研究を求められていたことと、キリスト教社会からの十字軍の攻撃などがあったとされる。しかし、ペルシャの南部イスファハンで「シラスの学校」と呼ばれる研究機関が、研究を深めたり、スペイン南部が情報発信などを行ったとされる。スペイン南部はガザーリーの影響を強く受けたとされるが、いずれにせよ、スーフィズムとイスマイール哲学は「停滞」と「多様化」という方向に向かった。ペルシャの人々がリアリズムを志向する風潮が大きかったという点も興味深い。ペルシャ人は「夜中にランプの火を見つめて音楽を聴きながら過ごす」信仰などを受け入れるメンタリティーをもっていなかったともいえるだろう。もちろん、当時のイスラム社会には多くの学者がいたが、傑出した学者は出なかった。しかし、イブン・アラビーだけは独自の理論を提示した人物として指摘しておいていいだろう。彼は「知恵の器」「メッカの勝利」などの著書で「世界のあらゆる存在の統一」という理論を提示して、スーフィズムに新たな考えを持ち込んだ。彼は、形而上学・宇宙学・心理学の観点からスーフィズムの研究を進めたのだ。信仰に入る人間に「内と外」の関係を示した。たとえば、人間とは「小宇宙」であり、世界は「広い宇宙」であるとし、スーフィズムの信仰により、人間の魂は神のもとへ旅をすることによって、宇宙をも包摂する、神と一体化する、と説明したのだ。もちろん、伝統的なスーフィズムにもこのような感覚はあったであろうが、それを時代の学問で言語化したのがイブン・アラビーだったのだ。

【第一部完結】
スタンフォード哲学百科事典「アラブ・イスラムの神秘主義思想」

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