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2011年3月 4日 (金)

「音楽」の研究

音楽の本質は「表現力」「理解力」「価値」にあると言っていい。表現する側も「価値を理解して表現する」。受け止める側も「表現力に感化されて価値を理解する」という仕組みかもしれない。楽器が他の雑音と区別されるのは「ホワイトノイズ」と呼ばれるサウンドを出していて、リスナーに暗喩的に特定のイメージを伝達する仕組みを果たしているようだ。音楽が表現される空間は「力のフィールド」と呼ばれる。ライブなんてのはその理屈で成立しているのだろう。アーティストは「楽曲制作において、サウンドに秩序を持たせることで、人々の経験を豊かにし、凝縮する」という作業を行っているとされる。音楽業界を見てみればわかるが、なかなか「革命的」なことは起こらない仕組みなのだ。「歴史を踏まえた保守的な」創作活動が音楽であるという特徴がある。この「豊かにし、凝縮する」という見解には「もっと気楽にやっている」などという批判もあるが、基本的にすべてのアーティストの悲願であり目標でもある。音楽を探求した哲学者の中には「沈黙」こそが音楽にとって重要な位置を占めるとする人もいるようだ。「表現」を聴いた後の沈黙にこそ人々は価値を見出すとするのだ。非常に深い考察と言ってよい。音楽を「仮想の対象との疑似体験」だとする人もいるが、すべてのリスナーがその楽曲をきいて同じポジションに自分の立場を置くとは限らないとされている。また「特定の見解をたとえ間違いであっても確立する効果がある」ともいわれる。楽曲のスペルが間違っていても、内容が虚偽であっても、それが「確立する」とされるのだ。どのような見解に立つにせよ、音楽が創作である以上「フィクション」を含むことは否定できないだろう。いずれにせよ、楽曲は表現されてしまえば「存在は否定できない」ものであり、現実と理想がないまぜになって作品として存在するのだ。存在論「オントロジー」という概念は哲学のどの分野でも語られるようだ。音楽による表現に関しては「行動理論」というのがある。「何か特別な」行動なのか「特定の種類の」行動なのかの対立はあるが、いずれにせよ、アーティストは「行動」を起こしており、この行動理論は非常に広がりのある論争となったことがある。現在のところ、音楽は「現実を抽象的に表現している」というリアリズムに立つ説が有力だとされる。しかし、技術を重視する説など様々な説があり、いずれにせよその国の主要な文化の構成要素であることは間違いないのである。

音楽には様々な時代背景がある。バッハのブランデンブルグ協奏曲第五番がハープシコードで演奏されることを想定していたことからもこれは明らかだ。では、現在においても我々はハープシコードで演奏しなければならないのだろうか。モダンピアノで演奏してもかまわないだろう。我々は、芸術表現において明らかにバッハの時代よりも恵まれた環境を享受しているのだ。音楽においては、求められる「水準」があるという説明と、単純に「良いもの」であるという説明がある。演奏技術を身に着けるのには「水準」が要求されるだろうが、それを重視するのか、あるいは「良いものだ」と評価するのかが問われる。音楽大学を脱落してセールスマンをやっていた男が、ショーで喝采を浴びたりする事例は、芸術的表現が「水準」ではなく「良いものだ」という評価を受けたことを意味する。演奏は、描かれた構図と正確な表現によってなされるという考えがあるが、ジャズは「即興」でなされるものだ。この「即興」と「作曲」も哲学者は議論した。しかし、即興であろうと作曲にもとづく演奏であろうと、芸術表現としては相対的な違いしかないのではないかと考えられている。ジャズが音楽の「存在論」への挑戦であったことは事実だと言える。しかし、特定の楽器により構成される表現である以上、それも限定的なのではないかとされている。ジャズが「作品」としての地位を認知されても、クラシック音楽の地位を否定することはできないだろうとされた。また、音楽の分析で有名なのが「リズム」「メロディ」「ハーモニー」だと言われるがこの分析も絶対的なものではありえず、懐疑論にさらされる宿命であった。懐疑論は主に、音楽の存在意義に関してはそもそも議論の余地はないとし、価値を論ずるのも、存在論を議論するのも、音楽の「芸術性」を高めるのに何ら寄与しないとする。しかし、我々は音楽の価値を論ずるからこそ、音楽の世界はより磨かれるものではないかとされた。同じ作品の演奏でもいろいろなアーティストの演奏を比較したり、評論したりするのも、芸術性を高めるためにやっているのだ。もっと根源的には、交響曲に着目した人もいる。交響曲は作品全体を評価するのであって、各パートの細かい演奏ミスなど気にしない。交響曲というものへの全体的なイメージを我々は持っているとする。音楽はイメージであるというのも「存在論」への懐疑論として用いられたのだ。音楽の「存在論」への懐疑的な考えはあるものの、音楽も含めてあらゆる文化に関して言えるのは「形而上学的」議論の展開の余地があるということだ。
以下、「音楽と人々の感情」の研究が展開される。

「音楽と感情」
まず、この問題を考えるうえで、なぜ音楽は人々の感情に影響を与えるのかという根本的な問題があるが、さらには、「なぜ悲しい感情を引き起こすことができるのか」というより深い探求がなされた。感情だけでなく「悲しさ」まで表現できるのだ。アーティストは、楽曲表現に「ふさわしい歌詞」をのせる技術を使っている。楽曲と、それにふさわしい歌詞というのがあるのだ。それも哲学的に研究された。それを以下、かなり膨大な研究であるが紹介したい。感情というのは心理学的な要素だ。感情と音楽のつながりの探求は、まず人間は感情を表現する、というのが基本にあるが、音楽はさらに「表現力」というものをいろんな技術で磨くことができる。たとえば、画を描く場合も、悲しさを表現するのに泣いている人を描く人はいないだろう。もっと複雑な表現手法で悲しさを表現する。音楽も同様に「表現力」というものが創作技術によって表現される。「頭にくるぜ」「やってられないぜ」という表現も確かに存在するが、これがどのような芸術的評価を受けるかは分からないし、技術的に優れているかも議論の余地がある。作曲家や演奏家が楽曲により感情を表現するわけであるが、演奏家や歌手の感情を離れて楽曲は独自に感情表現が可能なのであろうか。作曲家の言うとおりに演奏すれば感情は表現可能なのだろうか。さらには、演奏家や歌手が「経験したことのない感情」まで、作曲家は表現可能なのだろうか。このような議論が「表現理論」と呼ばれるテーマだ。表現理論によれば、もしへたくそな作曲家が自分の感情をうまく表現しきれなかった場合に、楽曲は一体何を表現することになるのだろうかと言われる。感情と音楽を議論するうえで形成された理論が「表現理論」だった。また、表現理論とは別に、楽曲を実際に人々に聞かせてみて反応を見るしかないとする「覚醒理論」というのも主張された。実際には存在しない「恐怖の対象」を楽曲に表現して人々に恐怖を引き起こしたりできるだろうか。そういう実践を人々に聞かせることでアーティストは常に観客の反応を見て学習するしかないというのが覚醒理論だ。しかし、その楽曲に観客全員が聞き入るのは、特別な才能を認められたアーティストにのみ認められる特権であり、誰にでもできる作業ではない。まさにアーティストの表現力が試されてしまうのだ。それがこの覚醒理論の限界だとされた。一方で、我々はもっと日常に立ち返って音楽を受け止めるべきではないかという主張がある。「観念連合説」と呼ばれる説は、たとえば、戦場でスネアドラムが兵士を鼓舞するように、楽器の音が単純に人々に何らかの作用を与えるのではないかとするのだ。難しく頭を悩ませてまで「表現」を探求する必要はないとするのだ。楽器やテンポを駆使するなどする手法が人々の感情に影響を与えるとするのだ。この理論は「覚醒理論」を基盤にさらに探求を進めたものだ。

「詩の研究」
ウォークマンを聴くときに、歌詞が「どんなキャラクターが」「どんなアクションをとっているか」を聴いてみるといい。その「キャラクター」と「アクション」が、生活や心を反映しているのが分かる。それを踏まえて聴いてみれば上達すると思う。俺もまだ研究中だけどな。歌詞が「恋愛ドラマ」なのか「コメディ」なのか「悲劇」なのかを考える。そのあとに「構成が統一されている」ことを知る。そういうのを踏まえたうえで、詩のフレーズを出来るだけ「クリーン」にするのだ。フレーズを選び「すべての情報は乗せない」という技術を使う。
そうやってテキストはまとめられていくのだ。

クラシック音楽というのは
「ハイドン・ベートーベン・ストラビンスキー・バルトーク」の「ハイドンカルテット」と「83人の弟子」が作り上げたものだ。
室内音楽においてはもはやこれ以上の作品は生まれないとされている。なぜなら「国家レベルの資金」を投入して作ったからだ。そういう音楽を少しでも聴いておくのはいいことだよ。
音楽というのは「力のフィールド」と呼ばれていて「魂と肉体を一つにする」のにちょうどいいからな。


「音楽」スタンフォード哲学百科事典





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