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Foreign Affairs

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2010年4月26日 (月)

「昭和天皇がフランス語が話せた」理由

15世紀の末から、スペインが世界を席巻し、標準語であるカスティリア語が国際的に流布した。ラテン語が国際的な言語であることには代わりはなかったが、17世紀中葉に神聖ローマ帝国は「終わりの始まり」を迎えており、同時期にフランスのルイ14世(1643~1715)の治世の間にフランスの政治権力は最高に達し、フランスの外交は急速に国際的優位を確保しつつあった。世界のすべての地域でフランスの複雑な利害は、洗練された外交を必要としたのだ。そのモデルは他の西欧諸国に模倣された。フランス語には「精密さ、明快さ、優美さ、洗練された科学的正確さ」があったので外交文書に適したとされる。1648年のウェストファリア条約では、フランス代表団は、結局ラテン語での条約文に同意したが、フランス語を用いるように圧力をかけた。スペイン継承戦争のユトレヒト条約(1713年)はフランス語を用いた。1815年のウィーン会議はナポレオンの敗北にもかかわらず、フランス語が用いられた。19世紀にはほとんどの国際会議や外交文書にはフランス語が用いられたのだ。1818年のエクスラシャペル会議、1864年以来の赤十字会議、1868年のサンクトペテルブルグ会議、1874年のブリュッセル会議、1899年と1907年のハーグ平和会議と諸条約、その他、すべてをフランス語が支配した。
第一次大戦後の1919年にようやく米国のウィルソン大統領が「英語の国際語化」を決意して会議に臨んだと言われる。ヴェルサイユ条約でようやくフランス語支配が揺らいだのだ。1945年の国連憲章を起草したサンフランシスコ会議は、フランス代表にとって悲惨な経験となった。ソ連外相のモロトフの動議によって「英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語」が公用語としての地位を認められた。国連憲章111条に明文化されている。この一連のフランス語の重要性の経緯から「昭和天皇はフランス語が話せる」と伝えられているが、その真偽は定かではない。
ジュリスト2010年3月15日号「国際法とフランス語」藤田久一

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