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Foreign Affairs

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2010年3月 7日 (日)

日米安全保障条約と台湾

1952年の平和条約と同時に締結された旧安保条約では、日本全土に米軍が駐留することを許容したものの、国務長官ダレスが「アメリカは日本を守る義務はない」と発言していた。日本の自主的な実力部隊の漸増を念頭においていたのだ。しかし、アメリカの反共軍事援助推進政策や朝鮮戦争勃発などを経て、日米の結びつきは軍事的色彩を強め、わが国は軍事力増強義務・秘密保持義務・アメリカ軍事顧問団 受け入れ義務を負うことになった。そうした中で、国民的議論と激しい闘争の後に安保改訂が1960年に行われたのだ。しかし、「締約国のいずれか一方への武力攻撃」(5条)が集団的自衛権を意味するかという解釈で日米の見解が食い違い、今日まで尾を引いている。また6条の「極東」概念は政府統一見解では「大体においてフィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域」とされた。つまり、韓国と中華民国の支配下にある地域をも含めたのだ。だが、アメリカの行動範囲はこれに限定されるものではなかった。また、「核の持ちこみ」に「寄港」は含まれないという立場をアメリカはとったが、日本は国民向けのメッセージとして「寄港は持込みである」と説明してしまった。
1969年11月22日両国は「共同声明」を発表して、新安保の自然延長と、韓国条項・台湾条項つまり、両国の問題をわが国の安全に関わるものとして受け止めることを表明したうえ、1972年に沖縄を日本に返還することを公表した。これらは、全体としてみると、沖縄のみならずわが国全土で極東における軍事拠点となることを意味していたのである。台湾を理解するうえでも「日米安保」の理解が必要だともいえる。
法学教室2003年10月号「憲法9条と日米安全保障」大隈義和

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