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2010年3月15日 (月)

文藝春秋「昭和天皇」からの印象的な話

昭和6年の春は寒かった。東北地方では「山背」が吹き、寒風と長雨が続いたのだ。それに室戸台風が致命傷となった。高知県室戸岬だけではなく、東北地方にも再上陸していたのだ。このため小作農が50%の減収となり、地主への支払と借財の利払いで消えた。破産以外の何ものでもなかった。国民新聞は「消えた娘が200名」などと報じていた。娘の身売りが横行していたのだ。東京の向島玉之井で、南喜一という男が事務所を開いていた。労働争議の交渉が表芸であったが、博徒の喧嘩の仲裁や、高利貸しの棒引き、警察や消防への苦情申立てなどをやっていた。この、南が娼婦となっている女たちの救済に動いた。抱え主たちは博徒を集めて対抗したが、南は労働者を動員したのだ。衝突となれば警察の所轄も面目を失う。結局、抱え主が折れて女主人は南にひれ伏した。その時、娼婦は「母さん」といって南の前にひれ伏している女主人の味方をしたのだ。結局、南は女を連れて福島に帰った。「先生!」と歓迎されたものの、夜になって家の人の愚痴が聞こえてきた。相変わらず金もなければ、人間関係の修復も不可能だったのだ。南は、自分の薄っぺらな人道主義に対して、女主人に抱きついた娼婦の姿を思い出し、彼女の方が自分の状況を正確に理解していたことを知った。翌朝、南は家の人に謝罪し、女を東京に連れて帰り、しっかりとした職につけることを約束したが、こうした女どもは結局娼婦に戻って行ったそうだ。昭和の人間は貧乏から対立・問題を抱えていたのだ。現代との根本的な違いだろう。
文藝春秋2009年7月号「昭和天皇」福田和也より。

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