最近のトラックバック

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 文藝春秋で描かれる「周恩来」 | トップページ | 2009年のヘラルドトリビューン記事・回顧 »

2010年3月20日 (土)

「陸軍パンフレット」~文藝春秋より

昭和9年10月1日、陸軍軍務局新聞班は「国防の本義と其強化の提唱」と題するパンフレットを発行した。永田鉄山の軍務局長就任以来、10余りのパンフレットを出していたが「国防の本義」ほど反響の大きなものはなかったため、以後「陸軍パンフレット」といえば、この冊子をさすようになった。発行が増刷になったのみならず、新聞各紙が文面をそのまま掲載したので、事実上、一千万部を発行したに等しいなどといわれたそうだ。「たたかひは創造の父、文化の母である」という高名な書き出しで始まるパンフレットは国民に対して、国防観の全面的な革新を求めていた。日清・日露の際の国防観、第一次大戦の国防観、からさらに発展させて、軍事のみならず経済、思想、文化すべてが参画する「国家の全活力を総合統制する」戦争を想定していたのだ。パンフレットの起草者は、陸軍省軍務局政策班長の池田純久少佐で、経済統制においては陸軍を代表するエキスパートだった。この「経済統制」という発想に当初は株価が急落したものの、永田が財界に人脈が多く、永田の主張に賛同するものも多かったことからすぐに株価は持ち直した。永田は「革新という用語を使う連中は大勢いても、具体的に内容面に立ち入って語れる奴はいない」と公言していたそうだ。この、永田の近代的国防観は、大元帥陛下の馬前で死ぬことのみを任務と心得る軍人たちには脅威と映った。それがその後の皇道派のクーデター事件につながることになる。天皇機関説事件も、天皇を崇高な存在として自らを正当化する軍人たちの口実みたいなものだった。永田の言説は、近代的軍事体制を構築できる資質をもたない大部分の将校たちの存在価値を否定するに等しいものだったのだ。
補足:もともと、軍務局長は陸軍全体を掌握する重要なポストだった。政界、官界、財界、メディアとの交渉、接触を総覧する立場なのだ。林銑十郎は、荒木貞夫陸相の後継になるにあたって、永田の軍務局長就任を懇願したのだ。拡大し、複雑化した陸軍省を統治するためには、稀代の能吏である永田の存在がどうしても必要だと林は主張した。しかし、荒木陸相や真崎甚三郎は強硬に反対した。だが、林の懇願に負け、受け入れる代わりに、他のポストを皇道派で固めて永田を包囲した。皇道派は、軍法会議のルールに関しても、明治陸軍の重鎮たちが腐心して作り上げてきた軍事司法の独立を無視するようなことを五・一五事件の際に行っており、法務高官の人事にも陸軍省が介入するなどしていたが、いわゆる士官学校事件で、北一輝や西田税の逮捕を強硬に主張する永田に好感を持つ法務局員も多かったそうだ。
文藝春秋2007年7月号「昭和天皇」福田和也

« 文藝春秋で描かれる「周恩来」 | トップページ | 2009年のヘラルドトリビューン記事・回顧 »

文藝春秋」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「陸軍パンフレット」~文藝春秋より:

« 文藝春秋で描かれる「周恩来」 | トップページ | 2009年のヘラルドトリビューン記事・回顧 »