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2011年2月10日 (木)

私とはなにか(第一部)

「私とはなにか」。古来、哲学者は「外の世界」と「自分」を明確に区別して理解していた。しかし、自己への探求を進めたのはデカルトだった。主に「心は何によって成り立っているか」「心に関する存在論」「個のアイデンティティー」の3つが研究されたのだ。
まず「自己」をどのように「認識」するかという観点からの研究と、「認識論」を離れて「自己」は説明可能であるかという研究。さらに、そんなに深刻に「自己」を追求する必要はあるのだろうかという懐疑論へと研究は進んだ。さらに「心」に関しても、虚心坦懐に自分の心を観察することから始まり、他者との交流で心はどう変わるか、自分の理性とはなんだろうか、決断を行うとは何か、心を表現するとはどういうことかなどの研究も進んだ。「個のアイデンティティー」に関しても、概念的な研究から始まり、結局「個」は物質に支配されているのではないか、あるいは単純なものではなく、重層的なものなのではないか、などの研究が進んだ。その上で、「自分を偽っている」とはどういうことなのかがかなり本格的に研究された。
まず、自己の探求をするうえでポイントとなる点を4つ挙げてみたい。
誰にも知られることなく行える安全な作業であること。
各自が自分の心の状態を独特な方法で語ること。
各自が自分の心をコントロールする独自の方法を持っていること。
各自が語る自分の心の状態は、どんな表現であれ、真実を含んでいること。
これをまず前提としておきたい。
まず、誰にも知られずに行えるということは、自己が存在することを端的に意味し、各自が独特の言葉で語るということは、自己の探求の手法が各自の考えによって行われることを意味し、心をコントロールできるということは、心が「対象」になりうることを意味し、各自が語る自己の心の状態が多様でありつつ真実を含んでいることは、他者とのコミュニケーションを可能にする。このように「4つのポイント」は完結しているのだ。
哲学は難しいものでありながら、簡単なものであることがわかる。
ここで指摘しておきたいのは、「その人」の専権事項である領域はだけだということだ。それ以外には他者は自分の心をいろいろな方法でコントロールできるし、自分の心の状態を他者が語るのも自由なのだ。
人間は、自分の心に関してはたとえ独特の形であっても、無謬であり全知全能であると言われる。もちろん、病気であれば別であろうが。人間は、情熱・感情・嗜好に関しては自分のことを明確に知っているし、自分でもそれを自覚している。だが、それ以外の「心」に関しても無謬であり全知全能であるという仮説がある。 だからこそ、人間は「間違えたくない」のだ。しかし、「正しい方がおかしい」とウィトゲンシュタインは言う。 だが、他者と接することで、自分に認識可能な「情熱・感情・嗜好」のみならず、さまざまなことが、間違いであるという認識に至ることを反復するにつれ、人間は自分の心に対しての「無謬性」「全知全能」の意識を擦り減らせていくのだ。
人間が思い込んでいたことがかりに事実に反していた場合、自分の心が「内向き」な人は事実に反することを思い込み続けることを選択し、「外向き」な人は、事実を学習することができるといえる。このような過程を経て人間は学習していくのであるから、一番心が安定するのは「~である」という確信ではなく、「~らしい」という心の持ちようではないかとされる。そうすれば間違っていた時に気持ちを切り替えて新しいことを学習できるのだ。
デカルトの「我思うゆえに我あり」という議論は、自分の内面がだいたい~のようなものであろう、と「我」が考えることに対しての介入は「どんな悪魔的な天才ですら不可能」であるという意味のようだ。これは、上記のへの介入が不可能であるという意味であり、家の書斎で考える「我」に対して介入するには、電話をうるさくかけるとか、ネットで罵倒するなどのの領域で何らかの方法を取らざるを得ないという意味だろう。
「自己」を語るうえで「内省」という概念が役に立つ。外の世界と自己の境界線を分けた場合に、外の世界の認識の方法を「知覚」というが、自己を認識する内省という行為の分析をしてみると、外の世界の認識の方法と異なることがわかる。それは「二つの直接性」だとされる。一つは、自分の心の状態を感じるうえで「意味に頼らなくていい」という部分が「直接的」であるとされる。二つ目は、何の介入も受けずに考えや対象が心に湧き上がってくるということだ。「雨が降っている」「のどが渇いた」「雨が降るだろう」「のどが渇いたと感じる」いろんなものが自然に心に湧き上がってくる。ここで考えなければならないのは「記憶」というものは、「意味に頼るものである」から記憶を探求する行為は直接性が失われ、「内省」とは呼ばないということだ。
ラッセルはこの「内省」という行為について、「真実を探求する作業ではなく、自分が”よく知っている”心の中の物にのみ立脚してその人が心の状態を維持することである」とする。この「内省」という作業においては、その人は無謬であり、全知であるといえるのではないかとされているのだ。
さて、以上の説明はデカルトの「コギト・エルゴ・スム」という言葉に代表されるいわば「存在論」に立脚した「私」の説明である。しかし、存在論の立場にあえて立たずに「私」を説明することができるのではないかという主張があるのだ。
次のように説かれる。「私」というのは、自分の心のありように「最初の人間」として反応するものであり、また「最初の人間」として自分の心に働きかけるものである、と説明するのだ。この「最初の人間」という説明は、デカルトを出発点としながらも、さらに「私」というものの研究を発展させることになった。この「最初の人間」は自己の心の権威であり、何が正しいのかを自分で確かめ、他者に何が不合理で何が間違っているかを指摘する力を持っている。「雨が降っている」と考えるのも、他者に「それは違うでしょう」と指摘するのもこの「最初の人間」が自分の心の権威だからこそ行えるのだ。 「最初の人間」は自己への働きかけを行う特権的地位を持っている。しかし、それはデカルトのような「存在論」の立場に立つ説明ではないのだ。「誰にも知られずに安全に」自己への働きかけを行っているとするなら、デカルトの説明に似てくるが、その立場には立たない。「最初の人間」は他者の介入に甘んじなければならず、さまざまな「他者との違い」に泣かされ続けて生きなければならないのだ。それが、「最初の人間」という発想が決して存在論に立脚するものではないという意味である。
以上が、「私」に対する二通りの説明であるが、存在論に立つにせよ、そうでないにせよ、この両者の説明は「懐疑論」から批判されたのだ。何も無理をして「私」を探求することはないのではないかという批判だ。しかし、懐疑論も以上に述べた「私」の探求の成果を踏まえて展開されたものであることも知らなければならない。
【第一部完】
参考:スタンフォード哲学百科事典
"Self-Knowledge"
"Self-Deception"

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コメント

 一般法則論のブログを読んでください。 一般法則論者 19:12 2011/02/11

 心の起源と中身は、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するためいわば道具ですから、同じくΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ています。
 これによって、原理的には、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを完全完璧に認識し理解できることになります。

 なお、この世界の成り立ちと仕組みを認識するとは、「無意識にあるものを意識化する」という意味を含んでいます。
 そもそもΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、絶対的な無意識に属しています。
 この絶対的な無意識の一部が、進化の過程を経て人の意識のある心になっています。
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ている無意識/潜在意識の全体を一気に意識化するのが、いわゆる悟りの体験。
 少しずつ意識化するのを確実に行うのが、実証的な学問一般。特に自然科学。

 よーくお考えください。
 人生の時間を無駄にされませんように、老婆心で申し上げます。

一般法則論者さん。文句があるなら合衆国のスタンフォード大学に言ってください。

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