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Foreign Affairs

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2010年3月

2010年3月31日 (水)

生命保険の悲劇

先日のジュリストの生命保険の判例は読んでてむなしくなるものだった。
息子が借金をしてどうにも首が回らなくなり、自分にかかっている生命保険が父親が受取人になっていたものの、両親もそろって息子との心中を決意し、遺書を連名で書く。生命保険の受取人を親族のXに指定して、三人の署名をして、死ぬのだ。死んだ順序も法医学的に判明したのだが、そもそも、保険金の受取人の変更は保険契約者である息子が保険会社に連絡して行うものであったが、この事案には同情の余地が多く、遺書で単独行為として保険金受取人の変更ができると学説は解釈した。また、受取人として指定されたXは債務者でも保証人でもなく、借金を返済する義務はないのだが、それは「条件付のもの」として生命保険を受け取ることにすればいいとの解釈論もあった。遺書と遺言はまったく異なるものであるが、生命保険の判例としてこのような事例が加わることになった。
ジュリスト2009年10月15日号「商事判例研究・遺書による受取人変更」山本哲生

2010年3月30日 (火)

「東京23区は地方自治体ではない」という伝説

1868年に東京府が誕生し、1871年に廃藩置県が行われ、現在の区部を統括することになった。1878年に「地方自治体」は誕生したとされるが、このときに自治区の性格を持つ15の区(および6郡)が東京府の下に置かれた。1943年に戦時中の中で、府市並立の弊害を除くため、東京府と東京市が合体し、府県の性格と基礎的自治体の性格を併有する「東京都」が出来た。戦後、1947年に「特別地方公共団体」としての東京23区が練馬区が板橋区から分離することで出来上がる。特別区は市に準ずるものとされた。1952年に区長の公選制が廃止されたのだが、これがのちに、「東京23区は憲法93条2項の地方自治体ではない」とする最高裁判決を引き出すことになる。憲法93条2項は「地方公共団体の長はその地方公共団体の住人が直接これを選挙する」とあるのだが、渋谷区長選挙で、区議会議員が賄賂を受け取ってしまった。自分の罪を逃れるために、議員は「制度批判」を行ったのだ。
最大判昭和38年3月27日刑集17巻2号121頁
最高裁は「東京都の特別区は、いまだ市町村のごとき完全な自治体としての地位を有していたことはなく、そうした機能を果たしたこともなかった。このような特別区の実態から見て、1952年の地方自治法改正当時においても、憲法93条2項の地方公共団体と認めることは出来ない」と判示している。その後、1981年に「特例市構想」などが生まれたが、事務の移管や財政調整などの問題を経て、1998年に都と区の役割分担が明確に定められた(地方自治法281条の2)。この時に、特別区は基礎的な地方公共団体として位置づけられたといえる。その経緯の抽象的理解から「東京23区は地方自治体ではない」という伝説が生まれたようだ。
法学教室2003年3月号「地方自治法重点講義」宇賀克也

2010年3月29日 (月)

転職と、年金の持ち運び(ポータビリティ)

年金には国民年金の基礎年金(一階部分)・厚生年金保険(二階部分)と、さらに「三階部分」に企業年金というのがある。二階部分までは公的年金なので年金手帳に記録が残る。問題は個別の企業年金が転職した場合にどうなるかという問題だ。「厚生年金基金」「確定給付企業年金」などで運用している企業は転職しても問題はなさそうだ。問題は「日本版401k(確定拠出年金)」で運用している企業が絡む場合だ。「厚生年金基金」「確定給付企業年金」の企業から「確定拠出年金」の企業に転職した場合は、企業年金の金額上の不利が生じる場合がほとんどなのである。また、逆方向、つまり「確定拠出年金」から他の制度の企業に転職する場合は、その制度や基金が「規約」で受け入れている場合でなければ資産移換はできない。このような仕組みの背景には、企業が出来るだけ社員を自分のもとに確保しておきたいという思惑があり、「長期勤続」をしなければ不利になるという思惑があるともいわれる。中小企業に勤めている人は「企業年金」が、上記の3つではなく「適格退職年金」である人もいるかもしれない。しかし、この「適格退職年金」は、給付に見合う積み立てがなされていなかったりして、受給権確保の観点から問題が多いとされて、受給権保護を強化した他の企業年金への移行を選択してもらうことを念頭に2011年度末までに制度が廃止されることになっている。ところが、他の制度に移行したのが四分の一で、中小企業退職金共済に三分の一が移行し、残り4割強は解約となってしまったそうだ。経営者側としては「コストが担保できない」「実態に見合う移行先の制度がない」などから判断が出来ない事例が多いそうだ。
経済学の分野からの企業年金の研究もある。かなり主観的なまとめになるが、従業員の老後の年金に企業年金という形で企業が関与すると労使の間に「共通の利害」が生じ、労使協調を形成するのには良いという分析だそうだ。しかし、国民年金(基礎年金)という「一階」と厚生年金という「二階」の上に「三階」として企業年金というのが存在するものの、2008年の年金の資金運用がマイナス10パーセントとなったという話もある。企業がその費用を出資しなければならないのだろうか。二階部分までの公的年金は税金が入るのかもしれない。
ジュリスト2009年6月1日号「企業年金のいま」

2010年3月28日 (日)

志位和夫

1977年の党大会以来、宮本顕治議長の指導に誤りが目立ち始めた。「民主集中制」の規律強化という方針が党内での自由な議論を圧殺しているという構造になっていた。1985年に東大大学院生支部から宮本議長への「勇退勧告決議案」が提出された。これは党中央にとっては衝撃だった。議案提出権者が代議員になるのをありとあらゆる手を使って阻もうとした。しかし、支部で投票してみたら提出者Yが6割の得票を得てしまったのだ。議案提出必至となったときに、それを阻んだのが、党中央・青年学生対策委員をしていた志位和夫だった。志位は、決議案が5人の連名でなされていたことに目をつけ、これを共産党の党内ルールである分派行動の禁止に触れるとして、ただちに5人を査問にかけ、権利停止六ヶ月処分に付した。そして、Yの代議員権を剥奪したのだ。かくして、宮本議長勇退勧告決議案は提出をまぬがれた。この功績が高く評価され、次の第18回党大会で志位は33歳にして「最年少の准中央委員」に選ばれ、第19回党大会では35歳にして「新書記局長」に一挙に3段飛びで選ばれた。これが、志位現委員長誕生の秘密である。
文藝春秋2007年9月号「日共のドン~宮本顕治の闇」立花隆

2010年3月27日 (土)

日本の「宇宙開発」

糸川英夫東京大学教授(当時)がペンシルロケットを開発して宇宙開発の端緒を開いたのが1955年のことだった。わが国は1970年に、ソ連・米国・フランスに次いで、世界で四番目に自国による人工衛星打ち上げを成功させている。もはや技術的には北朝鮮の比ではなかったのだ。スペースシャトル退役後の有人での宇宙活動へのわが国への期待は大きいほどなのだ。しかし、あくまでもわが国は研究重視であり、産業部門での競争力は高くはない。民間放送衛星や気象衛星などの実用衛星のほとんどは米国製であった。このような状況を背景に、これまでの「研究重視」から「利用重視」への転換を図ることを目的とした宇宙基本法が2008年5月に成立している。
4つの研究開発プログラムの推進が考えられている。「宇宙科学プログラム」「有人宇宙活動プログラム」「宇宙太陽光発電研究開発プログラム」「小型実証衛星プログラム」である。技術面では日本は進んでいるのだ。国際宇宙ステーションに実験棟「きぼう」を有する一方、月面から青く美しい地球が現れる「地球の出」を撮影した月周回衛星「かぐや」、世界に先駆けて小惑星からサンプルを回収し、今まさに地球への帰還途上にある「はやぶさ」などがある。わが国の「宇宙基本計画」の検討作業は、米国の宇宙政策見直しに一年先んじることとなった。
わが国の宇宙技術もあなどれないものがある。
ジュリスト2010年2月1日号「宇宙基本計画の策定とその後の取組」森浩久

2010年3月26日 (金)

衆議院の解散は「憲法第7条」によって行われる

1948年に衆議院の解散が行われている。この時は占領下であり、解散に関する議論がまとまっていなかった。憲法69条の「内閣不信任案が可決された場合」にのみ衆議院は解散されるのではないかという主張にGHQのホイットニーが同調してしまったために、野党8会派が連合して不信任案を提出し「憲法第7条と69条により」解散されている。これは「馴れ合い解散」と呼ばれている。しかし、1952年4月28日に主権を回復したわが国では、自由党に吉田派と鳩山派があったのだが、鳩山一郎は公職追放解除を受けて、早く解散して議席を獲得したかったのだ。1952年8月26日に吉田茂は国会を召集し、2日後に閣議で解散を決めている。わが国で初めて「憲法第7条により」解散が行われた。このことが苫米地(とまべち)訴訟という訴訟で解散が有効であるかが争われたが、最高裁判決の半年前に砂川事件で自衛隊に関する「統治行為論」を最高裁は示しており、その解釈は苫米地訴訟にも及んだ。もはや憲法7条により解散が可能であるというのは政府の共通認識となっていた。
なお、苫米地訴訟には「解散無効訴訟」と「衆議院議員地位確認・歳費請求訴訟」の二つが存在する。
法学教室2009年10月号「苫米地事件」大石眞

2010年3月25日 (木)

世界の「政府系ファンド」

政府系ファンド(SWF"Sovereign Wealth Funds")とは政府が運用するファンドであり、外国株式投資などの積極的な運用をするものを想定している。しかし、外貨準備金、国営企業、米国債で運用する年金などは含まれない。投資先は先進国中心で、ヨーロッパ(特に英国)が投資先となることが多い。業種別ではサービス業種(ビジネス・サービス、金融)が多い。政府系ファンドは石油や天然資源の売上金を原資とするものが多いが、それ以外のものもある。資金額が特に大きいと考えられる5つの政府系ファンド。
・アブダビ投資庁(ADIA、約5000~8750億ドル)
・ノルウェー政府年金基金(Global、約3290億ドル)
・シンガポール政府投資公社(GIC、約1000~3300億ドル)
・クウェート投資庁(KIA、約2130億ドル)
・中国投資有限責任公司(CIC、約2000億ドル)
などである。G7の中では、英国、フランス、ドイツ、イタリア、日本は有しないし、米国もカナダも連邦レベルでは有しない。政府系ファンドは資金額についても投資原則・行動についても透明性を欠くものが大半である。透明性を欠くことは体外的に懸念を生じさせるだけでなく、自国の納税者への説明責任も欠くことになる。また、政治的動機にもとづいて投資受入国の戦略業種に投資してそれを支配てしまうのではないか、という懸念があり、国際合意がなされている。米国財務省はADIAおよびGICと、主に商業目的で投資することを合意している。また、OECD(経済協力開発機構)や、IMF(国際通貨基金)でも取決めがなされている。非経済的考慮にもとづく投資をする場合はその公表を求めているのだ。また、国際法上は、中央銀行などは外国の裁判権免除の対象になることが知られているが、政府系ファンドは免除されなかったり、課税対象とするかどうかなどの議論がなされている。
法学教室2009年10月号「政府系ファンド」中谷和弘

2010年3月24日 (水)

自動車ローン

先日、参考資料として横浜銀行から各種ローンのパンフレットを持ってきたのだが、基本は「耐久消費財」「「非消費財」に分類すると分かりやすい。耐久消費財の具体例としては自動車が挙げられる。つまり、はまぎんで言うと「マイカーローン」だ。自動車を買うのにせっせと生活を節約してお金をためるよりも、5年程度のローンを組んで、自動車の便益を享受しながらローンを払い続けた方が合理的だ。マーカーローンはそういう発想だ。では、非消費財の具体例としては住宅が挙げられるであろう。しかし、住宅は安くても数千万円するものであり、20~35年という長期のローンを組まなければならないので、信販会社には対応できない。住宅には土地の市場価格が磨耗しなかったり、建物も長期の使用に耐えうることや、便益を享受しながらローンを払うことができる。適正に担保を設定すれば銀行としても貸し付けても安全だ。住宅ローンは主に銀行や、住宅金融支援機構が貸し付けている。
証券化の歴史は土地に始まり土地に終わるといわれているが、自動車ローンの証券化が土地の証券化の理解の前提として分かりやすいと思われる。アメリカの自動車産業はビッグスリー(GM,フォード、クライスラー)が君臨していたが、80年代以降燃費の安い日本車の輸出攻勢に押されたのは周知だろう。クライスラーは破綻の危機に瀕したほどだ。そんな中で、ビッグスリーは頭を使ったのだ。自動車はメーカーからディーラーに卸し、さらに販売店に卸すが、すべての過程で決済は関連子会社のファイナンス企業がやっていた。そのため、車の販売はディーラーに卸した台数であるとされながらも、実際にお金が入ってくるのは5~6年もあとになっていたのだ。ビッグスリーは、顧客の自動車ローンに注目した。膨大な顧客への売掛債権を抱えていたのだ。それを、全部、SPC(特別目的会社)に譲渡し、そのSPCが社債を発行する。この「社債」のことを「証券化」したと表現していたのだ。しかし、車を買った人の3%が金を払わないことから、貸し倒れ率0.5%というトリプルAの格付けを得る工夫が必要となった。そこに何らかの担保を与えて、そのSPCの社債(証券)にトリプルAの格付けを与えた。具体的にはすべての社債をトリプルAにすることにはこだわらず、優先劣後関係を設けたり、少し多めにSPCに債権を譲渡したりしたそうだ。結局、80年代にクライスラー社の救世主となったリー・アイアコッカも、このような研究に秀でた人だったのかもしれない。
法学教室2009年10月号「金融と法」大垣尚司

2010年3月23日 (火)

教科書裁判の「侵略」について

文部省はいわゆる15年戦争を含めた日本の大陸侵略を、教科書検定において「侵略」ではなく「進入」と書かせていた。1982年に中国の外交ルートを通じてその不当性が非難され、当時の中曽根康弘内閣はその「侵略」性を認めた。それが検定にも影響して、教科書にも「侵略」を書くことが認められるようになった。政府見解が「侵略」という記述を認めたことから、今まで「侵略」と書くことができなかったことに耐えてきた家永三郎氏は国家賠償を求める第三次家永訴訟を起こしている。家永裁判の主な点は、家永氏が「戦争を暗く表現しすぎている」という点に求められている。細かい点では、太平洋戦争を「無謀な」という表現を使ったところに文部省が修正を求めたことなどが重視されているようだ。最近の教科書では昭和期の日本の大陸侵略を「自衛のために必要だった」などと書いた教科書が検定に合格している。家永裁判は、第一次訴訟(国家賠償請求権)が1965年提訴、第二次訴訟(行政処分取消訴訟)が1967年提訴と、ずいぶん古い話なのだが、それは「戦争を暗く表現している」や「無謀な」などという点を争点とした裁判だったのだ。ところが、中国の外交ルートを通じた批判に中曽根が応じたことから、第三次訴訟は1984年の提訴となっている。このときの話が「進入」「侵略」論議だったのだ。われわれが通常知っているのは第三次訴訟だったのだ。
法学教室2009年10月号「家永教科書裁判」永井憲一

2010年3月22日 (月)

子供の奪い合い

基本的に、親権者は、子供を自己の監護下におくために親権に基づく「妨害排除請求権」というのを行使できるという法律構成がある。だが、この法律構成のもとではできるだけ子供を「モノ」として扱う発想を排除している。あるドラマで「人身保護請求」によって執行官が家に突入してきて「国家権力」により子供を奪い返された、という話を見たことがあるが、実はそのようなことは人身保護法が成立した昭和23年の翌年に早くも行われていたそうだ。本来、国家による拘束を念頭において作った法律だったのだが法律家も知恵比べだったのだろうか。人身保護請求の場合は「親権・監護権」に基づく必要はなく、子供の幸福という観点から行われる。子供がたとえ「自分の意思」でそこに留まっていたとしても、その「意思」が意味を持つのは9歳~10歳前後を越えてからだといわれる。14歳の家出少女を人身保護請求で取り返すということは出来ないのかもしれない。最近では家庭裁判所の調査官を入れて、経済的な面や、親の愛情、その他の環境を調査して対応したほうがいいとも言われている。なお、人身保護請求ではなく、調査官を入れるという法律構成は家事審判規則に基づく仮処分ということになるそうだ。「この子の7つのお祝いに」という映画で、岸田今日子が子供に「お父様を憎んで・・憎んで・・」と子供に教え込む話があるそうだが、基本は9歳~10歳前後に子供の「意思」というのが考慮に入れられる。なお、別居中の共同親権者である夫が、妻の母が子どもを保育園に送り迎えしている際に、強引に子どもを奪った事件では、実質的にも違法性を阻却する理由はないとして未成年者略取罪が認められた(最判平成17年12月6日第二小法廷決定・刑集59巻10号1901頁)。
この事件では、子どもの婆さんが逃げる男の車にしがみついて振り切られている。
法学教室2009年7月号「家族法~民法を学ぶ」窪田充見

2010年3月21日 (日)

「護身用武器」の携帯と判例

私が学生時代に警備会社でバイトした時に、社員の人に「特殊警棒」を見せてもらったことがある。あのようなものの所持は、基本的に「業務その他正当な理由のあるとき」に認められるが、警備員の所持する警棒は、大工さんの「のみ」や「かんな」と同じで、職業に基づき継続的に行う仕事である「業務」にあたると思われる。一方、「その他正当な理由」というのはたとえば、登山者の「登山用ナイフ」などがあげられる。軽犯罪法で所持が禁じられている器具は、「性質上の凶器」「用法上の凶器」の両者を含み、「刃物・鉄棒」が条文に挙げられているが、その他、こん棒、鉄パイプ、特殊警棒、木刀、バール、カッターナイフ、メリケンサックなどが含まれるとされる。「護身用にナイフを携帯する」ことはどのように正当化されるだろうか。喧嘩目的ならダメである。しかし、女性が夜道を歩くのに、催涙ガスを所持することは認められた。当該器具の「性質」「職業や日常生活との関係」「日時・場所」「動機・目的などの主観的要素」などで判断される。女性が新宿で仕事がら有価証券の運搬などに従事するなどしており、夜道であったことなどから「正当の理由」が認められたのだ。ただし、事案を見てみると実に面白いことが分かった。女性は仕事から帰ってきて眠ってしまい、夜中の二時に起きてサイクリングをしていたのである。ダイエット目的だったのであろうか。警察に呼び止められても仕方がなかったのである。
CNガス(2-クロロアセトフェノン)は催涙性がきわめて強く、人間の場合は0・3ppmで目を刺激するといわれる。高濃度になると結膜炎で失明することもあるのだ。この映像では、拳銃のようなものでガスを発射して、撃ったほうが目をやられて爆笑している。日本でも米国製の護身用催涙スプレーとして売られている。
ジュリスト2010年2月15日号「時の判例」(最高裁平成21年3月26日第一小法廷判決)

2009年のヘラルドトリビューン記事・回顧2

2009年8月23日付
「バーナンキFRB議長の二期目の政策」
先日、オバマ大統領はバーナンキの二期目の連邦準備制度理事会議長に任命した。本来、バーナンキはブッシュ前大統領が任命したのだが、バーナンキは民主党への忠誠を誓った。しかし、バーナンキの課題は、「一期目の成功にとらわれてはならない」ということだ。金融危機の際に、市場に資金供給をして、金利をほぼゼロ金利にした判断が効を奏したのだが、この政策は非常に高い評価を受けている。しかし、二期目に何をやらなければならないかというと、現状ではほぼ「片腕」状態になった政策手段を元に戻すことだ。金利を上げて、クレジットカードやモーゲッジローンのコストを上げる。おそらく失業率も上がり、経済成長も低い水準に抑えられてしまうだろう。ホワイトハウスとの衝突の局面も増えると予想される。しかし、バーナンキ議長は、「一定の期間を経て金利を上げる」ことを明言しており、これはインフレをどのようにコントロールするかが判断のかぎとなる。新聞では「金融危機への救世主から、厳しい規律を行う人物像への転換」が求められるとしている。
2009年8月31日付
「ニューヨークタイムズから見た民主党新政権」
日本経済は、麻生政権で一段落していたものの、日本国民は政権交代を求めた。しかし、経済は相変わらずの旧体制が続くものと見られている。日本経済はそもそもが過剰な雇用と輸出依存で成り立っている。今の経済が一息つけたのも各国の経済刺激策によるものだ。東京の某デパートではエレベーターガールがいたり、ガソリンスタンドではスタンドの兄さんが手持ち無沙汰にしている。このような雇用を切り詰めたら、今の失業率5・7%は12%までいってしまうとも言われている。今の日本ではもはや「改革」という言葉にいいイメージはない。市場原理を各所に持ち込むことが嫌われている。しかし、何か「新しい」ことをやろうとしたら「規制」「許認可権」「利権」に手をつけなければならず、アメリカでは実はこれらに手をつけることに対して「民主党の関心は薄い」と見られている。今の日本経済を取り巻いているのは「非効率性」なのだ。アメリカに比べて労働時間一時間あたりのGDPはアメリカが100に対して、日本は71とも言われる。労働市場に手をつけるのは非常に難しい問題となる。
「アフガニスタン大統領選挙の行方」
アフガニスタンはタリバンの掃討作戦をアメリカがやっているが、正統な大統領であるとされるカルザイ氏が、対抗馬であるアブダラ氏に対して、大規模な選挙妨害を行ったとされる。カルザイ陣営自身が腐敗しているのだ。朝、英国のジャーナリストが投票所を訪れたら、すでに投票箱は埋まっていたという。すべて現職側が選挙違反をしているのだ。三分の一の開票時点で、カルザイ氏が46%、アブダラ氏が31%の割合で得票をかさねているといわれているが、一週間後の選挙結果の公表内容次第では、他に政治的意思表示の方法を持たない人たちがストリートに出て何らかの行動を起こす可能性が高いとも言われている。
「高齢(65歳以上)のアメリカ移住者の孤立化」
歳をとると、語学に順応できなかったり、文化に適応できなかったり、若者とは非常に異なる反応を外国で見せる。アメリカでは今、高齢者の移民が問題となっている。彼らは子供たちにアメリカに呼び寄せられたものの孤立化してしまったり、政治的に迫害されてアメリカに移住したりしている。数字が英字新聞で明確になっている。基本的に、ヨーロッパはもはや豊かなので移民は減少の方向だが、いまだに移民の多くがヨーロッパ系だ。ドイツ・イタリア・ポーランド・英国の順番に多い。144万人の高齢者がヨーロッパから移民してきている。北アメリカの他国からは急増の傾向だ。メキシコ・カナダ。86万人がこれらの国からの移民だ。カリブや中南米からは97万人。しかし、今いちばん注目すべきなのはアジアからの移民だろう。中国・フィリピン・韓国・ベトナム・インドなど。日本からはもはや統計上は表面化しないほど移民というのは少ない。120万人がアジア系だ。(数字は65歳以上の高齢者)この統計はUCLAの精神保健の研究チームが発表したのだが、高齢になってからのアメリカ移住がメンタルに影響を与えることから調査がなされたのだ。インドでは年配の人に敬意を払うのは当然だったのに、アメリカでは「快適さ」が重視され、子供に別居をせまられた高齢者の話とかが掲載されていた。韓国からの高齢の移民は、昼間からテレビでメロドラマを見ているという。言葉は分からなくても俳優の表情などから意味を汲み取ったりしているそうだ。
2009年9月14日付
イスラエルが、ヨルダン川西岸やガザ地区のイスラエル人入植者の撤退を決めたのが2005年だった。当初は、英字新聞で「屋上からペンキを投げて抵抗している」と聞いて、何考えてるんだろうと思っていたが、いまだにヨルダン川西岸には30万人の入植者が残留している。この地域にはユダヤ人の信仰にとって重要な意味を持つヘブロンや、ヤコブの息子であるヨゼフの墓のあるナブルス(旧シュケム)がある。これらの入植者は撤退を余儀なくされているが、撤退を促すのもイスラエル軍であることから、このような「ペンキを投げる」という抵抗をしているようだ。30万人のうち三分の一がイスラエル人としてのアイデンティティを固く持っていて、さらに三分の一は地域の住民たちとなじんでしまおうという発想で暮らしていて、残りが立場を明確にしていないとされている。
「米中貿易交渉」
オバマ大統領が、中国からのタイヤ輸出に関税を35%課すと発表したところ、中国のネットではアメリカへの批判が相次いだ。中国はアメリカにタイヤを年間13億ドルも輸出していたのだ。一方、アメリカも中国に鶏肉を3億7600億ドル輸出していて、さらに8億ドルの自動車部関連の部品を輸出していたことから、主に「タイヤ」と「鶏肉」の交渉となった。そもそもアメリカは対中貿易赤字が2680億ドルもあるのだ。アメリカが1ドル中国に輸出すると、4.46ドル輸入するという割合になる。中国は人民元を多く刷ってアメリカドルを買って、人民元の価値を下げ、中国製品の物価を安くしているそうだ。中国は膨大な外貨準備高をもち、アメリカのドル関連の資産を多く保有している。その金額はもはや2兆ドルとされる。中国は今年の上半期に世界の輸出でドイツを抑えて一位になっており、対アメリカ輸出への依存度が高い。一方で、アメリカも他方向への輸出から次第に輸出先を中国にシフトしているのだ。このことから、お互いの交渉でWTOルールをしっかり遵守することをベースに交渉が求められている。基本的に、中国の生産の6%はアメリカ向けで、私の英字新聞の読みが正しければ、アメリカの中国依存度の指標に比べると、中国はその13倍も「アメリカ頼み」のようだ。
2009年9月27日付
アメリカは昨年9月のリーマンショックから一年が経過するが、今や、国家が自動車産業のオーナーであり、銀行、保険、その他の信用保証も「監督者であり経営者でもある」という資本構造になってしまった。しかし、民間企業は国費が投入されたことをむしろあざ笑っているかのようにふるまっているという。夏季休暇に出たまま帰ってこない経営者までいるのだ。アメリカ政府も細かな経営への介入は行わない方針で、一度、GMの経営体質を洗いなおした方がいいのではないかという声にも、オバマ大統領は、操業を止めることはむしろ経営を悪化させるといっているという。ビッグスリーに投入した200億ドルは「返ってこないと思った方がいい」とも言われている。公的資金の投入はいろんな面で民間にモラルハザードを引き起こしている。また、今は大きな政府となってしまったが、長い目で見るといずれは政府の行動の制約要因となるだろうとも言われている。国家の国内総生産では世界でもずば抜けているアメリカだが、個人投資家が市場から離れたり、いろいろと多難な前途を抱えている。
補足:私の中国語の知識はきわめて怪しいですが、人民日報からの情報収集もたまに試みています。こんな情報がありました。
「米中関係が不安定化している」(人民日報電子版2010年2月21日
米中貿易問題、台湾への武器売却事件、グーグル事件、さらにはオバマ大統領がダライラマと会見した。ダライラマとアメリカ大統領の会見はクリントン以来のアメリカの慣行であるが、チベット分離主義者であるとされるダライラマとの会見に中国は反対していた。そもそも、オバマは就任二年目の支持率が47%という低さで、これはアイゼンハワーに次ぐ低支持率だとされる。台湾への武器売却の際には、アメリカは香港沖に空母を送って中国を牽制していたのだ。アジアで軍事行動でも起こそうというのか、というのは大げさであるが、中国筋は、アメリカの行動に「理解困難」なことが続いていると報じている。
「曹操の墓」(人民日報電子版2010年1月14日
曹操の墓に関する情報はやはり中国発信でなければ詳細は掴めないようだ。「西高穴大墓」と呼ばれる墓で、一号墓と二号墓がある。曹操の妻は70歳で死亡しており、しかし、合葬されていた女性が50歳と推定されることから、この間隔が開きすぎているとも言われる。陶器などの埋葬品も年代特定に重要な役割を果たす。現時点では「推定できる」としか言えない。最終報告は出せないのだ。埋葬地点の意味合いなども分析しなければならない。歴史文書と照らし合わせる作業だ。この規模の墓は歴史上の「王」クラスの墓であるが、盗掘に遭ってなかったのが幸運だった。他の墓はそれで研究が困難になるのが通常なのだ。墓碑銘があればいいのだが、この時代の墓碑銘の慣習は確立しておらず、それも研究が必要だ。

2010年3月20日 (土)

2009年のヘラルドトリビューン記事・回顧

ヘラルドトリビューン紙は、ヘラルド朝日とも呼ばれ、朝日新聞とニューヨークタイムズ紙が提携した英字新聞だ。昨年一年間で、たまに購入しては情報を整理していた。私の翻訳(要約)なので、情報精度は粗いかもしれないが、一応ブログに上げようと思います。
2009年1月19日付
ミャンマーの政治犯収容所の惨状を全米メディアに伝えることに成功した活動の記事があった。政治犯収容所で、まずは収容された政治犯はブロックで出来たでこぼこの床を自分でヤスリで平らにならす作業をやらされるそうだ。本当にまっ平らな部屋で眠りたい奴は看守を買収するしかないらしい。ある政治犯は結核で声が出なくなり、看守に結核であることを伝えるためにコップに少しずつ咳に混じって出てくる血をためて看守に手渡したそうだ。タイの方からミャンマーの政治犯に物資を送っている連中も所詮は政治犯の家族からの金目当てだと言っていた。タイとミャンマーの間には犯罪人引渡し条約みたいなのがないのだろうか。タイに逃げこめばミャンマーは一切手出しが出来ないそうだ。
2009年2月9日付
オバマ政権の、金融機関等への公的資金投入が行われているが、銀行が公的資金を得て他銀行の買収をしたり、剰余金としてため込んだりしているケースがあり、不良資産救済計画がうまく機能しているのか検証が求められている。フレディマックやファニーメイが国有化されたが、住宅ローンが払えなくて住宅を失うことがないように、公的資金で利率の低いローンに切り替えさせたりするそうだ。銀行への公的資金は、新株予約権などを購入することで行われるが、それを議決権のない優先株に切り替えたりする。議決権がないので政府が経営に直接影響を与えることが少ない。あるいは、債務を株式に切り替えたりする(デッドエクイティスワップ)が、この手法は、バランスシートには極めていい影響を与えるが、既存の株主の持ち株比率を下げてしまうという問題があるそうだ。銀行は売却不能な不良債権を適正に評価し公開することが求められているが、かつて日本が抱えていた問題と同じことが論じられている。
2009年2月14日付
米国の国家情報長官である、デニス・ブレア氏が、議会で見解を述べた。アメリカの経済危機は世界の四分の一の国で何らかの体制不安を引き起こしている。日本の経済政策にも政局がらみの影響を及ぼしているのは周知であろう。パキスタンではイスラム原理主義が台頭し、領土の一部が統治機能を失っているとも言われている。アフガニスタンではタリバンや武装組織が勢力を増している。カルザイ政権がカブールを掌握しきれていないことが一因であるとされる。アメリカがもはや世界経済の牽引力とならないのではないかということから、これらのテロ組織が勢いづいている。北朝鮮は核開発や、米国まで届く弾道ミサイルの開発で米国を脅かそうと試みるのは明らかである。イランもあくまでもエネルギー源であるとしつつも核開発を行っている。また、核弾頭を搭載できるミサイル開発に死に物狂いであるとされる。イランとはいずれ政府のハイレベルの交渉が必要となるであろう。
2009年3月2日付
1975年から79年まで続いた、カンボジアのクメールルージュ政権は、ベトナムからの侵略によって終わりを迎えたが、この政権下で170万人が強制労働や拷問や虐殺で死んだとされる。ヘラルドトリビューンでは、当時のクメールルージュのS-21と呼ばれる収容所の刑務官のインタビュー記事が掲載されていた。現在は農場を経営していて、ごく普通の日常を送っているが、当時の同僚にいわせると非常に残虐な一面を見せたという証言もある。鉄パイプで5人ほど殴り殺しただけだと本人は語るが、殺される方も殺す方も当時の政権の被害者だと弁明している。当時の収容所の生き残りも、30年の歳月を経て、もはや怒りの感情も持っていないそうだ。上官が現在公判にかけられているが、部下は今となっては悠々自適の暮らしらしい。
アメリカの「失業率」の数値は分かりませんが、取締役レベルの人が会社をクビになって掃除夫をやったりしている現象があるそうだ。彼らは、生活保護を受けることを潔しとしなかったり、あるいは残された資産を失いたくなかったりして、パートタイムで働いたりしている。かつてのプライドもなにもなくなるそうだ。あるキャリアウーマンは「離婚したときよりも、母を失ったときよりもつらい」と言っている。アメリカでもこのような非正規雇用が170万人いるそうだ。しかし、景気の回復を待って復活を狙っているのだ。
2009年8月22日付
ミャンマーは英国の統治下から独立して60年たつが、いまだに国内全土を制圧していないのだ。英国統治下で支配層にあったカレンがサルウィン川西岸に自治区を設けていたり、中国国境にも別の民族がいたりする。先日、モンスーン気候から黙示の「休戦」が行われていた時に、ミャンマー政府は一気に攻勢をかけ、カレンの自治区を壊滅させた。多くがマラリア蚊のいるジャングルに逃れ、タイ国境を越えて難民となったものは1万人を超えた。だが、これでミャンマー政府がカレンの支配地域を一掃できるかというと懐疑的な見方が多い。しかし、反政府組織の力が徐々に衰えていく方向なのは間違いないようだ。
ヒラリー・ロダム・クリントン米国務長官のインタビュー(国務省7階の長官室にて)民主主義は半数の人間が投票しなければ機能せず、また、教育が施されていなければ識字率が低下し、機能しない。アフリカ訪問で目の当たりにしたのが、これらが女性問題と結びついているということだ。女性問題の解決は歴史的には、経済的地位の向上と、法的・政治的地位の向上が同時進行で行われてきた。プロセスとしてはこれらの手段を併用するのが有効だ。インドは民主化されてから60年経過するが、その経過は驚異的だ。あらゆるカーストや、男女に選挙権を与え、独立して30年後には女性の首相も誕生している。これがインドの経済発展をもたらした。基本的に、すべての人間が「いい仕事」につき「いい収入」を得るのが社会にとって望ましい。これは人間の生活の循環にとって決定的なのだ。それと共に自分の子供を育てるのにも必要なことだ。他方で、国際政治の場を見てみると、急進的な発想をする人はまず女性を排除する。これは普遍的な現象だ。私が訪問したアフリカでも、危険な武器なんかよりも携帯電話を普及させた方がよほど人々に安定をもたらすのではないかとすら思った。日本や、韓国、インドネシア、ラテンアメリカでは女性の指導者は限られている。私も大統領選挙を戦ってみて、あの戦いで少しでも多くの女性に勇気を与え、人生がいい方向にいってくれたのなら望外の喜びなのだ。
カダフィ大佐のクーデターが成功してから来月で40年になる。今のリビアはどんな状況なのであろうか。カダフィ大佐で記憶に深く刻まれているのが、80年代の「ダナ・モス」という政策だ。たとえば、ドイツの商社マンがアメリカ人に電話をするだけでも盗聴されているのが当たり前だったりする状況で、中でも1988年12月の英国ロカビー上空でのパンナム機103便の爆破事件であろう。これはいまだにカダフィ大佐に暗いイメージをもたらしているのだ。リビア政府は結局、ロカビー住民や航空機の乗客に膨大な賠償金を払った。しかし、爆破の実行犯が先日釈放されたのだ。理由は、ガンに罹り、余生を家族と送らせる、というものだった。しかし、遺族の間に不満が残った。カダフィ大佐は、今ではアフリカユニオンの議長も務め、9月には国連総会でも演説するなど、石油資源を背景に国際社会での認知に向かっているが、かつての「テロリスト」の影を引きずっているのだ。
英字新聞になぜか恐山の「イタコ」の話があった。仏教や新興の神道が背景にあるスピリチュアリズムだが、現代の日本ではもはや「見下された」存在だとされる。昨年、3人のイタコがなくなり、今では4人が残るばかりだ。最後のイタコが、40歳の日向井さんだと言われる。イタコは中世は盲目のシャーマニストによって担われたそうだが、本来は火山の元に死者の霊が集まるとされ、1200年前に寺院が建てられた。戦前には100人のイタコがいて、近隣の住民は夏に一晩踊り明かしたこともあったそうだが、親に対する意識や死生観の変化なのだろうと指摘する人もいる。今では3000円の料金で10分間程度の降霊の「儀式」をやるのみである。
先週木曜日(8月20日)に83歳でなくなった金大中元大統領(任期1998-2003)の弔問に北朝鮮使節団6名が訪れた。金氏の遺体は国会がいいだろうということで国会に場所が設置された。韓国統一省の元大臣が使節団を出迎えたが、そのうち6名のうち2名は金正日の側近だとされる。金大中氏の大統領としてのハイライトは2000年7月の南北首脳会談だとされている。使節団は金曜に韓国に到着し、土曜の午前中に帰国する予定だというので、もしこの予定に固執するなら土曜の午後の正式な葬儀には参列しないことになる。使節団は韓国統一省との会談は一切持たない方針だそうだ。
2009年8月27日付
さっき買ってきた英字新聞に、カダフィ大佐の続報があった。カダフィはアフリカンユニオンの議長をつとめていて、究極的には「一つのアフリカ国家に大統領として君臨する」ことを目指している。ロカビー上空でのパンナム機103便爆破事件の「賠償」も、しょせんは「取引」に過ぎなかったのではないかとも言われている。爆破事件の実行犯が保釈されたが、リビアの年配の幹部の歓心を買おうとしてカダフィの息子がイギリスまで迎えにいっている。これは西側諸国に誤ったメッセージを送ったとも言われる。カダフィ大佐はクーデター当初からの「本質」には何の変わりもないという識者もいるのだ。ただし、核を放棄したり、リビアの石油に関心のある西側諸国との妥協が生まれている。
CIAの機密をニューヨークタイムズが暴露した。17ワットの蛍光灯がそれぞれの独房にあり、24時間つけっぱなし。79デシベル以内に保ったノイズを常に鳴らす。41度のお湯に20分間浸からせる。一日1500キロカロリーの食事。8時間は横になれる部屋に入れ、2時間は狭い空間に入れる。専門医は、鼻に水を逆流させるだけでも十分非人道的扱いであるとする。しかし、CIAは「ルールを明確にすることが必要だ」としている。戦場では、後ろ手に縛った捕虜の周りに銃を撃ちまくったりしている実情があるというのだ。非常に興味深い記事だった。
)内容はバラバラですが、機会があったら残りもアップしようと思います。

「陸軍パンフレット」~文藝春秋より

昭和9年10月1日、陸軍軍務局新聞班は「国防の本義と其強化の提唱」と題するパンフレットを発行した。永田鉄山の軍務局長就任以来、10余りのパンフレットを出していたが「国防の本義」ほど反響の大きなものはなかったため、以後「陸軍パンフレット」といえば、この冊子をさすようになった。発行が増刷になったのみならず、新聞各紙が文面をそのまま掲載したので、事実上、一千万部を発行したに等しいなどといわれたそうだ。「たたかひは創造の父、文化の母である」という高名な書き出しで始まるパンフレットは国民に対して、国防観の全面的な革新を求めていた。日清・日露の際の国防観、第一次大戦の国防観、からさらに発展させて、軍事のみならず経済、思想、文化すべてが参画する「国家の全活力を総合統制する」戦争を想定していたのだ。パンフレットの起草者は、陸軍省軍務局政策班長の池田純久少佐で、経済統制においては陸軍を代表するエキスパートだった。この「経済統制」という発想に当初は株価が急落したものの、永田が財界に人脈が多く、永田の主張に賛同するものも多かったことからすぐに株価は持ち直した。永田は「革新という用語を使う連中は大勢いても、具体的に内容面に立ち入って語れる奴はいない」と公言していたそうだ。この、永田の近代的国防観は、大元帥陛下の馬前で死ぬことのみを任務と心得る軍人たちには脅威と映った。それがその後の皇道派のクーデター事件につながることになる。天皇機関説事件も、天皇を崇高な存在として自らを正当化する軍人たちの口実みたいなものだった。永田の言説は、近代的軍事体制を構築できる資質をもたない大部分の将校たちの存在価値を否定するに等しいものだったのだ。
補足:もともと、軍務局長は陸軍全体を掌握する重要なポストだった。政界、官界、財界、メディアとの交渉、接触を総覧する立場なのだ。林銑十郎は、荒木貞夫陸相の後継になるにあたって、永田の軍務局長就任を懇願したのだ。拡大し、複雑化した陸軍省を統治するためには、稀代の能吏である永田の存在がどうしても必要だと林は主張した。しかし、荒木陸相や真崎甚三郎は強硬に反対した。だが、林の懇願に負け、受け入れる代わりに、他のポストを皇道派で固めて永田を包囲した。皇道派は、軍法会議のルールに関しても、明治陸軍の重鎮たちが腐心して作り上げてきた軍事司法の独立を無視するようなことを五・一五事件の際に行っており、法務高官の人事にも陸軍省が介入するなどしていたが、いわゆる士官学校事件で、北一輝や西田税の逮捕を強硬に主張する永田に好感を持つ法務局員も多かったそうだ。
文藝春秋2007年7月号「昭和天皇」福田和也

2010年3月19日 (金)

文藝春秋で描かれる「周恩来」

文藝春秋2007年4月号で、中国の現代史の編纂を任されていた人で、天安門事件でアメリカに亡命してハーバードの研究者になっていた人の話があった。その人が周恩来について書いていたのだが。毛沢東は周恩来の初期の膀胱がんの発見の診断の報告を受けて、「本人に知らせるな」「家族に知らせるな」「手術をするな」といった命令を出している。中国では外交は内政の延長といわれるほど、内部の権力闘争は熾烈を極め、もともと文化大革命は劉少奇国家主席の追い落としを意図したものだった。その後、天才的な軍人だった№2の林彪が、権力の座を追われて、周恩来が№2になっていたのだ。ところが、華々しい周恩来の活躍に嫉妬した毛沢東は、周恩来の力を必要としていたものの、ある歴史家は毛沢東が周恩来を殺した、とまで表現している。周恩来は膀胱がんが転移してしまい、やがてトイレに行くのにも、腫瘍が排泄を妨げないようにフラフラと腫瘍の位置を動かしながらトイレに向かっていたという。もはや自分のガンはおのずから明らかだったが、毛沢東への忠誠を意味する歌を歌い続けた。文革は失敗だったのではないかという空気の中で、自分の歴史的評価を書き換えられることを毛沢東は怖れていた。周恩来が死んだとき、毛沢東は爆竹を鳴らしたという。中国ではおめでたい時に行われる行為であるとされている。
文藝春秋の「昭和天皇」にも書かれていたが、周恩来は日本に留学したときには、東京外語大に不合格になったり、フランスに留学しても、戦後復旧作業に参加する学生を尻目に鬱屈した日々をすごしていたという。革命家と呼ばれる人にはそのような人が多いともいわれる。
1920年代前後に、世界の知識人の間に社会主義思想が広まったが、周恩来は日本でそれに触れている。路線闘争というのはソ連の影響だ。それが中国土着のものとくっついて中国共産党の原型が出来上がる。歴史を材料にして他の政治指導者を叩くというのは毛沢東の独創だ。政策の違いだけではライバルを潰すことができない。路線闘争に持ち込んで、徹底的に潰すために歴史を持ち出した。過去の言動から、相手がどういう路線、思想の人間だと決め付け、レッテルを貼り、路線闘争に持ち込んだ。周恩来は過去に「投降主義者」のレッテルを貼られたため、40年も昔にさかのぼって自身の過ちについて延々と釈明文を書き続けた。手術室に入る間際にも「私は投降主義者ではない」と叫んだとも言われる。もっとも、周恩来は若い頃、京劇の女形を演じていたことが知られており、芝居と本音が入り混じっていたのだろうといわれている。
補足だが、ニクソン元アメリカ大統領が「指導者とは」という著書で語っていたのだが、中国との交渉時に、部下に「周恩来は人を殺して平気でその場を立ち去った男だ」と言われたそうだ。文藝春秋2007年4月号で、「1931年に党の特科責任者、機密管理担当の顧順章が逮捕され、転向した事件では、その家族八人を部下に暗殺させている」という記述があった。ニクソンは具体的にはこのことを指していたようだ。


2010年3月18日 (木)

「ねじれ国会」の総括

「ねじれ国会とは何だったのか」
平成19年7月の参議院選挙で民主党が躍進し、新党日本や国民新党と統一会派を組むなど非自公勢力を結集し、あらゆる局面をとらえて政権を追いつめた。これは平成21年の夏まで2年間続いた。そもそも、衆参のねじれは同日選でもない限り、政権交代の過渡期に必ず起きる現象であると思われるが、今回の民主党政権の誕生はそのはしりと位置づけられるかも知れない。
具体的に時期を挙げると以下の政権下での出来事だ。
167回~171回国会で2007年8月~2009年7月までに起きた現象だ。
167回(臨時会)平成19年8月7日~平成19年8月10日・安倍内閣
168回(臨時会)平成19年9月10日~平成20年1月15日・安倍→福田内閣
169回(常会)平成20年1月18日~平成20年6月21日・福田内閣
170回(臨時会)平成20年9月24日~平成20年12月25日・麻生内閣
171回(常会)平成21年1月5日~平成21年7月21日(解散)・麻生内閣
「予算」というのは政府の政策の表現とも言われるが、ねじれ国会においては、平成19年度補正予算、平成20年度本予算(改革と成長・安心の予算)、平成20年度一次補正予算(安心実現のための緊急総合対策)、平成20年度二次補正予算(生活防衛のための緊急対策)平成21年度本予算(生活防衛のための大胆な実行予算)、平成21年度一次補正予算(経済危機対策)の6回の予算が組まれ、それぞれが一般会計・特別会計・政府関係機関の予算を含むことから、6回×3の計18件が提出されたことになる。唯一参議院で可決されたのが③の福田内閣で取りまとめられた「安心実現のための緊急総合対策」を実施するための1兆8千億円規模の補正予算であり、170回国会冒頭に麻生内閣によって提出されたものだ。それ以外はすべて衆参の意見が一致せず、憲法60条2項の規定により衆議院の議決が国会の議決となっている。ねじれ国会に関しては、他にも、条約・法律案・同意人事などが問題となった。
「参議院での問責決議案可決について」
これまでには参議院で与野党が逆転していた平成10年10月に防衛大臣に対する問責決議案が可決されたのが初めてのケースであった。防衛大臣のケースでは、参議院での問責決議には法的拘束力はないにもかかわらず、可決されると参議院が審議を拒否する口実となり、これを打開するため辞任に追い込まれる点で政治的には強力な武器となる。そのような問責決議を総理大臣に対して行うのは憲法上の疑義があるとの見方もあり、いわば「禁じ手」とされていた。169回国会会期末を控えた平成20年6月11日に福田総理大臣問責決議案を民主・社民は参議院に提出し可決した。これに対して与党は翌日に衆議院で内閣新任決議案の提出・可決で対抗したが、次の国会を控えた9月1日に福田総理は膠着する国会運営の打開等のため、辞意を表明し、退陣することとなった。次の麻生総理に対しても平成21年7月14日に民主・共産・社民は問責決議案を提出・可決した。衆議院での不信任案は否決されたものの、同日、麻生総理は一週間後の解散を予告するに至った。
「ねじれ国会における法律案」
政権与党が参議院で過半数を割ったことから、内閣提出法案は絞り込まれた。そのため、議員提出法案の提出件数の方が上回るというのがねじれ国会の前半の状況だった。しかし、麻生内閣になると、解散間近という空気になったために、議員がさほど法案を提出しなくなった。その後はむしろ早く解散したいという野党の思惑から、内閣提出法案にも野党は柔軟に対応した。168回国会で福田内閣がテロ対策補給支援特別措置法案について平成20年1月11日に衆議院で再議決を行ったときは、昭和27年以来、56年ぶりのこととして注目をあつめたが、その後の2年間で17件の法律案につき12回(税法は一括採決されるため)の再議決が行われて、すっかり日常の風景となってしまった。両院協議会については、予算や条約と異なり、法律案の場合は任意に設けられるが、そもそも妥協が困難であることから両院での議決が異なるのであり、また、妥協できる部分は衆院段階で妥協していることから、法律案で両院協議会が設けられないのも仕方がないといわれた。ねじれ国会で成立した内閣提出法案は157件であるが、そのうち修正されたものが42件ある。妥協の余地がなかった17件のものをのぞくと、3割が与野党合意で修正のもと成立していた。
「ねじれ国会・条約に関して」
ねじれ国会で審議の対象となった条約は33件。そのうち、在日米軍駐留経費負担特別協定及び在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定の2件が参議院で不承認となった。他にも9件が参議院で議決されなかったが、この9件には衆議院では民主党も賛成していたものの、169回国会会期末に福田総理大臣の問責決議案が可決されるなどの政治状況の中で議決にいたらなかった。現在の民主党の対米外交にもこの2件の条約を否決した事実は影響を及ぼしているものと思われる。いずれも憲法61条で準用する60条2項の規定により衆議院の議決が国会の議決となり成立している。
なお、余談であるが、選挙での「衆参逆転」は過去に3度あるそうだ。
1989年7月通常選挙。宇野首相退陣。海部内閣成立。「部分連合」によって対応。
1998年7月通常選挙。橋本内閣退陣。小渕内閣成立。「少数野党との連立」で対応。
2007年7月通常選挙。安倍内閣続投。「ねじれ国会」国会代表質問後に辞意を表明。国会は3週間の「自然休会」になる。

「大人」ってなんだろう。

そもそも工業化が進む以前は、子供はいつしか大人と混じって働いていた。「青年期」という概念が生まれたのは工業化が進んでからである。学校卒業、就職、結婚、親になるなどの一本の順序だった移行ルートが出来上がった。1980年代以降、日本のみならず欧米諸国で、成人期の形が多様であることが明らかになった。基本は「社会へ完全に参加した状態」が成人期であるが、必ずしも、仕事・結婚・子供などとは関わっていないとされるようになったのだ。人間的成熟が求められるのはもちろんだが、それを形成する「場」も多様である。「人間発達」「経済・雇用政策」「政治政策」のトライアングルで「大人」は形成されていく。今の日本では、成人が20歳だといわれる。社会は「言語と観念」によって形成される以上、何歳で「成人」したとして社会の正式メンバーとして受け入れるかが問題となる。子供は「子供だから子供である」とするか「一定の評価を経たうえで子供とされる」かが問題だ。なぜこの議論をするかというと、憲法改正プロセスを定めた法律で、投票年齢を18歳としたことから、成人年齢の引き下げの検討が法制審議会に諮問されたのだ。18歳とすると、高校三年生になると、一人一人が誕生日を迎えると同時に成人になっていくことになる。
参考:ジュリスト2010年1月1・15日号「成年年齢引き下げ」

村上ファンドとライブドア~金融の面から

「村上ファンドは何をやったのか」
基本は、純資産額に比べて株価が割安の企業の買収をやったのだ。しかし、もうちょっと頭を使っている。「小額の自己資金で大きな投資収益を得る」レバレッジドバイアウト(LBO)という手法を使っている。基本的に会社の株は過半数を買えば経営権を握れるし、3分の2を買えば定款を変更できる。3分の2の株式を買い占めて、特別決議を経たうえで子会社にしてしまうことも可能だ。しかし、利益を出すために村上が使った手は、「担保価値の高い非事業資産を担保にしてしまう」「買収予定の株式まで担保にしてしまう」手段でSPC(特別目的会社)がカネをかき集めたのだ。そうして、経営権を握るとSPCと会社を合併させて、価値の高い非事業資産を売却する。この手法で、事業そのものの価値を高めずとも、市場と財務構造に内在する価値を巧妙に顕現化させることで、株式に表章された企業価値を高めることが出来たのである。
ポイントは「SPC」「価値の高い非事業資産」「担保」であることは大体報じられていたと思う。
「ライブドアも資金集めに頭を使った」
ライブドア社が資金集めに使用したのが「転換社債型新株予約権つき社債」の一種であるMSCB(Moving Strike Convertible Bond)である。これは、発行後一定期間経過後に、転換価格をそのときの時価で算定しなおす条項が付いている転換社債型新株予約権つき社債のことである。上方修正・下方修正の両方が考えられるが、一般的には下方修正である。株価が上がれば購入者はキャピタルゲインを得ることができ、株価が下がっても一定の利益が確保できるのだ。MSCBは万が一の安心感を投資家に与えて、低利資金を調達することを意図していたが、ライブドアは上場会社だったので、投資家が意図的に株式を空売りして株価を引き下げれば、既存株主の犠牲の上に巨利を得ることができる。ライブドアでも実際にそのようなことが行われたのではないかということが疑われ、日本証券業協会は2007年にMSCBに関する自主規制を設けている。
法学教室2010年2月号「金融と法」大垣尚司
補足)「空売り
これは、先物取引ではないのだ。空売りしたい人が証券会社の窓口に行って、空売りしたい旨を告げると、証券会社はどこかから株を調達してきてくれる。その株を「借株」して、それを売り払うことを言うのだ。株取引では、株の貸し借り(借株・貸株)というのが技術的には頻繁に用いられる。空売りしている時に、株を借りている(借株)ことから、いつか返さなければならない。そのために一定期間経過後に株を市場から買い戻して株を返すのだ。仕組み的には、オプション取引とは異なる理屈で、借りたものを返すという理屈のようだ。株を貸す(貸株)人も、まとめて取引しているので、誰に貸しているかは個人レベルまでは興味がないらしい。株式市場にはこのような仕組みが間に挟まっている。当然、株の貸し借りには「賃料」が発生する。しかし、株を貸した対価が賃料ではなく、あくまでも有償の契約であることから賃料が生じるとされる。

2010年3月17日 (水)

ケンタッキー州の死刑執行

1988年にアメリカ・ケンタッキー州は死刑執行を電気処刑から薬殺刑へと変更した。死刑執行施設は、執行室、マジックミラーで仕切られたコントロール室、立会人室からなる。まず、少なくとも一年以上の専門経験を有するものが、静脈カテーテル挿入の責任者としてメインとバックアップの二本のカテーテルを死刑囚に挿入する。死刑執行班は、コントロール室に移動し、5フィートの管を通じて、コントロール室から薬を投与する。刑務所長と副所長は台車つき担架に固定された死刑囚とともに執行室に残り、死刑執行中に異常が生じていないかを目視によって監視する。薬殺刑に用いられる薬品は①チオペンタールナトリウム、②臭化パンクロニウム、③塩化カリウムの3つであり、この3つの薬を番号順に投与する。チオペンタールナトリウムによって昏睡状態に至らしめ、臭化パンクロニウムにより動きを抑制し、塩化カリウムにより心停止させる。死亡確認は医師により心電図をもちいて行われる。この方法が、アメリカ連邦最高裁で修正8条「残虐で異常な刑罰の禁止」に触れるかが問題となった。

「薬物の効果」
・チオペンタールナトリウム・・・昏睡状態に近い深い意識不明状態をもたらす。
・臭化パンクロニウム・・・筋骨の運動すべてを抑制する筋弛緩剤。
・塩化カリウム・・・心臓の収縮を刺激する電気信号を妨げ、心拍停止させる。

・チオペンタールナトリウムは2g
・臭化パンクロニウムは50㎎
・塩化カリウムは240㎎
で死にいたるらしいが、訴訟を受けて、チオペンタールナトリウムは3gに増量された。チオペンタールナトリウムの増量をしたのは、連邦最高裁判事であるギンズバーグの反対意見が根拠らしい。「チオペンタールナトリウムが効いているかの確認、たとえば、死刑囚の名前を呼ぶ、揺する、まつ毛をこする、不快なにおいをかがせる、などの規定をプロトコルで定めていない」としている。何だかアメリカ最高裁って変な議論をしますね。
ジュリスト2009年9月1日号「憲法訴訟研究会」横大道聡

2010年3月16日 (火)

永田町用語集~佐藤優より

佐藤優の「永田町言語」の翻訳が面白かった。
・「俺は気にしていないぞ」(永田町)→「俺は気にしていないということは、お前の方で反省して謝りに来いということだ」(日常)
・「行儀が悪い」(永田町)→「ゴリ押しをする。自分の管轄分野以外に手を突っ込む」(日常)
・「近く俺があいさつに行くから」(永田町)→「すぐに来い」(日常)
・「俺は聞いていない」(永田町)→「この件は事前に俺に相談していないので、絶対に認めない」(日常)
・「他の先生を大事にしてください」(永田町)→「他の国会議員に比べて俺を軽く見ているな。今に思い知らせてやる」(日常)
・「忙しそうだな」(永田町)→「お前は何を画策しているんだ」(日常)
・「御苦労!」(永田町)→「(強い不満の表れ)あんたはクビだ!」
文藝春秋2008年4月号「インテリジェンス交渉術」より

2010年3月15日 (月)

腎不全~病院の広報紙がわかりやすい

病院でパンフレットをもらってきた。林文子横浜市長と木村健次郎聖マリアンナ医大教授の「腎不全」に関する座談会だ。
腎臓とは何であろうか。人間が生きていくうえで必要な水分・塩分など、さまざまな物質の調節を行い、細胞周辺の環境を整える役割を果たしている、と説明される。何も考えずに飲んだり食べたりできるのは腎臓が黙々と働いているからだ。機能が低下したら食事療法をする。しかし、自覚症状はないのだ。血清クレアチニン検査で機能低下が分かる。さらに悪化すると、食欲不振や貧血・むくみ、さらには肺や心臓の周辺に水がたまる。生命維持のために人工透析や腎移植が必要となるのだ。
現在、約29万人が透析を受けていて、毎年一万人が増え、2万5千人が亡くなっている。尿たんぱくや、糸球体濾過量で診断される慢性腎臓病の人は、腎不全になるだけではない。脳卒中・狭心症・心筋梗塞などを発症しやすい。慢性腎臓病の危険因子は、高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満、喫煙、加齢などがある。まずは糖尿病や高血圧にならないように生活習慣を組み立てることが肝要だ。腎臓は「物言わぬ臓器」だ。腎機能は加齢とともに低下していく。「腎年齢」を把握することや、尿たんぱくに注意することが必要だ。簡単なことが案外重要なのだ。慢性腎臓病の患者は1300万人いるとされているが、透析を受けている人は29万人だ。末期腎不全になると、透析療法や腎移植が必要になる。透析療法には「血液透析」「腹膜透析」がある。
血液透析・・機器を使って身体の外で血液をきれいにする。治療中はテレビを見たりすることは出来るが、動き回ることはできない。通常週3回、1回の透析時間は4時間程度で96%の人がこれをやる。
腹膜透析・・自分の腹膜を利用して血液をきれいにする。自宅や職場で患者本人または介助者が透析液のバッグの交換をする。交換は1日数回。これを月に1~2回程度行う。4%の人がこれをやっている。
末期腎不全の唯一の根治療法は腎移植である。生きている人から提供してもらうか、亡くなった人(脳死を含む)の腎臓を移植する献体移植の2つの方法がある。生体腎移植は腎臓が二つあることから主に血縁者からの片方の移植を行ってきたが、最近では免疫抑制療法の進歩により、異なる血液型での組み合わせでも腎移植が可能になっている。移植を受けるためには、日本臓器移植ネットワークへの登録が必要だが、ドナー不足は深刻だ。日本では2006年に1136例(生体腎移植939例、献腎移植は182例、脳死下腎移植は15例)が実施されているが、その数はアメリカの1割にも満たない。ドナーを増やすためのさまざまなプログラムがなされている。なお、透析を始める人の6割が65歳以上とされ、医療費も勘案すると、自らの死生観と関わることになる。そのため、「事前指示書」というのを残すことが推奨されている。自分の判断を記したり、判断する人を指定しておくのだ。
精度の高い情報は病院などの広報紙が案外役に立つ。横浜市長の「行政の対応」がどのように行われているかも書かれている。病院勤務経験のある職員、救急救命士、区職員などを病院に派遣して行政需要を拾っている。そうやって「健康横浜21」を作成しているのだ。本来、政策立案とはこのように行われる。外から「公約」を掲げる筋の問題ではないのだ。
参考:神奈川新聞2009年12月15日(14)。日本腎臓財団「CKDをご存知ですか?」
注)「CKD」とは「Chronic Kidney Disease」の略で、「慢性腎臓病」と訳され、最近、医療関係者の間で多く使われるようになったそうです。
なお、脳死下での移植用臓器の摘出を行うことが可能なのは「4類型」の施設だとされる。
・大学付属病院
・日本救急医学会指導医指定施設
・日本脳神経外科学会専門医訓練施設(A項)
・救命救急センター
で、平成20年現在、計474施設あり、そのうち338施設が「体制が整っている」と回答している。最初の脳死判断から、臓器摘出まで、2日間かかるとされるが、詳細を書いてみよう。
①臨床的脳死診断終了平均所要時間(3時間22分) ②第一報受信(6時間02分) ③コーディネーターによる家族への説明(5時間42分) ④家族の承諾(3時間13分) ⑤第一回法的脳死判定開始(2時間49分) ⑥第一回法的脳死判定終了(6時間26分) ⑦第二回法的脳死判定開始(2時間21分) ⑧第二回法的脳死判定終了(1時間08分) ⑨意思確認開始(12時間18分) ⑩摘出手術開始(1時間20分) ⑪大動脈遮断(2時間08分) ⑫摘出手術終了・退室
臨床的脳死診断終了~摘出手術終了・退室まで「45時間14分」
死亡した病院から、移植設備が整っている病院への患者の「転送」は行っていないようだ。今まで「救命」する方向で医療行為を行っていたのに、脳死になったら「移植」の方向に方針転換をすることから、同一チームがこれらを担当することは困難で、「別の部屋でコーディネーターが」家族と話をするようだ。まったくベクトルが変わってしまうのだ。家族が詳しい話を求めたら「臓器移植ネットワークシステム」とも連携をする。そのときの感情で移植を拒んでも、のちに3分の1の人が後悔しているという統計もあるそうだ。
ジュリスト2010年2月1日号「特集2・臓器移植法改正」

日本共産党の「綱領」

共産党には昔から「綱領」といわれる文書がある。共産党がどのような社会を作ろうとしているか、その目標を描き、またその目標に到達するための戦略が書かれた文書である。かつては、遠い目標は共産主義社会であるが、中間目標に社会主義社会があるとされた。それを実現する手段は革命で、革命には一段階革命と二段階革命、また平和革命と暴力革命があった。要するに綱領は革命のプログラムだったのだ。戦前は、綱領がモスクワのコミンテルン本部から、27年テーゼ、32年テーゼなどの形で与えられた。日本共産党は世界共産党(コミンテルン)の日本支部という位置づけだったのだ。戦前の共産党員はコミンテルンの指令と指導にもとづいて、それらのテーゼどおりの社会を実現しようとして革命運動に身をささげたのだ。
「日本共産党・04年不破綱領」
宮本時代の綱領(61年綱領)は40年以上も存続したが、2004年に不破綱領というのができた。ここまできたら共産党を名乗るのをやめたほうがいいのではないかというぐらい 中身が変わっている。共産党はいわゆる革命を目指す党という立場を捨てた。この場合、革命とは少数者の実力(暴力)を行使しての強引な権力獲得という意味だが、そういうことはしないということをはっきりさせた。(61年綱領では「敵の出方論」という立場だった) 選挙によって議会の多数を占めるという「多数者革命」という立場をとるが、要は普通の市民社会 の政党のひとつになるということだ。マルクス・レーニン主義の党であることもやめた。マルクスはいまだに社会主義理論の先駆者としてあがめているが、レーニンは理論をゆがめた張本人として全否定されている。私有財産の否定「能力に応じて働き、必要に応じて取る」共産主義社会の実現を目標におくのもやめた。他にも「階級闘争」「資本主義の全般的危機」といったこれまでの常套語も使わないようにした。「天皇制」「自衛隊」すらその存在を認めているのだ。
文藝春秋2007年9月号「日共のドン~宮本顕治の闇」立花隆

文藝春秋「昭和天皇」からの印象的な話

昭和6年の春は寒かった。東北地方では「山背」が吹き、寒風と長雨が続いたのだ。それに室戸台風が致命傷となった。高知県室戸岬だけではなく、東北地方にも再上陸していたのだ。このため小作農が50%の減収となり、地主への支払と借財の利払いで消えた。破産以外の何ものでもなかった。国民新聞は「消えた娘が200名」などと報じていた。娘の身売りが横行していたのだ。東京の向島玉之井で、南喜一という男が事務所を開いていた。労働争議の交渉が表芸であったが、博徒の喧嘩の仲裁や、高利貸しの棒引き、警察や消防への苦情申立てなどをやっていた。この、南が娼婦となっている女たちの救済に動いた。抱え主たちは博徒を集めて対抗したが、南は労働者を動員したのだ。衝突となれば警察の所轄も面目を失う。結局、抱え主が折れて女主人は南にひれ伏した。その時、娼婦は「母さん」といって南の前にひれ伏している女主人の味方をしたのだ。結局、南は女を連れて福島に帰った。「先生!」と歓迎されたものの、夜になって家の人の愚痴が聞こえてきた。相変わらず金もなければ、人間関係の修復も不可能だったのだ。南は、自分の薄っぺらな人道主義に対して、女主人に抱きついた娼婦の姿を思い出し、彼女の方が自分の状況を正確に理解していたことを知った。翌朝、南は家の人に謝罪し、女を東京に連れて帰り、しっかりとした職につけることを約束したが、こうした女どもは結局娼婦に戻って行ったそうだ。昭和の人間は貧乏から対立・問題を抱えていたのだ。現代との根本的な違いだろう。
文藝春秋2009年7月号「昭和天皇」福田和也より。

2010年3月14日 (日)

カーチェイスの法律論

日本でも、警察車両がカーチェイスをやって、逃げた方の車が事故を起こすことがあるが、ニュース番組などで「適正なものであった」との警察の見解を示してお茶を濁す程度だ。基本的には国家賠償の議論になる。
アメリカでは憲法問題となる。修正4条というのがあり、ジュリストでは、巡査のスコットが車を追跡して、青色灯をつけて停車を命じるも、逃走車両を運転していたハリスは応じず、「ピット」という、「車両を横から体当たりして逃走車両を停止させる行為」の許可を無線で上層部に仰ぐも追跡継続を命令され、最後に「バンパー攻撃」によって、ハリスの車両を横転大破させ、ハリスは四肢麻痺患者となってしまった。この事件では「丸腰の強盗犯人を後ろから射殺した」というガーナー判決などが参照されたが、多数意見は「逃走車両を道路から追い出そうとしたスコット巡査の判断は適切なものであった」とされた。一方、反対意見もあったようだ。「停止命令拒絶と逃走は厳罰に値する重大な犯罪」ではあるが、追跡を断念しても「ナンバープレートからあとで逃走者を逮捕できる」「ストップ・スティックや拡声器による警告で、悲劇的結果を避けるべき」というのが反対意見の根拠だったようだ。
ストップ・スティック」はアメリカの技術らしい。日本にもあるんですか?
補足:日本における「国家賠償」の判例。
警察官が、交通法規などに違反して車両で逃走する者をパトカーで追跡する職務は、警察法2条・65条、警職法2条1項を根拠とするが、逃走車両の走行により第三者が損害を被った場合において、「右追跡行為が違法であるというためには、右追跡が当該職務目的を遂行する上で不必要であるか、又は逃走車両の逃走の態様及び道路交通状況等から予測される被害発生の具体的危険性の有無及び内容に照らし、追跡の開始・継続若しくは追跡の方法が不相当であることを要するものと解すべきである」という判例があり、違法性の要件において、諸般の事情を比較衡量している。
補足2:ガーナー(Garner)判決に関して。
ガーナー判決は、「若くて、か弱くて、武装していない」強盗被疑者を、彼が徒歩で逃げる間、「頭の後ろから」撃ち殺すのは不合理であるとした判決だ。その際に、警官が被疑者に「致命的な暴力」を加えることが許容される前提条件を示している。
被疑者が、警官又は他の人に重大な身体危害を加える差し迫った脅威となっていること。
致命的な暴力が逃亡を防ぐのに必要であったこと。
警官が適切な警告をしたこと。
あくまでも、アメリカの判例だが、ハリウッド映画を見るときにでも役に立つでしょう。
ジュリスト2009年6月1日号「憲法訴訟研究会」君塚正臣

リーグテーブル~銀行の順位表

リーグテーブル(league table):ユーロ市場では銀行や証券会社が有価証券の引き受けやシンジケートローンの組成実績など、業績を特定の業界紙に公開して互いに競い合う慣行がある。この順位表のことをリーグテーブルという。原義は野球などのリーグ戦の戦績表のことである。トムソンフィナンシャル社のものが有名である。リーグテーブルでは上位に位置することは国際金融市場におけるプレゼンスを高める上で非常に重要と考えられている。リパッケージ債はセカンダリー市場の証券を用いて確実に引受主幹事がとれる新発債を作り出せるため、リーグテーブルの実績を押し上げる効果がある。引受主幹事とは、会社の新株発行を取り仕切る立場のことだろう。

投資に興味のある方はどうぞ。トムソンフィナンシャル社の「リーグテーブル」(順位表)

「Japan Equity Capital Markets」という箇所が日本の株式市場。
「Japan Debt Capital Markets」という箇所が債券市場。
その他、シンジケートローンやM&Aに関する、銀行や証券会社の「順位表」が公開され互いに競い合う慣行がある。
ちなみに「2Q09」というのは「2009年第二四半期」
「1Q09」というのは「2009年第一四半期」を意味します。
「Q」は「Quarter」の略。
「3Q08」は2008年の第三四半期(7~9月期)
「4Q08」は2008年の第四四半期(10~12月期)、を意味している。
村上春樹の「1Q84」は「84年の第一四半期」を意味するのですかね。
法学教室2009年9月号「金融と法」大垣尚司

2010年3月13日 (土)

担保法のパラダイム~内田貴講演会

内田貴講演会「担保法のパラダイム」を参考にレポートを書きました。
平成14年7月26日:新宿・紀伊国屋ホール
今から70年以上前に、我妻栄博士が「近代法における債権の優越的地位」という論文を書いた。これは法学志林という雑誌に足掛け3年間連載され、雑誌が売り切れるほどの反響を呼んだ。この論文は担保物権の基本的な原則を示すとともに、経済史やマルクス経済学も踏まえて、担保物権を「価値権」ととらえていた。のちに金融資本、つまり銀行による産業支配の基盤となる理論を昭和2年に提示していたのだ。さて、内田教授の提示する「パラダイム」とはどのようなものであろうか。まずは「証券化」であった。この講演の6年後にリーマンショックで話題になる言葉になろうとは予想できなかった。内田教授によると「証券化」とは「一定の財産を引き当てに有価証券を発行して資金を調達すること」であり、発行するのが法律上の有価証券でない場合を流動化などと呼んでいる。たとえば信販会社は大量の小口債権を持っているが、これを特別目的会社(SPC)に譲渡する。SPCは集合債権から得られるキャッシュフローを評価し、これを引き当てに社債を発行する。債権の管理は引き続き信販会社が行う。貸し倒れリスクも織り込んだうえで魅力的な投資となりうる。信販会社が倒産しても、SPCには「倒産隔離機能」がある。この信販会社が発行する証券をABS(Asset Based Security)と呼ぶ。これにより信販会社は「オフバランス」が出来る。また、資産と収益の比率(ROA)を改善し、会社の格付けをあげることが出来る。また、内田教授は「ストラクチャードファイナンス」にも言及していた。企業のプロジェクトを担保にするのである。これに関してもユニバーサル・スタジオ・ジャパンに関する「観光施設財団抵当」の話をかつて語ったことがある。今から8年前に内田教授が「いったん興味を失った」という担保法にふたたび脚光を当てていたのだ。 法学教室2002年11月号で文字に起こされています。
注)オフバランス化取引について、基本的に自己資本比率を高めることをいう。分子が自己資本で、分母が総資産(リスクアセット)である。まず、分子である自己資本を高める手法であるが、増資という手法は、収益力を無視して増資をすればRoEの数値を悪化させて株価を下げてしまうなどの問題を含むものだった。で、一般的には貸付債権という「分母」を減らす手法が主にとられる。【しかし、貸付債権というのは債務者との個人的つながりから形成されているもので、債務者の個人情報まで了解の上で貸し付けている。しかし、この債権を上記の前提を崩さずに他に移転する技術がいろいろ考えられたのだ】わが国は古典的手法をとったが、基本的に債権を「売り切り」しなければならず、債権が回収できなかった場合の保証(リコース)付の譲渡は認められない。この【】内の記述がオフバランスの問題の核心を言い当てているとされる。2000年に入ってアメリカからまったく異なる技術が導入されたのだ。高度な金融技術を用いたもので、一大市場を作り上げたが、これがサブプライムローン問題を引き起こした。

陸地と大陸棚の帰属

領土というのは国家にとって中心的な要素を占める。しかし、大陸棚は探査および天然資源の開発に限定して沿岸国の主権的行使を認めるものである。
日本は、陸地については、北方四島につきロシアと、竹島につき韓国と、尖閣諸島につき中国と、その帰属につき争いがあるが、尖閣諸島に関してはわが国の立場は「紛争は存在しない」という立場なのだ。大陸棚に関しては、1974年に韓国と2つの協定を結んでいる。中国とは現在協議が進められている。島を含めて陸地は大陸棚を持つことから、大陸棚問題と島の領有が融合してしまったのが尖閣諸島問題だったのだ。領土に関しては①先占、②割譲、③併合、④時効、⑤添付、⑥征服、が権原として認められてきたが、征服は現在、武力行使禁止の原則の成立によって否定されている。1928年に「パルマス島事件」仲裁判決というのがあった。オランダ・アメリカ間で帰属が争われていのだ。さらに1953年に国際司法裁判所で「エンキエ・エクルオ諸島事件」判決があった。フランス・イギリス間の争いだった。これらの判決では、まず伝統的な権原取得が争われたものの、いったん取得した権原を維持するための要件を備えなければ効力を失う、ととらえたのである。裁判所は権原取得とは別に「継続的かつ平穏な現実の支配」による権原の「維持」を新たに抽出し、それに大きな意味を与えたのである。かつて、日本と韓国では「竹島密約」というものが結ばれ、日本は毎年、韓国に抗議をするので、それを黙殺してくれ、という密約があったそうだ。それが金泳三政権で反故にされたことから、中曽根元首相が韓国当局者に文書を探させたものの、当時の担当者が責任逃れのために文書を破棄していたそうだ。文藝春秋2007年9月号に記述がある。いずれにせよ「継続的かつ平穏な現実の支配」という概念において、係争国の黙認または承認は、その「平穏性」を示すものとして重要な意味を持つ。
大陸棚に関しては簡単な記述に留めたい。大陸棚条約6条においては、向かいあう国家間の等距離中間線を引いて、それに関連事情を考慮に入れるとされている。「北海大陸棚事件」において、国際司法裁判所は一般的・抽象的な内容である「衡平原則」(衡平な結果を導くべきだという原則)が国際慣習法上の境界画定原則だと判断した。その後、「チュニジア・リビア大陸棚事件」などで、裁判所は「衡平原則」を適用し、その際には、海岸線の形状・経済的歴史的特性・地質学的特性等を「関連事情」として考慮して境界画定を行うべきだとした。
法学教室2002年3月号「パラダイム国際法~陸地と大陸棚の帰属・領土紛争における『継続的かつ平穏な現実の支配』の意義を中心にして」小寺彰

反共労務管理

今から30年以上前のユーミンの作詞・作曲でバンバンが歌って大ヒットしたフォークソングに「『いちご白書』をもう一度」という曲がある。その歌の中で、無精ひげと髪を伸ばして学生集会に時々出かける「僕」が出てくる。「僕」は、就職が決まって髪を切ってきた時に、彼女に言い訳する。もう若くないね、と。そして、その2人の見ていた映画が、アメリカの学生運動をテーマにした「いちご白書」なのだ。学生が、ちょっと政治にかぶれて集会に出て「アジ」を聴いたりする、そんな時代があった。でも、卒業する時には、そんな過去と決別して企業の一戦士となっていった。そういう歌がこれだ。労働法学者にとっても感銘を受ける曲らしい。
今でこそピンと来ないだろうが、かつては会社で共産主義を信奉する社員がいるというのは致命的ととらえられていた。だから、想像もできないぐらいに「反共労務管理」というのが行われていた。でも、若気の至りで学生運動に参加してしまうこともある。会社としては「仕事ができればいいじゃないか」という発想もあるのだろうが。三菱樹脂事件で、学生運動歴を秘して就職して最高裁でも会社の「思想調査」が争われた事件があったが、差戻し審で和解して、その社員は会社に復職して、のちに子会社の社長にまでなっている。しかし、この三菱樹脂事件判決は、社員の思想調査を容認したことも意味するのだ。
法学教室2008年7月号「Live! Labor Law」大内伸哉

国際会計基準の採用について

従来、「企業会計」に関しては「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」というのが、会社法・金融商品取引法・法人税法などで「不確定法概念」として位置づけられ、旧大蔵省(現在は内閣府)に設置された「企業会計審議会」が策定していた。2001年からは民間9団体(経団連・日本公認会計士協会・日本証券業協会などの業界団体)の自主規制を上記の「不確定概念」が受容するかたちでうまく自主規制と国家の介入のバランスをとってきたのだ。そもそも「企業会計」とは、財務諸表等の作成ルールをいい、企業の収益などを確定させる際の基準となるものである。基本は、①株主への配当額の算定、②投資家への財務諸表の情報提供、③法人税等の算定基準という三つの役割を果たすものであるとされている。これを、「国際標準」に適合させることの意味は、投資家による企業業績の比較可能性を確保することと、企業が国際的な資金調達をする際に財務諸表の作成を一度で済ませられることが挙げられる。金融庁企業会計審議会は2009年の「中間報告」で、段階的に「国際会計基準」の任意適用をはじめ、2012年を目途に強制適用することを決定している。一時期「会計学」の教科書も、基準が流動的な段階であることから、「大著」として有名な弘文堂の書籍も本屋で見当たらなかったが、いずれは国際標準でまとまるものと思われる。 なお、国際会計基準は(IFRS)と略されるが「アイファース」と呼んだ弁護士と、「イファース」と呼んだ官僚がいる。どちらが正しいかは不明だ。
ジュリスト2009年6月15日号「国際会計基準採用の法的課題」原田大樹

伏見宮博泰王

昭和5年に締結されたロンドン海軍軍縮条約において、日本は米英に比して5:3の比率に主力艦を抑えられていたが、その改訂を翌年に控えていた昭和9年に伏見宮が昭和天皇に文書を手渡して、ワシントン海軍軍縮条約以来の米英に対する「主力艦・補助艦の保有量制限」の廃棄を主張した。海軍において東郷平八郎亡き後の伏見宮の権勢は他に並ぶものがなかった。しかし、それは皇族という立場によるものではなかった。生粋の船乗りとして常に前線に居続けた事が宮の権勢を強めていた。また、ヨーロッパ留学体験に基づき、独・英といった海軍大国の実情を正確に理解していたとも言われる。そうした伏見宮に対しては、すでに明治期から明治天皇が期待をかけていて、明治天皇の名代として清国の光緒帝への表敬や、シャム国皇帝戴冠式への参列をさせていたほどだった。皇太子時代の大正天皇にとっても博泰王は「兄貴分」のような存在だった。長い海上経験を有する伏見宮が、国際協調を尊ぶ海軍省の軍官僚からなる「条約派」ではなく、海上の軍人を中核とする「艦隊派」を支持したのは自然な成り行きだった。ワシントン条約以降、主力艦隊がアメリカに対して劣勢に立ったと認識した海軍は、アメリカの対日侵攻作戦に対して、夜戦による漸減作戦を根幹において、厳しい訓練を繰り返していたが、昭和二年に、夜間訓練中の衝突事故で美保関沖で死者が120名出て、大佐が責任を取って自決した。この葬儀にも伏見宮は軍令部長の反対を押し切り参列し、艦隊派を勢いづけている。こうしたワシントン条約破棄を主張する勢力にも、昭和天皇は「会議を成立せしむべし」といって譲らず、伏見宮と一言も口を利かずに退席させている。これに対して西園寺公望は「もはや陛下は幼沖(幼い)な天子にあらず」と語っていた。
文藝春秋2009年7月号「昭和天皇」福田和也

2010年3月12日 (金)

英国と北アイルランドの歴史

北アイルランドは、英国残留を望むプロテスタント系と、分離独立を望むカトリック系の各コミュニティー間に深刻な対立が存在するというのがまず基本的理解だ。そもそも、アイルランド自体がシン・フェイン党により独立運動がなされてきたのが19世紀から英国を悩ませていた「アイルランド問題」だったが、第一次大戦後、アイルランド自由国が独立した際に、北部6州(アルスター州)が英国に残留していた。それ以来、北アイルランドのベルファストには議会もあったのだが、1960年代からテロ活動や武力闘争が激化して、1972年に北アイルランドは英国の直轄統治の下に入った。1998年に「ベルファスト合意」というのがなされて、包括的な和平合意がなされたこともあるが、やはり、プロテスタント系とカトリック系の対立は根強く、何度も英国政府が介入している。2005年7月28日にIRAが「武力闘争終結宣言」をしたことから、交渉が再開された。それまでは、権限委譲をしては停止するという繰り返しだったようだ。北アイルランドの問題は、警察及び司法に関する問題が大きかった。王立アルスター警察がプロテスタント系によって占められていたことから、警察組織がカトリック系の人々からの信頼を完全に失っていたのだ。2009年北アイルランド法で「警察及び司法に関する権限委譲」が立法化されたが、英国の北アイルランド政策は複雑を極め、権限委譲や、人事権、議会の設置などをしては停止するといった、いろんな手段を使って統治を行っていた歴史だった。だが、2009年に「司法省」が設置されたことは、警察組織への信頼という点では非常に重要な意味をもつとされる。
ジュリスト2009年6月1日号「英国:2009年北アイルランド法」田中嘉彦

シャーロック・ホームズと聖書

シャーロック・ホームズで、「聖書」が引用される作品がある。「CROOKED MAN」(背中の曲がった男)という作品だ。一人の女性をめぐって、二人の軍人が恋敵になるのだが、二人がインドに遠征に行っているときに、片方の男が、もう片方の男に偽の情報を流し、罠にはめて敵の捕虜にさせるのだ。その男はひどい拷問にあい、命からがら生き延びる。しかし、せむし男となって、酒場とかでイタチに芸をさせて生計を立てるという浮浪者同然の生活をしていた。あるとき、施しを受けに施設に寄ったところ、昔の恋敵と結婚して、軍人の妻として慈善事業に参加していたその女性と再会してしまうのだ。その女性はすべての事情を聞き、家に帰って、夫を「デイビッド!デイビッド!」と罵倒する。これは、聖書のサムエル記Ⅱの第11章のダビデの行いに例えて夫を罵倒していたのだ。ダビデはバテ・シェバという女性を奪うために夫であるウリヤを戦地に赴かせて殺している。このダビデの行いは神の御心を大いに損ねたとされる。
ちょっと長い映像だが、その「背中の曲がった男」のダイジェスト版がこれである。積年の恨みのこもった男の眼光の迫力が凄まじい。
Sherlock Holmes "The Crooked Man"


帝人事件と武藤山治

武藤山治は、もともと鐘紡の経営者だったのだが、日清戦争以降、鐘紡を三井財閥でもきわめて優良な繊維製造企業にしている。経営者としては優秀だったのだ。ところが、金融恐慌で経営が傾いたために引責辞任している。そんな武藤が、自身の出身校が慶応であったことから、「福沢先生のため」との口説き文句で引き受けたのが時事新報という新聞社であった。もともと時事新報は、福沢諭吉の「脱亜論」が掲載されたり、日英同盟破棄をスクープしたりした新聞として知られていたが、大阪進出に失敗したり、関東大震災の被災を受けたりして、損失を負い、逆に大阪からの朝日新聞の東京進出による攻勢にさらされていた。そんなさなかに、武藤が時事新報を引き受けたのだ。当初はクオリティペーパーという紙面構成だったが、部数が伸びずに、スキャンダルをスクープする路線に切り替えた。特に東京市会の腐敗を暴いたことから一気に部数を伸ばした。そこで、さらに目をつけたのが「帝人事件」だった。金融恐慌で倒産した鈴木商店から台湾銀行は帝人株を担保として譲り受けていて、その帝人が超優良企業となったことから、帝人株をめぐって様々な交渉が行われ、「番町会」と当時呼ばれた財界人グループの中の、郷誠之助が株を譲り受けた。その株が、各方面に渡った・・というのが帝人事件のシナリオだ。事件としてはさほど筋のいいものではない。しかし、財界の腐敗を暴くという構図が民衆にウケたのだ。そのような中で、武藤山治が北鎌倉の自宅周辺を散歩中に、福島新吉という無職の男に銃弾を5発浴びせられて、数日後に死亡した。武藤は重傷を負いながらもいくつかメモを残したが、福島が自殺してしまったことから、事件の全貌は明らかにはならなかった。しかし、だれもが「政治的暗殺」であることを疑わなかった。
文藝春秋2009年6月号「昭和天皇」福田和也

2010年3月11日 (木)

ヨーロッパと「中絶」

ヨーロッパの中絶の問題が面白かった。まず「胎児の生命を守るのか」「母体の安全への配慮」「中絶にまつわる言論の自由」の3つが、具体的な事例に基づいて争点になっている。性教育が不足していた事例では、アメリカのロー対ウェイドもそうであったが、まずこの教育が重視される。胎児の生命に関しては、フランスでは妊娠10週目ぐらいなら保護しなくてもいいのではないか、ともいわれたが、ポルトガルでは看護婦が懲役8年の実刑を受けたりもしている。1970年ごろにヨーロッパ先進国が中絶を半ば容認するような風潮を見せたそうだが、1990年に東欧諸国が参入してきてからは逆にドイツなどは中絶に批判的になったそうだ。一方、母体の保護という観点は、ポーランドで、適切な診断を受けなかったことから、母親が出産にともない失明しているという事例から問題提起がなされている。母体の保護という視点もあるいい事例だ。中絶にまつわる言論の自由は、アイルランドで中絶を媒介するような情報を流した連中が、言論の自由を主張している。一方、厳しい立場を取るポルトガルに船で中絶容認を呼びかけた連中が、アピール活動の一環として、中絶用の薬品を配って、これも言論の自由が問題とされたようだ。
こうしてみると、日本という国は、西洋の文化とはある「一線」を画していることが分かる。
ジュリスト2009年5月1・15日合併号「国際人権保障の現状と課題~ヨーロッパを中心に」建石真公子

ニクソンショック!

1929年にアメリカは金融恐慌に襲われたが、これを脱したのは決してニューディール政策によるものではなく、第二次世界大戦による大戦特需によるものであるとされる。いわば軍需産業への公的資金投入だった。「軍事ケインズ主義」と言ってもいいだろう。このアメリカの「軍事ケインズ主義」は戦後も冷戦構造がそれを支えた。しかし、軍事部門への技術や知識の投入が一般の製造業を弱めた。また、ベトナム戦争で「軍事ケインズ主義」が破綻し、アメリカは巨額の財政赤字に陥った。だが、アメリカのドルが基軸通貨であったことが強みになった。他国の資金がアメリカの金融市場に流れ込んで、それを外国の製造業に投資することが可能となったのだ。アメリカの基軸通貨は金の保有を背景にしていたが、これはブレトンウッズ体制と連動していた。しかし、巨額の軍事費・社会保障費の捻出のために、財政出動の制約を外したのが、1971年の金兌換停止(ニクソンショック)であり、1973年に変動相場制に移行した。ブレトンウッズ体制の終焉は、ドルの基軸通貨としての根拠を失わせかねなかったが、原油取引をドル建て決済にすることに成功し、巨大な「ユーロダラー市場」が形成されたことでその地位を守った。アメリカが高金利政策さえ維持すれば、ドルがアメリカに還流し、資本収支の黒字が保てたのである。
1960~70年代のアメリカ製造業の衰退は、「軍事ケインズ主義」も背景にあるが、日本が護送船団方式によって、銀行の融資で大企業や中小企業を育成したことも挙げられる。アメリカは株や債権によって企業が資金調達していたので、投資者が短期的利益を追求し、株・債権の転売を繰り返すので、長期的な視野に立った経営が難しかったといわれる。
ジュリスト2009年5月1・15日合併号「今、政府の存在意義は」中島徹

日本の海洋権益保護

国連海洋法条約(UNCLOS)の時代になり、また冷戦終結後の影響もあり、日本の周辺の海では様々な問題が生じるようになった。北朝鮮のミサイル問題や、不審船問題、万景峰号の入港問題、沖ノ鳥島周辺での中国調査船の特異行動、中国潜水艦の沖縄周辺の潜没通行、さらに中国による東シナ海のガス田開発、尖閣列島周辺への台湾漁船や中国調査船の乗り入れ・徘徊、マラッカ・シンガポール海峡における海賊、ナホトカ号事件(1997年)のような海洋汚染、調査捕鯨船へのNGOによる襲撃、9・11事件に触発された海上テロ、サブ・スタンダード船や放置座礁船の処理、などが日本の海上警備当局が抱える問題である。主な箇所を説明しよう。
韓国との大陸棚協定
1974年締結・1978年発効。北部協定においては竹島問題を回避し、南部大陸棚協定の共同開発区域は、韓国の自然延長の主張を入れて、中間線から日本側に設定された。また、漁業暫定措置法(1977年)では、旧ソ連の200海里水域設定に対抗して、旧ソ連の日本沿岸での漁獲を規制したが、それまで日中韓の漁船が入会って操業していた西日本の海域には200海里水域を設定せず、また、中韓の漁船については暫定措置法の適用から除外している。日中韓の間では排他的経済水域の境界画定はなされていないのだ。
北朝鮮の不審船
領海あるいは排他的経済水域(EEZ)を徘徊する漁船を装った北朝鮮の工作船に対して、漁業法・EEZ法に基づいて立ち入り検査を行うために停船命令を発するものの、それら船舶が検査を拒否して逃亡するのを追跡した事例が、不審船問題である。東シナ海では銃撃戦となり不審船が沈没している。不審船は漁船を装って領海またはEEZを徘徊しているがゆえに「違法操業漁船」ではなく「不審船」と呼ばれたことからすれば、これを漁業法上の検査忌避で追跡することが適当であるかという議論も生じた。のちに、「領海などにおける外国の船舶の航行に関する法律」が制定されたひとつの理由でもある。なお、教科書では「密漁船を沈没させることは過剰性を帯び違法」とされていたが、漁業法では対応しきれないのはこの点になってしまったのではないかと私は推測している。
中国調査船の特異行動
中国調査船が沖ノ鳥島周辺に設定されたEEZについて、岩はEEZを持たないのではないかとして、その効力を争うために周辺海域において調査船による調査を日本の同意を得ずに実施したことを言う。EEZの海洋科学調査については沿岸国の同意が必要である。軍事調査については明文の規定はないが、中国は自国周辺のEEZについても、軍事調査を実施する場合には沿岸国の同意を要求している。日本は軍事調査であれば同意を要求しないが、中国調査船の調査が、軍事調査であるか海洋科学調査であるかが明示されないため「特異行動」と呼んで中国に対して抗議を行っている。
ジュリスト2009年10月15日号「日本における海洋法~海洋権益保護と国際協力のイニシアティブ」

2010年3月10日 (水)

法学教室2009年5月号「金融と法」概略

「レバレッジを効かせる」
レバレッジを効かせるとはどういう意味だろうか。100ドルの資金を投下して10ドルの利益を得る場合は、10パーセントの利回りだ。しかし、自己資本が10ドルで、残りの90ドルは貸付によってまかなった場合は、10ドルの利益を得ると、100パーセントの利回りだ。つまり、10倍のレバレッジが効いている。
この原理で、アメリカの投資銀行はドイツで24レバレッジといって「信用供与によって自己資本の24倍に相当する梃子」を用いていたそうだ。ベアスターンズは、外部資本と自己資本の割合は35対1だったと言われる。要は「負債調達を通じて利回りを向上させる」これが、いわゆる「レバレッジ」だ。正確には「財務レバレッジ」という。
「債権譲渡~民法の応用編」
債権の「譲渡制限特約」というのがあるが、そのメリットは教科書では「債務者が望まない債権者に譲渡されることを防ぐ」というようなことが書いてある。しかし、その具体的な意味はなんであろうか。
①譲渡されると相殺できなくなる
②誤った支払いをしてしまうケースが生じる
③譲受人が場合によっては紛争解決に消極的であるケースがある
④債権者確定のコストがかかる
⑤債権を譲渡することで、譲渡人が自らの義務を履行する動機が失われることがあるなどが金融の分野の研究で言われている。
一方で、債務者の信用が揺らいだときに、債権譲渡が活発に機能するといわれる。その理由は、
①投資家が債権を譲り受けて事業再生に関与する機会を与えられる
②このようなケースでハイリスクハイリターンの投資の機会が生じる
③債権の時価が明確になり、事業再生を促進するなどが挙げられる。
JSLA(日本ローン債権信用協会)では、債務者の信用悪化時の債権譲渡先としてサービサー会社、RCC、再生ファンド等を契約で明示することを推奨している。民法の債権譲渡より金融の世界はもっと複雑な理屈となっている。

淀川水系と1994年の水不足

淀川水系について。1994年の夏に俺が大阪の叔父の家に遊びに行った時は、季節柄関東地方では水不足が心配されていた時期であり、叔父にその話をしたら、「淀川があるから大丈夫じゃ」と言っていた。
淀川の地理的な説明は省くが、瀬田川として大津市から流れ、途中で宇治川と名前を変え、木津川・桂川と合流して大阪を流れる。1885年に淀川大水害が起き、これをきっかけに、1896年に(旧)河川法が制定された。その際、淀川は一級河川に指定されている。淀川水系が氾濫する原因は二つあるとされ、上流の琵琶湖に流れ込む河川の氾濫のほか、「水込み」と呼ばれる琵琶湖の水位上昇による浸水があるそうだ。これらの解決のために、現在「大戸川ダム」の建設が計画段階だったが、行政プロセスで立ち往生している。多額の費用負担が求められる滋賀県や、受益の負担として直轄事業負担金を求められる大阪府・京都府などが関わっている。しかし、すでに「大鳥居集落」の住民を立ち退かせてしまっており、何らかの説明が求められている。
行政法においては「総合治水」という概念が提唱されていて、国土交通省のみならず、森林法・漁業法・電気事業法の管轄省庁の関与も求めて、環境基本法をベースに理論を再構築しようという動きがあり「環境法家族の思想」と呼ばれている。東大の交告尚史という有力な行政法学者が提唱している。
法学教室2009年4月号「ダム・河川行政」松本充郎

バブル崩壊について

バブル崩壊とは何か。基本的にバブルとは特定の財に投機的投資が短期間に膨らみ、価格が実態価値をはるかに上回る水準となる現象をさす。市場経済においては投機は決して悪ではないし、バブルになるまで資金供給が続かないことが多い。しかし、1980年代後半から90年代初頭にかけて、成熟経済の下で余剰資金をかかえた銀行が、自ら、あるいはノンバンクを介して、不動産関連融資の競争を繰り広げたことからバブルが生じた。では、バブルはなぜ崩壊したか。日本の不動産バブルにおいては、大蔵省が金融機関に対して、不動産関連融資やノンバンクへの融資の増加を抑える「総量規制」を行ったことが引き金になったとされる。
バブル崩壊とともに政治問題に発展したのが「住専」の問題だ。もともとは住宅の普及のために作られた会社なのだが、法律上ノンバンクではなかったことから、バブルの加熱でノンバンクへの銀行からの住宅ローン融資規制から外れたため、銀行から「う回融資」に多用され、バブル崩壊と同時に一社を残してすべて破綻した。住専の破綻が金融機関に連鎖することを防ぐための公的資金投入問題が、いわゆる「住専」の問題だ。
バブル崩壊後、銀行や大手企業の間の株式持合いの解消が進んだが、この際に持株を大量に市場に放出すると価格に悪影響を与えることが懸念された。一方で、放出しようとしている株式の構成がインデックス対象株式であることが多く、この場合は「パッシブ運用」に最適なポートフォリオを構成していることを意味する。そのため、これらをそのまま投資信託にしようという発想が生まれる。こうした構造をもつパッシブファンドをETFという。さまざまなETFが東京証券取引所に上場されている。
東証上場ETF一覧
法学教室2009年3月号「金融と法」大垣尚司


「EU」と「EC」意外と知られていない関係

ヨーロッパといえば「EU(欧州連合)」であるが、これは「EC(ヨーロッパ共同体)」の後継団体ではない。今でも並存しているのだ。ECはヨーロッパを「一つの共同市場」として運営する目的で今でも存続している。一方、EUは「共通外交・安全保障政策の実施のための措置を、ECの手段を効率的に活用して実現する」という目的の下に設立されている。EUの共通外交・安全保障協力制度は「EU第二の柱」と呼ばれている。テロリストの銀行口座凍結を求める安保理決議が採択され、これは外交問題であるので、EU加盟国の合意のもとに、EC規則として実施されることになったのだが、銀行口座を封鎖される人の反論の機会などの手続き保障が必要であるとして、EU・ECの構造を詳細に分析するいい事例を提供している。
ジュリスト2009年2月1日号「国連安保理決議を実施するEC規則の効力審査~テロリスト資産凍結(カディ)事件・上訴審判決」中村民雄

2010年3月 9日 (火)

日本の金融とBIS規制

BIS規制というのは本来、世界最大のオフショア金融市場ロンドンを擁する英国と、基軸通貨ドルを擁する米国が、数々の銀行破たんを経験したため、銀行の健全性を維持するために1987年に共同でバーゼル委員会に提案したものだとされる。バーゼル委員会の起源は、1974年にドイルのヘルシュタット銀行が破綻して国際金融市場を揺るがせたことから、スイスのバーゼルに国際決済銀行(BIS)が設けられ、国際的な銀行監督の協議の場が設けられたことに始まる。これは自己資本を総資産で割った比率を一定程度に高めなければならないものだった(8%以上)。国内では、国際的なプレゼンスを高めていた邦銀への牽制ととらえる向きもあったのだ。日本は「BIS基準」を1988年に行政指導で導入し、93年に銀行法で制度化した。当時の日本の銀行の信用力を疑う人たちはおらず、わが国は官民協調して対応をとった。まず、分子である自己資本を高める手法であるが、増資という手法は、収益力を無視して増資をすればRoEの数値を悪化させて株価を下げてしまうなどの問題を含むものだった。で、一般的には貸付債権という「分母」を減らす手法が主にとられる。しかし、貸付債権というのは債務者との個人的つながりから形成されているもので、債務者の個人情報まで了解の上で貸し付けている。しかし、この債権を上記の前提を崩さずに他に移転する技術がいろいろ考えられたのだ。わが国は古典的手法をとったが、基本的に債権を「売り切り」しなければならず、債権が回収できなかった場合の保証(リコース)付の譲渡は認められない。しかし、2000年に入ってアメリカからまったく異なる技術が導入されたのだ。高度な金融技術を用いたもので、一大市場を作り上げたが、これがサブプライムローン問題を引き起こした。基本的に、「証券化は住宅ローンに始まり、住宅ローンに終わる」と言われるほど、最後に担保として信用できるのは土地であるという発想があるそうだ。
法学教室2009年2月号「金融と法」大垣尚司

アメリカ軍も「文民統制」に服している

国家安全保障戦略の指針となる主な文書は、大統領が議会に提出する「国家安全保障戦略(NSS)報告」というのがあり、レーガン、ブッシュ(父)、クリントン政権は法律どおり毎年提出してきたが、ブッシュ(子)政権は任期中に二回提出したのみだそうだ。このNSSの次に位置するのが、国防長官が上下両院の軍事委員会に提出する「4年ごとの国防見直し(QDR)報告」および、これと密接に関連する「国家防衛戦略(NDS)報告」であり、大統領のNSSの具体的な支援内容を記載する。この国防長官の報告書は20年程度の長期的戦略を描き出すように求められているそうだ。これらに対して、制服組である統合参謀本部議長が太平洋軍司令官等の統合軍司令官などと調整して上下両院の軍事委員会に提出する文書が「国家軍事戦略(NMS)報告」である。これらの文書は、政府組織内での意思統一と、議会への予算要求の正当化、米国国民への政府の意図の伝達、という3つの役割を果たすといわれる。オバマ政権も昨年の中頃にNSSの作成を要求されていた。
アメリカでは大統領が最高指導者である以上、CIAもそれに従属する機関である。大統領は対外政策や国家安全保障の必要がある場合以外、秘密活動を許可してはならないとされ、秘密活動を許可する場合は書面で行うものとし、情報機関の行うすべての秘密活動は議会の情報委員会に十分かつ最新の情報を伝えなければならないとされる。大統領は議会の情報委員会に報告しながら秘密活動を行うわけであるが、米国の死活的利益に影響する事態に対応する必要から、秘密活動にアクセスできる議会メンバーを限定することがあり、「8人衆」と呼ばれる筆頭委員や議長、院内総務などが存在するようだ。
ジュリスト2009年1月15日号「アメリカ・議会による文民統制~安全保障戦略報告書類の意義」等雄一郎
ジュリスト2009年11月15日号「情報予算授権法案~議会における秘密活動の監視」等雄一郎

ユダヤの安息日も働けるか?(タクシードライバー)

聖書においては、神は天地創造において7日目に休まれた。そこから安息日が生まれ、ユダヤ教では安息日は労働してはならないとされていて、厳格な信者はそれを守っているそうだ。安息日は英語では"sabatth"で、イタリア語では"sabato"。イタリア語ではこれは土曜日を意味する。土曜日が週の7日目にあたるからだ。ではキリスト教国では土曜日に休んでいるかというとそうではないだろう。日曜はイタリア語で"domenica"といって「主の日」という意味だ。キリストの復活の日をさす。キリスト教ではこの日曜日を安息日とするようになり、これが国際標準となっていった。日本は戦前の工場法では、休日は月2日と定められていた。欧米なんて関係ないからね。映画「タクシードライバー」で「ジューイッシュホリデイも働けるか?」というセリフは「休日も返上できるのか?」という意味だと理解できた。実は、これは現時点での理解であり、詳しい方がいらっしゃればコメントいただければ有難いです。
法学教室2009年1月号「Live! Labor Law」大内伸哉

核保有が認知されているのは「6カ国」だけ

NPT(核不拡散条約)は1970年に核保有五カ国(米・ソ・英・仏・中)以外の国が核兵器を保有することを防止する条約であり、現在189カ国が加盟している。締約国ではないのは、インド・イスラエル・パキスタン・そして脱退した北朝鮮である。1974年にインドはカナダやアメリカから調達した原料をもとに核実験を実施したが、平和的核爆発であると主張した。これを機に原子力供給グループ(NSG)が結成され、インドへの核関連輸出は約30年の間禁止され、インドは「ルールに違反した国」として孤立化した。しかし、2008年10月に米印原子力協定が締結された。この協定はインドの軍事用核施設および核兵器の存在を承認する意味を持ち、上記の5カ国以外を核兵器国として承認することになる。アメリカの思惑としては、地政学的な理由からインドと緊密な関係を築くことで中国を牽制し、あるいは中東に進出する基地となることにある。米国企業にとってもビジネスチャンスが生まれる。インドとしてもエネルギー需要も満たせるし、事実上核兵器国として承認され、孤立した違反国から「まともな国」になることができる。しかし、核不拡散の側面からみると大きな後退であるといわれる。日本は良好な日米関係を維持するという見地からこの協定に反対しなかった。しかし、唯一の被爆国として、核不拡散体制の強化に何らかの役割を果たすべきだとされる。
法学教室2009年1月号「米印原子力協力協定」黒澤満

2010年3月 8日 (月)

文藝春秋「昭和天皇」で描かれる共産党

文藝春秋の福田和也の「昭和天皇」では共産党に関する記述が多い。
大正12年6月の大検挙で、共産党は壊滅状態に追い込まれ、特高警察も共産党はほぼ消滅したと認識していた。昭和2年7月、渡政・徳田・佐野文夫ら中央委員はモスクワを訪れ、コミンテルンから「27年テーゼ」を示された。「大衆の前に姿を現し、精力的に活動するように」と命じられたのだ。この背景には、コミンテルンから資金を引き出すために、実際は400人ぐらいしかいない党員を「4万人」と水増しして申告していたことがあったといわれる。各国の共産党にとってコミンテルンの指示は絶対だ。逆らえば失脚させられるし、最悪の場合粛清される。そうして昭和3年に初めての普通選挙実施を迎えることになる。普段、まったく活動の出来なかった共産党も、選挙の時期なら集会も出来るし、演説もさえぎられることが少ない。しかし、あくまでも「広報の場」としてしか利用できなかった。無産政党諸派からは、鈴木文治、山本宣治、安部磯雄など八人が当選したが、南喜一は次点、徳田球一は千余票しか取れなかった。
昭和7年前後に日本共産党に対してコミンテルンからの連絡が途絶し、また、大森ギャング事件などによる共産党への信頼低下などから、日本共産党は資金不足がひどくなった。そのために目をつけたのが「華族や財界人の子弟を党に勧誘し、財産を提供させる」という戦略だった。結局、起訴されたのは、岩倉靖子(岩倉具視の子孫)、森俊守(父は子爵)、八条隆孟(父は子爵)だけだったが、他にも多数がいた。
この、華族子弟の赤化事件に対応するために、宗秩寮審議会が開催された。宗秩寮とは華族の監督機関である。この検挙された子弟の中の、亀井茲建の行く末を昭和天皇が案じていた。なぜかというと、茲建の父である茲常は昭和天皇の欧州行啓に同行して、かなり厳しい環境のなかを天皇に尽くしたからだ。結局、処分は木戸幸一内大臣秘書官長に委ねられたが、天皇は和歌を託した。最終的に、森俊守だけを華族から除き、位記の返上を命じた。亀井茲建以下六名は譴責にとどまった。亀井だけをあまくするわけには行かなかったのだ。亀井茲建はその後、東北開発株式会社の総裁となった。前衆議院議員・亀井久興は茲建の三男である。
治安維持法の下、非合法組織である共産党は地下活動を主体とせざるを得なかった。自らの正体を隠し、世間の目を欺くために、家庭を偽装する必要が生じる。その必要を満たすために、女性党員が党幹部と生活をともにし、その活動を支えるという戦法が生み出された。こうした活動に従事する女性を「ハウスキーパー」と呼んだそうだ。大泉兼蔵にも熊沢光子というハウスキーパーがいた。ある事件が起きた。光子のもとに党員が訪れて、大泉の所持している文書などを洗いざらい見せるようにという尋問を受けたのだ。主導したのは宮本顕治だった。この査問で、大泉が、党組織の全容・どの工場にどの細胞が潜入しているかなどといった、中央委員の最古参だけが所持することが許される書類を持ち出していたことが明らかになった。小畑達夫もスパイに関与したことが分かり、拷問で三日後に死亡してしまった。光子は大泉と共に自殺をする意思を示し、玉川上水の林で首をつる予定だった。しかし、下目黒のアジトで大泉は「人殺し!助けてくれ!」と逃げようとしてわめいたため、警官が窓から飛び込んできた。騒ぎを聞きつけた家主が通報したのだ。
こうして「リンチ共産党事件」は発覚した。リンチ共産党事件は、昭和8年に戦前の最後の共産党委員長・野呂栄太郎が逮捕された間隙を縫うように宮本顕治が主導したものだった。

2010年3月 7日 (日)

宮中某重大事件

大正七年に久邇宮良子女王が東宮妃殿下に内定したことを新聞各紙が報じた。その後、良子は「御学問所」でご進講を受ける毎日だったが、二年経過した大正九年に杉浦重剛は、宮内省御用掛の眼科医が執筆した意見書を見せられた。「良子は色盲の遺伝を有しているので、皇太子と結婚した場合、その男児が色盲となる可能性が高い」と記してあった。ここから久邇宮家と山縣有朋の間で深刻な争いが生じた。「宮中某重大事件」である。
色盲の人間は軍務につけないことになっており、皇子が軍人になれないというのは由々しき問題であった。山縣は久邇宮邦彦王に辞退を求める手紙を書いた。邦彦はどんな手段を使ってでも山縣を退ける覚悟を決めた。杉浦に意見書を見せたのもその手段だったのだ。その他にも、宮家属官の分部資吉が、黒龍会と関係する大陸浪人に「宮内省の横暴不逞」という怪文書を執筆配布させたり、久邇宮家周辺は国粋主義者との関係を深め、かなりきわどい手段で山縣周辺を揺すぶろうとしていた。怪文書の執筆者には北一輝も含まれていた。
結局、新聞各紙はご婚約に変更がないことを報じ、中村宮内大臣は辞職した。山縣はすべての官位爵位の返上を大正天皇に申し出たが却下されて、死ぬまで小田原の屋敷から外に出なかった。山縣をはじめ、良子の色盲遺伝子を理由に婚約を取り消そうとした元老、政治家はすべて失脚するか、意見を翻していた。しかし、貞明皇后は、邦彦王への怒りをもち続けていた。「不純分子の皇統に混入することの恐れ多き事」「皇統は不窮にて出来るだけ純潔ならざるべからず」という文書を牧野に手渡していた。邦彦王は、長男の朝融王の婚約解消を、良子の婚約問題が解決するまでひた隠しにしていた事実もあったそうだ。邦彦王が死んだ時は国葬とはせずに、皇室葬儀令に従って執り行われた。
では、久邇宮良子の「色盲の遺伝子」はどのように発見されたのだろうか。まず、久邇宮家の家族構成であるが、当主の邦彦王以下、朝融王、邦久王、邦英王らの息子たち、そして、良子、信子、智子らの娘に、家令や乳母、侍女たちがいた。もちろん母である俔子もいた。学習院で身体検査を行った軍医草間要は、三男邦英王が色盲であることを発見してしまった。草間は、久邇宮家と、邦英王の母方の島津家を調査して、邦英王の兄である朝融王と、その叔父である島津忠重公爵も色盲であることをつきとめた。島津忠義の側室であった山崎寿満子が色盲の遺伝子を持っており、その息子である島津忠重と久邇宮家に嫁いだ娘の俔子(ちかこ)に遺伝したのだ。久邇宮家に色盲の遺伝子を持ち込んだとされた良子の母、俔子の受けた衝撃も大きかったといわれる。それが「軍務」と関わる皇室の問題として発展してしまったのだ。実際に「色盲」だったのは、俔子の「弟」「息子二人」だったことから、「娘」である良子にも遺伝したであろうということだ。
この山縣の行動を長州閥の薩摩への反発ととらえる見方は少なくとも福田和也はとっていなかった。国家の見地から本当に「軍務」への危惧をしていたと見ているのだ。
文藝春秋2006年6月号「昭和天皇」福田和也

レーニンとスターリン

文藝春秋の「昭和天皇」福田和也には、なぜか社会主義あるいは共産党の記述が多く見られる。そこに、レーニンからスターリンへの権力の継承の経緯が書かれていた。
大正11年(1922年)スターリンは共産党書記長に選ばれた。党組織の実務を軽視していたレーニンは、スターリンの権力が肥大していくことを目の当たりにし、部下への認識を改めざるを得なかった。しかし、その年の2月と12月の2度にわたってレーニンは脳卒中を起こして治療を余儀なくされた。スターリンはレーニンを半ば軟禁状態に置いたが、レーニンの妻・クルプスカヤにだけは封緘した手紙を渡すことが出来た。これに危機感を抱いたスターリンがクルプスカヤを電話口で怒鳴ったことから、レーニンは「ジノヴィエフとカーメネフ」という二人の実力者の知るところとなっていると言ってもはやスターリンを信任していないことを明確にした。しかし、党幹部はそれぞれの思惑があり、スターリンを糾弾しようという動きは表面化しなかった。
1924年1月21日にレーニンは3度目の発作を起こして死亡した。党大会直前の中央委員会で、未亡人のクルプスカヤは「レーニンの覚書」を読むことが許された。読み上げたのはジノヴィエフだったが、内容は「スターリンは故郷であるグルジアで民族主義に対する弾圧をするなど粗暴な面があること」「権力を慎重に行使することに確信が持てないこと」「もはや信任しておらず、別の人物を後継者とすべきこと」が記されていた。ところが、読み上げたジノヴィエフが意外なことを言った。「もはやレーニンは正常な判断力を失っていたのだろう。同志スターリンへの非難は根拠のないものだ」と。クルプスカヤは怒りのまなざしを向けた。カーメネフも同調した。ジノヴィエフもカーメネフも、スターリンよりもトロツキーを怖れていたのだ。3年後、スターリンによって、トロツキーもろともこの2人は党を放逐された。30年後、スターリンが死んだあとに、机の中にレーニンの遺書が残されていたが、繰り返し読み返されていてボロボロになっていたそうだ。
文藝春秋2007年10月号

日米安全保障条約と台湾

1952年の平和条約と同時に締結された旧安保条約では、日本全土に米軍が駐留することを許容したものの、国務長官ダレスが「アメリカは日本を守る義務はない」と発言していた。日本の自主的な実力部隊の漸増を念頭においていたのだ。しかし、アメリカの反共軍事援助推進政策や朝鮮戦争勃発などを経て、日米の結びつきは軍事的色彩を強め、わが国は軍事力増強義務・秘密保持義務・アメリカ軍事顧問団 受け入れ義務を負うことになった。そうした中で、国民的議論と激しい闘争の後に安保改訂が1960年に行われたのだ。しかし、「締約国のいずれか一方への武力攻撃」(5条)が集団的自衛権を意味するかという解釈で日米の見解が食い違い、今日まで尾を引いている。また6条の「極東」概念は政府統一見解では「大体においてフィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域」とされた。つまり、韓国と中華民国の支配下にある地域をも含めたのだ。だが、アメリカの行動範囲はこれに限定されるものではなかった。また、「核の持ちこみ」に「寄港」は含まれないという立場をアメリカはとったが、日本は国民向けのメッセージとして「寄港は持込みである」と説明してしまった。
1969年11月22日両国は「共同声明」を発表して、新安保の自然延長と、韓国条項・台湾条項つまり、両国の問題をわが国の安全に関わるものとして受け止めることを表明したうえ、1972年に沖縄を日本に返還することを公表した。これらは、全体としてみると、沖縄のみならずわが国全土で極東における軍事拠点となることを意味していたのである。台湾を理解するうえでも「日米安保」の理解が必要だともいえる。
法学教室2003年10月号「憲法9条と日米安全保障」大隈義和

李登輝

李登輝は60歳までは地味な農業経済学の研究をやっていた人物であるが、蒋経国のあとを受けて台湾の総統になった。90年に総統に再選されるが、軍やインテリジェンスをまとめあげる才覚はずば抜けており、96年に中国が台湾に向けてミサイルを発射した時にその才覚が威力を発揮し、中国軍内部の情報を把握している事実が中国政府に衝撃を与えた。そのインテリジェンスの構築に貢献したのが、亡くなった長男だといわれる。あれはアモイで密輸をやっていた軍人にアメリカドルを握らせることで情報を得ていたのだ。この一件では中国の軍幹部が薬物により処刑されている。
南懐瑾という人物がいた。在野の学者で、儒教の研究や座禅を組むなどの修行をしていたのだが、李登輝の今は亡き息子の嫁もこの南懐瑾のもとに通っていた。しかし、蒋経国がこの学者に危険な臭いをかぎつけて香港に追放している。その後、南懐瑾はフィクサーとして李登輝の中国人脈形成に大きく貢献することになる。
96年のミサイル問題というのは、台湾が高度な「クライシスマネジメントオペレーション」を構築していたことを白日の下にさらした。イスラエルのような準戦時下の国家以外にはこれほどまでの仕組みを構築した国はないといわれる。日本では中国に関しては「一つの中国」という立場であり、いずれは台湾問題も中国の意向に沿って解決されるものであろうが、その際には「平和的解決」をすべきである、という条件付であり、これはアメリカとも歩調を合わせる見解となっている。
米中が軍事衝突を起こす局面は台湾問題以外にありえず、北朝鮮は局地的なものに留まるとされる。
文藝春秋2006年11月号「中台危機・李登輝が放ったスパイ」手嶋龍一

「養子」の研究

養子縁組に関しては、そもそも親子関係が社会的に多様であり、子の年齢や状況によって一概に言えない部分がある。「社会通念上親子と認められる関係を形成する意思」といってもいろいろある。判例は「兵役免除」「学区制を免れるため」の縁組を「便宜的なものである」として否定している。
では、相続のための縁組はどうであろうか。これは判例は認めている。そもそも、親子関係のありようが様々であり、親子関係の法律上の効果として相続という制度がある以上、これを否定する理由はないとされている。
俺がこれを論じるのは、両陛下との皇位継承のための縁組とはどのようなものかを考察することが問題意識として存在する。
たとえば、未成年者を養子にする場合は家庭裁判所の許可が要る。この趣旨を裁判所は「その縁組が子の利益になるとの心証を得る」ためであるとしている。しかし、何が子の利益になるかは未成熟な子供には難しい。教科書事例では跡継ぎを探していた僧侶が子供を養子にした場合の「職業選択の自由」はどうなるんだろう、などと言われる。財閥の後継者や家元の承継も同じことがいえる。ある家庭裁判所の判断では「身分、職業及び自己の置かれている生活環境等についておおよその認識ができ、養子縁組についても一応の意思表明が可能な年齢になるまで留保したらどうか」とした事例があったそうだ。
この、マスメディアが発達した時代に、皇室の年端も行かぬ子供を「後継者」とすることにも大きな問題が潜んでいる。「この世の贅沢のすべて」を受け取れるのだから文句はないだろう、というのが伝統的な王室の発想だったのかもしれないが、君主の人格的水準が制度の根幹をなす君主制においては、このような発想は国家のハンドリングを危うくするのである。
そもそも「養子」というのは非常に難しい制度だと言われる。成人した大人になると自分の肉親との関係すら難しい。親父・おふくろと自分はどんな関係なのか?それがさらに養子縁組した養親との関係は微妙なものとなる。
幕末から明治にかけて「学者の家系」としてしられた箕作(みつくり)家は才能のある人間を養子として取り込んでいたといわれる。一方、ヨーロッパでは、養子制度が法典化されたのはナポレオン法典だと言われているが、ローマのアウグストゥスはカエサルの養子であった。ローマは養子という制度を知っていたのである。
天皇家の養子による継承は果たしてどのような説明がなされるのであろうか。
なお、「箕作家」という話をしたが、法律学の分野では箕作麟祥という名前が知られている。珍しい名前であることや、学者であることなどから、この一族の人であろうと推測される。箕作麟祥は、明治期にフランス法の翻訳に従事し、今でも法律用語として定着しているものが多いそうだ。
参考:法学教室2009年3月号~5月号の「家族法~民法を学ぶ」に養子に関する記述があります。

沖縄の「女子学徒隊」

沖縄の女子学徒隊といえばひめゆり学徒隊が有名であるが、看護要員として戦場に送られたのはひめゆりだけではない。沖縄師範学校女子部と沖縄県立高等女学校の女子学生で編成された学徒隊の通称がひめゆり学徒隊である。
同じように他の学校にも通称があり、首里高等女学校の学徒隊は「ずゐせん学徒隊」と呼ばれた。ずゐせんの塔というのが、ずゐせん学徒隊の33名の死者をまつった慰霊塔として残っているが、ひめゆりの塔とは数百メートルしか離れていないのだが訪れる人は少ない。
平成5年4月。全国植樹祭出席のために天皇皇后両陛下が沖縄を訪問された。お二人にとっては6度目の沖縄訪問であったが、即位してからは初めてであった。昭和天皇は在位中の訪問がかなわなかったために、歴代天皇としては初の訪沖となった。
両陛下は、結局、ずゐせんの塔の前を車で最徐行に近くほぼ停車した形で、窓を開けて瞑目されたという。沖縄と天皇の問題を語る上で「天皇メッセージ」に言及しなければならない。昭和21年、昭和天皇が宮内庁御用掛だった寺崎英成を通じて連合国総司令部に伝えたもので、その内容は「日本の安全のために、米軍が今後25年から50年程度、日本に主権を残した形で、沖縄を軍事占領することを希望する」というものだった。このメッセージは米国国立公文書館で国際政治学者の進藤栄一筑波大学助教授(当時)が発見したもので、昭和54年4月に雑誌「世界」で発表された。にわかには信じがたい話とされたが、昭和天皇崩御後に、入江日記がこれを裏付ける資料となったのだ。
このような経緯をもった沖縄に対しては、現天皇が沖縄慰霊の日である6月23日を「決して忘れてはならない日」として、終戦記念日、広島・長崎原爆の日とともに、黙祷をささげているとされる。
文藝春秋2007年11月号「美智子さまと昭和天皇~沖縄の悲劇を胸に」梯久美子
注)梯久美子という人は特定の「方向性」をもったライターだと認識しているが、情報源として優れていたので要約してみました。

2010年3月 6日 (土)

核密約問題に関して

我が同盟国の米国は、元来「艦船に搭載された核兵器の所在は明らかにしない」というNCND"No Confirmation No Denial"政策をとってきた。冷戦の中でソ連を相手にグローバルに展開する米国にとって、その戦略の中心となる艦船のどこに核兵器を搭載しているかは絶対に明らかにしない。同盟国として決して追及できない米国の安全保障政策だったのだ。
60年安保で事前協議制度は作られたが、ただの一回も米国政府から日本政府に対する事前協議は行われなかった。しかし、この事前協議制度を持つ安保条約を堅持したことによって、結果として、日本は冷戦の間、外部からの脅威に対し見事に自国を守りきった。日米をして、冷戦の勝利者たらしめたのがこの「あいまいさ」だったのだ。文藝春秋2009年10月号「核密約『赤いファイル』はどこへ消えた」東郷和彦
なお、参考までに文藝春秋2009年11月号での、ブッシュ(ジュニア)政権の対中東強硬派の国防副長官として知られたポール・ウォルフォウィッツのインタビューを引用します。
ウォルフォウィッツは興味深い観点をインタビューで指摘している。「沖縄における米軍の動向は各国によってつぶさに観察されており、東アジアの安全保障にコミットするアメリカの姿勢と能力に関するシグナルが常に読まれている」「核密約問題は40年前の出来事であり、アメリカは18年前に、核弾道ミサイル搭載の潜水艦を別にすれば、アメリカ軍の艦船から核兵器を取り除く決断をしている。核搭載の潜水艦が日本に寄港することはないのだからすべて過去の話だ」「アフガン情勢は今は泥沼化しているが、アルカイダはすでに新兵のリクルートができなくなっている。彼らにアフガンでソ連に勝ちアメリカに勝ち、サウジアラビアやその他の地域でもアメリカに勝った、と言わせてはならない」「ニューヨークタイムズ紙の鳩山論文にアメリカが過剰反応しなかったのは、アメリカ政府部内の知日派に思慮深い人(カート・キャンベル東アジア・太平洋問題担当国務次官補など)がいたからだ。選挙前にはいろいろなことを政治家は言うものだ。問題は何を言うかではなく、何を成し遂げたか、であると割り切っていたのであろう」

ミスターXと田中均の「非対称なチェス」

もともと、北朝鮮としては日本と国交を結べば一兆円の資金が得られることなどから、外務省で政治意思を背景に人をあっといわせたいという傾向がある田中均をカウンターパートと見透かして、「ミスターX」という交渉相手を差し向けてきたのだ。ミスターXに関しては、日経新聞記者がスパイ容疑で拘束されていたことがうまく解決できたことから、「キムジョンイル」と近いのは本当だという「クレディビリティ・チェック」は終えたとされ、キムジョンイルと小泉純一郎が、ミスターXと田中均をはさんでのチェスの差し合いが始まった。北京や大連で30回にわたる話し合いがもたれたが、こうして平壌宣言が練られていき、小泉訪朝が決まった。しかし、本来このチェスの局面全体を見渡していたのはキムジョンイルだけであり、小泉は一局面しか見えないという意味では「非対称なチェス」と言われた。
「ミスターX」の存在を知っていたのは、小泉首相・福田官房長官・古川官房副長官・竹内事務次官、田中アジア大洋州局長・平松賢司北東アジア課長、のちに加えられたのが川口外相だった。しかし、2002年の7月末にアセアン地域フォーラムで、外務省条約局長の海老原紳が異変に気付いた。海老原は「アメリカを無視して安全保障はまとまらない」「村山談話は特定の国に謝ったのではない」という指摘を条約局の立場から行い、また、谷内正太郎総合外交政策局長も「拉致という文言がないではないか」と批判した。この時から、谷内と田中の「拉致」をめぐる争いが始まったのだ。そうして小泉訪朝を迎えた。「生存者5名、死亡者8名」という凄惨な結果に世論は沸騰した。この世論の沸騰で一気に日朝交渉は推進力を失った。実は小泉は訪朝五日前に、アメリカのプレジデンシャルスウィートで米国政府首脳に訪朝を伝えていた。ブッシュは、パウエル国務長官にアゴで「お前が言えよ」とうながして、パウエルは「我々は北朝鮮の核開発の情報をつかんでいる」と伝えた。
結局、平壌宣言にもかかわらず、北朝鮮は核開発を行っており、その後、米国との交渉の場でそれを認めてしまった。日本側は、交渉の失敗を核疑惑のせいに出来るのなら都合がいいと考える連中が多く、アメリカの不信感を買った。
文藝春秋2007年3月号「小泉訪朝・破綻した欺瞞の外交」手嶋龍一

中国とソ連の核危機

第二次世界大戦後の核戦争の危機はキューバ危機が知られているが、1969年に、いつもは強気一点張りのソ連当局者から、アメリカに「もし中ソの間に武力衝突が起きたらアメリカはどう対応するのか」というメッセージが送られてきた。すがるような眼差しにも思えた。 アメリカのインテリジェンスは長大な中ソ国境で行われていた中ソの武力衝突の模様を詳細に分析した。戦闘が行われていたのはソ連の補給地点に近く、中国の補給地点からは遠いところだった。これはソビエト側が中国に攻撃を仕掛けようとしていたことを意味する。40を越えるソビエトの精鋭師団が国境に続々と集結し、核ミサイルによる攻撃を窺わせる徴候も報告された。 中国が崩壊すれば東西の力のバランスは崩壊する。キッシンジャーは語る。あの時「国務副長官声明」を出すことによって、アメリカ政府がソビエトによる中国への核攻撃に深刻な懸念を抱いていることを警告し、クレムリンを牽制したのだ。キッシンジャーにとってはこの「国務副長官声明」こそ、ニクソン政権を通じて最も重要な外交上の決定だったという。 この声明は両国の衝突によってアメリカが中立を保つことが出来るようにすることを求めていた。現時点で中国が攻撃されれば、アメリカは中国の側に立たざるを得ないというシグナルを発したのだ。 キューバ危機につぐ二度目の核戦争の危機を瀬戸際で食い止めることができたこの決断にキッシンジャーは誇らしげだった。 文藝春秋2007年1月号「周恩来とキッシンジャーの握手」手嶋龍一

周恩来とキッシンジャー博士の初対決

73歳の革命政治家と48歳の戦略家の初対決が1971年に行われた。ニクソン政権の国家安全保障担当の大統領特別補佐官であるキッシンジャーと、中国国務院総理の周恩来。 周恩来は部下が用意したメモには一切目もくれずに滔々と話す。一方、キッシンジャーは交渉の論点となる事項をびっしりと書き込んだ大学ノートを携えていた。周恩来は「ずいぶん分厚いノートですね」と皮肉った。 ベトナム戦争の泥沼から脱却するには米中接近がどうしても必要だった。それを正確に理解している中国首脳は周恩来だけだということもアメリカは知っていた。 日本はもはや経済的に強大な力を誇っていた。もし日米安保体制がなければ短時間のうちに日本は核兵器を製造するであろうとキッシンジャーは言った。「日本を暴れ馬にしてはならない」。こうして周恩来は革命中国の主要な敵であるとしてきた日米安保体制を黙認した。 ニクソンは、米中接近のために長年の盟友である蒋介石を切り捨てることは決めていたものの、アメリカ議会に絶大な力を持つ台湾ロビーや保守派の反撃にも気遣っていた。「反共の闘士」という政治的資産をうまく使いながらも、ベトナム戦争を裏で支える中国への接近を試みるという交渉だったのだ。一方の周恩来も、文革で壊滅的な打撃を負った中国外交の再建に乗り出していたさなかのことであった。 文藝春秋2007年1月号「周恩来とキッシンジャーの握手」手嶋龍一

マッカーサー解任劇

文藝春秋2009年11月号にマッカーサーのことが書かれていた。朝鮮動乱で半島を北上していったものの、「中国軍の参戦はない」と確信していたマッカーサーは、完全に目測を誤り、米軍に大損害をもたらす。マッカーサーはアメリカでも歴史上の人物となっていたが、それを中国の連中が嘲笑したのだ。 プライドが傷ついたマッカーサーはそれから発言するたび・行動するたびに自らの「伝説」を傷つけていく。マッカーサーにはもはや中国しか見えていなかった。ソ連がヨーロッパでどう動くか、日本本土が報復を受けるか、なんてことすら見えていなかったのだ。ルーズベルト、トルーマンと二代にわたって、「大統領より偉大な人物」の存在を甘受し続けたが、トルーマンはとうとう決断をする。マッカーサー解任だ。世論が自らを歴史上最悪の大統領であると評価するのも覚悟のうえだった。 マッカーサーはアメリカ凱旋を熱狂的に迎えられた。しかし、彼を待っていたのは公聴会であった。「老兵は死なず」という有名なセリフを残したものの、回を重ねるごとに、自分の立場は守勢に転じて行った。中国の参戦はないと見込んでいたこと。参謀本部でも嫌われていたこと。周囲に腰巾着しかいなかったこと。マッカーサーの伝説をさほど知らない若い将校は、むしろ同僚の失われた命に怒りを持っていたこと。トルーマンは一時的に、自分の権威が地に墜ちようが、大統領としての決断を下していたのだ。後世の歴史家を信じたわけではなかった。かつて、マッカーサーと同じような境遇を軍人としてたどったリンカーンは史上最高の評価を受けていることも知っていた。それでもトルーマンは全責任を負って、民主党政権は幕を閉じた。

ごあいさつ

こちらではいろいろと自由に趣味の話を書こうと思っています。よろしくお願いいたします。

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