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2010年3月28日 (日)

志位和夫

1977年の党大会以来、宮本顕治議長の指導に誤りが目立ち始めた。「民主集中制」の規律強化という方針が党内での自由な議論を圧殺しているという構造になっていた。1985年に東大大学院生支部から宮本議長への「勇退勧告決議案」が提出された。これは党中央にとっては衝撃だった。議案提出権者が代議員になるのをありとあらゆる手を使って阻もうとした。しかし、支部で投票してみたら提出者Yが6割の得票を得てしまったのだ。議案提出必至となったときに、それを阻んだのが、党中央・青年学生対策委員をしていた志位和夫だった。志位は、決議案が5人の連名でなされていたことに目をつけ、これを共産党の党内ルールである分派行動の禁止に触れるとして、ただちに5人を査問にかけ、権利停止六ヶ月処分に付した。そして、Yの代議員権を剥奪したのだ。かくして、宮本議長勇退勧告決議案は提出をまぬがれた。この功績が高く評価され、次の第18回党大会で志位は33歳にして「最年少の准中央委員」に選ばれ、第19回党大会では35歳にして「新書記局長」に一挙に3段飛びで選ばれた。これが、志位現委員長誕生の秘密である。
文藝春秋2007年9月号「日共のドン~宮本顕治の闇」立花隆

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