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2010年12月 1日 (水)

東京大空襲とはどんなものだっただろうか

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1945年3月10日午前0時7分から、木造家屋が密集する東京下町を標的にして、325機のアメリカ軍B29が絨毯爆撃を行った。周囲に火の壁を作って逃げ場を奪ったうえ、その中に焼夷弾約33万発(1665トン)を投下するというものであった。爆撃は約170分間に及び、火炎の凄まじさは、上昇気流で重さ60トンの爆撃機が飛行中に600メートルも吹き上げられたことからもうかがえる。この日の東京は強い冬型の気圧配置であった。北風によって延焼が助長され、6時間で約10万人の一般市民が死亡、約100万人が被災した。
法学教室2010年12月号「演習憲法」青井未帆
注)青井未帆は成城大学の准教授であるが、おそらく情報源は英語媒体だと思われる。なかなか国内発信の情報では得られない情報だ。
補足)この東京大空襲がなぜ憲法論になるのかを補足しておきたい。共同体の一部が被ったこのような戦争被害に、共同体全体としてどのように向き合えばいいのかが問題になる。第二次大戦後の欧米諸国における戦争犠牲者補償制度の特徴は、国民平等主義と内外人平等主義とされる。これに対して、日本の戦争犠牲者援護法制度の特徴は、旧軍人・軍属等、国家と身分関係のあったものに補償対象が基本的に限られており、一般市民と旧植民地出身者などの外国人犠牲者が除外されている。現在、一般戦災者は、未補償のまま残されている唯一の犠牲者集団となっている。
戦争被害に関しては、名古屋空襲被災者が、旧軍人軍属と同等の援護立法をなさなかった立法不作為を訴えた事件の最高裁判決(最判昭和62・6・26判時1262号100頁)がある。最高裁は「援護立法を積極的に命ずる明文の規定が存しない」ばかりでなく「かえって、上告人らの主張するような戦争犠牲ないし戦争損害は、国の存亡に関わる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法のまったく予想しないところというべき」とした(戦争被害受忍論)。
政府は、戦争に起因した被害について「軍との間に雇用関係があった旧軍人軍属あるいはこれに準じる準軍属へ、国が使用者の立場から補償をなす」という理屈によって、戦傷病者戦没者等援護法(1952年援護法)を中心とする援護体制を展開してきた。そして、一般戦災者には社会保障施策の中で福祉を充実させることで対応するとされている。被爆者、沖縄戦災者などへと援護は拡充されていったが、一般戦災者へと救済範囲が広がらないように注意が払われている。
しかし、この受忍論の法的妥当性には疑問もあるのだ。第二次世界大戦後の欧米諸国の戦争犠牲者補償制度で一般戦災者も補償されていることを考えると、これは戦前に我が国がとっていたイデオロギー、つまり天皇主権のもとでの滅私奉公というものが背景にあるのではないか。それは「国家あっての個人」という考えを国民に押し付けるものに他ならない。当時の国民は防空活動に動員されていたのであり、被災者は国家防衛という公共の利益のために犠牲をこうむったのだといえる。また約6時間で約10万人の一般市民を死亡させた東京大空襲は、大日本帝国の戦闘意欲と戦闘能力を著しく低下させ、結果的に敗戦を早めることにより、更なる被害の発生を食い止めるのに貢献したとも評価できる。被災者は国民全体の利益のために犠牲になったのであり、なかなか「受忍論」のみでは説明がつかないのではないかとも考えることができるのだ。
法学教室2011年1月号「演習憲法」青井未帆

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