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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

2018年2月15日 (木)

天津神。

仲間が多い、そして人生が楽しいと言えるためには「教義」が必要だ。
キツネのおちんちんはハリネズミに比べてはるかに大きい。
しかし、ハリネズミは「おちんちんを触っただけで射精する」ものだ。
そんなに気持ちのいいことをハリネズミは知っている。
いったいハリネズミたちの仲間づくりや生き方の何がそんなに気持ちいいのだろうか?
より多くの男女をその「気持ちのいい世界」に巻き込んでいかなければならない。
芸術作品を解釈したり、都会に出て何かを学ぶことの意味、つまり東京大学に合格すると若い女の子が芸能界デビューをするというようなことからより多くの男女に囲まれた男は生まれるものだ。
高井麻巳子 約束。

女性の局部の価値を高めていく、それは「真実」によって行わなければならない。
女を風俗で買うというよりは、よく話し合って二人の真実を見つけ出し、気持ち良さを高めていかなければならない。
より快楽を与えてくれた人(ジョーンズ)のために私たちは投票するだろう。
その美女の子供の気持ちが味わいたいからセックスするのに「幼児虐待」をするとは何事か!
虐待は常に間違いである。
虐待をするものは遅漏なのだろうか?というぐらいセックスに快楽を感じないものだ。
人生を楽しんでおらず、仲間もいない、読書もしない。そのような「セックスが気持ちよくなくなる」ことから虐待というものは否定せざるを得ない。
人を虐げるものに果たして女が愛せるのであろうか?
我々の子供の気持ちが非常に不愉快なものになるのではないか?
そのような指摘が可能である。
一方で、裁判官のように人間社会の問題で悩みに悩んだものは妻への愛情がずば抜けているとも言われる。
その場を治めるというのは気持ちのいいものだ。
争いごとを治めることを知っている人は気持ちのいいセックスを知っている。
このことが分かったから「より複雑な快楽」「高度な学問」とセックスの気持ち良さを結びつけるキリスト教は一気に発展した。
なぜ男同士で認め合うのかという友情の問題も、彼女との気持ちいいセックスのためであった。
ふたつにひとつ 瀬能あづさ。

女性の局部について語り合うことは、どのように他人を扱ったのかという問題である。
可愛い奥さんや彼女と円満な関係を築いている男が何を語るのかをよく聞いてごらん?
何に悩み、何を楽しんでいるのかというのはもはや「哲学のデパート」だよ。
キツネのずる賢さは、デカいおちんちんに鈍さをもたらしている。
「仕事をする」
これが夜の夫婦生活には欠かせないものなのだ。
仲間が多い、率直さを持っている、そのような男はストイックなのではないか?と勘違いされるほどセックスに感じやすい。
可愛い女の子が好きな人はそのような意味では案外、善良さを持っているものだ。
AKB48 好きなんだ。

男女の人気のある解釈というのは、女子の群れの中での噂話の中で、面白おかしいことをした男の話題を見つけると、その男に残虐なことをするところにある。
それもまた女子たちにウケる。
しかし、それでは「神の小説」は死んでしまうではないか?
自分にとって楽しいことをする。
それが男というものだ。
まるで、一人の女を目指しているようなものだが、時には「どうしてもその女でなければならないのか?」と周囲の女たちを見回す必要がある。
自分にとってそれが楽しい営みであるということが大事であり、女からもたらされる快楽と同じだけの快楽を一人の女を目指すことによって経験するだろう。
仲間は必要だ。
しかし「認め合う」ということが必要だ。
人生のために忠誠を尽くす人もいるだろうが、それは認めたことにはならない。
自分にとって楽しい営みを行うことは女とセックスする快楽と同じであり、自ずと破廉恥な者をも認められるのが学問というものだ。
子孫が残った以上、人間には「幸せの歴史」がある。
しかし、快楽の経験の仕方の違いから「命令の歴史」もあったことを知らないといけない。
学問をやれば「神を見失う」ようなこともない。
イエスキリストのサクセスストーリーに説教されることもないだろう。
ribbon サイレントサマー。

男らしさを語り合う女(立法)とそれを聞いて実践する男(行政)と、それらの議論を聞いて学習する司法、さらには「男らしさってのはな」と男の側から押し付ける政治があるとすると、政治家を助けようなどとは誰も思っていない。
新入社員や異動してきた男は常に政治家だからだ。
しかし、もしその「政治家」が有名なミュージシャンだったとするのならばみんな命を助けようと思うだろう。
自己完結した組織において、他のグループにも「法律」を押し付ける力量があることを政治力と呼び、普通の新参とは異なる扱いを受ける。
それほど各グループは閉鎖的なのだ。
新参やよそ者はそれほど「外の世界への影響力」を必要としている。
そうでないと誰も自己完結した「政府の仕組み」において助けようとは思っていない。
紛争解決をした実績が現場の女たちの議論の土台である以上、ミュージシャンですら「仮説に過ぎない」と扱われる。
トマス・アクィナスだろうと誰だろうと、「今まで一緒に仕事をした人」が大事なのは変わらない。
トトカルチョや野球賭博をやらない限り、戦場の兵士や民間人にすら同情できない。
そのために戦争ギャンブル(資金集めの仕事)というのはあるのだ。
ゲームの腐敗に渋い表情をするのはお金を集めた人なのだ。
ネイマールよりも大事な人が職場にいる。

人間の命ってのは民間人も兵士も同じだからね。
でも、民間人はその地域に仲間をいっぱい持っているでしょう。
つまり、その地域の「政府の仕組み」のメンバーでありら兵士は政治家の役割を果たしている。
兵士なんてのはよそ者だから誰も助けようなどと思われていない。
命のギャンブルなんてのは八百長なんだよ。
死んで欲しい人に死んでもらうものだ。
だから千本針でも縫うしかないんじゃない?
それほど、グループというのは閉鎖的だし強いものなのだ。
「立法」つまり男らしさを女たちが語り合うことがどれほどの巨大ビジネスになるのかを知っているだろうか?
しかも、経験を共にし、必要な時にいてくれた人に影響を与える議論であり、行政に優越するものだ。
女たちは実際に守ってもらった男でなければ、それほどまでに「男を認めることはできない」ものなのだ。
一人を殺すよりも五人殺すことの方が「その夜のセックスが気持ちいい」ことはある。
溺れても泳げる人と泳げない人がいると思うけど「妻が溺れたらどうする」という問題は「妻のことは私が一番詳しい」と思って夫は行動するだろう(保証人的地位)。
酒井法子 All right.

子供の教育で悩むことがあるだろう。まだ「政府の仕組み」に組み込まれていない存在だ。
しかも、夫婦のセックスの気持ち良さを決めてしまう「悔いが一人歩きしている」存在なのだ。
大英帝国は両親にとって有害な子供だったらオーストラリアに送った。
日本では赤紙が届いただろう。
戦争というのは世界の偉大な発見だった。
それも「政府の仕組み」だったのだ。
一方で「親に甘えることを知っている男の子」もいる。
親不孝として生きないことも戦争での生き死にを決めるのだ。
でも、子供にとってはそのどちらになるのかはコイントスみたいなものだよね。
マイノリティーの優遇(アファーマティブアクション)は、親に甘えられる子供を増やし、マイノリティーの戦争での絶滅を防ぐという意味合いがある。
なぜマイノリティーを絶滅させたくないのだろうか?
それは「男の重大な決意」と女が偶然に出くわして恋に落ちることがあるからだ。
たとえ信じているものが悪だと思っても、彼は自分の国では「赤紙」が来ないほど親に愛されているのでしょう?
そんな男には誤魔化しはないはずだった。
韓国軍は28000人だとされている。果たしてすべての若者なのかはしっかりと見極めなければならない。
戦争と恋愛はこれほどまでに深く関わっていた。
冬のソナタ。

このような「政府の仕組み」の全体像のことを「権威」と呼ぶ。
権威を用いて、毎日、女の子に新しい話題を提供したり(物理学)、今までの歴史を振り返ってみたり(化学)、出世につなげたり(生物学)するのだ。
そうすると壮大な世界が自分の前に開かれるのがわかる。
「国という巨大組織を跨いでしまう」ことの魅力も理解できるようになる。
仲間づくりに奇跡は必要ない。
勉強と共に歩んだものだけが好感を持たれるのが現状だ。
スマホだけで生きていけるはずだというネオダーウィン主義がどこまで有効なのかは「仲間というものがどういうものなのか?」から遡って考えなければならないだろう。
哲学も細かい論点を詰めて行ったら何ができるのかを知る必要がある。
しかし、我々はいつでも「電話だけの関係」を拒否できることも知らなければならない。
高橋愛 電話でね。

そもそも、セックスってそんなに大事なものなのだろうか?
そのような問いかけがなされた。
レディマクベスは「この男は女を知らないね」というところしか見ていなかったとも言われ、その復活を知っていたとされる。
「男、女、年寄り、病人」という構図があるのならば、年寄りと病人はセックスをさほど大事だとは思っていないことになる。
それでも「セックスのように気持ちのいい生き方」は年寄りにも病人にも存在する。
「もはや神経の問題である」と割り切るような境地になることがあるのだ。
女にとっては「お金の返事」が返ってこないだけだろう。
しかし、ワインを飲ませれば「お金の返事」が返ってくる。
セックスとワイン、それはドナルド・バッジとデビット・ベッカムを比べ、マルクス・アウレリウスとウィンストン・チャーチルを比べ、ピカソとベートーベンを比べるほどセンスのいいものだった。
「お金の返事」さえ返ってくれば「男らしさ」は議論できるのだろうか?
この問いかけには実はうまく答えられないのだ。
女たちは「セックス」を念頭に置きながら法律を作っているようだ。
しかし、枯れたおばあさんでも「初期の聖子ちゃん」を歌いながら掃除をすることもある。
プラックはピカソと同一人物であるが、ピカソよりもイカれていた。
イカれたものを愛するのがキュービズムの世界だっただろう。
セックスはイカれている、という意味ではよりその世界を愛する人がいてもいいだろう。
サバイビング・ピカソ。

女を愛するためには苦労が必要(決定論)と考えている男はとにかく人気がある。
どれだけ無様に歩いていても女たちは尊敬の念を忘れなかった。
遺伝や家族や文化のことを彼と語り合いたかったのだろう。
遺伝というのは親が子を愛する口実に過ぎないとか、すべての家族が改革を望んでいて「情け」でごまかしているとか、テレビのニュースをあの人はどう思っているのだろうとかを「決定論」の立場に立つ男に聞きに来た。
彼は「苦労して学んだこと」が女たちに認められることを生き甲斐にしていた。
女たちがその男の発言を重く見て語り合うことが大事であったが、それは政治家の仕事だった。
とにかく彼の話を喫茶店で女同士で話していると「不可能なことはない男」が現れて来た。
マザーテレサが味わったような快楽をコーヒーで味わったのだ。
松田聖子 雨のコニーアイランド。

病人は男でも女でもないから恋愛対象からハブりにするわ。
女たちはそのようなことも語り合ったが、病気というものを熟知していて、妻を愛することをためらわない男も尊敬された。
浮気という問題は案外、そのようなことに根ざしていたからだ。
落ち着かない子供の病気も語り合ったが、その親の夫婦生活を台無しにしてやろうと思って語り合った。
女たちの「喫茶店」にまったく動じなければナポレオンか神だろうとも語り合った。
女を愛するのに苦労が必要と考えている男をわざわざ苦しめるようなことを話し合ったのだ。
あの男はカントを知っていて、若い女を夏の海に送り出しているらしいということも語り合った。
海というのは「法の起源」と呼ばれるほど、カントを知っている男の話し合いのネタだった。
SPEED I remember.

なぜ決定論に立つほど「譲れない女なのか?」も語り合った。
その話題はまるでパワフルコンピューターのように女たちを盛り上げた。
マザーテレサとスターリンの関係を語り合うようなものであり、どんな悩みも解決できるパートナーだったのだ。
女たちは「楽しいことはなんでも成功する」と信じていた。
スターリンは喫茶店でマスターに「他の客と話をしたら出入り禁止だよ」と言われた。
喫茶店には本物のスターリンは必要なかったのだ。
犯罪を犯して塀の向こうに行った男のように「愛の世界から追放された男」の話題はしたくなかった。
塀の向こうの話は、関係者も「面白い話題ではない」として口を閉ざしていたのだ。
「人生は想像以上に安全だ」ということを語り合ったから「法」と呼ばれたのだ。
CoCo 冬の微粒子。

「義務」というものは「いざという時に助けてもらうために」果たすものだ。
約束というものが義務を生み出すが、女の側から男に約束を求めるという点は「男らしさ」を語り合う法の世界とも関わる。
選択肢を多く与えて「あっち」の方向に行動するのならば私も「このような」行動をとる、それが約束というものだ。
仲間の多さとつながる考えである。
約束を守る人は「周囲の行動が手に取るようにわかる」時期がある。
周囲の人は「自分の命を守るために」女たちの声を聞いているからだ。
女が「ハァ?」と言ったらいざという時に痛みにすら同情してくれないだろう。
女たちが「男らしい」と考える行いは、その男が助けられるために必要なものであり、法律を守る義務というのは行政として当然であるが、実際は「義務を守るから法律が生まれている」と言っていい。
その場で誰も痛まない行動をとることが「お約束」の基本である。
性的親密さをともなう世界では、誰も痛まない行動とは何かを深く掘り下げて考えないと、街を歩いただけでぶん殴られたりするだろう。
高橋由美子 Will you marry me.

人々が日常的に聞いている音楽作品(成文法)と、職場などで語り合っている「男らしさ」という慣習法に、習律という解釈を男が与えることは可能だ。
習律についていつも男同士は話をしている。
「仕事の話」とはそういうものだ。
習律の話に詳しいことが「政治的義務」となって政治コミュニティで「助けてもらえる」ということが明らかになっている。
「爆破テロ」というものはその地域の習律を憎んで行うものだろう。
「真面目に考えろ!」というメッセージが込められている。
成文法が嫌いな人はいないし、女たちがその職場で語り合う男らしさ(慣習法)は、いい行政を生み出す。
しかし、習律だけは男たちが「政治家」として議論を競い合うので、不満があれば爆破テロの対象になる。
渡辺満里奈 月の裏側。

ノンケかヘンタイかという憲法の議論も成文法から行うことが可能だ。
女はヘンタイプレイが嫌いなものだ。
国や政党や政治哲学者が習律に関しては見解を出すだろう。
しかし、ナチスもスターリニズムも「相対主義」の立場を全体主義と考えて、ゲイカルチャーから多くの「不幸な結婚」を生み出している。
「人気のある成文法」の間違いは指摘しておいていい。
竹原ピストル よーそこの若いの。

ユダヤ人は多くの歌を詩篇に残しただろ。
若さというものだろうね。
政治とはお金の世界だ。
食事を共にして、食費以上のものを与えるために詩の解釈論(習律)について語らずに何を語るというのだろうか?
個人の集まりである世の中でなぜその政治家だけが特別なのだろうか?
より良い生き方を知っていて、しかもお金がある、それは習律を知っているからであるとしか言いようがない。
「女が好き」というお約束があるそもそも政治家にとっては救いになるだろう。
食事を共にして、それ以上のものを相手に与える力量は「見た目がいい」という基本よりもはるかに上を行くものだ。
「政府の仕組み」がどの職場にもあって、どの女たちも「男らしさ」を語り合っているが、その「政治力」は当然、話し合いの対象になっている。
ここに「政治」という世界が開かれた理由がある。
「男にしか分からない女心」というものが存在したのだ。
政治の世界では実は女たちは「持論のある男」しか救っていなかったのだ。
女にだらしないというのはリベラルとは呼ばない。
幅広い習律の「広さ」を持った人をリベラルと呼んだのだ。
ribbon Lady love.

女たちが語り合う男らしさから生み出される富(法律によるお金)と、男が女心を定義することによる富(政治によるお金)は明確に区別される。
法廷では常に「女のリリースポイントで」(法)裁くものだ。
しかし、女のリリースポイントがアメリカ合衆国で「富」と認定されたのは2010年のことだ。
1948年にヨーロッパや国連、カイロ宣言で「お金ってなんだろう?」という議論はなされた。
スターリンの影響力が強く、ゲイカルチャーが議論を困難にさせた。
しかし、ウェストファリア条約の時に語られていた主権(ヘンタイプレイをやられたらどうしよう?)というものが思い出されて、幸福や豚や、ダメな男などのようなセックスの後の後悔や、お前の国はヘンタイばかりだなという軍事行動の研究がなされた。
政治家と法律家は明確に区別されたし、政治家は「自分はどの女の影響も受けていない」と公然と語り、行政とは一線を画した。
「野蛮」とは政治の誕生からもたらされたのではないか?
CoCo 優しさに帰れない。

しかし、法律が「女たちが語る男らしさ」であり、政治が「女心を男が定義する」ものであったとしても、「男が女を愛する気持ちを利用する」という「経済」がなければこの世界からははじき出されてしまうだろう。
「女嫌いとは神への失望」であるとはこのことを言っている。
なぜ、世界経済はNYダウの影響を受けたり、日本がいまだ世界経済を支える力を持っているのだろうか。
西田幾多郎が「女性皇族や女性芸能人は処女」と言った時にかなり残虐な軍事行動が日本国から引き起こされただろう。
法律も政治も「永遠とは言い難い宗教」であって、永遠が約束されている哲学も「真の理解者」がいない限り宗教にならざるを得ない。
CoCo ミスロンリー。

ジョージ・W・ブッシュが、「自由と不安は神が人々に約束した宗教だ」と発言した時に小泉首相もこれに賛同している。
しかし、イスラムのシャリーア25条の「民はシャリーアにのみ縛られている」という条文によってどれほど多くの男を女たちがクリエイトしてきたのか?という論争になり、ブッシュも小泉も「行政を機能不全にする」と批判された。
この批判はもはや世界レベルの支持を得るに至った。
インターネットが瞬間的には「男らしさとは何か?」を見失っていたのだ。
インターネットの世界では「神、神」と言って男らしさを模索したのは事実だ。
「世界がどこに向かっているのか」を政治家が分からなくなったのだ。
女が男らしさを決めるという法律の世界も、「男が男らしさを自分で決める」という政治の世界もインターネットの登場ですべて見失った。
そこから「女心を定義するのが政治だ」という発想の切り替えが必要だった。
CoCo 君を行く。



【壮大なテーマとしてつづく】

国津神。

女というものをどれほど気持ちのいいものにするのかが指導者の力量である。
各自がそれぞれの趣味を持っている世の中で、「セックス」にだけは誰もが関心を持っていたからだ。
指導者が「独自の」考えを持っている、これが組織に快楽をもたらした。
指導者は「オーガズム」の快楽を狙って様々な複雑な仕事をこなしていった。
すでに存在している組織であるのならば、そこで仕事をするしかない。
部下たちの気持ち良さを保障するのが指導者というものなのだ。
リーダーシップとは常に「初めてその人をこの角度から見る」ものである。
リーダーにはフォロワーもいる。
しかしフォロワーは「この人の話を聞きなさい」という役割にとどまる。
家が一軒出来上がった時に「あの人のいうことはわかりやすかったな」などと部下たちが語り合うものだ。
大人の社会にはもはや「勉強リーダー」は必要なかった。
「どこか別のところで人生経験を積んだ人」が上司となっていたのだ。
個人的な野心も上司を見れば「何をすればいいのか?」が分かった。
セックスの快楽を利用して物事を治めていたため、不幸な結婚をしたグループや彼氏のいない女などを説得する作業が待っているのは当然だった。
勉強の度合いで対抗する部下もいるだろうが、快楽に焦点を絞ることを学ばせる必要がある。
渡辺美奈代 Too Adult.

企画立案というのは「はい、注目!」というようなものだが、どうしても譲ることのできない女であるのか?などを今一度、考え直さなければならない。
その女のところに通うのが通勤であるが、家と事業所はコントロールできない。
しかし途中に「縁起」などの石を投げ込むことはできる。
通勤のために出来るだけ多くの金を払わせることは可能だ。
コントロールできないものを「行政」と呼び、コントロールできるものを「政治」と呼んだ。
女たちは「こういう人は男らしいわ」と語り合った(立法)し、男はそれを聞いて男らしさを演じようとした(行政)。
政治は「よそ者」のためのものだ。常に男らしさを男の側から議論している。
1946年に戦争が終わって「よそ者」が職場に入ってきたら男の側から男らしさを語る連中が多く、今までの女たちの議論を乗り越える形で男たちの実践を批判する者たちがいた。
司法の場では裁判官がいろんな話を聞いて「快楽」を増していくという過程を経た。
みんな組織に属した以上、立法・行政・司法・政治のどれかの役割は果たして組織に貢献しようとは思っていた。
しかし、戦争と不景気だけは今までの議論をすべて振り出しに戻す力を持っていた。
男が女に飢えるのは戦争の時と不景気の時であり、女たちが語り合う男らしさ(立法)に男たちの振る舞い(行政)が完全にしたがってしまうのだ。
警察や市役所は明らかに「行政」であった。
この「政府の仕組み」が確立したのは1910年だとされる。
しかし、この「政府の仕組み」は実際は各職場ごとに成立しているために「頭ごしのコミュニケーション」は望んでいないものだ。
社会全体に「男らしさとは何か?」を発信するよりも、現場の問題の解決のためにこの議論を用いたいとみんな考えているために、異なる職場の間での交流や競争は誰も望んでいない。
各部署は「異なった勉強」を確立することによって職場の男と女の関係の自由な往来をブロックしている。
勉強が不十分な男は快楽が少なかったために、朝、職場に行く気力がなくなって去っていった。
勉強させようとしてお給料を払うのであるが、それでも「割りに合わない」ことがある。
それが「勉強」だったのだ。
松田聖子 赤いスイートピー。

国が滅亡しそうになっても「可愛い息子」は戦争には送らない。
そういうコインが出たのならば親は自由にそれを判断できる。
帝国が膨張していくためにはそのことをよく理解しなければならない。
そもそも、家庭内ですでに「男らしいって何だろうね?」という議論は終えていたのだ。
金集めのゲームである戦争で、「必要な息子」を戦地に送ったのではそもそもが戦いにならないことは理解しなければならない。
巨大組織は、別の巨大組織を激しく攻撃するものだ。
女たちが語り合った「法律」がそもそも異なるからだ。
女たちが語り合った男らしさにしたがって東大を「赤レンガ」と罵倒するのが男の行政というものだ。
すべての人が予算に不満を持っている。
「誰が誰とコミュニケーションできるか?」も実は制限がある。
このことからお金がうまく流れないようになっているのだ。
お金をうまく流すためには「予算部門と請求する側の部門が両方とも知っているアイドル」の話から入らなければならない。
アイドルはもちろん女である。
「頭越しの専門家」はとにかくスペシャリストなんだよ。
なんでも許されるような才能がなければ巨大組織を股にかけることはできない。
巨大組織を股にかけるといってもお金の裏付けを得るだけであり、片方はライン部門でなければならない。
巨大組織同士で連絡を取らせようとしても各組織にはなんのメリットもないために実現しないだろう。
単なるライン工と巨大組織の「頭越し」は可能だ。
これは許認可などで行うことができる。
「面識がない」というのが女たちが語り合った法律にとってどれほど致命的かを知らないといけない。
誰も応援しようと思わないものだ。
「国家の中枢」とみなされなければどのみち地方自治体と財務省を引き合わせることもできない。
しかも、「同じことに興味を持っている」ことが国家の中枢には求められる。
酒井法子 POPにいこうよ。

医者などの専門家は、誰よりも「女が好き」でなければならず、そうでなければ「法」が身に付かない。
しかし、組織のピラミッド構造は「法」を人に教えることから成立するが、常に男の側から男らしさを語る政治家と、夜の話は一切語らない職業人から成り立っている。
この「政府の仕組み」という権威を誰よりも熟知した上で、この業績は誰のものという具合に割り振りする人を政治学者と呼んだ。
組織の内部の人か外にいる人かはこの「割り振り」にどれだけ敏感であるかにかかっている。
しかし、インサイダーがうまく業績を割り振りしないと、内部の人間は「ストライキ権」を行使してアウトサイダーにその内部の割り振りが機能していないことを訴えかける。
権威がこの時にどれほどうろたえるかは計り知れない。
仕事を辞めてもらう時にどれほど従業員が「お金」を楽しむのかも知る必要がある。
ストライキ権によって「業績の割り振りの失敗」を外にアピールするから上司は「自殺してしまえ」という「恐るべき発言」をするのであり、ストライキ権を行使しないで黙々と仕事をする人には上司は案外寛大なものなのだ。
業績といっても「どのような気持ち良さを男女に与えたのか?」というものであるが、それを熟知している「権威」には案外、敵が少ない。
男らしさを語るのが女の仕事ということをよく理解し、男たちにしたがわせる法律の優位を理解している権威は職場の構築に成功したものとして尊敬されていたのだ。
キャリア・ウーマン。

その権威を警察組織などの「法律」が完全に優位する世界でクビにするためには世論を交えた大法廷を開かなければならない。
黙々と仕事をする人の「代わり」なんてなかなかいないという事もわからずに発言すると権威は一気に失墜する。
快楽を撒き散らすのが仕事ということを知っている政治家のクビを飛ばすのならばなぜ自分が権威だったのかをよくよく考え直さなければならない。
大学を卒業して連邦政府に任官してからそのことに気がつくのにどれほど時間がかかったであろうか?
農作業をやるのにはハードコアポルノが必要と悟るのには時間がかかる。
悟るのであればホモではないだろう。
なぜ時代劇に上下関係があるのかも、女たちはその男の発言から学ばされたのだ。
「誰があなたたちのボスなの?」と女たちが言いよるのならば、そのような黙々と仕事をする男ですと答えるしかない。
組織どころが警察組織ならばなおさら、そのことは理解する必要がある。
「何が人間を動かしているのか?」ということを知らないといけない。
内閣総理大臣など怖くない、しかし天皇陛下は別、という警察においては、明治天皇以来の「アマテラス」をよりよく知っておく必要がある。
発言に気をつけないと年寄りや病人が黙ってはいない。
天皇退位。

士気が高いのはどの組織も同じであろうが、肉体労働を管轄する農務省がいちばん分かっているかな?
キャリアを積むというのはそういうものだ。
しかし、アナルセックスなどのヘンタイプレイだけはなんとかして!という憲法はしっかりと理解しなければならない。
ホワイトカラーで所属のバッジを見れば、だいたい理解力は分かる。
しかし、お給料がいちばんわかりやすい指標だね。
何にも考えていないようなサラリーマンでも、「男ぶり」を発揮して女たちに快楽を撒き散らしているからだ。
ポルノビデオなんてもう飽きたわ。「男ぶり」が見たいのよね。
警察組織も「事件、事故」を処理するたびに「一人ひとり女性ファンを作っていく」以外にモチベーションはないだろう。
ファンが増えたかどうかはランチの早番か遅番でコントロールするしかない。
テレビではひたすら「刑事もの」が放送されていた。
ホワイトカラーは「現場の人間」よりも給料が安かった。その地位を守るためだ。
踊る大捜査線。

「政府の仕組み」の全体を把握している権威でも人間であるから、自分の地位を脅かそうとしたものに「自殺しろ」「勉強だけの男」と言ってしまうことがある。
もし、その部下が男らしさを周囲の女たちに知られていたのならば、社長退任ということになる。
地位の高い者は常に「面白いこと」をやりたがっている。
しかも、ヘンタイプレイとは異なるノーマルなセックスを望んでいるから出世したのだ。
履歴書など誰も恐れてはいない。
「分かっていること」を恐れているのだ。
絶対的な権力は、絶対に問題を起こす(腐敗する)といわれる理由もノーマルなセックスを好むものが地位が高いことに由来する。
権威というものは「社会の支持」を背景にしている。
言葉の序列が社会の序列とも言われるが、社会の序列はそのまま組織に持ち込まれる。
権威の役割を果たす人間は常に多数派を占めることになる。
女たちがヘンタイプレイを嫌うという主権をよく理解したものだった。
また、日常こそが女たちの快楽であることも理解していた。
「すべての道はローマに通ず」とも言われ、すべての専門職は「性」の問題に戻っていった。
陸海空軍の最後の軍事法廷は大統領(天皇)が担当した。
音楽作品のどこに位置付けるのかを学んで欲しかったのだろう。
「権威」には自信を持って欲しかったのだ。
しかも、資金集めが仕事だったからね。
すべての男たちが従う命令なんてものはそのように作られていた。
しかし、命令すら「幻」に過ぎなかった。
すべての部下たちが勃起する必要があったのだ。
そうでなければカサブランカのように天皇のために死ぬ男はいなかった。
兵士のためにお金を払う必要があったからこのような仕組みを作ったのだ。
中森明菜 リフレイン。

部下が働くのは慈善事業ではない。
出世の階段とはどのようなものかを明確に示す必要がある。
権威が何を考えているのかは常に発信しなければならない。
上層部は皆、大統領(天皇)と同じような力量を持っていた。
離婚を繰り返すような奴は底辺にいた。
中華帝国でもフランスでも「文学に詳しい人」が上層部に出世した。
高校の先生などはアメリカでは普通に役人として戦力になったのだ。
最近まではロースクールも「政府の実態」を知らなかった。
大勢の人を見た精神科医が政府の要職を占めていたのだ。
カレッジトレーニングをどのようなものにするのかが問われた。
大卒はキャンパスライフを経験しているから「警部補」のようなジュニアからキャリアを始める。
若くて健康であることが一番重要だ。
2年間は現場の女たちの「男らしさ」の話し合いに揉まれてもらいたいんだよ。
キャリア組というのはそういうものだね。
河合その子 恋のカレッジリング。

視野の狭い仕事には「男らしい人」がなかなか入ってこない。
キャリアシステムの構築が困難なのだ。
つまり「視野の狭さ」が男らしさとは何か?を見失わせるのだ。
競争もゆるいために海軍などでの経験が必要だっただろう。
世界に通用する天才となどのようなものなのかを理解しなければならない。
そうでなければ生涯その職場に身を捧げようとは思わないだろう。
ルーズベルトは1939年にマクレイシュという文学の専門家を仲間に加えた。
これが農務省や財務省にどれほどいい効果をもたらしただろうか。
だいたい35歳から40歳の間に「どの程度の男か」は分かる。
「一般行政」と呼ばれる「選ばれた男の振る舞い」を身につけるのは視野を広くもてる職場で働くことだろう。
皇室専門家。


【壮大なテーマとしてつづく】

2018年2月13日 (火)

ブラックホールとホワイトホール。

女には現実の局部と、想像上の局部の二つがある。
二つの局部はイコールであり、同じ快楽を男にもたらす。
議論するための局部、後悔するための局部、仲間を作るための局部など議論が多様であるために、ブラックホールではなくホワイトホールであっても十分に気持ちのいいものなのだ。
CoCo メロディー。

ホワイトホールを見にきたのに「四文字」をアイドルに叫んだらみんなでボコボコにした。
ブラックホールとホワイトホールについてどのように向き合うかは人生の方向性をも決めてしまう。
「もう、アイドルは愛せない」と言い出す者もいた。
おニャン子クラブ じゃあね。

男にとって最も理想的な「ホール」の使い方の研究はすでにアメリカに存在する。
しかし、この議論をする上では「どの立場にも中立的に」振舞わなければならない。
そもそも「ブラックホールとホワイトホール」という議論が存在しない国もある。
ジャービス・トンプソンは「その女の子の子供を讃える」議論であるとしている。
それだったら、その子供が読む「本は素晴らしいね」と言っているのと同じだろう。
このことから「勉強しすぎたらセックスしたのと同じ」だとされたのだ。
誰と愛し合い、どんな友情を作り上げるのかも「読書」にかかっているだろう。
ホワイトホールは、より複雑な快楽を意味するのは事実だ。
ブラックホールと関わって強烈な悔いを残すことがあるのも事実である。
CoCo 優しさに帰れない。

複雑な人間模様を知り尽くしている「いとこ同士」が気持ちいいのも事実だ。
属する階級やメンバーが決まっているということも指摘できる。
そこで「女性の局部」のことを日本国では「価値」と翻訳した。
さらに「快楽」とは「複雑すぎてよくわからない」ものとされた。
ダイアナとセックスしたい奴はウイリアムの発言を聞けとも言われた。
ウイリアムの言葉に複雑性を期待しているのだ。
人間というものは不幸な男よりも幸福な豚が好きなものだ。
不幸な男は読書をするかもしれないが、幸福な豚は本など読まない。
このあたりに「セックスへの後悔」の秘密がありそうだ。
意思が弱い幸福な豚の気持ちを味わったことがあるだろう?
ribbon さよなら。

女性の局部と向き合う時には「意志の弱い幸福な豚」の気持ちを経験させられるということをどんな強靭な男も理解しておく必要がある。
世の中は男だけの世界ではなかったことを思い知るのだ。
この議論が展開されると、一神教の立場から「こんな議論はメチャクチャにしてやれ」という動きが起きた。
祝福を受ける男の子とそうでない男の子がいるだろう。
女性の胸に刻まれる男の子とそうでない男の子がいるだろう。
このように語られ、どうしても「我々の神は特別だ」という主張がなされるに至った。
セックスで悔いが残るのは「幸福な豚」のせいではなく「残念な男」のせいだと言われたのだ。
ribbon Virgin snow.

また、絵を描けば美しいものとそうではないものがあるし、知識においては知っているものと知らないものがあるとされた。
言論界だけではどうにもならない「子供の美しさ」が語られ始めたのだ。
しかし、どちらも「作り出すことが可能である」とされている。
結果として「自分にないものが欲しければ女を抱け」と突き放される羽目になった。
どの女から最も快楽を得たのか?と言われると困るが、「盲目に突き進んだ」女とのセックスだけは気持ちよかった。
それしか明確ではない。
「説明しきれない複雑性」が快楽につながったのだろう。
工藤静香 奇跡の肖像。

しかし、「気の合う人」としか女はセックスをさせないだろうと批判されている。
「処女の知恵」というものも考えられた。
黒い瞳でじっと見つめるだけで男は「比較される」対象と化してしまうとされたのだ。
一方で、処女の方も「あまり男に多くは望んでいない」とも言われた。
処女には「知らない経験はない」とされているが、男がどのような快楽を経験するのかまでは分からないという現状がある。

これらの議論を踏まえて、どの女を「チェンジ」してどの女に金を与えるのかという議論が生じる。
これを語るためには「お金というものはどのように生まれたのか?」を語らなければならない。
テーマは「グローバル化」である。
お金を払うのならば自分の部屋をグローバル化したいという願いが男にはあり、「自分にはないものを持った女」を買いたいというのはお金の起源にも沿ったものとなる。
白人がヒスパニックを買う比率はかつての5:3から6:2に減っている。
アメリカ合衆国全体の人口変動の中で、国そのものがグローバル化すればお金を払ってまで買おうとは思わないものだ。
グローバル化が見つける結論のことわ「ベースライン」と呼ぶ。
子育てやマーケット、金融政策、公的資金の投入などに用いられる議論がベースラインであるが、女の子供の気持ちとか「残念な男」「幸福な豚」などの議論がさほど必要ないのが女を買う行為である。
ここから、売春のマーケットは「性欲を満たせる」というだけでなく、何らかの話のネタになるという側面も入り込むことになった。
ゲームが成立するのならばチェンジはしないだろう。
税金のないデリヘルの世界でこそベースラインは見いだせるのであり、デリヘルの世界では日経平均株価より高めの価格設定がなされている。
お金があるのならば世界を広げたいとどの男も思っていた。
お金が絡むとどうしても「グローバル化」というものを考えなければならないのだ。
しかも、税金がかからないのならば、日本政府が取るべき様々な政策の「ホンネ」があぶり出されるのだ。
税金がなければこそ見えるホンネをベンチマークとも呼んだ。
デリヘル。

ジョン・オースティンは、民法のパンデクテン方式や刑法など、今の日本の法学部で教えているものを大学で講義していたが、学生がやる気を失うのを見た。
法律というものがあるとすれば、彼らに学ばせるのにお金を払わなければならず、その上で義務を果たさせ、妥当な結論を模索していく、これをHLAハートから学んだ。
貧乏な苦学生には法律学は向いていないとしたのだ。
社会で常に多数派に身を置き、トップダウン式に「見解」を書いていく学生が力をつけていった。
常に国会の情報を法学教室やジュリストから得ている学生が「見解」を書いていく作業をリーガルポジテイビズムと呼んだのだ。
法律は常に命令を含んでいたし、男らしくなければ書けなかった。
女たちの略奪愛の対象になるほどモテた。
金と女をふんだんに使わないと法律学の成績は伸びていかないだろうと考えたのがジョン・オースティンであり、パンデクテン方式や刑法と言ったお固い学問の別の側面を明らかにした。
人を従わせる男を女たちが奪い合うのは当然であったが、それは国会という権威に限りなく近くなければならず、情報源を選ぶ必要があった。
常に行政や実務家に対して「彼らがほとんど接する機会のない権威」を語る必要があり、そのような男に金と女が与えられなければ「法律家」というものは育たなかった。
あなたにホームシック 酒井法子。

そういう意味ではフェイバーシャムのシモンのように、法学部に入る前から「勉強ってのは常に仕事なんだよ」と語る論客は昔からいた。
実務家や行政に「見解」を示すようになるのは法学部に入ってからであるけれども、それ以前の「勉強」の段階から周囲に「正解」を語り続ける必要があった。
マグヌスとアクィナスは何が違ったのだろうか?
「人々の噂」が違ったのだ。
大人たちに通じる「権威」というわけではない「勉強」でも「あいつは手強い」という噂になって女の子の取り巻きに囲まれていたのだ。
そこで「いずれは立派な見解を書くようになるんでしょうね」と思われたし、実際に「学校知」の世界ではすでに見解を書いていたのだ。
絶対解ける問題 松浦亜弥。

アンスコムのように、広島や長崎への原子爆弾投下を「無防守都市への無差別攻撃である」としながらも「敗戦国としてと立場上、損害賠償請求は放棄される宿命にある」という見解を書いてトルーマンの行為を論評する者もいた。
こんな基本も人々は知らなかったのだ。
アンスコムは「常に悪には二重の説明が必要」と語った。
見解が採用されるというのはそのようなものだった。

若者にとっては偶然起きることでも、大人の側としてはそれは若者のチャンスではなく大人がそのような方向に誘導したものであることがある。
不確実な要素は若者がこなしていかなければならないが、大雑把な方向性は大人が見ている。
この世の中に「バックのいない丸裸の若者はいない」と言ってもいい。
一人で抱え込む必要はない。
たとえバックの大人が死んでしまっても「噂」など様々な仕掛けを作って守ってくれている。
有名になるというのはそういうことだ。
時間が経つにつれコイントスが当たらなくなることはあるだろう。
それでも「時間」が与えられるだけでもありがたいではないか。
下痢をするだけでも若者には可能性がある。
有名になったときのことを思い出してみればいい。
自分を祝福してくれた人が自分のバックなのだ。
たとえ年寄りで見た目が冴えなくてもどんな力量を持っているかわからないよ。
かつての自分を取り戻そうと思うのであれば、自分を祝福してくれた人について研究してみるといい。
自分に起きた「偶然」はもはや偶然ではなくなることがあるのだ。
苦労が必要なのは事実だけど、それだけでは今の自分はないよ。
誰だって似たような苦労はしているからね。
100%の恋人 酒井法子。

カントは頭が良かったし、ヘーゲルはイケメンだった。
この二つが合わさった時に、バトラーやヒュームやリードと言った敵ができた。
敵のいない人などいない。
しかし、みんな「大人のやり方」をしたから歴史に名が残った。
頭のいいイケメンが「女の落とし穴にはまらない」ことを知っていたから、彼の敵は本当の意味で哲学を発展させた。
「僕はより完璧な人間を目指す」などという頭のいいイケメンに周囲は何を語っただろうか?
「人を愛するのには苦労が必要だね」という決定論を主張するのは基本だった。
「机上の理論だけではどうにもならないことがある」という人生の含蓄を語るのも基本だった。
いずれにせよ、頭のいいイケメンが快楽をより複雑な形で求めたことに周囲は好感を持っていたのだ。
「仲間を作ることを忘れないでね」
それだけ言いたかったのだろう。
自分以外の人間は勝手な動きをするけど、自分以外の人間を大事にしなさいとしか言えないのだ。
みんな「いい友達」を演じてくれるものだよ。
カントが「どの女でも落とせる」学問を完成させたら、女たちが踊り始めた。
若い世代にメッセージを送ったのだ。
学問ってのは素晴らしいものよ?
「人を愛するのには苦労が必要」
女たちもそのように考えて、ロマン派の時代に突入した。
恋するフォーチュンクッキー。

2018年2月12日 (月)

組織の序列。

基本的に、組織というものは「勉強により序列を決めている」とされ、その勉強とは「文学の素養」である。
子供のことや、妻のこと、職員のこと、活動家のこと、組織全体のこと、悪口を言わないこと、環境がいいこと、見た目がいいことなどから序列というものは決まる。
恋した従姉妹がいるなどの「詩ごころ」などからも序列は決まる。
下っ端からトップになるまでの「偉大なる若さ」というものはだいたい想像がつくものだ。
ウォークマンやiPodが好きで好きでというのであればトップにはなるだろう。
当意即妙の答えをすることが必要だね。
音楽作品の真の意図を探っていく作業は組織の全体を見渡す営みだ。
乙女心の自由形 おニャン子クラブ。

音楽作品を聞くとスタイルが良くなるし、組織というものを分析できる。
大事なのはYouTubeなどのレイヤーケーキを作ることだったし、メカニックを整備することだった。
バカをやらかしているようでいて「大人たち」が作り出している仕事なんだよ。
ケメニー・オッペンハイムが構築した世界だ。
職場の人間(女たち)の怒りはすべて詩にしてある。
「ああ、あの詩のことか」と思えるようになれば、ワンレベルからツーレベルまで職場の理解度が高まる。
あとはサードレベルと呼ばれる「仕事」をするだけだ。
何が成功で何が失敗か分からない職場では鼻歌でも歌いながら仕事をするしかないだろ。
YouTubeというレイヤーケーキだけはどんな災害があっても死守しなければならないね。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。



このようにして都会というものはできた。

レイヤーケーキによって人類が発展したのかどうかは実は分からないのだ。
昔の方がうまくいっていたのになという側面もある。
性の描写が露骨になったために、女たちがよく喋るようにはなったね。
AV女優とは区別してもらいたかったのだろう。
その言葉に耳を傾ける必要がある。
ロバート・マックロイのようなニューウェーブは「女たちが組織の序列を決めている」とした。
しかし、教団のトップのいうことを聞くものは少ないね。
あまり統制が担保されていないことが多い。
まあ、しかし「自由に研究できる環境」に感謝するしかないね。
天皇の仕事の現状なんてそんなものなんだ。

マケドニアが、ローマ帝国にギリシャの領土を譲って、ローマ帝国はかなり広範囲の普遍性をもった国家になろうとしていた。
紀元前1世紀のことだ。
エジプトの牧師であるマネトが「出エジプト記」を書いて、ローマ帝国の無知と悪意をイスラエルという理想郷で撲滅しようとした。
ギリシャはローマ帝国のもとで「我々はアレキサンドリアの者だ」というアイデンティティのもとで地方自治を委ねられたに過ぎなかったが、エジプトもギリシャも「イスラエル」という「思いやりに満ちた海岸線」を見ていた。
国づくりのプログラムが39編書かれ、法律が12編書かれ、なぜ思いやりに満ちた海岸線が必要だったのかが6編書かれ、歴史が4編書かれ、哲学が5編書かれた。
アレキサンドリアのキャンパスのユダヤの若者から見れば壮大すぎる課題であり、ストイックなモーゼからプラトンは詩を学んだとも位置付けられた。
ユダヤ学生の代表格であるモーゼのために詩は書かれていた。
ギリシャ哲学もいつしか「思いやりに満ちた海岸線」であるエルサレムを見るようになっていた。
しかし、お行儀のいい学生にはない野蛮さと暴力はエジプトから持ち込むしかなかった。
ローマ帝国が普遍性をもった広域支配を望んでいたので、ギリシャとエジプトはこのような「ヘレニズム」を作り上げてイスラエルを完成させた。
「神が見える街」とも呼ばれた。
聖書を完成させるためにはローマ帝国の誕生が必要であったし、ギリシャ哲学がその存続を望む必要があったし、エジプトの政治力が必要だった。
何事も存続をかけるためには「女たちの支持」が必要だった。
女のからだのことを「ロゴス」と呼び、のちの哲学者はロゴスのことを「理性」と呼んだ。
ローマ帝国の勃興により存続をかけたギリシャ哲学とエジプトの関係はプルタークを読まなければ分からないだろう。
街を作る上では「神の宿る場所」の存在は必要不可欠であり、アダムとエヴァのような男女をそれぞれ祀らなければならないとされる。
ホメーロスもヘシオドスも男女を詩にしたことから、聖地巡礼は「詩を心に秘めながら」行うものだった。
また、「パンドラ」と呼ばれる大学も必要だった。
サラと呼ばれる女の指導者と、ハパックスと呼ばれる金庫番が必要とされた。
モーゼのような修行者は歓迎されたが、それ以外のものは非常に統治者としては批判的に見られるのが男というものだった。
ストイックな男は「何かやってくれる」という期待感を持たせたし、女のからだは魅力的だったのでこの二つを祀らない街はなかった。
この「男」「女」をより複雑な形で祀る必要があったのだ。
神が愛するのは女たちであったが、その法則を勉強するのは男たちであった。
5日目に神は人間や鳥、動物を作ったが、6日目に「人間だけは神に似せて作ろう」と言った。
アダムの帰る場所に女を作り、子孫を残させた。
女のからだはこの時に魅力的なものになっている。
トーラーはアブラハムの父であったが、天国と地獄の他に常に六つ進むべき方向を示していた。
思い込みによってがんじがらめになることは人間にはなくなったのだ。
ストイックな男に「タコの足を忘れるな」といって回った。
なぜ、創世記で神はエラを殺したのだろうか?
童貞のまま殺したのは「女心そのものだから」だとも言われている。
勉強しすぎたら「セックスしたのと同じ」状態になる。
フロイトを知っている時点で女を知らないとは思われなかった。
モーゼはストイックに生きて、途中でやる気をなくしている。
先生を見失ったらかなり破廉恥な生き方をするようになる。
モーゼがどこでやる気を失うかで一神教の限界も見えるのだ。
街が破壊されても復旧させる力量を持つものはモーゼしかいなかった。
エラのように「女心に詳しい男」を神が殺したのは街を二度と復活させないためであったことを思い知ったのだ。
固体、液体、肉体を自在に操るのは「女心」だと思い知ったよ。

ギリシャ哲学というものは、ペロポネソス戦争やペルシャによる侵略との戦いをアテネが経験したことから、「セックスとは奴隷のもの」という発想を脱して、歩兵であったソクラテスの恋愛経験を詩にすることから「やはり民主主義は素晴らしい」という共通認識を作っていく物語である。
いずれにせよ今日の日本の歌謡曲のように「セックス」をテレビでオンエアできるようになったのもギリシャ哲学の恩恵であると言える。
顔が赤く酒焼けした年寄りであるソクラテスを、人々は避けて通った。
かつてアテネを帝国に導いた一兵卒であり、民主主義を定着させた男だったからだ。
「人間は見た目ではなく内面である」という考えはアテネが発見したものである。
哲学の誕生であり、キリスト教の誕生の秘密はここにある。
藤本美貴 大切。

このことからキリスト教社会にビッグマネーがもたらされた。
セックスについて赤裸々に表現すると男同士が喧嘩したり、女同士が譲れないものがあることがわかり、フィヒテはribbonというユニットをプロデュースしたのだ。
コンセプトは「女を知らない従兄弟」と「男を知らない従姉妹」の二つを「出発点」にすることだった。
ribbon 愛してジャスティス。

ひたすら「純粋な私」を表現することが大事だった。
それは家庭内に「恋愛対象」を持ち込むための教義であり、どの男女も経験することだった。
男の子や女の子が「私」に目覚めるのは親戚が遊びに来た時だ。
彼や彼女とセックスをしないことが「私」をなくすことであり仏の心とも言えた。
「どの女も口説き落とせる」という「悟り」に対して従姉妹の女の子は「簡単すぎる答え」だったのでセックスはしなかった。
しかし、いい「心の風景」を作るためには可愛い従姉妹は必要だったのだ。
ribbon 3つの願い。

いとこ同士でセックスしたら何が起きるかは知っておいて貰う必要がある(必要性)。
「簡単な関係」に危険性はあるし、そこには「どの女も口説き落とせる」という悟りの境地はなかった。

コーヘン・スペッカー理論というものがある。
子供と親との類似性はベルの不等式のようにほとんど成立せず、親が周囲に「贈り物をする」ということ以外に子供の成功は見込めないというものだ。
「愛情というものは財産である」とも言われる。
それはもはや「好き嫌い」を超えた感情である。
適当に子供の向き不向きを見て応援してやることしかできない。
応援してやる側も「いつか何か分かってもらえれば」と思って応援する。
自分の生活空間(ヒルベルト空間)で行った悪事などすべてが許される気がするのだ。
応援する側とされる側にはほとんど勝ち負けのない日常だけがある。
しかし「私は突出してしまった」という罪の意識がのちの世代への応援につながっているのだろう。
どうにかして身内のバランスをとらなければならない。
このことから自然に身内の幸福に「おめでとう」と言えたのだ。
コーヘン・スペッカー理論はこのことから「あの人のお孫さん、あの人の息子さん」という形でその人の力量を見ることを約束させたのだ。
酒井法子 エアー〜サラダデイズ。

恋を追い越すという行為はそれほど傑出したものをもたらすんだ。
イギリスでこのことをアンソニー・レ・グランドは明らかにした。
フランシスコ修道院の面目躍如たるものがあったのだ。
オックスフォードやケンブリッジは彼らが作ったものである。
恋を知らずに何かに熱中した者たちに与えられる教育がそこにはあった。
若者の世界にもいじめというものがあった。
恋を追い越す奴はいじめられて潰された。なぜ君が物事に熱中できたかは大人の側も本当は理解できないんだと周囲は語り合った。
そういう奴とは「心と心」で語り合いたいというのがオックスフォードやケンブリッジの考えだった。
しかも、多くの「専門職」を用意していた。
酒井法子 恋と愛のニュアンス。

デカルトの「恋の発見」は、女の子たちのセールスにつながったことから株式市場もできたが、一方で、そのことと男の子がどう向き合うかが問われ、エリートというものをごく一部の者たちの集団としていた。
6+4=10だとしたら、恋は4の意味をもった。
4の楽しみってなんだったんだい?それをオックスフォードやケンブリッジは聞いてまわったのだ。
デスガベッツは、恋の見方は遺伝しないとしている。
親が熱中したことに子供は熱中したくないと考えていたし、それは親の性の問題から目を背けたいという子供の心理と同じであった。
「頑張りすぎない親」がいちばん強い子供を作った。
好きになってもくれない。

2018年2月10日 (土)

宮内庁廃止について。

宮内庁には、天皇明仁が高校卒業と同等の扱いであったため、平成に入ってから「国家3種」試験の合格者を採用してきた。
高卒が取る資格であり、どのような問題文かは公表されていないが、おそらく右の文章を左に書き写すというようなものであろう。
そのような連中が作る皇室特番のつまらなさ、そして書籍のつまらなさは周知のとおりである。
そして、私、小野光太郎がリクルートメントされた時も、「そのキャリアを抹殺する」ことを悲願としていたのが宮内庁だ。
私のかつての六畳一間の部屋を「豚小屋」と陰で呼んでいたり、私がノーベル賞を取った時には「千石さん」と陰口を叩くなど、とにかく人生でいいことが何もない連中だった。
天皇明仁は神奈川県の津久井浜に追いやられ、皇后美智子は浦賀で一人暮らしをしている。
皇居にはヘーベルハウスしかないのだ。
そんな彼らに私は「小野棟」というビルをプレゼントしたり、本ブログの印税数千億を送金したが、それでも手元に残った「著作者人格権」に基づく資金まで横領しようとして、私を再び政治犯収容所に入院させようとしている。
2年程度で築き上げた金脈を没収しようとしているのだ。
宮内庁は「皇族を身ぐるみ剥いですってんてんにする」のが仕事なのだ。
私は現在も身体の激痛に耐えたり、意図的な咳、そしてダブルトラックの無線のやりとりに耐えている。
秋篠宮や徳仁など各皇族は「お手元金」などもらっていない。
みんな生活保護なり障害年金をもらって生計を立てている。
明仁も美智子も生活保護だ。
宮内庁は皇族のエージェンシーでもなんでもない。
三笠宮彬子女王の年金をおろしたのも私だ。

私、天皇光太郎の結論。

【宮内庁を廃止する】

2月10日(土曜日)

小野光太郎緊急声明。

三浦海岸のさくら祭り。

【まるで薬を食べて生きているようだ】芥川龍之介。

駅の改札を降りると、マグロが売られている。
DHA(出産が飛躍しており、しかし、祝福がある)が含まれており、歴史への耐性をつけ、花粉症などを治してしまうのがマグロだ。
クフ王、などの王の間を行ったり来たりするならば、ストラドリング魚種であるマグロを食べよう。
アジは、クレオパトラ。
トロまんは、歴史との和解がテーマだ。
しらすは、背の高い女性や、小顔にした女性が出産したときのトラウマを癒す。
女の美と権力の関係を示す、レディーマクベスの物語。
性病なんて野菜をたっぷり食べてれば治るんだよ。
クジラのベーコンは「目的を持った生き物を食べる」というハンター(オカマ)の美学。
左目が良くなる。
腋臭には、ニンジンが有効だ。試食もできる。
ところてんは微熱を下げる。
海藻は、酸欠状態に耐えて生きてきた。
つまり、統合失調症の「寛解」とは、海藻をいつ食べるかであり、家族に見捨てられた病人への福音だ。
実のなる果実は、男の労働。落花生、イチゴ、イチジク、あんず。女を豊かにするために男が育てる。
本来、女は実のならない木を好む。
日本酒は和をもって尊しとなすものだし、焼酎は悟ったものが飲むもの。
悟れねえなと言いながら歩いた。
ワインは鉄と革の学問。
大航海時代は、鉄と拳銃と羅針盤によって始まった。 
三浦弁当は、豚肉で内蔵を治し、卵で人間を洗練させる。
大根のおでんは三浦海岸で人々が和解する食べ物。
饅頭や、おはぎは小豆が使われており、島で男女が本性を見せるというアンコを堪能できる。
干物は、太陽が女性に見える国で作られた食材だ。
豆腐は足腰を強くする。
女たちはさくらを髪に乗せて美を競いあったが、男性社会で花言葉を用いて生きていこうと決めた。
焼くのは文化を感じるためだし、生は自分の敵について考えるためだし、茹でる煮るのは和解するためだ。

かわいい子がいたら「君のことを日記に書いていいかい」と話しかけよう。
そのような人は、非常に社会に対して前向きだろうね。
【MV】心のプラカード / AKB48[公式]

2018年2月 8日 (木)

日蓮の師匠。

スリーハーサが12世紀のインドにいて、日蓮の師匠と位置づけられている。
アーリマン(悪の神)ではなくブラフマン(善の神)にだけ目を向けて、ヴェーダ聖典にしたがって、悪からの「あまい拒絶」を行うことがその教えだ。
ブラフマンにしたがっていれば癲癇の治療にもなるし、「お天道様の下を歩ける」と考えられたのだ。
善の研究であるアドヴァイタベダンタと悪の研究であるニャーナバイセシカを基本にその哲学は完成に向かった。
悪のシステムはニャーナシステムと呼ばれて体系化されていた。
あとはそれに対して「あまい拒絶」をすればいいだけだ。
「良いもん」にしたがっていれば知ることができる、モテることができる、逃げることのない強い男を作ることができる。
ニャーナシステムは「悪役も必要」という思い込みを年寄りにもたらしてもいた。
嫌われる方法など山ほどシステムとして存在したのだ。
悪役商会。

【知ることを許されたものを定義する】
この作業は9世紀からインドで進んでいた。
とにかく「勃起」の仕方とか色々なものから判断するしかない。
女に対して抱いているイメージを見ながら、その男の才能を見た。
CoCo メロディー。

男女を多数、交えた激戦区で勝つことは信仰にとって必要なことであった。
「良いもんが勝つと信じている」からだ。
必要なのは「入り口」を作ることだった。
勝ったものが自由に教えを描くことができるからだ。
多くの女たちの祝福を受けた男の発言に耳をすませていた。
【祝福】
それだけで教団での影響力は約束されるのだ。
「勝ったものが強いんだ」とも言われた。
勝ったあとに人間というものは化けるものなのだ。
運の良さなんて考えてはいないよ。
「知ることに目覚めたのか?」だけを見て判断しているんだ。
知ることに目覚めていないのならば、ニャーナバイセシカのシステムに乗せて振るい落として行くだけだ。
勝手に腐っていくもんだよ。
【勝つことは人にチャンスを与えること】
そのためだけに応援していたのだ。
ウマはキャスターから情報をもらっていたし、ウナはポラックスから情報をもらっていた。
あとは二人に問題に直面してもらうだけだろう。
どっちがより「大人の対応をするのか」だけ見ていればいい。
【知識のないものはすぐに怒鳴るのがわかる】
怒らない奴には何も教えることはないという六道の教えはここにも生かされた。
CoCo 優しさの法則。

女に対しても「あまい拒絶」というものを行う男がいい。
男の伸ばし方も潰し方もニャーナバイセシカに書いてあったので、本当に見込みのない男は容赦なく潰せた。
女への人当たりで判断するのがいちばん「勘違い度」を判断するのに都合がいい。
要するに「勉強するつもりはあるのかな?」というあたりで女への態度は決まっているからだ。
「この男は却下」と判断したらニャーナバイセシカの路線に乗せて潰していった。
ニャーナバイセシカの罠にはまって立ち直る兆しがなければ放っておくしかない。
必ず自分を見つめ直す機会が設けられているのだ。
「誰よりも男らしい瞬間」を見せるようにできている。
女たちには分からない「器」があったのかもね。
そう思われた時に何かが許された。
「勝ちたい人は大勢いるでしょう?」という問題と直面したが、「勝った人の話をよく聞いてもらう」しかないでしょうね。
キャスターからの情報は役に立つということさえ分かっていればいい。
自分をとにかく低く低く見せて、勝ち続けてもらいたいわ。
女を怒らせたらニャーナバイセシカが待ってるわよ。

16世紀にルクレツィア・マリネラは、「女の方が団結力がある」とし、「女の強さ」を指摘した。
Melody Let me cry.

ルクレツィアは、ベネチアアカデミーで知性に満ちた男たちと接する機会があったために、若者の可能性を見極めることもできたのだ。
中世のベネチアやミラノは「女の街」だった。
女たちの支持がなければ村八分にされるのが若者の宿命だったのだ。
もちろん、あくまでもキリスト教の街だったので、散々苦労した若者の「復活を待つ」という発想はあった。
散々、無礼を働いた若者でも復活したのならばメディチ家と引き合わせた。
メディチ家にはアグリッパのように、若者の苦労を知り尽くしているものがいたのだ。
過酷な修行と荒れた日々、そのあとに復活があることはベネチアアカデミーもよく理解していたのだ。
ルクレツィア(レディマクベス)の男遍歴とは、どれほど多くの若者をメディチ家に引き合わせたのかを語っているのである。
このような「女ネットワーク」が張り巡らされなければ、女は強いとは言えなかったし、かつては男子と同じ勉強をしていた女たちに救いが与えられることもなかったのだ。
女たちからの村八分はすべての若者の「復活」を女たちのものにするためのものであった。
おばさん連中の中には「温かさ」を若者に与える人もいた。
救いのない若者にとって女の「温かさ」が「美しさ」に勝る時があった。
「苦しまない男は醜い」
彼女たちはキリスト教徒だったのだろう。
昔の男女共学の世界での出来事を考えると貴方ははるかに上等な男よ?
権威とはそのように女たちが生み出すものだった。
マグダラのマリアとマリアたちと呼ばれた。
Melody.

男女の世界は国づくりの後に作られたものだ。
最初に国家を作り、その後に男女を作った。
年寄りも生まれ、病人も出た。
男女、そして年寄り、病人によって国家を運営することになったのだ。
これをプラトンは「ユートピア」と呼んだ。
松田聖子 小さなラブソング。

病人を「法」に当てはめていく、これが重要だった。
男にも女にも年寄りにもなれない人間は確実にいた。
病人を「男か女か年寄りか」のどれかに含めていかなければ戦争には勝てないことがわかっていた。
そのために「法」というものはあったのだ。
ゼウスの寺には病人しかおらず、ゼウスは医者として常に戦争について考えていた。
ゼウスはあることに気がついた。
「最高の快楽が病気を作っているのではないだろうか?」
痛みに逆らうように快楽というものは追究されたものだ。
痛みと快楽のバランスが必要なのだ。
二つの頭を持った野獣は快楽だけを求めて生きるだろう。
痛みを与えないと人間は伸びない。
医師免許をもらって「先生」と呼ばれた人が二度と勉強しないのをゼウスは目撃した。
「病人をなくす営みが法である」ことを知っていたアテネのゼウスがスパルタやアルゴス、エッセネを滅ぼした。
アテネは「男と女と年寄りの国」を目指し、病人をなくす、つまり法の奴隷となることによってペルシャも支配することになったのだ。
痛みと快楽の調和を取るために法律書を難しくしたが、快楽を想定して書き記していたため、ストイックな者は成績が悪かった。
ピーチシャーベット 松田聖子。

脳が苦痛をこれ以上、受け付けないほどストイックな男は法を学ぶことが極めて困難であった。
「男と女と年寄り」と世界を作りたいという法の世界から放逐されて病人になったのだ。
自分は男なのか、女なのかを確立していないとすぐに学業不振という形で表現されたのだ。
国家を強くするために「法」が必要と考えたのがプラトンであり、それは病人をなくす営みだった。
松田聖子 マイアミ午前5時。

マグネシアでは、医者がだんだん「男と女と年寄り」を作るための教育を受け始めた。
医者といってもミュージシャンのことだった。
これが法律の世界の序章となっている。
天国のキッス 松田聖子。

法律、そして医学の精鋭たちは「ノクターンカウンシル」を作ってセックスというものを変えてしまった。
男女ともに合体しながら動かずに1時間ノクターンを聞いた。
ショパン ノクターン。

男になること、女になることという法の世界がこれで一気に開かれたのだ。
自分の属する「性」が気持ちよくなければ「神・男」はクリエイトできなかったのだ。
これがユートピアというものだった。
健康や美しさ、富が生まれたのも「法」があったからだ。
「お嫁に行く」という信仰もこのことから生まれた。
松田聖子 ハートをロック。

いずれにせよ「男と女と年寄り」の国を作ることが「法」の目的であり、ゼウスの寺で病人たちが「男か女か」に戻っていくために非常にパワフルな役割を果たしたのがノクターンカウンシルであった。

2018年2月 4日 (日)

詩の世界のヒーロー。

詩の世界の「男のモデル」はトマス・アクィナスだ。

ギリシャ哲学が、大勢の先生がいる中で、一神教に向かった。
男の子は「従姉妹の女の子で性に目覚めている」とし、数学の勉強で従姉妹との距離感をコントロールし、国語の勉強でその関係を詩にするとしたのだ。
しかし、その関係には「盗み、セックス、欺き」の三つの要素を入れなければならないとした。
大勢の男の先生(多神教)の公約数的見解をまとめ上げるのを一神教と呼ぶのであれば、ギリシャ一神教は「自分にとって身近な従姉妹」との関係に「盗み、セックス、欺き」の三つを入れればいいとしたのは間違いなく一神教であった。
従姉妹の女の子を想像して「彼女が」「おちんちんで」「痛みを感じている」というあたりを「盗み、セックス、欺き」の三つの要素で巧みに表現する。
どの男女も「いとこ」という身近なモチーフに共感しているのだ。
あとは「この表現こそが多数派だろう」というあたりにブレイクの秘密がある。
このように多数派工作をするのが詩であるとするのならば「誰一人としてファッショナブルな男はいない」という結論に到達するだろう。
この、ホメーロス、ヘシオドスの奥義を要約するのに成功したキセノファネスは、ギリシャ一神教が「多数派の心をつかむことの限界」も明らかにしている。
「本当にすべての男女の共感を呼ぶ男などいないのではないか?」という神の限界を明らかにしたのだ。

ペテロの葬列。
ペテロの葬列。

このペテロの葬列を頭に叩き込んで、私が「従姉妹のヒロイセとの関係」を詩にしたら、
アルバムが出来ることがわかる。

真夏のフェミニスト ribbon.

SPEED Deep blue & truth.

思い出のアルバム Qlair.

神のみぞ知るハートの行方 酒井法子。

愛の炎 田中れいな。

インディゴブルーラブ モーニング娘。

恋ING モーニング娘。

Sexy Boy モーニング娘。

独占欲 モーニング娘。

赤いスイートピー 松田聖子。

ロックンルージュ 松田聖子。

オリビアを聴きながら 杏里。


上級者編。
ペテロ・アベラードに彼女ができた時のヒロイセの気持ち。
瞳はダイアモンド 松田聖子。

ハートのイヤリング 松田聖子。

悲しみが止まらない 杏里。


従来の詩の作り方。


2018年2月 3日 (土)

プロポーズの世界。

プロポーズとは、男が女に「貴女の局部は私にとって最高のものだ」というメッセージを送るものだ。
ウェディングベル シュガー。

周囲には「貴方は間違ったものを信じているのよ?」という考えも生じた。
「女の心は間違いを犯さない」ということを理解する必要がある。
本来、ストイックな男が、多くの女がいても特定の女に最高の意味を見出す営みを「プロポーズ」と呼んだ。
ペテロ・アベラードはトマス・アクィナスの結婚で自分の妹のヒロイセが泣くのを見た。
「本物の女の局部って何かしら?」
アベラードはヒロイセに「それは男のストイシズムを知る必要がある」と語った。
ストイシズムというのは「おちんちん感覚」と「読んでいるもの」から成り立っている。
宵の明星は明けの明星よりも輝いているものだ。
ストイシズムの輝きは暗闇に向かっているとしか思えない。
山口百恵 コスモス。

セックスの楽しみを知らない男が「プロポーズ」というものをするんだ。
間違った「女の局部」を信じていても構わないんだろう。
誰と結婚しても出世する自信があるという意味ではあるね。
「できない」「かもしれない」が人生から消えたんだ。
それでいいじゃないか。
これからの人生でデスデモナに「オテローは結婚しています」と言わせてカシオとデスデモナを出会わせるんだろう。
結婚とは、本気で自分に惚れている女に男を与えるものだと悟るんだ。
女よりも「自信がある」ということが男には求められる。
「昔のアイツは本物だった」という話から天気予報のように予測できたことだった。
ジェフリー・キングはそのようにして2003年に結婚している。
「昔のアイツ」から多くの人間が目を背けた。
若くして「大勢の上に立つ一人」であることの特徴は「苦労を知っていること」にあった。
アパートの一番いい部屋で女心を研究する機会があるだろう。
なぜ自分が「大勢の上の一人」となったのかは「苦労したからだ」と思っている以上、研究生活は続けるだろう。
間違った発言を多くの人が聞いていたが、人生のブレイクスルーを作った時の話は誰も聞いていなかった。
だから「アイツは間違っている」と周囲は思った。
自慢しないからこそ自信があったのだろうが、誰も知らなかったのだ。
男の決意に委ねるしかないだろうと考え、周囲の男たちすら女々しく見えた。
周囲があまりにも弱く、女々しいので、簡単に自分の置かれた状況は理解できた。
周囲の弱さはかつてはあり得なかったことだったが、歴史に残る男とは得てして「周囲の弱さから学ぶ」ことを身に付けるものだ。
オーガズムにしか興味のない男も女も見た。
デタラメな作り話やありえない話を信じ込んで判断を誤る愚か者も見た。
しかし、話の分からぬ人間を恨んではならない。
あなたは歴史上の人物なのだから。
宵の明星が見た暗闇とはこのようなものであり、間違った人間だけが生きている世の中だった。
高橋由美子 Will you marry me.

周囲の行動原理があまりにも女々しいので「それならば俺は生きていける」と思ったのは事実だ。
「行動原理が不明確である」というベナケラフ問題を引き起こす人間と仕事をした。
偶然与えられた空気の中にある勇気なのか、「今ある勇気」なのかを見極めることができた。
偶然の中を傍若無人に振る舞うものは「快楽」で簡単にコントロールできた。
かつてヒロイセを泣かせたアクィナスが歴史に残った理由はここにあったし、暗闇で何を見たのかをしっかりと書き記したことにあった。
おみくじ 高橋由美子。

妄想というものがある。
コートダジュールに行けば頭が良くなるというのも妄想だ。
しかし、それで食べていける人がいるんだよ。
家族、クラスメート、隣人など、その男をよく知る人がそのような妄想を抱くのだ。
「どうやってなのかは分からないよ。でもインフルエンザは19世紀に流行り始めたんだろ?」
毒物を使用することがさも当然のごとくに扱われたのを見た。
とにかく、今の隣人はテロリストにしか思えなかったし、結婚生活にも恵まれなかったので、海の天才になりたかったのだ。
「自信が欲しい」
そんなことすら諦めきれないものだった。
「頭が良くなった!」というのが妄想なのだ。
自分の身の丈が分からなくなるんだよ。
頭が良くなったというフィクションを認めたくなかったから、身体を痛めつけた。
嫉妬や処刑を常に予感させるのが「頭が良くなる」ことなのだ。
有名なニュースキャスターを長年務めた後に自殺未遂をする人もいるだろう。
コートダジュールで逢いましょう。

一度、妄想を見てしまうと「自信が持てなくなる」から案外、安全なものだよ。
こういう仲間づくりをするのか!と思ってしまった時点で精神病なんだよね。
2000年のDSM-4の頃から実は指摘されていたのだけど、2013年のDSMー5からはひどい病気になったね。
昔は「法律書が読めるようになった」で済んでいたけど、今は「外国語が読めるようになった」というまで酷くなっている。
どのみち「被害に遭った」と騒ぐ奴ほど安全なんだよ。
肉体的強さを増す、美しさを増す、などということをともなったら妄想はますます酷くなる。
モノポリーとも表現される妄想であり、日常生活で他人から「罵倒されている」としか思わなくなる。
女が男になるという妄想を抱いたら「どこからも来ないはずのもの」を経験する。
「モテたい男症候群」にかかったら一気にうつ病になるだろう。
娘たちは「お父さんを愛してしまう」という症状も引き起こす。
さよなら失恋ピエロくん。

トップダウンの命令も、ボトムアップ型の草の根活動も行えるようになる。
指導者を育てるために行うものであるが、地を這うような生活をする現状があり、それで成立してしまう環境に身を置いている。
情報の誤訳はほとんど認められない。
そもそも「自信があるやつについていきたい」から妄想にとりつかれるんだ。
自信のないやつに取り憑いても脳にダメージを受けるだけだ。
妻は夫がいなくなった病院に四年ぐらいいても飽きない。
いろんな「アブノーマルな」検査結果も妻には出てくるし、四年ぐらいを目処に家を建てて引き取ったほうがいい。
妻は夫の翻訳を身内だけのものと考えているが、外に出て人に話してそれが通じた時の喜びは言葉に例えようがない喜びがあるのだ。
悪口の膨大な資料があるというが、強烈な目的を持ったことから、その目的を時間、空間、人々の気持ち良さなどの世界に解き放っただけである。
毀誉褒貶が激しくないとカントを学ぶ境地までたどり着かないんじゃないかな。
カント自身が「恋を追い越していた」からね。
このことを目的的行為論と呼ぶ。
恋と愛のニュアンス 酒井法子。

「君はデカルト的考えをしているね」とは「中学高校で恋をした」という意味であり、「君はカント的考え方をしているね」とは「恋を追い越して周囲から批判された」という意味だ。
カント的考えとはエリートのものだった。
漁り漁られ目的の女もアナルにぶち込まれるのは嫌だった。
ひたすら「女の局部」をより神秘的にするために、そして文明の発展のために私の話を聞いて欲しかったのだ。
ノンケの男は毀誉褒貶が激しいから、そのあたりも冷静に見ていた。
アナルセックスしない男がうしろ指をさされていることに気がついたの。
男はおちんちんが付いている限り宝石ね。
うしろゆびさされ組。

女は「局部」におちんちんを挿入して欲しかっただけだった。
しかし、アナルセックスの存在が男女の世界を豊かにした。
女はアナルセックスを強要する男をどのように避けるべきなのか?
これだけを時間と空間に解き放った。
お腹に人工肛門をつけるようになったら水着にもなれないわ?
「左利きのグローブをつけているだけで怪しいわ」と女たちは語り合った。
「恋のスタイル」はアナルセックスまでは想定していない。
一日中、何の目的もなく生きている奴がホモだった。
シルバーリングに口づけを。

お前はノーマルセックスをする男なのか?
ただ生きているだけのオカマからのいじめがここから始まった。
ノンケの男を実は女たちは奪い合っていたのだ。
他に理由などなかった。
あの痛みだけは勘弁して!
しかし、アナルセックスにエクスタシーを感じる男は、女にもそれを強要したし、「俺を含めて誰のいうことも聞くなよ」というスターリニスト正統派の立場から、人生そのものが相対主義であり、何か特別な口説き文句があるということにも興味を示さなかった。
カントがヒュームに負けた点を指摘するならば「相対主義を知らなかった」ということだろう。
落とせない女はいないと豪語したカントであったが、アナルセックスを女が嫌がっていただけだということを見落としていたのだ。
「目的を持った男」
それだけで女たちはノンケだと見抜く力量があったし、本気になった。
虐待を受けていない男女たちの世界にカントは身を置いていたが、ヒュームはより現実を知っていた。
カントはあくまでも「法律」を重視していたのであり、ヒュームのようにヘンタイ(法律の留保)の世界を知らなかった。
カントは「毀誉褒貶の激しい男はノンケだ」ということをのちにライプニッツから学んでいる。
オカマは、肛門でやらせてくれない女にはフェラチオを強要している。
Wink 愛が止まらない。

「数学が得意だった人」それだけで従姉妹は男の写真を大事に持っていた。
日本では「英語が得意だった人」だというだろうが、ヨーロッパでは端的に「数学」と表現されていた。
男を知らない女の子は「算数を教えてくれる人」にはからだを許さなくても「数学を教えてくれる人」にはからだを許したのだ。
「上達する」
そのことにノンケであることを見出していた。
「私のヒーロー」とは上達する人のことを言ったし、アナルセックスを強要しない人のことだった。
恋をしたことのある女にしかわからないことだった。
横浜BoyStyle CoCo.

2+2=4
俺には彼女がいるから、お前もいい彼氏を見つけろよ。
こんな基本がツーショット写真には込められていた。
数学ができる男とはそのようなことが計算できる男のことだった。
酒井法子 風邪。

2+2=4
お前はヤリマンだから、俺の立場を保障しないだろう。
そんな意味も込められていた。
子供のことまで考えながらパートナーを選ぶのは男の喜びでもあった。
誰とでもやりまくる男は数学ができないとみなされたのだ。
ヒロイセはそのようにして失恋したのだ。
男友達 安倍なつみ。

真理の探究をするよりも「証拠を見せなければならない」と言われる。
政治とは結果責任だ、というよりは「結果」を見せなければ真理ではないという意味でもある。
みんなが待ち望んでいる結果を見せるという意味ではプロレスはそうだろうが、現実の戦いで結果を出すことはもはや拍手喝采の的である。
それでも、学問は「プロレスのように」結果を出せるのだ。
みんなが楽しんでいるととにかく国全体が結果が出る。
何が戦いなのかは分からないが、言論にはそのような力があるのだ。
証拠を見せて 工藤静香。

2018年1月25日 (木)

政治の世界における敵の男。

女の子と話すことをお金に変えていたら、男同士の関係が難しくなるという問題は指摘できる。
個人的な「女の怨み」もあれば、論文を称賛する声もある。
「女友達が大勢いるらしい」という噂と「男同士の仲間づくり」はどのように兼ね合いが取れるのだろうか。
非難と賞賛はそのまま「罰と褒美」に変わる。
罰と言っても悪口を言う程度だろうが、褒美を与えたい男が悪口を言っている男を罰することもある。
「怒りや無知、孤独」などは女とセックスするだけで治る。
しかし、残されたサークルへの怒りは翌日まで持ち越されるだろう。
研究の仕方が間違っていたと言う観点からのアプローチと、女に満足するという観点からのアプローチをするしかない。
研究の仕方が間違っていたと思う者は「悪口を言う」以外の対処法はない。
しかし、自分の女がアメリカ哲学かぶれならば話を聞くしかない。
女に「セックスのおあずけ」を喰らうという形でアメリカ哲学の話を聞くしかなくなるのだ。
これがスキャンロンが考えた「教勢拡大論」であり、女への恋心からアメリカ哲学を支持する男がいるということだ。
B'z 恋心。

支持者の女に頼らなければ男社会の「自分のやり方が間違っていた」という問題は解決しないという現実がある。
しかし、女に頼るということは教団にとっては魔法のような効果が認められるのだ。
からだを使ってまで真理を広めたいのが女であるし、そのこと自体、宗教というのは「教義の間違いが許されない」ものとなっている。
女たちはどの教えを信じようが「譲れない夜」「夢がぶつかり合う夜」を過ごしている。
ここに「女のセックスに頼ることの限界」を見なければならない。
もし「女を愛するためには苦労が必要」だとするのであれば、男の側にしっかりと学んでもらいたいと女は考えるだろう。
愛してジャスティス ribbon.

また、スペックの高い男に対しては女は、本当の女を知ってもらいたくない、セックスで人生を狂わせて欲しくないと考えるだろう。
しかし、女の方がより方法論上、確かなものを持っているのであれば「教えてあげたい」とも思うだろう。
方法論で女の側が男に介入することを因果的決定論と呼ぶ。
「私とやりたくないの?」と言われるものだ。
女の子をシカトして勉強する奴には「女こそが学問でしょう?」と言ってやる必要がある。
スペックが高い男ほどそれが必要なのだ。
急進的で女を排除する思想の持ち主は貧しくなる。
そのスペックでもったいないよ、と言って女が教える必要があるのだ。
CoCo メロディー。

「落とせない女はいない」と豪語する奴に教えることは何もない。
その男のキャリアがどこまで確かなものなのかを女は見極めなければならないだろうね。
カール・ルイスはソウルオリンピックで金メダルを取っているが、危ないことがあっただろう。
ドーピング問題から金メダルを取ったので「政治を背景にした運のいい王子」と呼ばれた。
神が出来事を巻き戻して、もう一度やってみろと言ってもできないだろうとされた。
スペックの高い男にとっては「ようやくモノになってきた」と思うようなものも、キャリアが危なっかしい者は「俺の時代」などと言い出すからね。
夢は決して叶わないだろう。
「金の切れ目が縁の切れ目」とまで言われる。
16世紀の医者は、水に手を浸す習慣もなく手術していて多くの死者を出した。
「遺伝子」という概念がなかったからだ。
要するに「金をやるしかない」という敵の男は確実にいるのだ。
宗教をやっていると「金をやるしかない男」が確実に存在することは知っておかなければならない。
ソウルオリンピック100m決勝。

そもそも、なぜ「敵」なのだろうか?
「恋愛論が納得いかない」からだろ。
秒速200マイルで動く脳があるのならば、癲癇患者は「俺ならば350〜400マイルは動く」と言い出すだろう。
神経の鈍さから見る「幻」とはそういうものだ。
しかし、現実には100マイルも動かずにそのスポーツの世界の観客として戻ってきてしまうだろう。
その世界の技術論を語らせるとたちまちダメになってしまう連中だ。
譲れないのはお互い様の世界で「他人が譲った」瞬間だけを見ているのだろう。
生き方が間違っていたとくよくよしていると女が感じなくなる。
ボルト世界新記録。

女が感じなくなって別れたというのは犯罪の温床になるが、処女はそのような男を相手にすることは2度とない。
ずる賢い奴にはビッチしか寄ってこない。
そのようにしてスポーツの世界にはリピーターが生まれている。
多数派工作の「解釈」にもリピーターがいる。
同じセリフを何度も何度も繰り返しては「多数派工作ってなんだろう」と考える癲癇の患者がいるのだ。
人の心が分からなくなっているんだろうね。
人の心が分からない人がスポーツにのめり込むという現実は指摘していい。
要するに「他人が道を譲った瞬間」だけを何度も何度も暗唱している病人なんだよ。
怒りと落胆の人生であるという現実がある。悪く思わないほうがいい。
怒りながら生きているんだ。
癲癇とはそういう病気だ。
みんなが笑ったり歓声をあげたりしただけで「俺でもできる」と言い始めるんだ。
周囲の反応だけ見て言っているんだよ。
オリンピックが楽しみなのは癲癇患者だけだよ。
アナウンサーの絶叫だけが聞きたいんだ。
顔にコンプレックスがあって頭が働かない連中だ。
何かを成し遂げることはないだろう。
太ることを覚えて休養することからスポーツに興味を失うものもいるが、それが本来の姿じゃないのかな。
女にモテないという社会的制裁は受けているんだ。
子供たちは「大人の犯罪」に敏感だよ。
筒香ホームラン2017.

港湾ヤクザが犯しているのは軽犯罪ではないんだ。
重大犯罪だからヤクザと呼ばれるんだろ。
スポーツにのめり込むというのはそういう意味なんだ。

保守派の真実とは「有言実行する力がある」ということと妻が感じるという所にある。
妻が自分に貞淑であれば妻が読んだ本の話を耳学問にすればいいだけだ。
女にとって意味のあることだけを話すので、それを職場の女の子に話せばいいのだ。
聖母マリアの話は役に立つし、息子のトム(イエス)の教育に関する話も「プライベートを職場に持ち込む」という観点からは夫のヨゼフはマリアの話を聞いていればよかった。
ゲーデルはしかし不完全性定理において「女の言い分だけがまかり通っている」として「男として妻の意見に社会人としての視野の広さを与えなければならない」と考えた。
「母・女の言い分」にうんざりしていたのはトムだったのだ。
ヨゼフは職場で「女の言い分」を話していれば出世するだろうけど、トムの「志」はマリアには分かるわけがなかった。
トムは「ギャーギャーわめくな!」と母を一喝することもあった。
聖母マリアの話だけを聞いていればいいというのは夫・ヨゼフの出世のためだけに用いるべき発想であり、子育てには必ずしもいい方向には作用しないことを不完全性定理と呼ぶのだ。
「どういうカップルなのか?」が分かれば職場はそれで成立したが、だからといってマリアのいうことをそのまま子育てに用いてはならない。
夫に貞淑ならば発言力はあるだろうが、相当、認知は歪んでいるものだ。
私の魅力に気付かない鈍感な人。

プラトンは、結局「従姉妹の女の子」をモチーフにしたほうがいい詩が書けるということに気がついたのだ。
学校生活と、適度な距離感、そして「すべてを言葉にすること」の三つを満たしていたからだ。
詩というものは「書きたいことを書いてくれ」という側面があり、いとこがいるというのは才能でもあった。
従姉妹との関係を詩にするのが詩を作る基本であるが、そこに「盗み、セックス、欺き」の三つの要素を書き記すのだ。
この三つの要素は「誰のものか?」をいとこ同士で争うのが詩というものだ。
これが「すべての先生の公約数的見解」であり、ギリシャの一神教であった。
キセノファネスはこれを明らかにしたし、クロトンの心を病んだ女の子たちは共通してこのことを歌わされていたとしている。
どの男女も自分の身内の身近なモチーフに共感しているということをギリシャ一神教は狙ったのだ。
「彼女が」「おちんちんで」「痛みを感じている」このあたりに「盗み、セックス、欺き」を表現したのだ。
あとは「この表現こそが多数派だろう」というあたりにブレイクの秘密はある。
「誰一人としてファッショナブルな男はいない」ということも分かる。
ホメーロスやヘシオドスを要約するとそういうことなんだ。
Qlair 秋の貝殻。

適度な距離感をコントロールする学問を「数学」と呼んだ。
「10と20の間にも素数はあるんだよ」
こんなことすら従姉妹は知らなかった。
そういうことを詩にするんだよ。
数学ができるということは国語も勉強したんだろ。
「韻」の数をビートに合わせればいいだけだからな。
数学と国語の「腕試し」は詩で表現できる。あくまでもプラトニックなものだ。
「11は素数だ」という言葉が「すべてはプラムだ」といっているように聞こえた。
詩が書けるようになったら「真実が知りたい」と思うようになる。
しかし「恋話を覚えるモチベーション」としてとっておいたほうがいい。
そのようにして学校生活というものは楽しむものなんだ。
お引越し。

「プライベートの話題を仕事に持ち込むと出世する。仕事の話をプライベートに持ち込んではならない」
この基本を踏まえると、1890年代からアメリカにおいて「仕事にとっても有意義なプライベートを他者の妨害から守ろう」というムーブメントが始まったことの意味を理解することができる。
みんな「お金」に興味があったのだ。
仕事仲間として仲間に迎えるためにはプライベートの話をしなければならない。
しかし、プライベートを充実させるためには職場では黙っておいたほうがいい時もあるし、お金になるようになってから話したほうがいいこともある。
ウォーレンとブランダイスが1890年ごろから明らかにしたものであり、セックスの感じ方や、日常の雰囲気は「黙ってないと壊されるぞ」ということを明らかにしていた。
BoA まもりたい。

他の職場の同僚よりも自分は優れているということをアピールするのはプライベートを語ることによってなされるものであり、ウォーレンとブランダイスの論文の70年後の1960年代になってから連邦最高裁で話題になるようになった。
アジアやヨーロッパでも「プライベートを職場に有利な形で持ち込む」ということは共有されるようになった。
ホリフィールドは1995年までに明らかになっていた方法をレノックス・ルイス戦で活用し、プライベートを明らかにすることで判定を有利な方向に導いた。
ホリフィールド対ルイス1999年。

ローレンス対テキサスにおいては「同性愛者であること」が5対4の審判で公表することが認められ、バウアー対ハードウィックにおいては「児童虐待」が困難な問題として提起された。
果たして仕事に有意義なプライベートの情報なのかが争点となったのだ。
特定の女性に伝えたい情報なのか、職場全体の噂になるような情報なのかの違いが認められる。
特定の女性に伝えたい情報ならばその情報自体が「富」(デリバティブ)となる。
ジャービス・トンプソンは「孤児の女の子に仕送りをしている」という情報を仕事に活用していた。
ポズナーもその「経済効果」を認めていた。
しかし1965年にボークは、「それは社会問題である」としてジャービスを批判している。
アメリカ合衆国憲法修正4条、5条、9条でジャービスのやり方は認められた。
しかし、連邦最高裁にも「社会は間抜けだな」という内容を含んだプライバシーの情報に関しては「それはボークだ」という考えは根強い。
「不幸な女」を利用して欲しくないという考えは広く女性たちに共有された。
また、プライベートがスポーツ新聞に掲載されてしまえば、それはもはや「仕事に活用しなさい」という意味であり、それをメディアから強制されることになる。
そこで、プライベートの登場人物全員を「認める」という形でスクープする必要が生じる。
プライベートを明らかにするということは「他人からの親密さ」をもたらす。
我々は世の中の人全員と親密になろうとは思っていない。
ネコラブ。

そのような意味において、「プライバシーとは寂しいから暴露する」という側面が指摘できる。
私生活を晒さない人間は寂しい人間ではない。
プライベートの暴露に多くの男女が群がることがあるが、2003年ごろには「そんなにあなたは寂しいのか」というリアクションが定着した。
今は「社会への貢献」を見ながら争点を提起できる議論かどうかを見ながらリークしているのが現状だ。

やしきたかじん嫁問題について。

小保方晴子の問題。

ベッキー騒動について。

ウォーレンとブランダイスは「寄ってこないでよ!」という意味でプライバシーというものを考えた。
そういう意味では「一人でいさせてもらいたい」という権利のことであるといっても間違いではない。
女性は特にそうだった。
インターネット時代になったらIPアドレスがなければ女を守れないことも分かった。
電話、ファックス、Eメールなどが世界の20カ所で傍受されている。
NHKもその中の一つだろう。
9・11テロの後にそれは容認されているのだ。
今の妻や彼女から愛が失われたのか?などは聞けば分かるものだ。

リベラリズムというのは、自分の主張を通すために男の前で裸になる女のポリシーのことを言う。
熾烈な女同士の戦いが展開される世界だ。
あの女、今頃、何をしているのかな?と譲れない夜もあった。
カントを知っている影響力のある男を狙ったし、私は「女になる」という教育を終えていた。
アナルセックスを強要されることを恐れていない女のことをリベラルと呼ぶんだろう。
ホッブスは主権というものを考えて、アナルセックスがどうしてもいやだという女たちのニーズに応えた。
どの男の前でも裸になる女はアナルセックスを恐れていない。
このことをよく理解している男を「王子さま」と呼んで、東大生ならば誰だって乗せる女などいないということを見越していたのだ。
永遠に友達 瀬能あづさ。

男の前で裸になればなんだって通ると思っている女はかなり古典的なリベラリズムに立脚している。
法律の力を信じているのだろう。
法律とは「ノンケ」を作り出す学問だ。
しかし、アナルセックスをやる男が知れ渡ってくると、男でも「ケツの一回でも許してやろうかと思ったのに」というようなニューマーケットが開かれた。
金に困ったら男でも女装して歩いたのだ。
一回2万3千円だぜ?
カントのように「女心」を語ってモテる男はノンケだったので本気モードに入る女たちがいた。
ホッブスのように「アナルセックスを強要する男がいる」ということを踏まえて、それを嫌う女たちの支持を広げたのがカントだった。
男が好きな男ならば女たちは「どこに連れてかれるか分からないね」と語り合った。
女の局部だけが政治の世界で万能なのではない。
アナルセックスをする男がいるので、うかつに男の前で誰もが裸になれるわけではない。
ribbon あのコによろしく。




【つづく】

«アプレーゲル。