1999年の「カリスマ」が生まれた理由
竹下一郎は、基本的に実話雑誌の編集長なのだが、入社当初、エログロナンセンスが常識だった実話雑誌の編集を任されたんだ。「好きなことをやってくれ」といわれたので、今までの記事を「つまらないからやめろ」と言って、自分が渋谷の恋文横丁でバラで集めた海外の膨大な資料を利用したんだ。当時のアメリカの雑誌と日本の実話雑誌の「情報格差」を「語学で埋めた」という点で俺の思想の基盤になった。竹下一郎で注目すべき点は、「背景に学問があった」という点だ。興行師的なライターはどんどん切り捨てていった。しかし、竹下自身が外国語ができずに「大学の学者をつかまえていた」と言っていた。この部分は俺は自分の語学力でフォローしたのだ。竹下一郎の「膨大な秘蔵資料」を、インターネット草創期の「アメリカのネットコミュニティー」に置き換えて実践したのが、俺が時代を制した理由だったのだ。背景には英語力と、ボクシングの知識、いろいろなものがあったんだ。基本はそういう図式なんだよ。黒騎士がどれだけ「勘違い」をしていたかがこれだけでも明らかだろ。俺は大人の仕事をしていたんだ。結局、竹下が出した「別冊実話特報」は、日本の雑誌市場でも初めての「重版」を記録したのだ。まさに、俺が時代を制したのと同じ構図だったのだ。竹下一郎氏は1999年当時のインタビューで「2年前に暮れまでもつまいと言われた」と語っていたので、俺は師匠と慕いながらも、葬儀には参列できなかった。俺が「自分の文章は権威である」とまで自信を深めた背景には、法学教室があったんだ。あの雑誌で文章に力を持たせる技術を覚えたんだ。一時代を築いた理由は「師匠がいた」ということだ。それを別の方法で実践したこと。ネット草創期のアメリカが背景にあったこと。いろんな条件が重なって皇室が俺の獲得に動いた。でも、俺は淡々と法学教室を読み続けたのだ。今ではジュリストも読んでいる。「俺をここまで育てた媒体だから」今でも読んでいる。真似したければ神を味方につけるんだな。1999年に俺に神が宿ったのは事実だ。3月に発言を連打し、5月にはWOWOWが俺の近所の取材活動を始めた。そのあとネット社会でどんな存在になったかはNHKで3時間ぶち抜きで報じられている。しかし、背景には時代が求めた「発想」があった。強運にも恵まれたのだ。
当時、俺の発言が、日本のボクシング界に爆弾を放り込む行為であるという自覚はあった。だから怖かったのは事実だ。しかし、俺があえて爆弾を投げ込んだ背景には「月下の棋士」という漫画があったのだ。23巻の音色という一冊だ。該当箇所はあえて伏せる。しかし、この国がどうにかなってしまう行為であることから、半分命がけだった。
「2ちゃんねるからの転載です~糖質談話」
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