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Foreign Affairs

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2010年9月18日 (土)

ゼロ式戦闘機

ことの発端は、海軍航空廠から要求書が出たことだった。最大速度500キロ以上、航続距離は巡航時間で八時間、空戦運動力を向上させた上で、二十ミリ機関銃二挺と7.7ミリ機銃を備える、というものだった。重装備と航続距離の増加という課題を三菱重工名古屋航空機製作所は課された。海軍側も必死だった。シナ事変の進展により、蒋介石軍は退却し、戦域は拡大していた。海軍は陸上攻撃機により、中国側の基地、根拠地を爆撃し、機能不全にし、制空権を取ろうともくろんだ。けれども、陸上攻撃機は運動能力も速度も低く、敵戦闘機による迎撃を免れなかったのだ。陸攻は出撃するたびに多くの損害を負った。そこから、速力も航続力もある戦闘機で攻撃機を擁護し、敵基地を攻撃するという発想が生まれた。
過酷な要求をクリアするために安全率を引き下げたが、機体強度試験は最大の力をかけても問題はなかった。実際の試験飛行となると多くの項目がある。地上運転試験、離着陸、宙返りなどの特殊飛行、増設タンク落下実験など十数項目に及ぶ。
875馬力の瑞星13型発動機が爆音をたて、プロペラが回り始める。大きく芝生の上を8の字に走って、パイロットの志摩勝三が「ブレーキ不調!」と叫ぶ。修理を終え、志摩は「ジャンプ飛行可能!」と叫び、十メートルの高さを保ち500メートルほど飛び、着陸した。主翼に足をかけて志摩が下りてきた。みんなが志摩に注目する。珍しく照れたような表情を志摩が見せた。その後、6回の慣熟飛行ののち、車輪を格納して飛行した。その姿は今までの戦闘機とはまったく違う、スマートなものだった。
新戦闘機は、翌年の紀元2600年の末尾をとって、ゼロ式戦闘機と名づけられた。
文藝春秋2010年10月号「昭和天皇」福田和也


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