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2011年3月22日 (火)

「嫉妬」の研究

大した問題でもないことを問題にしているとストイックな者は考える。
嫉妬は疑わしいものだ。
女性が持っているものと、ライバルはそのものがすでに完成されたものなのだから、他者が持っているものが不運な形でもたらされると、嫉妬したものが不幸になる。
その時に断罪があるだろう。
女性は、「ライバルがどんな素晴らしいものを持っているか?」表現するし、「私がどんな素晴らしいものを持っているか」を表現したい。
この危険性は、「人々の自尊心を失わせる可能性がある」ということだ。
「言い訳できるみんなの嫉妬」は、社会の秩序を悪化させる。
「ローカルな話ではないか?」という姿勢が重要だ。

嫉妬は非合理的で、非理性的で、悪意があり、「好ましくない」感情であるが、非常に複雑な感情であるとされ、分析してみると非常に興味深い。。政治哲学においては「嫉妬」は、突出するものをみんなで叩くことを意味するが、この原理は「全人類平等主義」という機能を果たしていることが指摘されているのだ。世界に天才などいない。みんな平等だ。そういう意味で「嫉妬は正義」でもあるとされる。「嫉妬」とは、対象が「もっているモノ」を、ライバルたちが持っておらず、その「モノ」が「良きもの」である時に起こる「感情」である。嫉妬は「感じるもの」ではなく「感情」なのだ。その「モノ」は、財産であったり、幸福であったり、心の状態であったり、いろいろなものが考えられる。「対象」「ライバル」「良きもの」の三つが嫉妬という感情を引き起こすのだ。この「良きもの」は、ライバルにも「もつ可能性があった・ある」ことを条件とする。常識的には「悪い感情」とされるが、政治の場では、別の説明がなされ、また、ロールズなどは「私の理論には何ら影響は与えない」と言っている。
アリストテレスは「嫉妬」とは「他者が持っている良いものに対して感じる痛み」と表現した。
カントは、嫉妬とは、自分に何ら害を与えるものではないにもかかわらず、他者が持っている良きものに対して抱く感情であり、他者が持っている良きものに自分が落胆させられることを言うとした。人間は自分がどんな生活をしているかを他者と比較することで確認しており、人間は内心では他者の資産を破壊したいと考えているとする。
アダムスミスは、嫉妬とは、本当にそれに値する資格がある人が持っているモノに対して、資格を度外視して人々が抱く劣等感である、とした。いろいろな哲学者が論じてきたのだ。
嫉妬とジェラシーはどう違うか、という問題がある。通常は同じ意味だろうと思われるが、厳密にいうと違うのだ。嫉妬は「対象者」「ライバル」「良きもの」の3つが存在すると言ったが、ジェラシーは「3人の登場人物」が存在するのだ。つまり、「対象者」「ライバル」「愛されている人」だとされる。良きものと対象者の間に「愛情」が存在することがジェラシーなのだ。ジェラシーを抱く人は「愛されたい」と願うのであって、3人の登場人物がいる。しかし、嫉妬の場合は「良きもの」が人でない限り、2人の人物でも成立するのだ。概念上はそのように区別することができる。ジェラシーは「愛されている人」が「愛を失いたくない」として抱くこともある。いろんな意味で「嫉妬」とは区別される感情なのだ。「嫉妬」には、「救いようのない」悪意のあるものもあるが、なかには「好ましいのではないか」とされる多様な形態の嫉妬が存在することが明らかになっている。ライバルを一層努力させ、競争させる効果がある嫉妬は正当化できるし、魅力的でもあるのだ。しかし、「救いようのない」悪意のある嫉妬は魅力的ではありえないのだ。嫉妬は「対象者」「ライバル」「良きもの」の三つの要素からなるとされるが、厳密には必ずしもそうとは言い切れないことが分かっている。女性が他者の綺麗な洋服に嫉妬する。男が隣の家のメルセデスに嫉妬する。厳密にはそのような働きをすることがある。それは「洋服」「メルセデス」に価値を見出す人により異なるものなのだ。人々は、美徳と強い意志によって嫉妬を克服して何かを獲得した人を「好ましいもの」と考える。このような人が獲得したものを「失わせよう」と考える人はほとんどいない。高潔な発想で何かを獲得した人は人々に「何か」を与える役割すら果たす。このような人にまで嫉妬する行為はネガティブにとらえざるを得ないだろう。大事なのは「嫉妬には好ましいものがある」という事実だ。
嫉妬と憎悪というのも似ている感情だ。しかし、憎悪は道徳的な感情であり、何ら生産的ではない。嫉妬という感情は「道徳的評価」を必ずしも受けない感情であるという意味で憎悪とは異なるとされる。このように、全人類平等主義とは異なる次元で、嫉妬は道徳的評価を必ずしも受けない感情であるという理解が大事だ。一般的には「悪い感情」だと思われていても、好ましい感情もある。不平を嘆き、嫉妬する「救いようのない」悪意をともなう場合もあるのだ。
以下では「嫉妬の合理性」についてさらに探求してみようと思う。
人々の感情を推し量り、何かアドバイスを与える場合には、その感情がどれだけその人にフィットする感情かを把握しなければならない。そういう意味では「嫉妬」という感情を人に薦めるのは好ましいものではない。自尊心を失わせたり、嫉妬を抱いた自分に嫌悪感を感じさせたり、何らかのマイナスの影響を与えてしまうことがあるからだ。しかし、嫉妬がモチベーションに代わることが明らかな場合は確かに存在するのだ。嫉妬の対象者が持ち合わせていて、自分に欠けているものがどれだけ明確かを正確に理解しているのならば、嫉妬という感情は非常に合理性を持った感情に化けることがある。問題は、感情を引き起こす要因が明確であることであり、その明確さが現状を打開して環境を変えていくうえで有効に機能することがあるということだ。
この「感情がどれほど明確か」という問題は、ライバルにとって嫉妬という感情が自分の利益になるか否かの死活問題であるために、アメリカの哲学者も膨大な研究を行っている。以下に述べようと思う。
嫉妬の対象者が持っている「良きもの」とは、その周囲の状況の解釈、評価、考え方、受け止め方によって「良きもの」とされるものだ。しかし、たとえば人間が「ハッタリ」に怯えたりするように、本当は存在するかははっきりしないものにも人間は「嫉妬」するといわれる。まるで共同幻想のように「あるのかないのか分からない」ものにもまで人間は嫉妬することがあるのだ。基本的に「人間の差異」というものを否定的に考えるのが「嫉妬」という感情であるが、この「差異」が人々に広く受け入れられているときはあまり嫉妬という感情は生じないのではないかとされる。対象者が良きものを持っていたところで、ライバルは何ら危険にはさらされないのだ。自分に何ら危害を及ぼすものではないし危険ではないのに人間が生じさせる感情が嫉妬の本質だと言っていい。哲学者の多くは、「嫉妬」という感情を「不合理な感情の典型」と位置付ける。自分の心が落ち着かない状態を意味するとする。世界の出来事の自分にとってたいして問題ではない物事を問題にするようなものであり、哲学者はストイシズムに解決法を求める人が多い。嫉妬という感情は人々が持っているものの違いを悪しきものとする考えが基本にある。
また、嫉妬の解決法は端的に言うと、対象者ではなくライバルの方が「良きもの」をもつようになるか、両者ともに良きものを持たないかの二通りしかない。「良きもの」が両者にないよりもどちらかにあったほうがいいと一般的には言える。しかし、これはどのように、全世界の納得を得る形でライバルが良きものを獲得するかという問題をともなう解決法となるのだ。もし、対象者が与えられた「良きもの」を、イージーな手段でライバルに移転したらそのライバルは何らかの審判を受けると言える。たとえば財産を守る罪に該当したりする。結局は、急進的な「全人類平等主義」というありえない選択肢を追求することにもなりかねないのだ。強引に人から物を奪いたいという解決法を望む「嫉妬」は、むしろ、本来異なる概念である「憎悪」と感情が類似しているのではないかともされる。
「嫉妬」は、本来「良きもの」を持っている対象者(嫉妬を受ける側)にも悪影響をあたえてしまう。自分が「良きもの」を持っているのが悪なのではないかという感情を引き起こすのだ。彼は何ら悪いこともしていないのに、存在しない「悪」を突きつけられてしまう。これは何ら生産的ではない。
結局、「嫉妬」を考察するうえで「幸福」とはなんであろうかという考えが重要になってくるのだ。それぞれの人が異なる価値観や能力を持って異なる立場で生活している以上、「傑出した人」が生み出したものが人々を幸せにすれば、嫉妬される側も幸福になるし、嫉妬する人も減っていくであろうという議論は可能であろう。
以下では「嫉妬に正義はあるか」について簡単に論じてこの論考を終わりにしようと思う。
【つづく】
「嫉妬」スタンフォード哲学百科事典


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コメント

自分がネットで批判してたら実物あらわれた程度の話なんですが
この文章自体が80年代サヨクの煽り臭いね
これは捻れた技をサヨクとかが同情のふりして学閥の威力で蹴り落としてくるとか
単発嫉妬というのはもはや弱いね
持っているものの余裕ですというか
見下しみたいなの?
そっからの嫌らしい権力操作系を見切らないと
また完全平等とか実態不明な教育内珍説的なこといいだす
最初にある無能力の凝視と社会順列の実在ぶりと建前平等の虚構性を吟味~

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