最近のトラックバック

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 「ねじれ国会」の総括 | トップページ | 「陸軍パンフレット」~文藝春秋より »

2010年3月19日 (金)

文藝春秋で描かれる「周恩来」

文藝春秋2007年4月号で、中国の現代史の編纂を任されていた人で、天安門事件でアメリカに亡命してハーバードの研究者になっていた人の話があった。その人が周恩来について書いていたのだが。毛沢東は周恩来の初期の膀胱がんの発見の診断の報告を受けて、「本人に知らせるな」「家族に知らせるな」「手術をするな」といった命令を出している。中国では外交は内政の延長といわれるほど、内部の権力闘争は熾烈を極め、もともと文化大革命は劉少奇国家主席の追い落としを意図したものだった。その後、天才的な軍人だった№2の林彪が、権力の座を追われて、周恩来が№2になっていたのだ。ところが、華々しい周恩来の活躍に嫉妬した毛沢東は、周恩来の力を必要としていたものの、ある歴史家は毛沢東が周恩来を殺した、とまで表現している。周恩来は膀胱がんが転移してしまい、やがてトイレに行くのにも、腫瘍が排泄を妨げないようにフラフラと腫瘍の位置を動かしながらトイレに向かっていたという。もはや自分のガンはおのずから明らかだったが、毛沢東への忠誠を意味する歌を歌い続けた。文革は失敗だったのではないかという空気の中で、自分の歴史的評価を書き換えられることを毛沢東は怖れていた。周恩来が死んだとき、毛沢東は爆竹を鳴らしたという。中国ではおめでたい時に行われる行為であるとされている。
文藝春秋の「昭和天皇」にも書かれていたが、周恩来は日本に留学したときには、東京外語大に不合格になったり、フランスに留学しても、戦後復旧作業に参加する学生を尻目に鬱屈した日々をすごしていたという。革命家と呼ばれる人にはそのような人が多いともいわれる。
1920年代前後に、世界の知識人の間に社会主義思想が広まったが、周恩来は日本でそれに触れている。路線闘争というのはソ連の影響だ。それが中国土着のものとくっついて中国共産党の原型が出来上がる。歴史を材料にして他の政治指導者を叩くというのは毛沢東の独創だ。政策の違いだけではライバルを潰すことができない。路線闘争に持ち込んで、徹底的に潰すために歴史を持ち出した。過去の言動から、相手がどういう路線、思想の人間だと決め付け、レッテルを貼り、路線闘争に持ち込んだ。周恩来は過去に「投降主義者」のレッテルを貼られたため、40年も昔にさかのぼって自身の過ちについて延々と釈明文を書き続けた。手術室に入る間際にも「私は投降主義者ではない」と叫んだとも言われる。もっとも、周恩来は若い頃、京劇の女形を演じていたことが知られており、芝居と本音が入り混じっていたのだろうといわれている。
補足だが、ニクソン元アメリカ大統領が「指導者とは」という著書で語っていたのだが、中国との交渉時に、部下に「周恩来は人を殺して平気でその場を立ち去った男だ」と言われたそうだ。文藝春秋2007年4月号で、「1931年に党の特科責任者、機密管理担当の顧順章が逮捕され、転向した事件では、その家族八人を部下に暗殺させている」という記述があった。ニクソンは具体的にはこのことを指していたようだ。


« 「ねじれ国会」の総括 | トップページ | 「陸軍パンフレット」~文藝春秋より »

文藝春秋」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 文藝春秋で描かれる「周恩来」:

« 「ねじれ国会」の総括 | トップページ | 「陸軍パンフレット」~文藝春秋より »