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Foreign Affairs

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2010年12月

2010年12月31日 (金)

手形制度に関する正確な認識

手形制度は、紙と権利を結合する有価証券化により、権利を可視化し、また、手形行為の無因性、人的抗弁の切断、善意取得を認めること、裏書人などの担保責任をデフォルトとすること、さらに、不渡り処分の存在によって、手形債権を譲り受けるものあるいは担保として徴求するものがより確実に債権を取得し、また、債権を実現することを可能にしてきた。そこで、手形債権は、他の債権に比べ譲渡しやすく担保に供しやすいため、資金調達が容易になっていた。これが手形制度の理解として正確なのだ。いろんな学説を覚える前に理解しておくべきことだろう。
手形制度の存在理由としては、製造業者と卸売業者の決済を念頭におく理解がわかりやすい。卸売業者は製造業者から商品を買い受ける。しかし、買い受けた商品を小売業者に売り払うまで金銭が発生しない。そこで、卸売業者は商品を売りさばくまでの期間を念頭に手形を製造業者に振り出すのだ。そうすれば代金支払いの猶予期間ができる。一方、手形の振り出しを受けた製造業者は、その手形を銀行に持ち込むなり、裏書きするなりすればすぐに現金化できる。この「製造業者と卸売業者の決済」に一番都合がいいのが手形なのだ。これも理解しておいていいだろう。

2010年12月29日 (水)

すでに出来ている弾道ミサイル対策

日本の領域に弾道ミサイルが飛来する場合、それが武力攻撃としての弾道ミサイル攻撃に対する迎撃であるときは、武力攻撃事態における防衛出動(自衛隊法76条)により対処する。しかし、防衛出動が下命されていない場合については、従来自衛隊の行動の法的根拠はなかった。弾道ミサイルはきわめて高速で飛翔するため、短時間で迎撃のためのミサイルを発射する必要がある。平成17年の防衛庁設置法等の一部を改正する法律により、弾道ミサイル等に対する破壊措置に関する規定が新設された(82条の2)。弾道ミサイル等に対する破壊措置の法的性格は、自衛隊法上の公共の秩序維持に該当し、警察権の行使に相当するとされる。
ジュリスト2011年1月1・15日号「安全保障・国際平和協力」丸茂雄一

2010年12月27日 (月)

ペイオフ解禁~でもデカい銀行は安全かもしれない

日本ではそもそも、銀行が護送船団方式で運営されていた1960年代にペイオフという仕組みの構想ができて、70年代に100万円の預金保護の仕組みができたことにその沿革を持つ。その後、300万円に増額されたが、誰も「銀行がつぶれたら預金が300万円しか戻ってこない」などとは考えていなかった。1986年に、平和相互銀行が破たんしたが、店舗の有効利用の見地から住友銀行が買い取っている。しかし、そのような買取が破たんの増加で採算があわなくなった時点で様々な仕組みが構築された。預金の全額保護というのは非常時の対策として1996年から2001年までの時限立法として作られた仕組みだったのだ。ペイオフ解禁後も足利銀行が破たんしたが、政府は預金の全額保護を行っている。しかし、日本振興銀行が今年破たんした時にはペイオフが実行されているのだ。それでも大した混乱はなかったとされる。ペイオフの実行は日本の金融があくまでも「平時」にあるという政府の認識を示す意味がある。そのため、今後もペイオフが常に実施されるとは限らないのだ。場合によっては政府が預金の全額保護に動くこともあるとされる。
補足)預金とはなんであろうか。法律上は消費寄託契約であるが、一般には銀行に預けたお金を銀行が運用して利子を付けて返してくれるものだと考えられていると思う。しかし、機能の面に着目すると、
①預金者にとっての金融資産
②貸出との連鎖による金融仲介(資金の運用・調達)と信用創造(預金通貨の創造)
③為替取引による決済システム(手形交換、内国為替等)の制度的インフラ
といった重要な機能を果たしているという説明が可能だ。
ジュリスト2011年1月1・15日号「ペイオフ発動と預金者保護」高橋正彦

2010年12月22日 (水)

皇居前広場でボクシングの世界戦はできるか

1860年の桜田門外の変ゆかりの外桜田門を警視庁本部庁舎の側から入って道なりに進むと、西の丸下に相当するその広場では、たとえば1940年11月10日には「紀元二千六百年式典」が、1946年から1950年までは毎年5月1日に「メーデー」が、1946年11月3日には「日本国憲法公布記念祝賀都民大会」が、1947年5月3日には「日本国憲法施行記念式典」が、催された。旧皇室苑地のひとつであったこの広場は、1947年12月27日の閣議決定により「国民公園」として国民に開かれることになった。現在は使用のためには厚生労働大臣の許可が必要である。
タイでは「王宮前広場」でボクシングが行われているが、日本の皇居前広場でボクシングを行うことは可能であろうか。政府が言論主体となることは必ずしも否定はされていない。一定の見解を表明することも禁じられてはいない。しかし、言論を国家が主導することになり、そのコミュニティーの自律性との調整が必要になる。下級審判決では「主権の存する国民一般の用に供して、国民的行事や集会のために使用することはその本質に反しない」とされる。おそらく、皇居前広場でボクシングの世界戦をやるためには「世界中の注目」という条件が必要になると私は考えている。

2010年12月 5日 (日)

「崖の上のポニョ」のモデル鞆の浦の5点セット

法学教室2010年12月号[雑誌]Book法学教室2010年12月号[雑誌]

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情報としてはタイムリーではないが、過去のレポートで興味深い文章を見つけた。昨年、鞆の浦の公有水面埋め立て事業の免許の差し止めが広島地裁で認められたが、事実関係をちょっと書いてみたい。広島県と福山市の事業で、埋め立て面積は1万9千㎡であり、土地を造成し、道路用地、駐車場用地、フェリー埠頭用地、小型船だまり埠頭用地、港湾管理施設用地および緑地として整備するとともに、湾内に橋梁を設置し東西を架橋するという計画だった。原告らは、市街地中心部を横断する道路拡幅が歴史的街並みを損なうとした。また、山側トンネル案の方が埋め立て架橋案よりも優れているとして裁量権に逸脱があるとした。さて、鞆の浦の歴史的、文化的価値はどこにあると主張されただろうか。「近世港湾を特色付ける5点セット」が重視されたようだ。
常夜燈(船を誘導する燈台)
雁木(潮位に応じた接岸を可能にする船着場の階段状の施設)
焚場(フナムシの除去などを目的として船底を焼く=焚でるための場所)
船番所(緊急時にここで鐘を打ち鳴らす)の跡
波止(強風から船舶を守る施設)
だそうだ。この5つがすべてそろっているのは日本では鞆の浦だけだったのだ。
法学教室2010年3月号「鞆の浦公有水面埋め立て免許差し止め判決を読む」交告尚史


2010年12月 3日 (金)

神の前で嘘をつけるか

バンジャマン・コンスタンという人が1797年に刊行したパンフレットで、「嘘をつかないで日常生活を送ることはできないのに、本当のことを言うのが義務だと主張するドイツの哲学者がいる」と指摘した。この「ドイツの哲学者」とはカントのことであった。「たとえば友人が殺し屋に追跡されて逃げ込んできたのでかくまっても、殺し屋たちに真実を告げなければならないのか」というのだ。カントはこれに答えて「そのとおりだ」という。しかし、カントは「友人を殺し屋に引き渡せ」と言ったわけではなかった。「あいつはここにいるか?」と聞かれたら、「(目の前には)いない」と答えろというのだ。宗教改革以降の、紛争の頻発でこの問題は切実なものだったようだ。たとえば、異端審問官に「あなたの信じている宗教は何か?」と聞かれたら「あなたと同じ宗教を信じています」と答える。審問官が「私はカトリックを信じている」と言うと「私はそれを信じています」というというのだ。プロテスタントでも「同じ宗教」には変わりはないし、審問官がカトリックを信じていることを信じていると答えることに嘘はない。こうした「みせかけ」「空とぼけ」に関しては聖書にも一定の根拠があるそうだ。復活したイエスは、弟子たちに対して目指していた村よりさらに先へと赴く様子をみせたし(『ルカによる福音書』24:28)、全知のはずであるのに、最後の審判の日がいつか知らないと弟子に述べている(『マルコによる福音書』13:32)(『マタイによる福音書』24:36)
これを論じたのは憲法学者の長谷部恭男である。謝罪広告を新聞に掲載するようにという判決が出ることがあるが、本当は悪いとは思っていない人間に「謝らせる」ことができるのだろうか。ごめんで済むなら済ませようと言う人もいるだろう。しかし「神の前で嘘をつく」ことを要求してしまうケースもあるのではないか。このような問題は哲学的な議論から説き起こしていく性質のものなのだ。
法学教室2010年12月号「続・Interactive憲法~B准教授の生活と意見」長谷部恭男

2010年12月 1日 (水)

東京大空襲とはどんなものだっただろうか

法学教室2010年12月号[雑誌]Book法学教室2010年12月号[雑誌]

販売元:有斐閣
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1945年3月10日午前0時7分から、木造家屋が密集する東京下町を標的にして、325機のアメリカ軍B29が絨毯爆撃を行った。周囲に火の壁を作って逃げ場を奪ったうえ、その中に焼夷弾約33万発(1665トン)を投下するというものであった。爆撃は約170分間に及び、火炎の凄まじさは、上昇気流で重さ60トンの爆撃機が飛行中に600メートルも吹き上げられたことからもうかがえる。この日の東京は強い冬型の気圧配置であった。北風によって延焼が助長され、6時間で約10万人の一般市民が死亡、約100万人が被災した。
法学教室2010年12月号「演習憲法」青井未帆
注)青井未帆は成城大学の准教授であるが、おそらく情報源は英語媒体だと思われる。なかなか国内発信の情報では得られない情報だ。
補足)この東京大空襲がなぜ憲法論になるのかを補足しておきたい。共同体の一部が被ったこのような戦争被害に、共同体全体としてどのように向き合えばいいのかが問題になる。第二次大戦後の欧米諸国における戦争犠牲者補償制度の特徴は、国民平等主義と内外人平等主義とされる。これに対して、日本の戦争犠牲者援護法制度の特徴は、旧軍人・軍属等、国家と身分関係のあったものに補償対象が基本的に限られており、一般市民と旧植民地出身者などの外国人犠牲者が除外されている。現在、一般戦災者は、未補償のまま残されている唯一の犠牲者集団となっている。
戦争被害に関しては、名古屋空襲被災者が、旧軍人軍属と同等の援護立法をなさなかった立法不作為を訴えた事件の最高裁判決(最判昭和62・6・26判時1262号100頁)がある。最高裁は「援護立法を積極的に命ずる明文の規定が存しない」ばかりでなく「かえって、上告人らの主張するような戦争犠牲ないし戦争損害は、国の存亡に関わる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法のまったく予想しないところというべき」とした(戦争被害受忍論)。
政府は、戦争に起因した被害について「軍との間に雇用関係があった旧軍人軍属あるいはこれに準じる準軍属へ、国が使用者の立場から補償をなす」という理屈によって、戦傷病者戦没者等援護法(1952年援護法)を中心とする援護体制を展開してきた。そして、一般戦災者には社会保障施策の中で福祉を充実させることで対応するとされている。被爆者、沖縄戦災者などへと援護は拡充されていったが、一般戦災者へと救済範囲が広がらないように注意が払われている。
しかし、この受忍論の法的妥当性には疑問もあるのだ。第二次世界大戦後の欧米諸国の戦争犠牲者補償制度で一般戦災者も補償されていることを考えると、これは戦前に我が国がとっていたイデオロギー、つまり天皇主権のもとでの滅私奉公というものが背景にあるのではないか。それは「国家あっての個人」という考えを国民に押し付けるものに他ならない。当時の国民は防空活動に動員されていたのであり、被災者は国家防衛という公共の利益のために犠牲をこうむったのだといえる。また約6時間で約10万人の一般市民を死亡させた東京大空襲は、大日本帝国の戦闘意欲と戦闘能力を著しく低下させ、結果的に敗戦を早めることにより、更なる被害の発生を食い止めるのに貢献したとも評価できる。被災者は国民全体の利益のために犠牲になったのであり、なかなか「受忍論」のみでは説明がつかないのではないかとも考えることができるのだ。
法学教室2011年1月号「演習憲法」青井未帆

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