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Foreign Affairs

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2011年7月

2011年7月30日 (土)

外国人にできること・できないこと

外国人の扱いについては、第二次大戦前までは、文明国の国際標準があるとされる国際標準主義というのが主流だったが、南米などでは、文明国に縛られることなく自国民と同等の扱いをすればいいとする国内標準主義というのが主張された。議論の沿革としてはこのようなものがあるが、日本では、人権の性質によって認められる権利があるとする立場が判例・通説となった。また、外国人にもいろいろあるだろうとして類型化する考え方も主流となっている。1992年に、日本は在日の指紋押捺を免除し、2000年には指紋押捺制度を全廃している。1995年には、憲法は地方レベルの選挙権を与えることは法律は禁じてはいないとしている。公務就任権に関しても、1982年に国公立大学外国人教員任用法によって、大学での教員採用を認めた。また、地方公務員一般事務から国籍条項を除外する自治体が増えたため、1996年に自治省は、外国人がつけない職務を明示すれば採用は自治体の裁量であるとした。また、裁判での通訳費用を外国人に負担させることも1993年に裁判で破棄している。政治活動は「わが国の政治意思決定またはその実施に影響を及ぼさない限り」において認められている(マクリーン事件1978年)。1982年に国民年金法から国籍条項を削除したが、そのときすでに成人を迎えていた外国人障害者は救済されなかった。外国人は、日本では鉱業権・租鉱権をもつことができない。また、日本国籍の船舶や航空機ももてない。無線局の免許も受けられないのだ。しかし、在日であることを理由にマンションの契約を断ることには損害賠償が認められており、また、ブラジル人を店から追い出したことは違法であるとされている。
法学教室2000年7月号「外国人の人権をめぐる新たな展開」岩沢雄司

2011年7月28日 (木)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェスト3

「ヒズボラ:詐欺集団」
ヒズボラはレバノンが新政権を立ち上げて、この国での排除を決めたことから、生き残りをかけた闘争が始まった。スポンサーであるイランが経済が後退しており、シリアも政治的混乱にある。レバノンは軍事国家であり、4万発のロケットを保有する。国家を敵にすることの意味は大きい。ヒズボラは、それ以外にも犯罪行為を収入源にしている。クレジットカード詐欺やマネーロンダリングをはじめ、アメリカでもノースカロライナでタバコの密輸で150万ドルをもうけていたのが明らかになっている。ヒズボラは、巨大犯罪ネットワークを構築しており、一千万ドルを毎年稼いている。イランやシリアは資金を出すだけではなく、ヒズボラを政治ファクターとみなして訴追を行わないなどの対処もとってきた。イランが石油価格が高騰した時に2億ドルをヒズボラに流したため、ヒズボラはレバノンの破壊された町の再建に資金を投入してレバノンで支持を拡大した。選挙の時にはイランは6億ドルを流すこともあった。ヒズボラの政敵はサウジアラビアの支援を受けたスンニ派の勢力だった。2009年に石油価格が下落を始めた。イランでインフレが起こり、経済が停滞した。イランからヒズボラに流れる資金は40%減ったとイスラエルのインテリジェンスは分析している。ヒズボラは資金源を犯罪行為へと比重を移していったのだ。タリバンとの結びつきを強め、タリバンの麻薬取引にも関与するようになった。地対空ミサイルや、対戦車ミサイル、グリネードランチャー、AK-47、M-16、何でも売ったのだ。コロンビア、レバノン、パナマ、西アフリカ、どこででもビジネスを展開した。ヨーロッパ各国は、個別の犯罪には対応するが、ヒズボラを「テロ組織」とは認定していない。アルゼンチン・ブラジル・パラグアイの三か国が国境を接する地帯を巧みに利用して拘束を免れているとも言われ、アメリカはこの三か国に個別の犯罪で逮捕するという条件で、ヒズボラの資金源を断とうとしている。また、レバノン首相の暗殺でもヒズボラを追い詰めて行っているのだ。
フォーリンアフェアーズ「ヒズボラ:詐欺集団」

「ナイルのイスタンブール~エジプトがトルコの真似をできない理由」
エジプトでムバラク大統領が権力の座を失ってから、過渡的な軍事政権が樹立したが、中東においてうまく軍事政権を民主主義と共存させているトルコをモデルにしようという研究がなされた。しかし、民主主義を確立してアラブの春を支持し続けて存在感を高めたトルコと、エジプトの軍事政権では「本質が異なるのではないか」と指摘される。トルコは軍事政権を確立しているが、イスラム系・クルド系の活動家をうまく抑え込みながら、一方で、富を独占している同族企業を存続させたりしている。そもそも、法曹界の支持や、メディアの支持、その他の政治家の支持があるからトルコは軍事政権をうまく民主主義と調和させている。基本には、軍人には「ケマル・アタテュルクへの尊敬」があるから、支持が広がっているとされ、教育システムまで軍が掌握することが容認されている。エジプトではどうであろうか。軍は、農業・不動産・観光・航空・小売業・製造業、そしてもちろん軍事産業にまで関わっている。トルコのように「富をもっている人たちとのバランス」をまったく成立させていないのだ。また、トルコは憲法に軍の統治を組み込んでいるが、エジプトは、人民が憲法に軍の統治を組み込まなければ憲法上の正当化もできないとされる。それはもはや「統治」ではなく「支配」となってしまう。エジプトには、体制の変革に動いた様々な勢力がおり、軍に近いのはイスラムの人々だったとされる。しかし、イスラムを基盤にするにはあまりにも勢力が弱すぎるとされ、逆に他の勢力に基盤を広げることはイスラムの離反も招くことになる。トルコが今まで克服してきた、反体制勢力の抑え込みや経済問題の克服、暴力の鎮圧など多くのことを、今のエジプトの軍事政権に要求するのは不可能とされる。今のエジプトの先行きは非常に不安定かつ不透明となっているのが現状なのだ。
フォーリンアフェアーズ「ナイルのイスタンブール」

「戦時中のレイプの研究」
リビアのカダフィが、NATOの攻撃や内戦の過程で多くの女性がレイプされていると声明を出したことから、アメリカのヒラリーなどが激怒し、実際にアムネスティ・インターナショナルに統計を取らせて「そのような事実はない」と公表させた。しかし、戦時中のレイプというのはまさに人間を学ぶものであり、極端な数字ではコンゴでは2006年から2007年の間だけでも40万人の女性がレイプされているとされる。また、南アフリカでは「女性は文字を覚えるよりもレイプされる可能性の方がよっぽど高い」と報じるメディアもある。この「戦時中のレイプ」に関する問題は、とにかく「アンダーカウンティング」(数を少なく公表する)ことにある。被害者の女性自身が、羞恥心や、また愛国心などの理由で被害を泣き寝入りすることもあるし、場合によっては殺害されて「死亡者」に算入されるだけのこともあるのだ。こうした統計の取り方は「医療機関を調査するしかない」とも言われる。現在、コロンビアや、コードジボアール、コンゴ、東ティモール、リビア、スーダンでこのようなことが現在進行形で行われているのだ。こうした国々では「女性に統治機構に参加してもらうしかない」とも言われる。また、レイプは「外国の」「赤の他人」が被害を受けているのではなく、どの国でも、戦時中であれ平和な時であれ行われている。あなたの国が内戦になったら真っ先にレイプされると思ってこの問題を向き合ってもらいたいというのが「戦時中のレイプ」の問題なのだ。
フォーリンアフェアーズ「戦時中のレイプ」

「医学は文系学問~ハイチの事例」
1848年にルドルフ・ヴァーチョウが「医学は文系学問」と語ったのが有名であり、私の父もそれを口癖のように言っていた。その実態を、ハイチでの経験で生々しく語ったのがハーバード大学医学部卒のポール・ファーマーだった。彼は1982年にハイチを訪れた。当時の課題は結核であり、小さな診療所を作ることから始めた。しかし、医療施設への需要は大きく、すぐに中央病院にまで拡大したという。資金集めのために、世界でも福祉に影響力のある人をハイチに招待し、悪路を長時間歩かせてしまったこともあるが、おかげで2000年までにはハイチの町並みは見違えるほど変わった。また、子供の栄養不足が病気の原因であることもあり、ニジェールから輸入していたピーナツバターを、ハイチの農家に技術を教えて、自給できるようにもした。子供の栄養失調の防止にも奔走したのだ。また、腎臓にガンが見つかった少女がいたが、貧困層だったため、対処が遅れ、レントゲンで肺に転移したことが確認されたので、アメリカのボストンに転院させて放射線と薬物で対処している。このような事例にもバックアップする慈善団体の資金が必要になるのだ。2002年のブッシュ政権がハイチの救済に動いたので、一気に事態は改善したとされる。アメリカ大統領クラスがハイチの救済に動けば、巨大な資金が動く。そういう現状も政治だったのだ。政治力を最も必要としたのは2010年の巨大地震だった。病院の敷地に各国の医療使節団が縄張り争いをするぐらいの仮の施設を作ったが、むしろ有難いぐらいだったという。
私はこの記事を読んで、東日本大震災で「医者は負傷者救済のための政治をやったのか?」という観点を指摘しておきたい。災害が起きるということはけが人が出るということだ。野球やサッカーで救済を訴える前に「医者が政治をやる」実態がなければならない。しかし、天皇はそのようなことを一切念頭に置いていない。頭の中の「事例集」に災害に関する事例が全くなかったようだ。
フォーリンアフェアーズ「仲間を助けること」

「アルカイダの真実」
トルコの言い伝えに「敵が蟻であれば象だと思って立ち向かえ」というのがあるが、今のアルカイダはまさに「蟻」でしかないのが真実なのだ。うまくセキュリティーをくぐり抜けた19名が9・11テロを起こした時は、「アルカイダはすぐに核兵器を開発するのではないか」と言われたが、実際のアルカイダは資金繰りに頭を悩ませつづけ、アメリカに小型爆弾を持ち込もうとしては失敗していた。ロンドンの地下鉄で2005年に爆破テロを成功させたのが唯一の実績だった。ビンラディンはパキスタンですでに殺害されており、テロ組織としての「恐怖」は日本のオウム真理教の方が上だったのではないかとすら言われている。オウム真理教は、オーストラリアからウランを持ち込んで核開発を行っていた。しかし、問題の困難さを実感し、サリンの開発に移行している。実行したのは地下鉄サリン事件の13名の殺害だけだ。アルカイダも、アメリカの識者がしきりに「核開発の可能性」を喧伝したことから、人々に脅威が広がったが、核開発のための施設も科学者も技術者も保有する力がなかったのだ。ましてや核実験までは到底及ばない。たしかに、アルカイダというのは国際社会においてはいまだにテロリストとして脅威を与える存在ではあるが、結局のところ「オウム真理教にも及ばない蟻」とまで言われている。
フォーリンアフェアーズ「アルカイダの真実」

「ムバラク裁判とその行方」
エジプトのムバラク大統領が一月に権力の座を奪われたが、彼が8月3日に最初の裁判を迎えた。彼は警官にデモ隊への発砲を命じ、多くの命を奪わせている。それだけではない、いろいろな汚職まで法廷ではさばかれる予定だ。イスラエルに市場価値よりはるかに低い価格で石油を流していたり、他にも多くの争点があるとされる。閣僚も被告人として名を連ねている。しかし、現在の政権が、今年の年末の選挙までの暫定政権として軍が握っているのが問題だ。エジプトの司法は独立性が高いとされるが、多くの政権に近い人は「自分たちは牢屋に入りたくない」と考えており、警察からも「どうやって証拠を集めるつもりか」という問題がある。群衆に誰が発砲したかなどの問題は警察しか把握しておらず、証拠という観点からも警察に切り込むのは難しい。現在の軍事政権は「裁判とは距離を置きたい」と考えている。エジプトの民衆は、デモで息子や娘の命を奪われた人も含めて、かつての権力者が被告人に名を連ねていることそのものに満足しているとされる。ムバラク自身が権力を握っていた当時に、忠誠心のない部下を裁判にかけるなど、エジプト司法は信頼が厚いが、革命の過渡期にかつての権力者が裁かれるということであり、今のエジプトは経済問題の克服を課題としていて、今年の年末の選挙に人々の関心は移っているとされている。
フォーリンアフェアーズ「ムバラク裁判と困難」





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2011年7月25日 (月)

アグリッパの生涯~オカルトの哲学の研究者

2ちゃんねるのオカルト板にお世話になった以上、一度は大型プロジェクトを動かそうと思う。
「ハインリッヒ・コーネリアス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム」という長い名前の人物がいる。スタンフォード大学もこの人物だけは無視できなかったようで、膨大な研究を行った。この人は「オカルトネタでいかに女性にモテるか」を研究した人だと言っていい。今後、この人の研究を行いたい。
「スタンフォード哲学百科事典」
ネッテスハイムは二つの側面の研究を行った。マジックやオカルト芸術の研究と、あらゆる分野の真面目な学問の研究である。彼は、宗教の偽善や、腐敗などを批判し、一方でアリストテレスの流れをくむ自然科学に対抗する潮流を生み出している。世界と、世界の魂を、マジックの秘儀と錬金術の研究で動かそうとしたのだから、オカルト板の根本哲学を作り出した16世紀の人物と言っても過言ではない。宗教やモラルの偽善を批判する彼の研究は、同時代の人々に衝撃を与え、彼の「まじめな学問の本」と「オカルト本」は、なぜ同じ人物がこのようなまったく異なる本を書いたのだろうかと人々を不思議がらせた。彼は「古代エジプト」「ペルシャ人のゾロアスター教」「ユダヤ人のカバラ」などを研究し、ルネッサンス時代に確立した「知」の潮流に「古代の叡智」で挑戦したと言える。その中に「マジック」や「スピリチュアル」が含まれていたわけである。今後は彼の名前の表記は「アグリッパ」で統一しようと思う。
彼の生い立ちは同時代の人が彼の文献を大事にしていたことから、生まれた日から家庭環境まで明らかになっている。彼はケルン大学で文学修士をとっており、おそらくこの時に研究したアルベルトゥス・マグヌスが、彼をオカルトの世界に導いたのだろうとされている。あくまでも学問が背景にあった。彼が文学修士以降取得した学位は明らかではないが、彼はのちに「医学博士・法学博士」を自称している。公式レコードではこのような記録は残っていないが、彼が「熱心に法律を勉強していた」という証言が残っている。しかし、彼の文献からはあまり医学の知識は感じられないとされている。しかし、当時は、数か月の講義だけで医者になれるという仕組みがある町があり、彼は実際にヨーロッパの各地で内科医をしていたようだ。それを彼は「医学博士・法学博士」と呼んでいたとされる。
アグリッパのイタリアでの学業生活の記録だけはあまり明らかではなく、また、スペインへの軍事遠征にも参加したようだ。彼の手紙にはフランス人の著名な人物の名前がたびたび登場する。彼がドール大学で講義した記録が残っており、ヘブライ語の聖書の講義を行い、キリストはメシアであり「ジーザス」という言葉そのものに力がある、としたことから、保守的なキリスト教徒の反感を買い、ユダヤの犬と呼ばれてドール大学を去っている。彼は再びケルンに戻ったのだ。彼は、ザルツブルグでスポンハイムのトリテミウスにオカルトの秘儀を教わっており、のちのアグリッパの著書にも多く引用されている。また、マクシミリアン一世に仕え、イングランドとの外交交渉にもあたった。この時に、ロンドンのセントポールでの講義も受けたようだ。のちに、彼はイタリアへ行っている。「イタリアと反教皇派のピサ委員会との戦闘に参加した」と語っているが、おそらくマクシミリアン一世が彼を参加させたものと考えられている。アグリッパは7年間のイタリア滞在で、多くのオカルト研究者との交流を深め、新プラトン主義・神秘主義・カバラ主義などの知識を多く受けている。このイタリアでの研究は彼に多大な影響を与えている。しかし、イタリアの裁判所の判事になるための試験には不合格になったようだ。このイタリアでの経験を経て、彼はふたたび北ヨーロッパに帰って行った。まさに、神聖ローマ帝国がイタリア人文主義の影響を得て、宗教改革の荒波にもまれようとしている時期であった。
アグリッパは次の6年間を、神聖ローマ帝国の西部のフランス語圏で過ごしている。メッツ・ジェネヴァ・フライブルクである。いずれの地域でも、弁護士や内科医として過ごしながら、彼の関心事である人道主義やオカルトに興味のある仲間を集めている。これらの地域でルターやエラスムスや他の前衛主義的な人々の著作に触れている。歴史家は、アグリッパは宗教改革に最も影響を受けたのはジェネヴァであろうとしている。彼の仲間が宗教改革に好意的だったのだ。しかし、決して急進的ではなかった。ジェネヴァで彼はイタリア人である最初の妻を病気で亡くし、二人目の妻をその地域でもらっている。メッツで彼は、ルター派による魔女狩りに直面している。彼はその女を救うために裁判官とルター派の癒着を追求して見事成功している。しかし、彼はその女を救うことでちょっとばかりの金儲けをしたかっただけだとも言われている。いずれにしても、彼が宗教改革のさなかでそのような出来事があったのだ。さらに、彼は、レフェブルという論客が書いた著書で「聖母マリアは聖書にのっとっていない」という論争に関与した。その知らせはすぐにメッツに届いた。レフェブルは、聖母マリアの母親の聖アンヌが、一夫多妻制の妻であったという主張を行ったため、パリの神学者たちに糾弾されたのだ。彼はこの対立でレフェブルを擁護する論陣を仲間とともに張ったが、本は出版されなかったようである。いずれにせよ、この時に生じた宗教論争の怒りがおさまらずに、彼はすぐにメッツを去り、ケルンに戻っている。宗教改革のさなかに彼は二つの大きな経験をしたと位置づけられている。
彼は、職業の面では、法律家から内科医に転じ、開業する資格も得ている。よほど腕がよかったのか、ジェネヴァとフライブルクでは市の病院の院長にまでなっている。しかし、フライブルクは、ジェネヴァやメッツよりも宗教的に保守的であり、ルターの本を所持することを禁じてしまった。彼はフライブルクを去っている。しかし、金銭的には豊かになったため、より良い仕事場を求めて引っ越したとも言われている、
アグリッパはフランス王室の医者になることに成功している。国王の母親であるサヴォイのルイーズの主治医になった。イタリアとの交戦中であったため、首都とされていたリヨンに移った。国王がイタリアでの戦争でパヴィアの地で敗れ、スペインに連行されたことから、リヨンの地ではアグリッパはフランス統治の中枢に仕えていたことになる。彼は、国王に影響力のあった妹をパトロンにしようともくろんだ。妹のナヴァレのマルガリーテは詩人であり、宗教改革にも親和的だったからだ。結婚式のためにラテン語とフランス語で結婚をたたえる文章を書いたが、パトロンにするのには失敗している。フランス王室における彼は、最初は希望に満ちていたが、次第に金銭面に窮することになる。国王がスペインへ連行されたために王室の財政が悪化したのだ。1526年の夏に彼は金銭的な窮地を脱するために「手品芸」に関する本を出した。それをみた、国王の母は占星術に心酔していたため、彼に「占星術の予言をするように」と命令したが、彼はこれを拒否している。10月にアグリッパは自分の名前が、俸給支払リストにないことを知り、やむなくフランスを去っている。アントワープへ移ったのだ。フランス王室のライバルであるハプスグルク家の庇護を求めたのだ。
ネーデルラントにおいては彼は二番目の妻をプラハ熱で失っているが、私生活で失ったものはあったが、ネーデルラントの統治者であるオーストリアのマーガレットの庇護を受けるのに成功している。彼はハプスブルク家の公文書保管係と歴史編纂係を担当した。そこで彼は1530年の神聖ローマ帝国によるネーデルラント支配に関する記録をまとめあげ、さらに、マーガレットのための弔辞も彼が用意したのだ。しかし、彼の力を強めたのは、イタリア時代に書き溜めた論文や演説集が出版されたからだ。アグリッパはどんな本でも執筆してよい立場におかれたために「オカルトの哲学」と「手品芸」を出版した。しかし、これが思わぬ論争に巻き込まれることになる。彼が統治機構に関わっている以上、「手品芸」という著作を出したのが失敗だった。托鉢僧がこのような芸を見せてお金を集めることにつながりかねず、そのような教会秩序から強烈な批判を浴びたし、ルター派異端とも位置付けられたのだ。マーガレットも対処に困り、神学の権威に見解を求めたが、「不敬は免れない」との回答を得て、議会からも批判を浴びた。アグリッパは王室の職を辞さるを得ず、著書も発売禁止にした。しかし、彼はただ屈服するだけではなく、「修道僧への戦争」を宣言したことが彼の王室での立場をますます悪くした。修道僧が手品芸を見せてお金を集めるつもりなのかという部分に根差した論争だった。この問題の現実的な解決法は、新たなパトロンを探すことだった。アグリッパはケルンの大司教選出委員のヘルマン・フォン・ウィードがオカルトに興味をもっていたことから「オカルトの哲学」を献呈し、庇護を得ることになった。ウィードは穏健な宗教改革支持者でもあった。しかし、借金の未返済などで投獄されたこともあり、その後も逮捕の危険にさらされたことから、彼はボンに移動している。アグリッパは、ヘルマン・フォン・ウィードの庇護のもとで1532年から1534年ごろまで快適に過ごしたようだ。また、ヘルマンの家族ともオカルトの研究を共有するなどした。ケルン市の委員会が「オカルトの哲学」の完成を妨害してきたが、もっぱら、神学の見地から人文主義的な研究を憎んでいた勢力による妨害であった。しかし、ヘルマン・フォン・ウィードがこれらの勢力を政治力で沈黙させ、アグリッパは1533年に「オカルトの哲学」を完成させて出版している。アグリッパは、修道僧との議論に果敢に応じ、「戦争」という言葉を用いたが、人々の対立に「戦争」という表現を持ち込んだのはエラスムスであり、当然、アグリッパもエラスムスの影響を受けて「修道僧への戦争」という表現を用いたのだ。このことから、エラスムスまでがアグリッパを批判する勢力のやり玉に挙げられてしまった。アグリッパは、エラスムスやレフェブルほど歴史に残る業績を残したとは言えないが、彼らと同じぐらい有名かつ悪名高い学者となっていた。彼の家の前に「墓から生き返って歩いてきた死体」が置いてあったこともある。実際は、死亡した浮浪者を誰かが置いて行ったようだ。また、愛犬を殺されるなどしたため、彼はとうとうドイツを捨てて、フランスへ移った。ここで彼は生涯を終えるのであるが、彼の業績が残ったのはパオラ・ザンベリがアグリッパを評価し、死後にも業績を残そうと主張したからであり、ローマの異端審問者ライブラリーにその資料のすべてが納められている。
これが、アグリッパの生涯であるが、彼の業績を具体的にスタンフォード大学は研究している。論文の三分の一を彼の生涯の描写で終え、残り三分の二で彼の業績の研究の地平について描写しているのだ。
【生涯編-完-】

2011年7月23日 (土)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェスト2

「中国と特許の壁」
あなたのDVDプレーヤーの裏を見てみればわかるが、たいてい"Made in China"と書いてある。しかし、これらの技術はほとんどがアメリカや日本にあるので、中国は製造業の利益の半分をアメリカや日本に特許料として支払っている。しかし、現在の、原料価格高騰や、資源不足、人件費の値上がりを考えると、もはや中国は独自の技術開発をしなければ経済発展はないとされる。いままでは「トップダウン式」によって、巨大プロジェクトや、ナノテクノロジー研究、バイオテクノロジー研究、薬品開発を行うことができたが、これから独自の技術を開発するためには「ボトムアップ式」に切り替えることが政府レベルでも共有された考え方だ。中国は、技術の海外依存度を、21世紀の中ごろまでに現在の5割から3割までに減らす計画を立てている。また、国際社会に受け入れられるためには海賊版の規制も行わなければならない。中国も、最大の輸出国として知的財産の分野ではアメリカに妥協する方向を示しているが、官僚主義の支配するこの中国の今後を不安視するアメリカの政府関係者もいる。中国が西側諸国と透明性のある知的財産をめぐる仕組みの構築をしてくれれば、薬品開発の分野一つとっても人々の健康のためにプラスになるのだ。そのような仕組みの構築が望まれているところだ。「ディズニーランドは遠すぎる」などといって海賊版を作っているようではダメだということはもはや中国も認識しているのだ。
フォーリンアフェアーズ「中国と知的財産の壁」

「今、ドイツが強い」
ドイツが、製造業が好調で、中国に次ぐ世界で二番目の輸出国になった。東ドイツの統合後、ようやくドイツの経済が活況を呈し始めたのだ。アメリカが2007年から2011年の間に失業率が4・6%から9・0%になったのに対し、ドイツは8・5%から7・1%へと減っている。失業者も300万人を割ったのだ。輸出産業のドイツ経済に占める割合は三分の二にもおよび、今、ヨーロッパでもっとも経済力を充実させている国だと言える。
フォーリンアフェアーズ「ドイツの成功の秘密」

「アメリカ軍のリビア攻撃」
今年の4月にアメリカ軍は「アフリコム」というアフリカ遠征部隊を編成し、リビアにトマホークミサイルを110発を撃ち込むなどの「オデッセイの夜明け作戦」を展開した。しかし、北アフリカや、ソマリアのアルカイダの強烈な反発を受け、テロの報復の可能性が出てしまったのだ。ゲーツ国防長官は、そのためにイラクを訪問して事態の鎮静化を図ろうとしたが、この「オデッセイの夜明け作戦」がどのような結果をもたらすかは分からないのだ。
フォーリンアフェアーズ「アフリコムのリビア遠征」

「アフリカ周辺の海賊対策」
ナイジェリア沖で、商船が海賊に拘束され、フランス人船員やタイ人の船員が拘束される事件が起き、オバマ大統領が、アフリカの海賊対策の政策を発表した。世界の物資の流通の90%が海を通じて行われており、しかし、アフリカは利益の3%にも満たない。これは、アフリカの政治が海の可能性に無関心だったことが背景にあり、オバマは、アフリカの人件費の安さや物価の安さ、市場としての可能性などの潜在能力があるとし、港湾を整備して、海洋法を周知させれば、海賊にも仕事が与えられ、アフリカ周辺の安全の確保にもつながるのではないかと考えたのだ。アフリカの海の治安は悪く、沖の石油パイプラインから石油を盗んだり、漁船の違法操業、麻薬の密売などが行われるなど、問題は海賊にはとどまらないのだ。これらの問題も、アフリカの港湾整備、海洋法整備などを推進することでビジネスによる富を与えれば解決するとされ、国連やアメリカ、アフリカ連合などとともに、アフリカ海洋発展イニシアチブを立ち上げたところである。
フォーリンアフェアーズ「海賊から商業への転換」

「ドイツの移民問題の葛藤」
どの国も、自国の経済発展のために、高度な技術をもち高い教育を受けた外国人が必要であるという点には変わりはない。しかし、ドイツの移民問題を扱った著書「ドイツはドイツであることをやめるのか」という本がずっとベストセラーの地位を維持しているのだ。著者であるサラジン氏ががベルリンの財務担当であり、中央銀行のメンバーであることから、この本を一概に無視するわけにはいかないのだ。この本ではユダヤ人の「遺伝子」という言葉を使用したことから、サラジン氏は中道左派から追い出されてしまった。中道右派も態度を決めかねている。この著書の「多文化の共存政策は完全に失敗した」という見解に、ウルフ大統領もメルケル首相も批判的である。キリスト教民主同盟もこの著書を批判した。唯一、キリスト教社会同盟だけがこの著書を支持し「移民など必要ない」という見解に立っている。経済の発展のための労働力という見地と、民族統合政策は失敗だったのか、という指摘、その中で、著名な人物が書いた「移民の排斥」の論陣がベストセラーになり、しかし政治の現場からは批判が多い、という構図だろうか。
フォーリンアフェアーズ「ドイツの移民問題の葛藤」

「ヨーロッパユーロの守り方」
ヨーロッパ経済は、政治的失敗から危機に陥ることが多い。17か国からなるEUで1998年から通貨統合がなされたが、すべての国が同じ経済の安定性をもっているという前提がすでに壊れているため、もはやEUの拡大は困難になっているのだ。たとえば、ギリシャでは虚偽の財政に関する情報を公表したり、アイルランドも不安定な財政をもっていたりして、もはやドイツのような経済の安定性は持っていない。このことから、ヨーロッパ財政安定機構を設けて、今後数か月でギリシャは500億~1000億ユーロを受け取るとされ、これがもしスペインにまで波及したら6000億ユーロにまで達することが見込まれている。ヨーロッパ財政安定機構は7500億ユーロまでしかもっておらず、ポルトガル・アイルランド・ギリシャ・スペイン(PIGS)のすべての国の面倒は見れない。機構にはイギリスやフランス・ドイツなどの銀行が出資しているが、債券市場の安定というメリットがあるからお金を出しているのであって、不安定な財政を抱えた国をEUの領域内に抱え込むことは、EUの拡大がこれ以上は難しいことを端的に示している。
フォーリンアフェアーズ「ヨーロッパユーロの守り方~そしてEU」

「サウジアラビアとイエメンのジレンマ」
イエメンはアラブ諸国でも人口の多い国で2千4百万人が居住している。この国は部族単位で構成されているため、非常に政治は複雑に動いている。サウジアラビアのイエメン政策は「弱い国と位置付け、影響力を持つ」ということだった。しかし、若者がストリートで政治運動を始めたのだ。サレハ大統領は王宮の攻撃を受けて負傷してしまった。この複雑な政治体制をもつ国でサレハの入院は、民主化運動を激化させ、もし、サレハがこの地に復帰したら激しい内戦になるのは目に見えている。サウジアラビアは、王族による支配が行われていて、バーレーンの民主化にすら体制不安が起きているのだ。もし、イエメンで民主化が行われれば、サウジアラビアの体制はますます不安定になる。しかし、もはやサレハを支持することは自国の利益にならないのではないかと言われている。複雑な部族体制をとる国に単純に資金を流すというシステムではもはやサウジアラビアは影響力を行使できない。しかし、いろいろと反体制勢力を分析してみても、共和主義への移行しか選択肢はないことが明らかになり、サウジアラビアは自国の王朝支配を守るために、イエメンへの「影響力の維持と安定化」を守る手段があまりにも不透明となってしまった。医療支援を求めてきたサレハをこの地に戻すのか、それとも新たな体制に影響力を持つのか、サウジアラビアはイエメン政策で非常に困難な局面を迎えている。
フォーリンアフェアーズ「サウジアラビアとイエメンのジレンマ」

「トビリシの統治エリート」
ロシアの一部に「コーカサス地方」というのがある。山で隔てられた地域である。北部にはオセチアがあり、南部にはグルジア・アゼルバイジャン・アルメニアなどがある。北部のオセチアはロシアが領有しており、今まで、南部のグルジアと北部は二度、戦火にまみれている。旧ソ連時代に一度争っており、二度目はグルジアにロシア軍が介入し、グルジアは領土の20%を失ってしまった。ロシアはコーカサス地方を「18世紀以来の友人」と説明しているが、コーカサスの人々は「1801年から支配下に置かれた」と考えているのだ。二度目にグルジアがロシアと武力衝突した時に、グルジアはNATOやアメリカが「もはや助けてくれない」ということを悟り、西洋諸国よりも近くの友人を見る、という作戦に切り替えたとされる。つまり、イランであったりトルコであったりを重視し、「コーカサス連合」と銘打って、この地域の連帯を主導しているのだ。このことは端的に、北部コーカサスの人々にグルジアへの親族を訪問したり交易をしたりするのにビザを免除したことに現れた。今までは北部の人は、全く違う方向であるモスクワまで飛行機で行って、グルジアへの査証を得なければグルジアへは入れなかったのだ。それが査証免除により「数時間のドライブ」で往来が可能になった。中には、グルジアの安い車を買ってロシアで売る人まで出ている。専門家もこの政策には賛否が分かれており、「グルジアには中心になるだけの政策立案能力はない」とする人や、「いろんな民族がいる以上、すべての民族が自分たちの土地を求め始める。第二の中東になるだけだ」という人もいる。
今後の「グルジアのトビリシ統治エリート」の力量を拝見したいものである。
フォーリンアフェアーズ「トビリシからの手紙~コーカサス連合へ」

「アメリカの財政事情」
現在のアメリカの国家財政と2050年を比較してみよう。軍事予算はGDPの5%から6%に若干増えるだけだとされている。しかし、高齢者医療・障害者・低所得者医療は5%から12%に増加するとされる。つまり、アメリカの国家財政は医療保険制度の行方に左右されるのだ。いまのところ、オバマ政権は正しい方向を向いているとされている。しかし、教育への投資が医療保険制度へ向けられたため、公立大学の教員の給与が私立大学の教員の給与に比べて10%~20%低くなったことは広く知られている。アメリカの国家財政の強さは世界に影響を与える。それが、医療保険制度にかかっているのだから「福祉」もきれいごとではない。国家全体を覆う制度を作るにはアメリカにはあまりにも「リスクの高い地域・集団」と「リスクの低い地域・集団」の格差がありすぎるとされる。これが、アメリカの医療保険制度のもっとも難しい点であり、アメリカの将来だけではなく、世界に影響を与える問題となっている。
フォーリンアフェアーズ「健康保険はどのようにアメリカに影響を与えるか」

「オバマは戦争に学んでいる」
アメリカの大統領の政策決定の手法には、3つほどの選択肢を首脳が用意する方法と、さまざまな利害関係者を交えて方針を一本化する方法がある。選択肢を示す方法は、たとえば1953年にアイゼンハワーが対ソ連政策で、複数の選択肢を周囲に提示させて、急進的ではないが、敵対する方向性を示したことで知られる。この政策はその後40年間続いたわけであるから有効だったとされる。しかし、この「複数の選択肢」で政策を練り上げる手法は、最終決定に反対した人がいろんな情報をリークしてしまう弱点があるとされる。「私は異なる考えであった」ということから始まり、政策決定プロセスまでリークしてしまう人がいるのだ。逆に、コンセンサスを作り上げていく手法があるが、2006年にブッシュ大統領が何か月もかけて、対イラク政策でとった手法だ。イラクの首相の意見すら聞いている。しかし、ブッシュの方法はこの時は、さらなる追加派兵を求められることになり、あまりうまくはいかなかった。この、コンセンサスを作り上げる手法は、「サプライズ」を引き起こすことがあるとされる。自分の意見を聞いたはずなのにまったく最終決定に反映されていないではないか、という現象をいろいろな当事者に引き起こすのだ。どちらの方法もメリット・デメリットがあることが分かる。さて、オバマ大統領は、アフガニスタン政策においては2009年に政策決定を求められ、複数の選択肢を示す方法をとった。「まったく追加派兵をしない」「3万人の増派」「5万人の増派」の3つのうち、オバマは真ん中を選択している。この時に、アフガニスタンの指揮をしていたマックリスタルは「私は5万人を要求していた」といい、バイデン副大統領は「追加派兵をしないように主張した」ということをいろんなところでリークしている。このようなことをオバマはアフガニスタン戦争で目の当たりにしているのだ。さて、2011年7月に撤退を開始することになっていたアフガニスタンであるが、オバマは実は新たな思考法を採用し始めたのではないかとされている。アフガニスタンのカルザイと6月にビデオリンク式の対話を行っているのだ。オバマは戦争で学習しており今月からの撤退をどのように処理するのかが注目される。
フォーリンアフェアーズ「アフガニスタンでの合意」

「アメリカ・ヨーロッパの経済危機が中国の軍事力を強くする」
中国は、膨大なドル資産を保有しているが、アメリカが、軍事転用可能な航空宇宙技術や、その他の多目的テクノロジー技術の売却を禁じてしまった。そもそも、2008年のアメリカの経済危機は、ゼロ金利時代に、いかに有効な投資技術を生み出すかという観点から様々な技術が生み出されて、その代表例がCDSであった。しかし、これがアメリカ発の金融危機の引き金になった時に、アメリカが中国の「技術の買い漁り」を禁じたのだ。今回、2011年のヨーロッパの経済不安はギリシャで端的に表面化したが、財政危機を乗り越える手段は基本的に四つしかない。「インフレ・債務圧縮・デフォルト・デフレ」である。それぞれ複雑なメカニズムがあるがこの四つしかないのだ。中国はギリシャの国債の半分を2200億ドルで買い叩こうとしたのだ。それも、ヨーロッパに影響力をもち、ヨーロッパのさまざまな軍事転用可能な技術を買い漁ることが目的だとされる。アメリカやヨーロッパの経済不安は、中国の軍事力を強めるという思わぬ効果をもたらすという視点が存在するのだ。
フォーリンアフェアーズ「中国のヨーロッパ買い叩き」

「ノルウェーのイスラム教徒」
もともとは1960年代後半にモロッコやパキスタン、トルコなどから移民がノルウェーに来るようになったのが始まりだ。ヨーロッパ各国は国益を見据えて積極的に招いたのに対して、ノルウェーには自然に集まった。1975年にノルウェーは移民を禁止しているが、すでにいる家族との同居を求めたり政治難民などを理由に受け入れつづけ、1990年代には湾岸戦争やバルカン半島での紛争を背景にその数を増やした。イスラムそのものも多様であるが、ノルウェーでは多くが中産階級かその下に位置し、しかし、高い教育を受けることに恵まれている。10万人のイスラム教徒がおり、100のモスクがある。それぞれのマイノリティーが良好な関係を保っている。1987年には、カール一世がイスラム組織を選挙で総動員して勝利を収めるなど、政治的な存在感を示したこともあるのだ。しかし、湾岸戦争やバルカン半島での紛争などがあるたびに、ノルウェー国内でもイスラム教徒の立場は微妙なものとなっていった。9・11テロの時には「セキュリティーの問題」から、銀行の清掃員をやっていたイスラム教徒が解雇されている。ブレイヴィクは、そのような中で、反イスラムのネットコミュニティーで再三コメントをしていた。しかし、周囲の反応は「暴力はやめろ」という風潮だったという。そこで、ブレイヴィクは行動に出ている。与党労働党のユースキャンプが行われていて、イスラム居住区がある場所で多くの人を殺害している。ノルウェーの「多文化共生社会」は失敗だったのかという風潮がこの事件で生じたが、政府や議会は積極的にマイノリティーとの対話を進めていく方向を現在は向いているようだ。
フォーリンアフェアーズ「ノルウェーのイスラム教徒」





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2011年7月18日 (月)

美の概念

「美の概念の要約」
とにかく、人間が「美しい」と感じるのは「直接的」である。他人に薦められてとかいうものではない。しかし、「その道」の探求をした者しかわからない「美しさ」もあり、とにかく「興味がある」という点も重要だ。「美しいもの」「美しいふるまい」「美しい判断」「美しい経験」この4つについてまとめた論稿がこれである。女性の美しさから始まって、三島由紀夫の自殺の美しさまで、幅広い議論の基礎にある研究だと言っていい。
序文:人々が「美」の概念と「特別なもの」の概念を明確に区別したのは18世紀末だとされる。「美しいもの」をどのように評論するのか、どのように賛否が分かれるのか。あるいは「美しいふるまい」と「合理的なふるまい」はどう異なるのか。「美しい経験」とは、何かの型にはまったことを意味するのか、それともある現象に直面したことを意味するのか。「特別なもの」と「美しいもの」を区別する議論のたたき台になったのは西洋の絵画であった。しかし、いろんな方面に発展した哲学的議論である。美術鑑賞を自分の様々な美意識まで発展させるのにふさわしい研究です。英語のできる方の協力を求めています。「合理性」と「美しさ」の比較、「エゴイズム」と「美徳」との比較、こういったものが「美術鑑賞」の研究と深くかかわっています。「合理主義」は「美しさに説明を求める」という特徴がある。これはデカルトが数学こそがあらゆる言語よりも説得力がある、とした考えに由来するもので、18世紀には完全に人々はこの考えに支配されたと言っていい。しかし、これはヨーロッパ大陸系の考えであり、イギリスでは次第に批判が出るようになった。「美」とは「味わうもの」であり、原理や概念を超えているのではないか、とされたのだ。つまり、イギリスで「美しさとは直接感じるものである」という発想が生まれたのだ。イギリスでは、良いものは直接判断できるだろうという主張があり、たとえば、コックが、肉や野菜をごたまぜにしたシチュー(ラグー)を、独自のレシピで作っても、それをおいしいというかマズイというかは我々にまかせられているだろう、とされた。ずいぶんイギリスでは大雑把な議論がなされたが、大陸の方ではカントがこれを引き継いだ。詩人が作った詩に誰も共感しなくて、批判が浴びせられたら、詩人は布団を頭からかぶって黙っているしかない。どんな芸術も人々がどう感じるかに委ねられているという意味で、イギリス側の「美の直接性」という説明に同意する、としたのだ。カントは、そのような場合、その詩人の寄って立つ立場より優れたものが存在するというものを認めるか、批判こそが間違いであるとして、より良いものを作るしかないとした。しかし、このような「美の直接性」という議論に対して、さらに「合理主義」の側からの批判がなされた。ラグーに比べて、詩や絵画は複雑性をもっているとし、先人の業績や法則性に満ちた世界であり、その評価もすぐには分からないことが多い、としたのだ。「美は直接味わうものなのか」という論点は、デカルトの合理主義に、イギリスが提示したものであり、それにカントが同調し、さまざまな論者を呼び込んだのだ。「美の直接性」という議論は結局、ヒュームが結論をつけたと言ってよい。芸術作品の評価は、その手法が確立していなければならず、その対象をいかに適切に評価するかは、理論の発展を待つほかはないだろう。他の作品との比較や、多くの先人の業績の蓄積、その複雑さの解明が必要だ。もちろん、大自然の美しさの表現にまで合理性を求めることはできないが、「ファインアート」の世界では、やはり合理性が必要であり、また、その一環として我々の感性が用いられるのである、としたのだ。

注)女性の「美しさ」も、自然に由来するものならば「直接感じる」ものであろうが、「ファッション」「化粧」などの「ファインアート」ならば「合理的な説明が可能」ということだろうか。しかし、美容整形も「ファインアート」だと言える。どこまでを「自然」とみなし、どこまでを「ファインアート」とみなすかは性別や・その人によってさまざまであり、俺は「ファインアート」すら「自然」に分類しているので女性に付け込まれることが明らかになった。

「美の概念」には、エゴイズムと美徳という観点からのアプローチがある。たとえば、人々のエゴイズムは周囲に不利益をもたらすが、美徳は人々に安心をもたらす。そういう美徳にしたがった表現に人々は喜びを感じるのではないか、という説が唱えられた。美徳の中に喜びを見出すのが「美」であるとするのなら、それは「自分の利益だけを考えたものではない、私心のなさ」が「美」の根拠にあることになる。エゴイズムと美徳の観点の導入は「私心のなさ」こそが人々を喜ばせるという観点を生み出したのだ。芸術における「私心のなさ、公平中立」という観点も18世紀に一大論争を引き起こしている。「私心のなさ」というのは感じるものなのかもしれないし、技術の探求の中に見出せるものなのかもしれない。しかし、「私心のなさ」というのはモラルの問題でもあり、モラルと美がどのように関わるのかが問題になってしまう。モラルと美の関係が「美の根拠は私心のなさにある」という仮説におけるテーマとなった。人々が「美を堪能したい」「喜びを感じたい」というのは自分の利益を求めているし、アーティストが創作活動というアクションを起こすのも「表現したい」という自分の利益を求めている。しかし、作品から喜びを見出し、美を見出すことの根拠は「私心のなさ」にあるという仮説は、人々のふるまいや判断をその方向にもっていく効果があるとされる。人々は芸術作品を見て「美しいふるまい」「美しい判断」がしたいと願うのであり、そこにはやはり「私心のなさ」があるのではないかとカントは主張したのだ。カントが「美の概念」の先陣を切る形で「私心のなさ」という仮説を打ち立てたが、この主張は「概念として狭すぎるのではないか」と批判された。美には「判断」「感情」「質」などが含まれており、感じたり、言葉で表現したり、自分の内面や外部のいろいろなものから感じるものであり、ときに人々に「希望」すら与えるものであることが明らかになり、「私心のなさ」だけで果たして説明可能なのかが議論された。しかし、今日にいたるまでこの仮説は根強く残る強さをもっていたのだ。

注)美容整形のCMで「世界平和」という言葉が流れるが、美は「私心」がないのであろうか・・・。

これからは翻訳という形ではなく、理解したものを大雑把に書こうと思いますが、総論で提示した「美しさとは直接感じるもの」「私心がない」という二つの観点を我々は「極端までに推し進めたらどうなるだろう」という実験をすでに終えているということが大事だ。フォーマリズムがこれを終えている。我々は、科学の進歩などの時代背景の異なる時代に描かれた作品を見ているのだから、その時代背景も考慮するのか、あるいはその必要はないとするのかという視点もある。フォーマリズムは「過去の作品のデータの蓄積は必要ない」とまで言い切ってこの「二つの視点」を究極まで追求するという実験を行い、人類に経験をもたらしてその役割を終えている。美術館に行ったら「係員にことばで説明してもらう」のが正解なのか、見ればわかるというフォーマリズムに立つのかの違いがあった。20世紀の中ごろまでにはこの実験は終了したと考えられている。それから芸術の世界は新時代に入ったのだ。
ケンドール・ウォルトンが「カテゴリー・オブ・アート」という有名な著書で、フォーマリズムを批判した。彼は、ピカソのゲルニカをどう評価するつもりか、と論じたのだ。「暴力的で、ダイナミックで、躍動感があり、破壊的だ」というのと、ただ「ゲルニカである」というほど意味が違うではないかという点を指摘したのだ。ただ「ゲルニカである」というのではそこいらの壁紙と何も変わらないとした。フォーマリズムの時代に生きながら、ピカソは時代に全く異なるものを発信していたのではないか、とウォルトンは論じだのだ。ウォルトンは「美しいものを美しいと感じるという意味ではフォーマリズムは正しいが、共通了解をもたなければ意味がない」としたのだ。
アレン・カールソンは「美術を鑑賞する際には、美術ソサエティの共通了解を知るべきである」とした。クジラを見て、なぜアメリカ人はあれほど愛着を持つのかというと、ナチュラルサイエンスの知識があるからであり、そうでなければ魚と哺乳類の区別はしないだろうとした。
アイゼンバーグは言った。たしかに、芸術作品がどのような基盤に立脚し、どのような要素に分解できるかを評論するかは可能であるが、しかし、もしそれらに完全な法則があるとするなら、私の仕事はもっと簡単になるのだが、現実の「美」はそんなに単純なものではない、と。
しかし、芸術家にも「ランキング」があるだろう。これを評論家はどのように判断しているのだろうか。アイゼンバーグは「一定の方向性を示している」とするにとどめている。細部を分析し、パーツの構成を考え、対象のパターンをグループ分けするなどしているとしているのだ。
美の評論と価値の評価の手法を詳細に展開したのは21世紀に入ってからフランク・シブレーが著書で明らかにしてからである。かなり詳細な著書があるようだ。
「美の概念」スタンフォード哲学百科事典

Approach to Aesthetics: Collected Papers on Philosophical AestheticsBookApproach to Aesthetics: Collected Papers on Philosophical Aesthetics

著者:Frank Sibley
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死後の世界~高齢者と死の意識

序文:
人間は年老いたら死ぬし、体は朽ち果てる。しかし、死んだ後も自分は不滅であるという考えは「死の否定」とは別の意味で広く共有されている。しかし、多くの人は「深く考えない」という対応をとっているとされ、中には「死を考える必要はない」とする人もいる。しかし、この重要なテーマに対して「考える必要はない」と言い切るわけにもいかず、この論稿はその「死」と向き合うものである。大きく分けて「自分は死んだ後も生き残れる」という発想と「何か別の世界に行ける」という発想をみんな取っているとされる。「生き残り」と「別の世界」という発想が死に向き合った人の共通の考えなのだ。「別の世界」という発想は、自分が死んだ後にも何か新たな体験があるのだろうと考えるものであるが、「生き残り」という発想は、自分が生きていたコミュニティーで記憶として残るという点を重視する。この「生き残り」という発想を考えたのはギリシャ哲学だ。実際に生きている人は、すでに亡くなった人を記憶として残しているのは実感している。だから当然、何らかの批判に耐えうる人生を歩んで自分も人々の記憶に残りたいと考える発想があって当然だ。これは宗教以前の説明になる。仏教では「輪廻転生」「涅槃」などという説明があるが、涅槃に関しては一体どういうものかという詳細に関しては仏教界の中枢は沈黙しているとされる。生きているうちに目撃した「他人の死」から学ぶ方法と、宗教の方面から研究する方法があることが分かる。宗教の方面からの説明は多様なものがあり、その人の信仰に委ねるとして、本稿ではより現実的に、「人々の記憶に残る」という発想への「二元論からの批判」「「唯物論からの批判」「臨死体験の研究が人々の死生観にどのような影響を与えるか」「形而上学的な”死”の探求」に関する記述で本稿を終える。政治家のおじいちゃんたちは「歴史に残る業績を残せばいつ死んでもいい」と考えるだろうし、庶民は「さんざん贅沢したらいつ死んでもいい」と考えるだろう。それぞれ「二元論」であり「唯物論」だ。
「二元論について」
まず、「死んでも人々の記憶に残るではないか(生き残り)」という視点が、人間の「死」とどう関わっているかが二元論の立場から批判された。二元論は「心と体」を二元的にとらえ、もし人が死んだら、物質的には体は消滅する。では、人々の心に残るものとはなんであろうか。少なくとも「魂」までは残らない。ほとんどの人がその人の魂までは知らないのだ。せいぜい「外見の印象」であったり、肉体に関する記憶を残しているに過ぎない。そしてその肉体は死んだらすでに消滅しているのだ。まずこの観点から「生き残り」は批判されることになった。
しかし、この「二元論からの批判」もさらに研究が必要だった。その人が生きている間に、人々は「その人」と認識しており、なぜ亡くなった途端に「心と体」に二元的に区別するのだろうか、という形而上学的な批判にさらされたのだ。死をきっかけになぜ急に二元的になるのかと批判されたのだ。認識論の観点からも同様の批判があった。
二元論の立場からは、生きている間も人間の「魂」は肉体をはなれて存在しており、物事を考え、信じ、何かを望む営みもすべて魂の作用であるとし、それは死んでも不朽のものではないか、としたのだ。魂の不朽から「人々の記憶に残る実体がある」と説明したのだ。しかし、「魂の不朽」とまで議論を始めると、実際に死に直面している人にとっては何のリアリティも持たない議論になる。人間のDNA識別をするように、個々の魂をどうやって識別するつもりなのか。非常に抽象的な議論になってしまい、この「魂が人々の記憶に残る」という主張は急に切れ味が悪くなるのだ。人が死んだら「魂が抜ける」という発想は、アメリカ人にはなじみがあまりないらしく、「なぜ死んだら魂は肉体を放棄して抜け出すのか」と議論する。その議論なりイメージなりが「死」に直面した人が本当に想定しているのだろうか。漫画でそのように描かれていても、死に直面した人が体感するものであるということは証明できないだろうとするのだ。
H・H・プライスは、「死んだら魂が抜ける」という説明に一定の答えを与えた。1953年の著書だ。人々は死んだらテレパシーで交流し合う一つのイメージの世界を構築するのであり、そう考えるのはイメージとして受け入れやすいとし、もしそうは思わないのであれば思わなければいいだけだとした。
注)手塚治虫の「ブッダ」で描かれている「宇宙」とは、人間の魂のかたまりが球状に一つになっていると説明されており、これが「ブッダの知りたいことだったはずだ」とブラフマンが説明する。しかし、これは、プライスが1953年に論じた議論とまったく同様の説明であったことになる。
論者は、このような説明では、たとえば個々の魂に記憶はあるのだろうか、とし、多くの部分で問題の多い議論であるとみなした。たとえばさまざまな宗教で説明される地獄界などの説明を一切省略していたりするのだ。しかし、この発想の世論の受け止め方はむしろ「唯物論」からの説明に比べてはるかに好意的だった。
「唯物論からの批判」
死んでも人間は生き残る(人々の記憶に残る)という説明は、唯物論からも批判された。しかし、唯物論は当然「魂の不朽」は相手にしないだろうが、批判の標的は「復活」に向けられたのだ。死後の「復活」があるのなら、当然、いずれ復活するであろう死んだ人を人々は記憶にとどめておくことになる。この「復活」はユダヤ教・キリスト教・イスラム教などにおいて共通の発想であるが、発想の基盤はそれぞれに異なるものだ。唯物論から見る「復活」に対する議論が「死んでも人々の記憶に残る(生き残り)」の議論の中心テーマとなったのだ。
唯物論者は、死んでも魂は永続するという発想を根拠のないものとし、そのため、死んだ人が復活するというのは、死んだ人と復活した人をどのように同一人物であると識別できるのかとした。人は老人になって死ぬだろう。それが若者として復活するのだろうか。そういった部分が全く詰め切れていないし、追究すれば説明できないことばかりなのだ。
この批判に対して、「神は人を死んだときの姿でよみがえらせる」とした人がいたが、「神が」行うのならばなぜ死んだときなのか、若い時ではいけないのか、他の選択肢も神ならば採用できるだろうと批判した。また、死んだときの姿で「復活」するという考えをとるのならば、他の人の臓器移植を受けていた場合はどうなるのかとされる。ドナーも「死んだときの姿」で復活すると説明するとたちまち議論は困難なものとなる。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の核心に関わる議論であるからこそ、哲学の方面からもなんだかバカバカしく思えるような議論を真剣にぶつけたのだ。
「死んだときの姿でよみがえる」という説に対して、まず、神は全知全能であることから、たとえば、457年に燃やされてしまったはずの聖オーガスティンの論文が、神の手によって翌年復元されたとされる言い伝えに着目する説がある。神は細部に宿るともいえる説だが、一人一人の、「全体の第一印象」で人々は「復活」するのではないかとされたのだ。一般に、その人の同一性はその人の肉体にはないとし、その人の「印象」が復活するとされたのだ。その人の同一性は肉体にはないとしてしまうと、その人の持っている考えや判断力で区別されるようになるが、それではみんな似たり寄ったりのものが大勢「復活」するのかとも議論された。同一性は「肉体」に依存する部分が大きいのだ。そのため「全体の第一印象」が復活するとされた。
一方で、人が死んで、別の肉体として復活するという考えに反対する説もある。なぜ人は別の肉体に乗り移るのだろうか、とし、そもそも神は人間をこの世に「生まれさせている」という点に着目するのだ。この力は神の強烈な力であり、復活だって「二度目に生まれる」ことが可能だろうと考えるのだ。神の強烈な力によってふたたび生まれるのが「復活」であり、それがどのような形になるかを追究するまでもないとするのだ。
唯物論は人間が死んでも「復活」があるから人々は死んでも記憶に残るという現象を自らの立脚する立場から批判的に検証したが、唯物論者にもキリスト教徒はいたのだ。復活を信じる唯物論者の中には、人が死んだら、その肉体が朽ち果てるまでに、神はその人の脳や主要な肉体の厳密な検証を行い、それに基づいて復活がなされるのだろうとした。しかし、現代のあらゆる医学をもってしても「主要な臓器」から新たな生命を作ることはできず、「神の領域」に全部委ねる理論には変わりがなかった。そのため、この論者も、「何らかの主要な臓器の連続性があるのだろう」と発言を後退させた。しかし、この議論が唯物論者の公約数的な見解となっているようだ。
さて、二元論の立場や唯物論の立場から「人間は死んでも人々の記憶に残る」という点を説明してきたが、さらに検証が必要なのが、やはり「臨死体験をした」などの体験談が「死に最も近づいた人」である以上、死を語るうえでは無視できないのだ。そのような点を研究してみようと思う。

なぜ、「死」を語るうえでスタンフォードが「臨死体験」に注目したかというと「経験主義」的に死を語るのなら無視できない存在が臨死体験だったのです。
テレパシーなんていうのも、生きている私たちが「死の体験」を経験主義的に語るうえでの貴重な経験になります。「肉体が消滅しても何かあるのではないか」というのが死の研究でもあります。哲学的には「死んだ後も自分のことを覚えておいてもらいたい」という発想だろうと割り切れるあらゆる思想も、経験主義からアプローチするのなら「臨死体験」「テレパシー」などから切り込んでいくしかないのです。
臨死体験の証言者の研究をするうえで重要なのが、彼らは望んでそのような経験をしたのではないということと、多くのデータが存在すること、証言がおカネ目的ではないということが大事だとされます。これらの基盤があればかなり真面目な研究ができるのです。哲学がいくら理屈を言っても「経験者は無視できない」ということも背景にあります。
臨死体験に共通するのは「平和で痛みがなかった」「光に包まれた」「人生を振り返った」などだとされる。これらの経験は実は登山家の言う「最終落下」と共通していて、薬物や酸素欠乏などでもたらされる症状であるとも言われます。彼らは「臨死体験」からは、「何も教訓は得ない」「人生を変えるわけではない」としていて、「肉体に戻るのは嫌だった」と証言している。
臨死体験を研究することは、「死後の世界」を論じるあらゆる形而上学的説明を弱体化させると言われる。「別の世界は想定できない」というデータが出ているのだ。ある説明では、知識や五感の作用で得られる感覚はあるけれども、それらの情報に対して感覚がなく無責任になっている状態が「臨死体験」ではないかとされる。しかし、実は臨死体験というのはかなり希望の持てない研究であり、あらゆる人々から批判を浴びなければならない研究でもあるのが現状だ。

【つづく】

「死後の世界」スタンフォード哲学百科事典

2011年7月17日 (日)

フォーリンアフェアーズ英語版~ダイジェスト

「北朝鮮の戦術はもはや予測可能」
北朝鮮は、金日成の時代から、経済発展をした韓国と対等に戦うためには、国際社会しか頼るものがなかったが、国家そのものが、中国・ロシア・日本・韓国・アメリカが向き合う「中立地帯」に位置することを最大限に活用するという戦術をとり、それが大成功してきた歴史だったことが明らかになっている。基本的に「外部に敵を作り」「国内の反動分子を粛清する」方針を北朝鮮はとっており、オバマ政権は、北朝鮮の「確立した」外交戦術を見透かして「戦術的忍耐強さ」という政策をとったところ、これが見事に機能したのだ。歴史を振り返ってみると、北朝鮮は、公海上で拿捕したアメリカ艦船の兵士を殺害し、拷問して11か月後に釈放するなどして、常にアメリカを怒らせることを考えていたのだ。このことで北朝鮮は「得をする」ことを学習してきたのだ。アメリカがベトナム戦争で苦しんでいては、その隙を突き、イラク戦争で苦しんでいては同じことを繰り返す。それが孤立した国家にできることだったのだ。ブッシュ政権はこれに耐えかねて、経済制裁を緩和し、テロ支援国家の指定も解除してしまった。しかし、アメリカ側は着実に「データ」をとり続けていたのだ。アメリカがリーマンショックに陥った時も、核やミサイルでしきりにアメリカを怒らせようとした。また、北朝鮮の観光地を歩いていたアメリカ人すら殺してしまった。しかし、オバマ政権が「戦術的忍耐強さ」という政策をとり始めてから、北朝鮮の「王朝マネー」が一気に収縮し、北朝鮮での処刑の数も減ったのだ。北朝鮮が「人権」というものを考え始めた。今や、ゲームの主導権は北朝鮮にはなく、アメリカが握っていることが明らかになったのだ。金正日はすでに心臓麻痺を起こしたこともあり、もはや、その命運も「かつてのソ連」とまで言われている。
ゲームはデータがすべてだったのだろうか。
情報源:フォーリンアフェアーズ「平壌プレーブック」

「中国の膨張は戦争につながるのか?」
中国の膨張が21世紀の国際社会の最も重要なテーマになることは間違いない。しかし、これがどのような結果をもたらすのかは見解の相違がある。今まで、「膨張する」と言われた国は日本やEUも含めて、理想論に終わっており、中国もその一つの加わるに過ぎないとする見解もある。しかし、中国の膨張は、地政学・経済学・歴史学などの観点から盛んに議論されている。もし、米ソの冷戦のようになるのなら、地政学的には中国は非常に恵まれた位置にあるとされる。一方で、中国の今までの経緯を考えると、アメリカを中心とした秩序に組み込まれる形でむしろ周辺国にも繁栄をもたらすのではないかとも言われる。しかし、冷静に分析している人は、中国は東シナ海・南シナ海で非常に攻撃的であり、それを、アメリカとインドの連携で包囲している現状がある点を指摘する。いずれにせよ、中国の膨張がどのような形でエンディングを迎えるのかは、今のところ専門家でも見解が分かれているのである。
フォーリンアフェアーズ「中国の膨張は戦争につながるのか?」

「ロシア~石油次第ではレーニン主義が生きていた」
アメリカとロシアは昨年、外交面での「仕切り直し」を宣言した。ロシアは出生率が1・5から2・1へと上昇し、中央アジアからの移民も多く、ウラル山脈の向うや極東ロシアも安定的に保持し続けるだろう。また、中国とも頻繁に交易をおこない、原油価格も1972年の1バレル=2ドルから、2010年の1バレル=150ドルになったことが経済の追い風になっている。しかし、もしソビエトが崩壊していなければ、この原油価格の値上がりはソビエトへの追い風になっていたはずであり、ゴルバチョフやエリツィンがいなくても、アンドロポフが国家に君臨していたことになる。この国がどんな体質をもっていようが、原油次第で国力が決まり、今後20年後の国家像が非常に見えにくい国であるとされる。
フォーリンアフェアーズ「モスクワの近代化のジレンマ」

「イスラエル~パレスチナ問題の難しさ」
オバマ政権はパレスチナ問題の解決を主要テーマにしてきたが、問題点が明らかになってきている。「東エルサレムやヨルダン川西岸地域をイスラエルがどうしても譲れない」という点に核心があるのだ。この地域を得るために今までどんな努力をしてきたのかという思いが強いのだ。これはシオニズムとも深いかかわりをもっている。また、イスラエル軍の今まで行ってきた破壊的行為が問題の解決を困難にしている。パレスチナの財産を破壊するだけでなく、略奪行為などを公然と行ってきたのだ。パレスチナとしても納得のいくものではなくなっている。かりに「パレスチナ国家」をこれらの地域に作ったとしても、いつ、イスラエルが侵略をするかもわからず、なかなか簡単には解決できない問題となっているのだ。イスラエル側も、テロで数千人の命を失っている紛争であり、そもそも新国家独立を容認できないという点が「東エルサレムへの思い」にあり、さらに、独立してもいつ侵略があるか分からないという問題があるのだ。
シオニズムと東エルサレムの関係というのは理解しておいていいだろう。
フォーリンアフェアーズ「問題の解決にまとわりつくもの」

「レバノンの裁判とシリアの反撃」
2005年にレバノンのラフィク・ハリリ首相が爆弾により暗殺された。ハリリは「シリアのレバノンへの影響力を排除する」という政策をとっていたことから、当初から、ヒズボラとそれを支援するシリアが暗殺に関わっていることが疑われた。国連は国連憲章第7章の規定にしたがって特別法廷を設置し、真相の解明を行おうとした。ところが、法廷に関与する人々が次々に暗殺されていったのだ。法廷側は「ハリリ首相の葬儀はレバノンに一切関与させない」と発言し、シリアを追い詰めて行った。法廷に関与して殺された人も「ハリリ首相暗殺にともなう一連の犯行」とみなして法廷で裁くことを決定した。7か国が、ハリリ首相暗殺の背景を調査し、首謀者を特定しようと試みている。しかし、首相レベルの暗殺にはかなり高度なレベルの政治意志が関与していることは明らかであり、そのために法廷側も多くの命を失ったのだ。レバノンでは半数以上の人間が法廷側に非協力的であるとされ、だからと言って「劣ったレバノン国民」と呼ぶわけにはいかない。そのような困難を抱えながらも「首謀者の特定」こそが、レバノンという国家をいい方向に導くためのカギを握っているのだ。
フォーリンアフェアーズ「レバノン~裁判の日」

「トルコの成熟した外交政策」
トルコのエルドガン首相が7月に3選を果たし、声明を出した。「この勝利はトルコだけのものではなく、ベイルートの勝利であり、ダマスカスの勝利であり、サラエボの勝利であり、ラマラやナブルス、ジェニン、ヨルダン川西岸の勝利である」とした。これは、トルコの外交政策が中東の様々な地域に安定をもたらしている事実への自信を表明したものだ。トルコは非常に民主的で、住民の自治組織も進んでいる。アメリカすら「トルコの民主的な体制がなければ、もはや我々は中東では力が維持できない」とすら言っているのだ。今年の「アラブの春」において、トルコの外交政策は卓越していた。チュニジアにおいても、エジプトにおいても、アメリカが自国の利益だけを考えてダブルスタンダードがひんしゅくを買ったのに対して、トルコは「民主化」の側につくのが容易な体制をすでに構築していたのだ。そのため、各国の信頼を集めた。しかし、リビアにおいては、すでに莫大な投資をトルコが行っていたため、なかなかカダフィを批判しきれなかったとされる。しかし、リビア在住のトルコ人の引き上げが完了したら、たちまちリビアの民主化を支持している。トルコの外交政策は「問題のない中東」という政策だ。トルコには「クルド人の問題」というのが存在し、これは野党勢力でもあり、テロの温床でもある。シリアがクルド人を支援しているのだ。しかし、シリアでも民主化運動が起き、これをトルコが支援した。イスラエルの問題においてはパレスチナを支持しているとされる。中東では、世俗の権威主義と、イスラムの権威主義が争っているが、トルコのような民主的体制を目指すと公言する指導者もいて、現在のトルコは「かつてのオスマン帝国」とまで言われている。トルコは「問題のない中東」において通商を促進し、民主化の進んだ制度を基盤に外交力を高めることを政策としているのだ。現在の中東においては最も注目すべき国家であり、エルドガン首相は「この半世紀で最も人気のある首相」とまで言われている。
フォーリンアフェアーズ「トルコの成熟した外交政策」

「食品価格は変動幅の大きさが問題なのではない」
食料品の価格が現在、史上最高値を記録している。背景にはアジア圏での経済発展による需要の増加や、アメリカでのバイオ燃料の需要増加に加えて、オーストラリア・ロシア・南アメリカでの農作物の不作があるとされる。世界銀行のゼーリックや、フランスのサルコジなどは「価格の変動幅(ボラティリティー)が問題である」と指摘するが、これは的外れと言っていい。食料品価格の高騰は、貧しい人々を直撃するが、農家はむしろ豊かになる。しかし、変動幅が大きくなると、穀物メジャーが投資した分の回収が困難になるとされ、変動幅は貧困層にはあまり関係ない。変動幅が大きいだけならば、消費者は、別のメニューを選択すればいいだけであり、他の食品の高騰を眺めているだけでいい。ゼーリックもサルコジも「変動幅」には注目するが、「価格の高さ」には注目していないという点で完全な過ちを犯している。変動幅に注目すると、国家の政策も「農家への補助金・価格安定策・輸入禁止」などの誤った政策を誘発するとされる。今は、「価格の高さ」に注目して、世界で貧困層が4千4百万人増えたことに注目すべきであるとされる。「変動幅」が大きかった時代は過去に何度もあり、1970年代はもっとひどかった。「変動幅の大きさ」と「価格の高さ」は全く異なる概念なのである。
フォーリンアフェアーズ「食料品の変動幅がなぜ問題ではないのか」

「オバマは大局的な戦術をもっているか」
現在の不確実な時代には、オバマに何らかの「ドクトリン」を出すように求める声がある。そのほうがいろんな国々がそれに応じて行動できるというメリットがある。実際に、アメリカはそれがなかったために中東から明らかに後退している。シリアへの介入の際に「ドクトリン」が強く要請された。しかし、そんなに「ドクトリン」が必要であろうか。ブッシュ政権は「ネオコン」の連中が強烈なドクトリンをもっていたが、アメリカにはマイナスにしかならなかった。大事なのは、言葉に出すのではなく、心の中で「大局的な戦術」を考えておくことであり、それをさまざまなシグナルとして対外的に発信することだと思われる。心の中で考えておいてくれるだけで、アメリカ人は国内の人も国外の人も行動が容易になるのだ。
フォーリンアフェアーズ「オバマは大局的な戦術をもっているのか?」

「NATO~リビアで分かったこと」
NATOは金融危機以降、予算の削減を受けざるを得なかった。アフガニスタン戦争が「おそらく域外では最後の戦争」と言われていたが、リビアでの展開は全く予想外だった。しかし、予算の削減にもかかわらず、十分な力を保持していることを証明している。これはヨーロッパに非常に安定感をもたらした。また、爆撃機・戦闘機・艦船のみならず、偵察機や補給機の重要性が明らかになった。偵察機や補給機でどれだけ救われたかを実感したのだ。リビアへの軍事展開において、途中でカダフィが戦術を変えたため、NATOも「精密なピンポイント爆撃」に戦術を切り替えるのに成功している。今後のNATOは、地球規模でいろんなことが予測不能であることや、今後もさらに予算の削減を受けるであろうことも踏まえて、それでも現在の力量を保持し続けることができるかが問われている。
フォーリンアフェアーズ「リビア後のNATO」

「スーダンの現状」
今年の一月に、南スーダンで選挙が行われ、95%の投票率を記録した。2005年に停戦合意が行われてから、ようやく南スーダンは独立の方向へ動き出した。しかし、スーダンのアル・バシール大統領は非常に困難な立場に追い込まれた。今までは武器の調達もリビアのカダフィの支援で行えたが、今はチュニジア・エジプト・イエメンなどの周辺を世俗の政権をもつ国家に囲まれていて、イスラムを標榜するアル・バシールとは良好な関係にはない。何年か経てばこれらの周辺国もイスラム色を強めるだろうとされているが、時間が残っているかは分からないのだ。南スーダンは、スーダンの石油の80%を握っており、もし南が独立したら、北が崩壊するのではないかとも言われている。アル・バシール政権では腐敗が行われていたり、最近では軍幹部の粛清も行われた。南スーダンが独立しても決して地域は安定しないのではないかとされている。
フォーリンアフェアーズ「スーダンの斜陽」

「ペルーは左翼化するのか」
ペルーでウマラ氏が大統領選挙に勝ったことから、アメリカが神経をとがらせている。かつては毛沢東主義をとったこの国も、その後は、アメリカとの協調関係を維持して、豊富な鉱物資源を背景に、経済力を高め、経済成長率は6%と、南米では最も高い数字を維持している。貧困層も5割から3割まで減った。当然、この状況が大統領選挙でも維持されるものと思われたが、親米派がことごとく選挙の得票を得られなかった。人々は、経済成長は歓迎しつつも、腐敗や犯罪、大気汚染などの問題を重視しており、その改善を求めていたのだ。最後に残った候補者は、アルベルト・フジモリの娘であるケイコ・フジモリとウマラ氏だった。しかし、フジモリ元大統領も、インフラ整備などで国家に貢献したものの、権威主義や腐敗などが批判されていたのだ。ケイコは父親の人脈とのつながりが強すぎるとされて、一挙に攻勢に出たのがウマラ氏だった。ウマラ氏は、ブラジルのルラ大統領をモデルにすると公言し、赤いポロシャツに笑顔の宣伝ポスターをばらまいた。最後には3ポイント差で大統領選挙を勝ったのだ。このことが、南米に与える影響は大きいのだ。ペルーは、アメリカの次に中国との経済のつながりをもっており、ウマラ氏が大統領になってから最初に訪問した国はブラジルだった。中国は南米の各国とも結びつきは強く、中国の存在感がペルーの行方次第では高まることになる。このことから、アメリカはチャベス大統領とウマラ氏のつながりを分析したりして、ペルーが左翼化の道を進むのかを注視している。ウマラ氏はオバマ大統領とも良好な関係を築くとはしているが、汚職や犯罪、環境汚染などの問題も含めて、どこまで中国が南米に食い込むかは分からないのだ。
フォーリンアフェアーズ「ペルーは左翼化するのか?」

「今、ドイツが強い」
ドイツが、製造業が好調で、中国に次ぐ世界で二番目の輸出国になった。東ドイツの統合後、ようやくドイツの経済が活況を呈し始めたのだ。アメリカが2007年から2011年の間に失業率が4・6%から9・0%になったのに対し、ドイツは8・5%から7・1%へと減っている。失業者も300万人を割ったのだ。輸出産業のドイツ経済に占める割合は三分の二にもおよび、今、ヨーロッパでもっとも経済力を充実させている国だと言える。
フォーリンアフェアーズ「ドイツの成功の秘密」





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2011年7月 4日 (月)

インド・チベット仏教の倫理【第一部】

序文
仏教はつい最近まで、西洋の哲学の影響を全く受けずに「豊かな知恵の文化」を育んできた。人間がどのように生きるべきか、このような場合にどう対処すべきかという問題への多様な答えを提供するものだったのだ。また、魂を純化させて、人を愛するということを大事にする教えでもある。多様な宗派があるが、個人の魂の救済や「世界の苦しみを癒す」という点では共通していると言っていい。仏教の道を歩むものは、規律にしたがうことが求められ、破壊的行為への戒めを守らなければならない。しかし、一度、魂が高いレベルまで到達すると、規律を超越して行動も自然に他人の利益のためになるとされる宗教なのだ。
仏教は、非常に高尚で厳格な倫理的価値を提示している。そして、それを現実世界に広めなければならないと考えているのだ。仏教徒の価値観では「動物とはすばらしいものだ、そしてさらに人間とはすばらしいものだ」と考えている。そのために殺生を禁じているのだ。菜食主義を基本とし、暴力を避け、自然との共生をしながら生きていくのを美徳とする。しかし、人間はどうしても暴力や殺し合いをするものだ。そのような場合にどのように情熱や人間愛と共存するかという研究がまさに仏教の核心なのだ。
仏教は、人間がどうやったら苦痛から解放されるのか、我々の心が悪い感情や考えからどのように抜け出すことができるのかを探求した。結局、破壊的行為への戒めを守り、周囲の人への思いやりという心を非常に重視する。仏教の答えは「他人を思いやり、助けてあげればみんなが幸せになるだろう」というものなのだ。人々が殺し合う世界でこの思想を実践した人間がもっとも尊いと考えられた。「信者」と言われる人間がこの思想を実践する以上、その共同体は安定する。人々を愛し、安定を望む人は、この共同体に属することを望んだのだ。その「人々が殺し合う」現実がある以上、他人を思いやり、人を助けた人は結局、霊的に高い位置にいた人だった、と説明されるしかなかった。現実の世界ではそう説明しないと、その人は救われないのだ。仏教徒は「良いもの」「技術的に優れたもの」「美しいもの」への称賛を惜しまない。それらを生み出すには修行が必要なことが分かっていたのだ。そのような共通認識のある共同体は好ましい方向に物事が進むのだ。規律にしたがわないと「良いもの」「技術的に優れたもの」「美しいもの」は生まれない。だからこそ、規律を守り、他者を害しない共同体を強烈に志向したのだ。そういう規律を守った人が救われる概念が「輪廻転生」に他ならなかった。
「仏教における地獄絵図の哲学」
怒りや憎しみの中を生きた人は、体を引き裂かれ、燃やされ、凍らされる。体を引き裂かれ、燃やされ、凍らされるというのは「怒りや憎しみの感情」が人間にとってそのような意味を持つという意味がある。欲望のままに生きた人は、巨大な腹を抱えて、小さな口でひたすら食べ物を探す。小さな口にも入る食べ物を見つけて口に入れると途端にそれが火に化ける。これも「欲望」というのが人間にとってこのようなものであることを表現している。愚かなふるまいを繰り返した人は動物にされる。愚かさは本能のままに生きていたことをこれで表現している。結局、「地獄」というのはただの拷問ではなく、自分がどのように生きてきたかを端的に表現するという哲学があるのだ。生きていれば「誰も見ていないだろう」という部分があるだろうが、そういうものを地獄というものは「要するにこのように生きてきた」という表現をするのだ。
閻魔大王は、現世での権力者だった人がなるのだ。常に極楽に嫉妬し、何度も戦を仕掛けては常に負ける。閻魔大王は地獄ではいい暮らしができるが、上の階級には行けないことを示す。自分より格下のものを顧みず、上ばかり望むが決して手に入らない。権力のために盲目になっている人間を地獄ではこのように表現するのだ。「要するにこのように生きてきた」ということなのだ。
このような、地獄界と人間界と極楽浄土を輪廻転生するのが人間であるが、人間界だけが特殊なのが分かる。「目を覚ましている」という意味で特殊なのだ。人間は、あらゆる輪廻転生を繰り返していても、人間界にいるうちは自由以外の何物でもない。この時に「怒りや憎しみの中を生きるか」「欲望のままに生きるか」「愚かに生きるか」「権力者としてふるまうか」「自分の利益だけを考えながらも少しは人を助けるか」など、すべて自由に行動を選択することができる。
仏教では、悪い感情が6つ挙げられているが、ほとんどの仏教徒は、世界はどのように成り立っているのか、自分が死んだらどうなるのだろうか、ということを考えていて、日常生活の行いに関しては「下の階層には行かないようにしよう」と考えるにとどまり、モラルにしたがって生きることを心掛けたのだ。
いろいろと戒律のある仏教であるが、細かい決まりはあるが、要は、それさえ守っていれば人間は自由であり、自尊心をもって生きることができるという目的がある。細かい宗派がどのような伝統をもっているかという問題になる。

仏教は三つの方向に分かれたとされる。テラヴェーダ・マハーヤーナ・ヴァジルヤーナの3つである。テラヴェーダ(長老の教え)が仏教の主流で、スリランカやタイ・カンボジア・ミャンマー・ラオスに広まった。マハーヤーナ(偉大な道)はインドを起源としつつ、中国や日本・韓国・ベトナムに広まった。マハーヤーナはインド・チベット仏教を論じるこの論稿の射程外であるが、インドの起源として存在した仏教である。ヴァジルヤーナ(ダイヤモンドの道)はヒマラヤ地方やチベット・ネパール・ブータン・モンゴルに広まった。日本でも少数派がヴァジルヤーナに属しているとされる。
テラヴェーダとマハーヤーナの違いは、その最終目的にあるとされる。テラヴェーダでは人々は聖者になることを望むのだ。聖者になる人は最終的には涅槃に入るとされる。しかし、一部の宗派の人は仏陀の再来を望んでおり、世界に失われた真実を人々に説いて回ると信じているとされる。その宗派では「仏陀になることは聖者になることよりも難しい」と位置付けられている。
一方、マハーヤーナでは、人々は仏の道を歩むことで共同生活を営む営為を重視しており、人々に大変な利益をもたらした人を「解脱」した人と位置付け、死後にブッダになると説明する宗派だとされる。いろいろな宗派があり、説明は多様であるが、問題は、共同体で同じ美徳を共有するということが大事だとされている。
ヴァジルヤーナも、共同生活を重視しているが、共有している美徳や偶像や瞑想技術がマハーヤーナと異なるのであろうとされている。しかし、「秘儀」を用いる点に特色がある。
マハーヤーナが広まった国が繁栄したこともあり、それでも根強く生き残ったのはテラヴェーダだけだとも言われる。マハーヤーナに属する学者がテラヴェーダを「小乗仏教」と名付けたのであり、おのずとマハーヤーナは「大乗仏教」と呼ばれることになった。「小乗」というのは「小さな乗り物」という意味であり、弟子が聖者になる道がより困難だと考えるのが小乗仏教であることから、大乗仏教というのも「弟子が通る道が小乗仏教より広い」宗教だと解釈され、仏教界のメインストリームとなった用語である。
大乗仏教は、聖者となった弟子だけが涅槃に至ればいいと考える小乗仏教を「大乗仏教に劣る思想」と批判した。大乗仏教は涅槃に至る道を広くとらえたことから、彼らの信仰心に強烈さが失われ、むしろ、「地獄に落ちたものの切り捨て」という発想が根付いたとも言われる。
しかし、大乗仏教からの小乗仏教への批判は、そのシステムへの批判であり必ずしもフェアではないと言われる。「慈愛」「憐み」「喜び」「心の平穏」といった小乗仏教がもっている価値を正当に評価していないとされたのだ。慈愛は、他者に心を開いたり、他者の命を尊重することであるし、憐みは苦しんでいる人がその苦痛から自由になることを願うものだし、喜びは、幸せを志向するものであり、他者の幸せを願うものでもある。また、心の平穏は、自分を見つめ、他人に侮辱されることのない世界を求めるものである。こうした価値を広めようという側面を小乗仏教がもっていることも無視できないのである。

仏教では、人間の感情や経験は「道」と表現される。その「道」という概念は悪い感情も含むし、神聖なる感情も含む概念として用いられたのだ。小乗仏教では「メッタスッタ」(慈愛の道)という文献で、慈愛こそが尊い価値であるとしている。しかし、小乗仏教とは異なり、大乗仏教では有名な「六道」という分類がなされている。「六道」の意味は「六つの完成・完全・極地」というような意味である。
①寛大さ
②道徳的な規律。
③慎み深さ。
④忍耐・不屈の努力。
⑤中庸的な安定性。
⑥知恵。
慎み深さという概念をアメリカ人が英語に翻訳するのには苦労したようだ。"Forbearance"という難解な単語になっている。「どんなに不快な感情にとらわれても、物事に耐え、心を落ち着かせて、自分の方向性を決める」日本語の「辛抱」という言葉などが紹介されている。他者が自分に不快な思いをさせても、決して怒らずに、安定を保つ能力が「完成」されている人はそれだけで幸せであり、あえて「慎み深さ」としたが、六道の中では最も重要な位置を占める。なぜなら、それができれば他は必要ないものであるからだ。他者に侮辱された人はこの「道」によって怒りをこらえ、報復をしないようにするのだ。しかし、もっと尊いのは「そもそも怒らない」ひとであるとされる。また、この感情は「常に落ち着いている人は真実を冷静に見ている」という意味でも六道の核心に位置付けられているのだ。
忍耐・不屈の努力は、強烈な目的意識をもって力を自分や他の人々の利益のために用いることであり、自分の安定だけではなく共同体への利益というものも考えた概念のようだ。中庸的な安定性も、心の安定と明晰さを保つのに役に立つ。知恵という言葉は非常に抽象的であるが、目の前に展開される「現象」の本質を見抜き、真実の姿を冷静に見抜く能力だとされる。この言葉もアメリカ人は翻訳に苦労している。
宗派によっては「道」というものを「完成・完全・極地」という意味を超えて「超越」と解釈することもあるようだ。俗世を超越しているというような意味であろう。
【第一部完結】(三部構成で行く予定です)

「インド・チベット仏教の倫理」スタンフォード哲学百科事典



2011年7月 1日 (金)

アラブ・イスラムの神秘主義思想【第一部】

アラブ・イスラムの神秘主義はコーランに書かれている詩に感化されて広まったものが多い。
「神は外にあり内にあり」(コーラン2:269)
「知恵を与えられた者は、実に豊富な富を与えられた者なり」(コーラン2:269)
などは代表例だが、イスラムグノーシスに最も影響力を与えた詩がある。

神は天と地の光、神の光はランプが置かれたくぼみ、ランプはガラス、ガラスは祝福された木によって星のように輝く、木は西から来たものでも東から来たものでもない我が地からとれたオリーブのオイルによって一晩中輝く、たとえ火がそれに触れなくても、光は光、神が神の意思で火をつける。そして神は同時に人である。この世のすべてを知っている。

この詩が12世紀のスワラージや、16世紀のサドラに与えた影響は大きく、彼らがこの詩の解釈を展開したことがイスラム神秘主義に端的に表現されている。イスラム神秘主義の特徴は、コーランの神秘的な詩を理性的に解釈することを特徴としている。イスラム神秘主義はスーフィズムのように純粋に難解さを追求する側面と、傑出した理論家によって神秘主義がイスラム哲学を形成した側面がある。つまり、イスラム神秘主義は「現実的」なものと「哲学的」なものに発展しているのだ。難解な知恵は、実践的な知恵にもなっているし、純化されて哲学にも昇華された。コーランの詩は粗削りの表現にとどまらなかったのだ。
イスラム世界の初期には決定論者や終末論者、原典に忠実な理論家などがおり、彼らはイスラム哲学の伝統にしたがいながらも、異なる出自をもっていた。イスラム学校はバラエティに富んでいたのだ。イスラム世界の最初の哲学者はアル・キンディであるとされているが、10世紀のアル・ファラビが構築したイスラム論理学の基盤の上に成り立っており、アル・ファラビはヘレニズムおよび新プラトン学派の影響を受けていた。アル・ファラビが事実上、イスラム神秘主義が哲学へと発展する道を切り開いている。
新プラトン学派がイスラム哲学に与えた影響は大きく、二つの機能を果たしたと言われる。知的な機能と実践的な機能だ。両者ともに哲学的な生を生きるために重要な役割を果たした。哲学的には、新プラトン学派はイスラムの難問の多くに答えているのだ。肉体性をもたない神からどのように肉体が生まれたのか。一つのものからなぜ多様性が生まれたのか。高等な存在から下等な存在までの階層はなぜ生まれたのか。これらの難問に答えているのだ。アル・ファラビの業績と言ってもいいだろう。アル・ファラビによるイスラム神秘主義は、実践的な側面と哲学的な側面で見解を明らかにしている。「知恵に関する手紙」という本で、4つの知恵を彼の後継者であるアヴィセンナ(981-1037)に残した。アヴィセンナは新プラトン学派をフルに活用したのだ。アル・ファラビはプラトンとアリストテレスの融合を巧みに行い、一方で、プラトンを非常に神秘的な人物として描いている。ブラトンの政治哲学から「王」を「イマーム」に置き換え、イマームの語る真実は直感的なものであるとした。イマームは直感的に理論的な美徳と実戦的な美徳を知っているとする。また、アル・ファラビは作曲も行っており、スーフィの様式でトルコやインド・パキスタンで歌われるようになり、スーフィズムに彼が音楽という形で影響を与えているが、「知恵の宝石」という著書でスーフィについて語られているもののアル・ファラビとスーフィズムの関わりは明確ではないとされる。
イスラム神秘主義思想は、逍遥学派のマスターであるアヴィセンナの業績によって一気に明確化した。スーフィやグノーシスの核心に関わる理論は彼が確立したのだ。彼の思想が多様なイスラム社会の共通の出発点であると言ってもいい。アヴィセンナは「なぜ単一性から多様性が生まれたのだろうか」というテーマと真剣に向き合った。この問いの答えとしてアヴィセンナはスーフィズムの枠組みを最大限に活用している。魂が神へと近づく「旅」を神秘主義思想は持っており、それが多様なイスラム社会の起源として共通性をもつとしたのだ。多くの著書があるが、多様なイスラム社会も「神秘性」の領域で統一が可能であるという彼の研究は特筆すべきものであった。
ペルシャの理性的な哲学を、神秘主義で包摂してしまおうというアヴィセンナの考えはガザーリのように「哲学を放逐し、スーフィズムで統一しよう」という動きにもつながったし、イスマーイールのように、哲学として体系化しようという方向にも向かった。
ガザーリは法律家であり、理論に非常に忠実な人物であったが、やがて哲学の研究を始め、言説的な理性の領域を確固たる基盤としていた彼はすぐに哲学批判を展開するようになった。「支離滅裂な哲学者」という著書で哲学者の理性を批判したのだ。哲学者を「理性のまぼろしに惑わされている」と批判し、彼は長い年月の禁欲生活に入り、俗世を離れた結果、スーフィズムに答えを見出したのだ。ガザーリの法律の世界からのスーフィへの旅路は、イスラム世界で「真実とはどのように求めるものか」という伝説となり、彼はのちの人生をスーフィズムの伝道者として送ることになる。
スーフィの信仰者の中には法を守らないものがいたことから、ガザーリのスーフィズムへの傾倒は、スーフィズムの世界に秩序をもたらし、また、ガザーリはイスラム法の世界の番人としての存在感も高めた。スーフィというのは「イルミネーションと音楽」を重視する「魂が神のもとに旅をする経験」を求める信仰のようだ。そのため、「ランプの光」という言葉に価値を見出している。これがまさにイスラム神秘主義思想の核心であった。
これに対して、アラブ・イスラム神秘主義思想の哲学的体系化を志向したのが「イスマーイール」である。以下の述べようと思う。
イスマーイール哲学は、難解な神秘主義の教義やギリシャアレクサンドリアの神秘学から発生したものである。その哲学はすべて「禁欲主義」から来ている。禁欲主義を「肉体と魂を一つの檻に閉じ込める、つまり、肉体と魂を同居させる」行為と位置付けているようだ。それを基盤に、複雑な幾何学を神秘的シンボルとし、さまざまな予言や、イマームの役割の探求などを哲学の探求の基礎に置いた。イスマーイールは、科学者のハヤーンがピタゴラスの幾何学を学習し、「宝石の手紙」という著書を書いたことがイスラム神秘主義に幾何学模様が多く用いられるようになった起源のようだ。
シジスターニーも「隠された物」「泉の湧き出る書」という著書で、人間の魂と神聖なる魂が異なるタイプの魂として人間に存在し、それが唯一の神のもとに飛んでいくというグノーシスの哲学をまとめた。彼もシンボルとして幾何学模様を採用し、予言というものの探求を行ったことから、イスラムの難解なものや簡単なものを自在に概念化した哲学者としてイスマーイール哲学に大いに貢献した。科学者のラジも宇宙学の観点から、「予言の科学」という著書で神秘学に関する見解を多く述べ、人間の魂がどれだけ高いレベルになれるのかを探求したことからイスマーイール派に名を連ねた。
イスマーイール哲学について語るのであれば、キルマーニーについて触れなければならないだろう。彼は「知恵をもつ者の回答」という著書で、真実を探求するものは二つの規範を受け入れなければならないとし、それは「美徳にしたがった生活を送ることと、哲学への持論をもたなければならない」としたのだ。哲学への持論をもつに至るまでには、初心者は「7つの壁に囲まれた56の回廊をクリアーしなければならない」とキルマーニーは考えたようだ。また、その道は大きく4つのステージに分けることが可能であり、「肉体をもった聖なる生き物たちの世界」「肉体の領域」「信仰の領域」「神によって統一された現実世界への回帰」に分けられるとする。
注)市井での生活から学ぶのが第一段階とされているが、己自身の肉体を向上させるのが一段階上とされていることは、イスラム系アスリートに影響を与えているものと思われる。
おそらく、イスマーイール哲学の伝統の中で、最も注目すべき人物はクスロウであると思われる。彼は詩人であり哲学者でもあった。彼の詩はダイヴァーンと呼ばれ、神秘的で教訓的な詩を数多く残している。また「二つの知恵の和」「知識と解放」などの著書で、容赦なく、魂の浄化や、魂が霊的な旅をするということを追求したのだ。「二つの知恵の和」とは、彼がイスマーイール哲学とスーフィズムの融合を試みたものでもある。クスロウは魂の科学こそが真の知識を得るための学問であるとし、物事を受け止める人とはどのような者かを以下の詩で表現した。

知らなければならないことと 知識人の関係は
不注意という眠りから覚めている ということだけが必要なのである

クスロウも、修行の初心者は、魂の道を歩むのに禁欲主義がなければならないとした。彼も西洋のオーガスティンやアッシジと同様に、人生の前半を快楽主義的に過ごしている。そののちに禁欲主義の世界に信仰を見出したのだ。そのため、彼の著書はいろんな意味で豊かさを増していると言っていい。
それ以外にも、イスマーイール哲学の世界では、著者・編集者が不明な百科事典が残されている。「純粋さの友」「本の母」などが知られている。
イスラム世界は、スーフィズムとイスマーイール哲学の方面での研究が確立して以降、神秘主義哲学は停滞の時期を迎える。背景には、セルジューク朝の統治体制が研究を求められていたことと、キリスト教社会からの十字軍の攻撃などがあったとされる。しかし、ペルシャの南部イスファハンで「シラスの学校」と呼ばれる研究機関が、研究を深めたり、スペイン南部が情報発信などを行ったとされる。スペイン南部はガザーリーの影響を強く受けたとされるが、いずれにせよ、スーフィズムとイスマイール哲学は「停滞」と「多様化」という方向に向かった。ペルシャの人々がリアリズムを志向する風潮が大きかったという点も興味深い。ペルシャ人は「夜中にランプの火を見つめて音楽を聴きながら過ごす」信仰などを受け入れるメンタリティーをもっていなかったともいえるだろう。もちろん、当時のイスラム社会には多くの学者がいたが、傑出した学者は出なかった。しかし、イブン・アラビーだけは独自の理論を提示した人物として指摘しておいていいだろう。彼は「知恵の器」「メッカの勝利」などの著書で「世界のあらゆる存在の統一」という理論を提示して、スーフィズムに新たな考えを持ち込んだ。彼は、形而上学・宇宙学・心理学の観点からスーフィズムの研究を進めたのだ。信仰に入る人間に「内と外」の関係を示した。たとえば、人間とは「小宇宙」であり、世界は「広い宇宙」であるとし、スーフィズムの信仰により、人間の魂は神のもとへ旅をすることによって、宇宙をも包摂する、神と一体化する、と説明したのだ。もちろん、伝統的なスーフィズムにもこのような感覚はあったであろうが、それを時代の学問で言語化したのがイブン・アラビーだったのだ。

【第一部完結】
スタンフォード哲学百科事典「アラブ・イスラムの神秘主義思想」

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