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2010年3月 7日 (日)

沖縄の「女子学徒隊」

沖縄の女子学徒隊といえばひめゆり学徒隊が有名であるが、看護要員として戦場に送られたのはひめゆりだけではない。沖縄師範学校女子部と沖縄県立高等女学校の女子学生で編成された学徒隊の通称がひめゆり学徒隊である。
同じように他の学校にも通称があり、首里高等女学校の学徒隊は「ずゐせん学徒隊」と呼ばれた。ずゐせんの塔というのが、ずゐせん学徒隊の33名の死者をまつった慰霊塔として残っているが、ひめゆりの塔とは数百メートルしか離れていないのだが訪れる人は少ない。
平成5年4月。全国植樹祭出席のために天皇皇后両陛下が沖縄を訪問された。お二人にとっては6度目の沖縄訪問であったが、即位してからは初めてであった。昭和天皇は在位中の訪問がかなわなかったために、歴代天皇としては初の訪沖となった。
両陛下は、結局、ずゐせんの塔の前を車で最徐行に近くほぼ停車した形で、窓を開けて瞑目されたという。沖縄と天皇の問題を語る上で「天皇メッセージ」に言及しなければならない。昭和21年、昭和天皇が宮内庁御用掛だった寺崎英成を通じて連合国総司令部に伝えたもので、その内容は「日本の安全のために、米軍が今後25年から50年程度、日本に主権を残した形で、沖縄を軍事占領することを希望する」というものだった。このメッセージは米国国立公文書館で国際政治学者の進藤栄一筑波大学助教授(当時)が発見したもので、昭和54年4月に雑誌「世界」で発表された。にわかには信じがたい話とされたが、昭和天皇崩御後に、入江日記がこれを裏付ける資料となったのだ。
このような経緯をもった沖縄に対しては、現天皇が沖縄慰霊の日である6月23日を「決して忘れてはならない日」として、終戦記念日、広島・長崎原爆の日とともに、黙祷をささげているとされる。
文藝春秋2007年11月号「美智子さまと昭和天皇~沖縄の悲劇を胸に」梯久美子
注)梯久美子という人は特定の「方向性」をもったライターだと認識しているが、情報源として優れていたので要約してみました。

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