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Foreign Affairs

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2011年4月10日 (日)

「家族」の研究(フェミニズムは割愛)

まず、アメリカの研究は、「男児は女児よりも成長するにつれ優位に立つ」という事実を承認している。女性が男性より「背が低い」「心理面で異なる」などの事実を、その国の社会がどう受け止めるかが反映される。家族は、生物学的なつながりと心理学的つながりを持つが、ルールは法律で決められる。しかし、「政治的であるかどうか」は議論されている。女性が男性より「子供を育てるのを好む。家事を好む」というのはそのような性質を本来ともなっているとも言われる。「社会で男性と対等でありたいと願う女性には野心がない」とまで分析されている。法律が、教育の平等や、雇用の平等というシステムを作っても、女性が子供を育て・家事をこなすという構造までは変わらない。これは通常の野心のある女性がそれを望むからだ。家族は「愛情」によって正当化したほうがあらゆる問題を解決できる。「正義」によって正当化すると、家庭内が政治の場となってしまうとされる。家族の役割は「次世代の市民を育てる」という側面があるが、たとえ、法律で決められていても「愛情」で正当化したほうがうまく行く。愛情で正当化された家族には政治が入り込む余地はないのだ。どんな人間も、何らかの家族に属することで人生をスタートさせている。そこで、何が正しくて何が間違っているのかを学び、また、自分がいったいどのような人間になり、またなりうるのかを知る。家族は人生の初期においてはまさに学校であり、不公平や従属と言ったものを正義を度外視して学習させられるのだ。しかし、民主主義国家の一員として、他者をコントロールするすべをやがて覚えていき、他者に優越する力量を身に着けるとはどういうことかも学習する場を提供するのだ。プラトンは、「すべての家族には改革が必要だとみんな思っている」とする。しかし、正義を家庭に持ち込むことは家族を機能させなくすることをプラトンは認識していた。社会に適応する「個」を育てるのは正義の概念であるが、それを家庭に持ち込むのとは意味が異なるのだ。親が子供の道徳心を育てるのに大きな役割を果たすのは事実であるが、国家がこれに様々な役割を果たしている。教育の場を提供したり、感染症から子供を守ったり、最低限の生活を守っている。子供はそのようにして読み書きを覚え、経済に貢献するようになるのだ。国家は、経済においては女性の子育てや家事に依存していることになる。しかし、貧しくとも、女児であろうとも、社会の構成員としての立場を認知されるうえではやはり国家が役割を求められている。
自分のまわりにいる「きれいなお姉さん」を見てみればいい。彼女たちがどのように国家に守られて生きてきたかを考えてみるのは有意義な作業だ。その「きれいなお姉さん」も、社会に出ると「フェミニズム」という思想の存在を知る。自分の生活は家族に縛られているのではないか?男性が一家の主となると子供への関心は薄まる効果があるのではないか?というような問題意識を抱くようになる。ここで、女性たちは自分の考えを確立していく。フェミニズムとどう付き合うのかを明確にするのだ。
あとは「フェミニズムの研究」のようだ。家族の研究はいったん打ち切る。
「フェミニズムの観点からの子育てと家族」スタンフォード哲学百科事典

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